簡略アイロニーと狭い笑顔

 自分が銃撃戦を展開したことでさらに微調整されて、多少の勘で走ることもできる。
 大きく息を吸い込む。遮蔽から飛び出し廊下を走る。ジグザグ気味に走り、遮蔽を利用しながら移動を繰り返す。
「くっ!」
 左脇腹に22口径の直撃を受ける。
 衝撃や痛みから察して肋骨が防いだらしい。冷や汗が吹き出る激痛に襲われる。奥歯を噛み縛って痛みに耐える。今までの擦過傷とは比べものにならない痛み。
 それでも亜美の移動は止まらない。
 賞金首に向かって確実に進む。何度か角を曲がる。その隙を狙って玄関ホールへ逃げようとする2人の賞金首に1発だけ50口径を撃ち込んで威嚇する。
 時間と弾薬と激痛の勝負。
 いまだに決着がつく見通しがない。
 無為に逃げ、威嚇する亜美。それを追う消音銃の銃火。
 何度も角を曲がり、廊下を走り抜け、階段を上下し、移動と吶喊を繰り返す。
 泣こうが喚こうが残弾は『4発』。弾薬サックにばら弾が入っているが、包装されたブリスターパックからそれらを取り出して悠長に空弾倉に装填している時間はないものと心得ている。
 無為。
 確かに無為。
 いわれるままなら無為に映るだろう。
 しかし……無為と思える、無為にみえる、無為にしか受け取れない行動がブラフだったら?
「よう! 元気?」
 大粒の冷や汗を浮かび上がらせて、亜美は大きく口を開いて叫ぶ。
 目が慣れた、黒い空間で確かに『その気配は驚いていた』。
 光が。
 強烈な光が。
 一条の強烈な光が放たれる。
 目も眩む、一条の強烈な光は亜美の左手の中で発生していた。
 そしてその強烈な照射点は『感じた気配』という曖昧な存在ではなく、亜美の右手側面に放たれている。
 だが、照射された物体はさらに強烈極まりない一筋の人工的明かりを反射させ……。
 『亜美の目前、やや左手側の遮蔽に潜む消音銃の男の視界を目に障害が残るとされる光量で炙りだしていた。』
「!」
 全く予想外の方向からのタクティカルライトによる目潰しに、その男は目を閉じてしまう。時間にして僅か1秒強。
 この刹那が勝負を決めた。
 濃紺の戦闘服に身を包んだ40代前半のその男は、左手で右手側から差し込んできた、眼を刺すように痛いライトの明かりを遮る。
 同時に発砲。渾身の1発に違いないが、虚を突かれて照準はないも等しい。
「あら、いい男」
 言葉に反し、引き金は冷酷にも引き絞られる。
 あさっての方向に消える22口径に対し、消音銃の男のヘソの辺りに命中する50口径。
 たった1発で無力化させるには下腹部を狙うしかない。激痛と呼吸困難と体幹を伝わる衝撃で死に直結する気絶に陥る。
 消音銃の男に王手をかけたのはいうまでもなく、置いた手鏡に反射させたタクティカルライトの照射だ。
 グロックグロックG20SFのレールからタクティカルライトを外すのに時間が必要だった。手鏡の設置位置と、そこへ誘導させるためにイニシアティブを放棄した芝居も必要だった。
 消音銃の男は右手からルガーMkⅡを滑り落とし、体を二つに折って派手に尻餅を搗く。そして腹を抱えたままの姿勢で横倒しになると、形容し難い苦痛に声も出せずに爪先を痙攣させる。射入孔から溢れる血液と漏らした小便が混じって異臭を放つ。
 彼我の距離は5m。
 たったの5mでの、たったの1発での、たったの2人きりでの『静かな銃撃戦』だった。
 男の放り出したルガーMkⅡを拾う。
 弾倉を抜くと7発の22口径が詰まっていた。
 薬莢の尻の刻印から射的競技で使われる、22ショートと変わらないエネルギーを持つロウベロシティだと判る。だが、弾頭は真鍮製のイエロージャケットだ。
 亜美は左脇腹の弾頭が埋まったままの被弾箇所をハンドタオル越しに押さえながら、賞金首がガタガタと震えているはずの建造物の奥へと進む。
 自分の体にめり込んだ実包の正体が解ったことで安心感を得た。
 負傷した事実の根本的解決には至らないが、回復までの費用や日数が計算できるからだ。
 全身に10箇所以上の擦過傷を作り、左肩と左脇腹に被弾し、それでも悪霊のような鬼炎をあげ、暗い暗い奥へと歩みを進める。
 右手にはタクティカルライトが外されたグロックグロックG20SFを携えて。
 一歩一歩踏みしめて歩く。
 歩く。
 重い足取り。しかし、しっかりとした強い意志が感じられる。
 歩く。
 歩く。

