簡略アイロニーと狭い笑顔

 間抜けが叫んでくれたお陰で恐らく、闇の静かな襲撃者は遺憾千万に歯を食い縛っているに違いない。
 先ほど静音性を掻き乱す発砲音が聞こえた。
 奥の非常階段から逃走を図ろうとしてドアが固く、蝶番かドアノブを拳銃弾での破壊を試みたか。
 その耳障りな発砲音も虚しく、非常階段を開口させるに至らず、階下に降りてきたら手勢が襲撃者たる亜美を片付けていなかったので怒鳴ったのだろう。
 足音や発砲音の違いから人数は2人だと推察される。
 棚からボタ餅と表現するばかりの展開に亜美の口角が釣り上がる。
 火種が吹き飛ばされて鎮火した葉巻に再び火を点ける余裕が生まれる。もともと銜えた葉巻は、相手を誘導、挑発するための小道具として、着火したのだ。
 短刀のように差した20連発弾倉と差し替え、タクティカルライトをオンにする。
 目的は賞金首の捕獲であり、目前の手強い消音銃使いではない。
 左手の小指と薬指の間に9連発弾倉を挟み、アイソセレススタンスで遮蔽の陰から発砲する。
 連なる轟音。50口径の力強い咆哮が狭い廊下を席巻し、耳を聾する衝撃を撒き散らす。
 鈍重な50口径は壁や角の遮蔽を拳で雪の壁を削ぐがごとく削る。
 硝煙以外にも内装の壁材が塵を撒き散らしてタクティカルライトの照射距離が短くなる。
 その間にも……流石と言うべきか。消音銃の使い手はグロックG20SFのマズルフラッシュが閃くのとタイミングを合わせるように発砲を続け、所在位置を悟られまいとする。
 この建物に入ってから少々、派手に銃撃を行ったためか、玄関ホールに複数の足音が聞こえる。挟撃されると拙い。
 壁材の埃が舞う狭い廊下を、牽制射撃を繰り返しながら突き進む。
 タクティカルライトの照射範囲に、消音銃の使い手と思われる男の足がみえる。
 残像を残す速さで視界から消える。消音銃の男を追う必要性は皆無。牽制射撃で足止めさせることができれば上等だ。
 消音銃の男が後退を開始するがそれはブラフだ。賞金首連中を逃がすための囮になって亜美を引き付けるつもりなのは見え見えだ。それほどまでに連中の旗色は悪いのだろう。
「……」
 亜美の頬に『悪い笑顔』が浮かぶ。悪人の形相そのものだ。
 亜美は急にきびすを返すと背中を晒すという愚行を犯し、唯一確認されている出入り口の玄関ホールへ向かう。
 階段の踊り場を跳ねて飛び降りるやいなや、亜美の甲高い口笛。
 それを先途に玄関ホール付近でおっかなびっくりに進んでいた、拳銃を携えた連中が一斉に振り向く。
 6人ほどの戦力。
 掌で覆い隠していたタクティカルライトを突如開き、その眩い白色光を団子状態でたむろする連中に浴びせる。
 突然の口笛に驚き、その方向を見やると懐中電灯とは桁違いの光源が発生して目潰しを受ける。
 玄関ホールから展開しようとしていた6人は眩い光をライトだと認識する間もなく、脊髄反射的に掌や腕で視界を塞ぎ、取り返しのつかないラグを自ら生み出した。
 連なる6発の銃声。玄関ホールに尾の短い木霊を響かせる。
 シルバーチップホローポイントは違わず、6人の負傷者を作る。
 腹部に対人停止力の高い弾頭を叩き込まれて、例外なく体をジャックナイフのように勢い良く折り、その場で尻餅を搗き、例外なく呼吸もできぬ激痛に襲われて無力化される。
 敵戦力の算出が正しければ、これで残るは建物の奥に篭る賞金首と消音銃の使い手だけ。
 今し方も消音銃の使い手に背中をみせたのに大した追撃がなかったことを鑑みるに、本職の『護り屋』かもしれない。
 『護り屋』とはアンダーグラウンドでのボディガードだ。
 金で動く連中。……攻める勢力がいれば守る勢力もいる。
 お互いに恨みはないが、職業柄、鉄火場では毎回『護り屋』を生業にする暗黒社会の住人と衝突する。
