夜と霧の使者
相手もプロだ。密接した状態から腕を伸ばして発砲する真似はしない。
腰溜めからのクイックドロウに似た発砲。
それを上回る妹理の左手。
妹理の左の甲が発砲直前の、目前の男が構えるS&W M627PCのシリンダー部分を弾き飛ばす。
妹理より僅かに逸れた銃口から飛び出した357マグナムの弾頭は背後の壁に孔を虚しく拵える。
その直後の撃発は発砲なのか暴発なのか解らない。
左手の甲に相手の高熱のガスを浴びながらも咄嗟に右腰に構えたH&K P9Sをダブルタップ。外しようのない距離から、彼我の距離1m以下からの発砲。
銃声に紛れて聞こえる、鈍い湿り気のある命中音。
H&K P9Sのスライドにかかった血煙が熱されて湯気を上げながら鉄錆の臭を放つ。
その鮮血を啜ったばかりのH&K P9Sをウイーバースタンスで構える。
ウイーバースタンスは映画やドラマで多用される拳銃の構えではあるが、実のところ、民間でしか広まっていない護身拳銃射撃の一つでしかない。
スクリーンでは役者が恰好良く映えるので多用されてはいるが、前方への射角が狭く銃を持つ手側の体を半身にして前方と後方へしか素早い移動が出来ず、CQCを主体とする特殊部隊やそれに類する多くの部隊では使われなくなった古い構えだ。
だが、拳銃を構えたときの安定感や腕が胸や腹部の一部を敵弾よりカバーする攻防一体の構えであり、一度に多数の標的を相手にしない護身戦闘では尚も有用な構えである。
現在では運動力学を取り入れたアイソセレススタンスが戦闘射撃のトレンドとして流布されている。
アイソセレススタンスは前後左右への移動が容易で素早く行え、左右合計ほぼ180度の射角を持っており、攻勢にマッチしたスタンスである。
短所としては相手に体表を広く晒すために被弾率が高いということと、遮蔽物からの咄嗟の発砲には不向きであるという点だが、前述の攻勢……圧倒的な火力で瞬時に制圧することでそれを補っている。
「……」
直感が教える。
そこに敵が出現すると。
直感が教える。
そこに銃口を向けて引き金を引けと。
直感が教える。
『まだ危ない』と。
2階へと階段の踊り場を登り切ろうとした瞬間、階段を上る足を不意に止めて折角維持していたウイーバースタンスを解除した。
馬賊撃ちさながらにH&K P9Sを横倒しにして目前の染みが浮いた合板のドアを撃つ。
撃つ。
撃ち続ける。
スライドが後退した。
停止すると、壁際に背中を押し付けて僅かな遮蔽効果を得る。
コンチネンタル型のマガジンキャッチを小指で押して自重で空弾倉を落とし、新しい弾倉を差し込む。
コッキングレバー上部のスライドリリースレバーを押してスライドを前進させて初弾を薬室に送り込む。
スライドが心地良い音を立てて作動したと同時に先ほど、無闇矢鱈に撃ち抜いた合板のドアの向こうから重い何かがずり下がる音が聞こえた。
10秒もしないうちにドアの足元の隙間から血液が染み出してくる。直感だけに頼った意味の無い弾幕……否、直感が教えた牽制と攻撃を兼ねた発砲は『たまたま』、ドアの向こうの敵を屠った。
従来通りに停止力だけを提供するシルバーチップホローポイントではドアでことごとく停止して本当の意味で『意味をなさなかっただろう』。数発がドアに大穴をあけ、数発が室内に飛び込んだ。その先に被害者がいたのだ。
残存戦力は1人……とはなぜか数えない。
数えたがらない。数えるなとさえ、考える。
左手に折れると狭い通路。5mほどの直線通路。
銃声の轟音で耳を劈かれて聴覚を失ったかのように静か。
薄暗い静かな世界。硝煙が席巻する極々、狭い空間。彼女はウイーバースタンスで擦り足気味に前進する。
狭い射角でも通用するからウイーバースタンスではない。使い慣れた銃を使い慣れた構え方で撃ちたいだけだ。
どんなに強力な火器も自在に操れなければ意味が無い。
今現在のグリッピングもそうだ。
