簡略アイロニーと狭い笑顔
悠子がアンニュイな欠伸をしながら、亜美と卓袱台を挟んでノートパソコンを操作していた。
情報屋のギルドの掲示板を巡回しているだけだ。
「情報は鮮度が命だってのは解るけど、それをあの子にみせるのは早すぎたんじゃないかなって」
「事実は事実よ。隠しても仕方ないでしょ。……それにあの子は自分で決断するという事を知らない。この間の賞金首を捕らえたのは恐らく、ハイな気分が推しただけ。それを勘違いしたまま『世の中』に出ると……死ぬわ。確実に」
亜美は自室である、この部屋で無造作に寝転がって大きく伸びをする。
たわわに実った胸が肺気に押されて一層盛り上がる。スエットの紺色の部屋着が軽くはだけてヘソが見える。
「優しいんだか厳しいんだか解んないわねぇ。あんたも中途半端な思わせぶりをみせてるといつか怪我をするよ……それだけは覚えときなよ」
口調は軽いが亜美は黙ったまま、天井を睨んでいた。亜美自身にも悠子の台詞には、心に牢記する文言が含まれていたらしい。
その日の夕方。赤い夕陽が明日の天候を推測させる。
「亜美さん。お世話になりました。このご恩は忘れません。必ず近いうちにお礼を持ってお伺い致します」
悠子はそこまでメールを読むと、その携帯端末の本来の持ち主である亜美に投げ返した。
「ま、無様に夜逃げする道は選ばなかっただけのタマだったってことかな? ……ねぇ、亜美。聴いてる?」
亜美は携帯端末をスエットパンツのポケットに押し込むと、グロックG20SFのクリーニングに取りかかる。
「ち、ちょっと、ソレ、臭いから先に窓を開けなよ!」
クリーニングリキッドの瓶を取り出しただけで鼻を摘んで窓を開ける悠子。亜美は構わず、形の良い眉目に浅い溝を作り、黙々とクリーニングに移る。
酸性の鼻を突く臭いが部屋に薄らと漂う。
じっと、グロックG20SFのメンテナンスとクリーニングに集中している表情。その顔の片隅には物哀しい雰囲気が漂っていた。
何もかもが有耶無耶に終わると思われていた唯衣の行方だったが、1週間後に悠子の情報網に唯衣の動向が補足される。
「!」
亜美は悠子がプリントアウトした紙の束に記された内容が信じられなかった。
もしかしたら、いつかはこのような展開になるかもと、ほんの少しは予想はしていた。
「悠子。武器屋のオジサンに連絡して。頼みたいことがあるの」
「武器屋って……何するのよ?」
「この情報が確かならすぐにでもこの子は行動を起こすわ」
時計は午後9時を経過。
海外の合法銃砲店なら閉店の時間が多い中でも、非合法の武器弾薬の流通経路には関係ない。
悠子が持ち込んだ、唯衣の動向をまとめた報告書をいつもの卓袱台に放り投げ、思い出したように付け加える。
「あ、そうそう。この報告書と資料だけど、私が頼んだ物じゃないから代金は発生しないわよ」
「解ってるわよ」
やや不機嫌そうな悠子。無造作にメガネのフレームを正す。
「私だってあの子のことは!」
「解ってる。だから武器屋のオジサンに連絡して欲しいの」
4日後。
この4日間、亜美にとっては一日千秋の思いで、隔靴掻痒の呈で、断腸の思いを強いられていた。
辛かった。否、辛いに違いない。辛い思いをしたに違いない。
亜美ではなく、唯衣が。
4日前に悠子の持参した報告書に記されていた唯衣の『その後』は悲鳴を挙げたくなるに違いない屈辱の日々だった。
その耐え難く忍びがたい状況を押し付けたのは亜美自身だ。