 あらゆる襲撃パターンを心得ている連中が多い。
――――正念場だわ。
 亜美は4cmほどの長さになった葉巻を唾でも吐くように捨てる。
 きびすを返し、再び建物内部に進撃する亜美。
 体感で軽くなったと感じたノーマルマガジンを抜きながら新しい弾倉を差し込む。
 亜美の背中が夜陰の幽鬼に浮かぶ。


 唯衣の駆けた足跡を縫うように着弾する無数の銃弾。
 映画やドラマでよくみるエフェクトだが、訓練を受けていれば実際の銃撃戦では有り得ない。
 平地に立つ射手は標的を狙って『真っ直ぐ』に銃口を保持して引き金を引く。すると弾頭は『真っ直ぐ』に標的に向かう。当たり前だが、的を外した弾丸は虚空を裂いて明後日の方向に消える。
 だが、それでも、このように平地に立つ両者なのに足元を縫う射線が発生するということは……このロケーションとシチュエーションでこのような事態になるということは、射手連中が揃いも揃ってなまくらな腕前で暗がりでの距離の目測に疎く、心理的訓練を受けていないトリガーハッピーだと断言できる。
 MP5やM4揃えているはずなのに指切り連射や3バーストの銃声を聞かない。
 2、3発の指切り連射を繰り返す唯衣。
 発砲する間隔も徐々に広げていく。
 唯衣自身が劣勢に陥っているのをアピールするブラフでもあり、暗い世界が広がる中での地形と地図を知るメリットを活かすための下準備だ。
 連中は必ず止めを刺すために、自分たちの退路の延長線上にいる唯衣を排除するべく、全力全火力全戦力を惜しみなく投入するだろう。
――――護衛は……。
――――全部で12人。
――――賞金首は……。
――――一番後ろか。
 物陰に潜むたびに手鏡でこまめに敵戦力の分散を確認する。
 唯衣にとっての理想な襲撃プランは、まるで散弾銃のワッズを掴み取るような戦法だった。
 普通自動車2台分の幅を持つ、真っ直ぐに引かれた道路を警護の連中に走らせる。
 次に、駆け足の遅い賞金首をサイドから襲撃して深手を負わない程度の銃撃を浴びせる。短時間でも膠着させられれば、命中しなくてもいい。
 ……散弾銃は突然、粒玉が撒き散らされるわけではない。ワッズという軟質樹脂でできた筒に包まれており、炸薬の爆発で押し出され、空気抵抗で失速して地面に落ちる。
 そして押し出された散弾の粒は細長い楕円を形成し、やがて広がり、標的に広い着弾痕を残す。
 唯衣はまさに足の速い警護連中を先走らせ、取り残されつつある賞金首を仕留める算段だ。
 陽動だけが使命の唯衣には必要以上の過負荷……否、リスクしかない蛇足だが、自然と「この勝負は平らげられる」と脳と体が、心と乖離した部分で一致しているのだ。
「……」
 ぐっと沈黙する唯衣。
 連中に悟られないように外灯の照射範囲外にきたときに道路の両側に並ぶ廃棄された倉庫の隙間に体を忍び込ませる。
「……」
 目前を男達が駆ける。ほんの数m、左サイドの隙間に唯衣が潜んでいるのに誰も気がつかない。
 ペットボトルの残りの飲料で喉の乾きを癒したかったが、諦める。……チャンスはすぐにやってくる。手の届きそうな、すぐ目の前を走ってくる。
 顎を突き出して大きな腹を揺すらせて大粒の汗を吹き出させて、不細工な顔で荒い呼吸で走ってくる。
 唯衣には……『今の唯衣には』標的の鼓動すらも掴めそうにアドレナリンが噴出し、体内で脳内で、荒ぶる神経と鎮静を図る神経が衝突して冷や汗を掻きながら機会を待つ。
 賞金首を視界に捉え、引き金に命令を下すまでの20秒もない時間が永劫に感じられた。
 ……その瞬間が訪れたときには全ては、『速かった』。
 軽い。軽い、引き金。軽いと感じる引き金。
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