 やがて、彼女の姿はタクティカルライトが照らされる距離を離れる。

 取り残されたタクティカルライトが寂しく虚しく光源を提供する。

 この後に繰り広げられる一方的な暴力行為は、同じく残された手鏡に映り込むが、語る目撃者は誰もいない。

   ※ ※ ※

「唯衣……」
 亜美は傷が癒えた唯衣が入居することになった共同住宅の一室にノックもなく入室した。
 あの夜の、賞金首を追い駆けた銃撃戦から3週間。午前10時半を経過した頃だ。
「悠子がさあ……」
 そういうと脇に挟んでいたクリアファイルを唯衣に放り出す。
「?」
 自室で足の爪を切っていた唯衣が、怪訝な顔でそれを手に取り、中身の紙の束を見る。
「え? ……だって! コレ……」
「ええ。ええ。混乱するでしょうけど事実なのよね」
 画像がプリントされた紙が数枚。街角でのスナップ画像じみている。
 そこには槙都香苗が健在を示す証拠が列記されていた。
「悠子が勝手に調べたのよ。隠していると憚られる気がしてね」
「……これは……」
「……そう。槙都香苗は『指を詰めた』のよ。それだけじゃないわ。自分が持っている情報やコネも全部換金して『元いた、裏切った古巣に売り捌いて』赦しを請うたみたいね」
「……」
「で、どうするの? まだ私の下で『私を殺す練習』をするの? もう、あなたに銃を握る理由はなくなったんじゃない?」
 沈黙の唯衣。もしかしたらこれは亜美の悪巫山戯で、自分の手元から唯衣を追い出すための虚偽だとさえ考え始める。
「あー。それと、その資料は本物だから。写真をみなさい。左手の小指が無いでしょ? レポートを読みなさいな。あなたや『槙都香苗とあなたしか知らない情報』も書いてあるでしょ?」
 唯衣の顔から血の色が下がる。
 事実上、1ヵ月にも満たない亜美との生活が何の成果も得られないままに終焉を迎えたのだ。
 亜美を殺すと啖呵を切って、あろうことか掟破りも甚だしく、亜美に頭を下げたのに、何もかもが中途半端だ。
 自分の心意気も、そこへ到るまでの意識の所在も、亜美に半ば諭されて呑んだ理屈も全てが中途半端だ。
 そして忠を尽くすはずの旗印だった『今は亡き槙都香苗』は存命。
 みじめ。
 誰にも責任はない。
 唯衣は自身を責めようにも、この結末の落としどころが探せないでいる。
 唯衣にできることは脱力して無気力に陥り、湧き出る涙を放置するだけだった。
「唯衣。よく考えなさい。これからの決心であなた自身の価値が決まるわよ。これは脅しじゃない。それに……」
 そこから続く言葉は唯衣をさらに暗渠へと迷い込ませた。
「それに、あなたには還る場所もない」
  ※ ※ ※
 この3日間、唯衣は自室から出てきていない。用を足すために出てはいるだろうが、その姿を誰も確認していない。
「亜美ー。ちょっと酷かったよ、あんた」
「ん?」
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