アンダーグラウンドでいっときでも過ごした住人なら通過してもおかしくない道を真っ直ぐ驀進している。
……正確には迷走を迷走だと気づかず、「それが自分で選んだ道なのだ」と勘違いしている節さえ感じられる。
『このままでは唯衣は死ぬ。寧ろ、死ね。後顧の憂い無く派手に静寂に露と消えろ』。
二律背反が叢雲の如く湧き出る。
ナップザックを捨てるとその場で厚手の灰色のパーカーを脱ぎ捨てた。
ジーパンの右大腿部にはレッグホルスター。左大腿部には4連予備マグポーチ。左右の後ろ腰にも4連予備マグポーチがベルトに通されている。
「……」
嘗て、槙都香苗が潜伏し、一時は捕縛するに到ったロッジ風山荘を崖の上から見下ろす。
この傾斜を遮蔽も伝わらずに降りる。
逃げも隠れもしない、威風堂々の気風を背負う。
目前に迫る、銃撃戦を展開した山荘。
傾く陽が黄昏時を伝える。
ここに、いる。
既に、いる。
待ち構えて、いる。
手ぐすねを引いて顎を開いて、いる。
「……」
山荘の正面玄関では無く、裏手の勝手口に真っ直ぐ向かう。
「……」
「……」
そして、久し振りの邂逅。
『唯衣が自宅で寛ぐように勝手口の一段高い踏み石に腰掛けていた。』
「……あなた、元気?」
「お久し振りです。亜美さん」
会話こそは普通。
歩みを止めぬ亜美。
尻の埃を払って立ち上がる唯衣。
歩みを止めぬ亜美。
開襟シャツにカーゴパンツ姿の唯衣が立ち上がる。
歩みを止めぬ亜美。
唯衣は後ろ腰からコルトガバメントを引き抜く。
歩みを止めぬ亜美。
軽快な作動音を立てて唯衣のコルトガバメントは作動する。
歩みを止めた亜美。
唯衣、コック&ロック。
そして、彼我の距離、80cm以下。
「……」
「……」
2人の視線が中空で絡む。
お互いの手で触れ合うことができる距離。
沈黙が沈黙を呼ぶ。
斜陽が山の稜線に落ちて暗闇の到来が近いことを報せる。
「それが……その銃の弾薬が、『体を売って』まで手に入れたお金で買った弾薬?」
「はい。私の体は『未使用でしたから高く売れました』」
暗い瞳の亜美。
冷たい瞳の唯衣。
「もっと冴えたやり方は無かったの?」
「『4日前にメールでお知らせした通りですよ。どちらが死のうと生き残ろうと私はあなたと撃ち合わないと何も進まないんです』」
4日前に唐突に舞い込んだメールには、この日時に山荘で『決闘』するように指定されていた。
修飾も形容も感情の起伏もない、乾いた果たし状。
不器用や馬鹿や間抜けとは違う、確固とした意志が……確固とした迷走した意志が伺える。
――――天然モノの低能だ。
亜美は相手の呼吸が聞こえる距離で、心の中で罵倒した。
唯衣が寝る間も惜しみ、性的産業で稼いだ金は全て銃の弾薬に化けたわけではない。
大多数の金額は、唯衣自身に懸ける懸賞金に変貌した。
何があっても、間違えず、違えず、違わず、亜美が唯衣を討ち取る理由を唯衣が用意したのだ。
唯衣が自分の首に懸賞金を掛ければ、挙って賞金稼ぎがカモ狩りにくるだろう。
だが、唯衣は賭けた。
亜美が、『非情でしかない機械でない可能性』に。
早くこの首を討ち取りにこいと。
早くせねば他の賞金稼ぎに取られるぞ、と。
実際は唯衣が賞金首として手配されたのは本日の午前中。
唯衣なりの背水の陣だ。
亜美はこの、恐ろしく生き方が下手な少女に当て嵌る語彙を必死で検索したが、結局、アホウ以外に適当な文字が見つからなかった。
そしてそのアホウの稚拙な策に自分から乗り込む亜美もまた、アンダーグラウンドの住人としてはアホウとお人好しのハイブリッドなのだと納得した。
