簡略アイロニーと狭い笑顔

 唯衣の右手にはコック&ロックされたコルトガバメント。
 衣服の膨らみが薄い事から予備の弾薬も充分ではないのだろう。
 予備弾倉を携行しているのかどうかも怪しい。
 亜美が手加減、あるいは同等の立場にいてやるポーズをみせるために、左大腿部のマガジンポーチを片手でスナップを弾いて地面に落とす振りをし、左手で素早くカランビットナイフを抜き放てば一切の発砲なしでカタがつく。
 唯衣が自分の首に掛けた条件は『生死を問わず』。
 この場で今すぐ唯衣を殺しても亜美には賞金稼ぎとしての矜持には何の瑕も付かない。彼女の矜持に瑕が付つないように唯衣が小細工をしただけだ。
 殴り倒して懸賞金を取り下げることも可能だ。
 だが、それでは唯衣が救われない。
 すがる先もあても人もない、彼女を修正するには暴力しかない。
 何故なら、唯衣の牙を抜いて目の前でそれをヘシ折り、新しい牙を差し込んだ張本人が亜美だからだ。
「……」
「……」
 いうなれば何も知らぬ赤子に、正しい生き方と称して悪逆非道の蛮行をプリンティングしたも同然。
 目の前に立つ愚かな少女が、愚かゆえの愚かな行動にでたのは亜美の軽佻浮薄な篤志的義侠心でしかない。
 この少女を太平楽な顔で見守ってやる立場ではない。『始末』するのは亜美の責任だ。
 責任。
 その言葉が重くのしかかる。
 だが。
 だが、しかし。
 だが、しかし、意に反して体は軽かった。
 亜美の左手がカランビットナイフをポケットから抜き放つ。同時に右手はレッグホルスターのグロックG20SFを抜く。
 金属が触れ合う。上品な音色ではない。命を削る剣呑な甲高い唸り声。
 亜美のカランビットナイフは唯衣のコルトガバメントのスライド上面に弾かれる。
「!」
 抜き放って発砲するはずだったグロックG20SFが射点に銃口を咄嗟に持っていけない。
 唯衣が左手で亜美の右手の橈骨を抑えて唯衣に銃口が向かないように押さえつけた。
 唯衣の軸足が地面を噛む。
 右半身からの左ローキック。腰の回転が充分に乗った鞭のような残像すらみえる。
 亜美は咄嗟に膝をから下の低い足刀で唯衣のローキックを押し返す。
 亜美のカランビットが顎先を狙って低い位置から一閃! ……だが、空振り。唯衣は即座に大きく空いた亜美の左脇に自分の体を滑り込ませて背中を亜美の左脇に密接させる。
 唯衣は間髪入れず鳩尾に亜美に右肘打ち。続けて後頭部からのヘッドバットで亜美の左頬に打撃を加える。
――――『動きが軽い!』
――――この子のどこにこんなテクニックが!
 朦朧の3歩前。微かに白む視界を、舌先を強く噛んで意識を覚醒させる。
 今の亜美には振り上げたカランビットナイフが邪魔だ。
 カランビットナイフはその形状からアイスピックグリップで突き刺すという動作が行えない。
 唯衣は更に亜美が挙げた左腕を、空いた自分の左手であてがい、カランビットナイフの脅威を完全に削いだ。
 亜美が距離を保てばナイフは使える。だが、その隙に唯衣のコルトガバメントが火を吹くだろう。
 亜美のグロックG20SFを持つ右手はコルトガバメントを保持する唯衣の左肘で押し退けられて銃口が一向に定まらない。
「ぐっ……」
「くっ!」
 密接した状態で膠着。
 メキシカンスタンドオフ、極まれり。
 唯衣の軸足が頻繁にスイッチし、片足の踵で亜美の足の甲や爪先を踏みつける。脛の肉が薄い部分を小癪に蹴る。小さく繰り出される後頭部によるヘッドバットも顎先や鼻、頬骨を打ち付ける。
 単純に体力勝負の一進一退。
 亜美は攻め立てる唯衣の攻撃を、持ち前の耐久力で耐えているだけ。一方、中々陥落しない亜美に体力を削られる唯衣。
 銃弾1発が決まれば全てが片付く状態。双方とも決め手に欠ける拮抗状態を維持する。