彼我の距離、80cm。
情報屋のギルドの掲示板を巡回しているだけだ。
「情報は鮮度が命だってのは解るけど、それをあの子にみせるのは早すぎたんじゃないかなって」
「事実は事実よ。隠しても仕方ないでしょ。……それにあの子は自分で決断するという事を知らない。この間の賞金首を捕らえたのは恐らく、ハイな気分が推しただけ。それを勘違いしたまま『世の中』に出ると……死ぬわ。確実に」
亜美は自室である、この部屋で無造作に寝転がって大きく伸びをする。
たわわに実った胸が肺気に押されて一層盛り上がる。スエットの紺色の部屋着が軽くはだけてヘソが見える。
「優しいんだか厳しいんだか解んないわねぇ。あんたも中途半端な思わせぶりをみせてるといつか怪我をするよ……それだけは覚えときなよ」
口調は軽いが亜美は黙ったまま、天井を睨んでいた。亜美自身にも悠子の台詞には、心に牢記する文言が含まれていたらしい。
その日の夕方。赤い夕陽が明日の天候を推測させる。
「亜美さん。お世話になりました。このご恩は忘れません。必ず近いうちにお礼を持ってお伺い致します」
悠子はそこまでメールを読むと、その携帯端末の本来の持ち主である亜美に投げ返した。
「ま、無様に夜逃げする道は選ばなかっただけのタマだったってことかな? ……ねぇ、亜美。聴いてる?」
亜美は携帯端末をスエットパンツのポケットに押し込むと、グロックG20SFのクリーニングに取りかかる。
「ち、ちょっと、ソレ、臭いから先に窓を開けなよ!」
クリーニングリキッドの瓶を取り出しただけで鼻を摘んで窓を開ける悠子。亜美は構わず、形の良い眉目に浅い溝を作り、黙々とクリーニングに移る。
酸性の鼻を突く臭いが部屋に薄らと漂う。
じっと、グロックG20SFのメンテナンスとクリーニングに集中している表情。その顔の片隅には物哀しい雰囲気が漂っていた。
何もかもが有耶無耶に終わると思われていた唯衣の行方だったが、1週間後に悠子の情報網に唯衣の動向が補足される。
「!」
亜美は悠子がプリントアウトした紙の束に記された内容が信じられなかった。
もしかしたら、いつかはこのような展開になるかもと、ほんの少しは予想はしていた。
「悠子。武器屋のオジサンに連絡して。頼みたいことがあるの」
「武器屋って……何するのよ?」
「この情報が確かならすぐにでもこの子は行動を起こすわ」
時計は午後9時を経過。
海外の合法銃砲店なら閉店の時間が多い中でも、非合法の武器弾薬の流通経路には関係ない。
悠子が持ち込んだ、唯衣の動向をまとめた報告書をいつもの卓袱台に放り投げ、思い出したように付け加える。
「あ、そうそう。この報告書と資料だけど、私が頼んだ物じゃないから代金は発生しないわよ」
「解ってるわよ」
やや不機嫌そうな悠子。無造作にメガネのフレームを正す。
「私だってあの子のことは!」
「解ってる。だから武器屋のオジサンに連絡して欲しいの」
4日後。
この4日間、亜美にとっては一日千秋の思いで、隔靴掻痒の呈で、断腸の思いを強いられていた。
辛かった。否、辛いに違いない。辛い思いをしたに違いない。
亜美ではなく、唯衣が。
4日前に悠子の持参した報告書に記されていた唯衣の『その後』は悲鳴を挙げたくなるに違いない屈辱の日々だった。
その耐え難く忍びがたい状況を押し付けたのは亜美自身だ。
アンダーグラウンドでいっときでも過ごした住人なら通過してもおかしくない道を真っ直ぐ驀進している。
……正確には迷走を迷走だと気づかず、「それが自分で選んだ道なのだ」と勘違いしている節さえ感じられる。
『このままでは唯衣は死ぬ。寧ろ、死ね。後顧の憂い無く派手に静寂に露と消えろ』。
二律背反が叢雲の如く湧き出る。
ナップザックを捨てるとその場で厚手の灰色のパーカーを脱ぎ捨てた。
ジーパンの右大腿部にはレッグホルスター。左大腿部には4連予備マグポーチ。左右の後ろ腰にも4連予備マグポーチがベルトに通されている。
「……」
嘗て、槙都香苗が潜伏し、一時は捕縛するに到ったロッジ風山荘を崖の上から見下ろす。
この傾斜を遮蔽も伝わらずに降りる。
逃げも隠れもしない、威風堂々の気風を背負う。
目前に迫る、銃撃戦を展開した山荘。
傾く陽が黄昏時を伝える。
ここに、いる。
既に、いる。
待ち構えて、いる。
手ぐすねを引いて顎を開いて、いる。
「……」
山荘の正面玄関では無く、裏手の勝手口に真っ直ぐ向かう。
「……」
「……」
そして、久し振りの邂逅。
『唯衣が自宅で寛ぐように勝手口の一段高い踏み石に腰掛けていた。』
「……あなた、元気?」
「お久し振りです。亜美さん」
会話こそは普通。
歩みを止めぬ亜美。
尻の埃を払って立ち上がる唯衣。
歩みを止めぬ亜美。
開襟シャツにカーゴパンツ姿の唯衣が立ち上がる。
歩みを止めぬ亜美。
唯衣は後ろ腰からコルトガバメントを引き抜く。
歩みを止めぬ亜美。
軽快な作動音を立てて唯衣のコルトガバメントは作動する。
歩みを止めた亜美。
唯衣、コック&ロック。
そして、彼我の距離、80cm以下。
「……」
「……」
2人の視線が中空で絡む。
お互いの手で触れ合うことができる距離。
沈黙が沈黙を呼ぶ。
斜陽が山の稜線に落ちて暗闇の到来が近いことを報せる。
「それが……その銃の弾薬が、『体を売って』まで手に入れたお金で買った弾薬?」
「はい。私の体は『未使用でしたから高く売れました』」
暗い瞳の亜美。
冷たい瞳の唯衣。
「もっと冴えたやり方は無かったの?」
「『4日前にメールでお知らせした通りですよ。どちらが死のうと生き残ろうと私はあなたと撃ち合わないと何も進まないんです』」
4日前に唐突に舞い込んだメールには、この日時に山荘で『決闘』するように指定されていた。
修飾も形容も感情の起伏もない、乾いた果たし状。
不器用や馬鹿や間抜けとは違う、確固とした意志が……確固とした迷走した意志が伺える。
――――天然モノの低能だ。
亜美は相手の呼吸が聞こえる距離で、心の中で罵倒した。
唯衣が寝る間も惜しみ、性的産業で稼いだ金は全て銃の弾薬に化けたわけではない。
大多数の金額は、唯衣自身に懸ける懸賞金に変貌した。
何があっても、間違えず、違えず、違わず、亜美が唯衣を討ち取る理由を唯衣が用意したのだ。
唯衣が自分の首に懸賞金を掛ければ、挙って賞金稼ぎがカモ狩りにくるだろう。
だが、唯衣は賭けた。
亜美が、『非情でしかない機械でない可能性』に。
早くこの首を討ち取りにこいと。
早くせねば他の賞金稼ぎに取られるぞ、と。
実際は唯衣が賞金首として手配されたのは本日の午前中。
唯衣なりの背水の陣だ。
亜美はこの、恐ろしく生き方が下手な少女に当て嵌る語彙を必死で検索したが、結局、アホウ以外に適当な文字が見つからなかった。
そしてそのアホウの稚拙な策に自分から乗り込む亜美もまた、アンダーグラウンドの住人としてはアホウとお人好しのハイブリッドなのだと納得した。
彼我の距離、80cm。