 なのに最も信頼できる決まり手は押しくら饅頭と同じレベルの遊戯。
「フッ!」
 呼吸を吐き出し、渾身の振り下ろしでカランビットナイフを勢い良く深く下げる。唯衣の左手から亜美の左腕が外れる。
 刹那。
 カランビットナイフが白銀の筋を描きつつ切り上げる。
 勝負が着いた。
 亜美は確信した。
 唯衣の左腕を一本、不具にしてお終いだというイメージが脳裏に浮かぶ。
 その脳裏の映像を、鼓膜が捉える、耳障りな金属音と左手首から伝わる不快な衝撃が全てを裏切った。
「!」
 カランビットナイフが、特殊なステンレスで拵えられた刃が根元から折れた。
「腕を切って終わりだと思いました?」
「な……に?」
 唯衣の開襟シャツの袖……刃に切り裂かれた部分に見える鈍色の金属の板……コルトガバメントの予備弾倉をバンテージで巻きつけた応急的な防具。なれど効果は抜群。
 遠くで軽い金属音がする。折れて飛んだ刃が地面に落ちたか。
「!」
 さらに目を剥く亜美。
 防御や動作の封じ込めだけに徹していたと思われていた唯衣の左手が、左腕が、左肘が、左肩が、ゴツゴツと亜美の体に酷く重い衝撃が浸透する打撃を繰り出す。
 白兵戦に於いて最も有用な『アイテム』は防具だ。
 ナイフや銃と違い、奪われても使われることがなく、手元から失っても心理的に大きな損失を感じない。
 至近接に於ける格闘戦でも同じことがいえる。
 そして亜美は、これが小手先のレベルであっても唯衣なりに頭を絞った『奇を衒わない』攻防の手段だと認識を改めた。
 小手先レベルの防具に負傷させられている事実。
――――予備弾倉!
――――見かけないと思ったら!
――――左腕だけじゃない!
――――体のあちこちに仕込んでる!
「……だけど……」
 衝撃による痺れが残る左手から、刃の折れたカランビットナイフを投げ捨てる。その手でもって、いまだに戦術上、背中を半分、向けている唯衣の左肘を掴む。咄嗟に唯衣も抗うように振るった左手で亜美の左肘付近を強く掴む。
「!」
「!」
 お互いの重心移動が反発して左腕を掴み合いながら、背中合わせに2人の体が離れる。……離れるというより、反発作用が働いて弾かれたようなモーションだった。
 首を捻ってお互いを睨む。
 視線が衝突し、殺意が交差する。
 右手。
 2人の右手で出番を焦がれていた拳銃が、お互いの脇腹越しに突き付けられて銃口の射点が一致する。
 刹那の、指弾の、閃電の狭間の駆け引きに轟音を打ち鳴らすイニシアティブを得たのは、唯衣だった。
「……」
「……」
 外しようのない、至近距離からの発砲。
 45口径の重い弾頭は、鈍重で鈍足で低速のフルメタルジャケットは、右半身状態の――2人共右半身状態だが――亜美の左胸に着弾し、水風船をぶつけたような血飛沫を撒き散らし、唯衣の頬に飛沫が掛かる。
「!」
 必勝の一撃を与えたはずの唯衣の頬が、失策を踏んだように固まる。
 轟音。
 再び轟音。
 但し、45口径よりも力強い、腹に響く、耳を聾する、破壊力を顕示する轟音。
 グロックG20SFから放たれた50GIの弾頭は唯衣の胸骨の真ん中に命中する。
 目を大きく剥いて驚愕を顕にする。
 被弾の反動で、左腕でのみ繋がった互いの体が震える。
 軸足が揺らぐ唯衣。力が抜け、その場に膝から崩れる。
 最後に一矢報いる積もりか、亜美の左肘を掴む左手だけは滑り抜ける直前まで力が緩まなかった。
「っ……あっ……か……」
 唯衣は胸骨を直達外力で骨折したのか、度を越す圧痛と疼痛で呼吸が乱れ、言葉も発せない。
 目を剥いたまま、酸素不足の金魚のように口をパクパクと開閉させるだけだ。
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