カップ&ソーサーで銃を保持。銃を握る右手を反対側の左掌がグリップ底部を包み込むように保持する持ち方だ。
この持ち方はグリップ付け根にマガジンキャッチが取り付けられている自動拳銃の場合、暴発を起こした時に弾倉が勢いよく飛び出して左掌を怪我すると危険視されていたが、回転式やH&K P9SやワルサーP-38のようにグリップ底部にマガジンキャッチが有るコンチネンタル型マガジンキャッチを採用している自動拳銃には縁がない問題だ。
尚、カップ&ソーサーのデメリットを克服したグリッピングとしてフィストグリップが存在する。
これは銃を持つ手を反対側から文字通りグリップパネルを覆い隠すように保持する握り方だ。
一定以上の掌の大きさがなければ求めた安定感が得られないのが欠点だ。
拳銃を用いた一般的なコンバットシューティングは前述の二つのスタンスとこられ2つのグリッピングを組み合わせて行う。
「……」
静寂。妹理が聴覚を失ったのか、世界が静かなのか。
無音の世界に鼓動が警鐘のように派手に跳ねる。
歩む足音も、足裏から伝わる感触が音源に変換されて脳に伝達されるので、ある種の野生動物のように空気の振動で不可聴域の音声を拾っていると錯覚する。
転がっているボルトやナットを踏み締めるだけでも足の裏が靴底を通して激痛を訴えている感覚。
頭蓋の中を呼吸と心拍が反響し『自分だけが五月蝿い』。
――――居る……。
ドアの向こうに居る。
3m進んだ歩みを止めてドアの前に立つ。
銃口はドアの真ん中を狙う。ドアに嵌められた30cm×40cmほどの擦りガラスの窓には何も映ってはいない。
その部屋の中で灯りを提供している白色灯の柔らかい明かりだけが伺える。
――――居る……。
ドアの向こうに居る。
その部屋にはエキストラとして雇った、『依頼人を騙る仕掛け人』もいるはずだが何の騒ぎもない。口を塞がれているか『口封じ』されたか。
殺意だけが鎌首をもたげて拱いている。
――――ああ……。
――――『しまった』……。
妹理のH&K P9Sが脱力したかのようにさがる。
素早くスイッチ。
素早く、H&K P9Sを左右の手にスイッチさせ、ウイーバースタンスでの運足も左右を切り替える。
構えを右半身から左半身に切り替えた。
スイッチの際のオーバーアクションで勢いを付けて銃口の向きまでもスイッチさせる。……目前のドアを向いていた銃口は背後の、今し方自分が上がってきた階段の角を向く。
諦観に似た面持ちも切り替わる。
突如、廊下をオレンジに染めるマズルフラッシュに、瞬きしない強い面構え。
弾き出された空薬莢が壁や天井に跳ね返り、中空を回転しながら床に転がる。
ガンスモークが薄らと立ち昇る銃口の先……階段の角……9mmのフルメタルジャケットで削られた僅かな遮蔽の陰から大型の回転式拳銃が、9mmの命中した衝撃で投げ出される。
屠った感触は伝わらなかったが、一時的な無力化に成功。
感慨深い溜め息を漏らすと思いきや、再び左半身と右半身をスイッチ。
H&K P9Sを右手に持ち変え、今度こそ迷わず、先程の白色灯が灯る部屋のドアを孔だらけにする。
スライドストップが掛かる。弾倉を交換しながら走る。合板の脆いドアを蹴破り、ブレイクスルー。
偽物のクライアントとの交渉役だったのかその男はバラクラバを被っていなかった。
腰溜めからのクイックドロウに似た発砲。
それを上回る妹理の左手。
妹理の左の甲が発砲直前の、目前の男が構えるS&W M627PCのシリンダー部分を弾き飛ばす。
妹理より僅かに逸れた銃口から飛び出した357マグナムの弾頭は背後の壁に孔を虚しく拵える。
その直後の撃発は発砲なのか暴発なのか解らない。
左手の甲に相手の高熱のガスを浴びながらも咄嗟に右腰に構えたH&K P9Sをダブルタップ。外しようのない距離から、彼我の距離1m以下からの発砲。
銃声に紛れて聞こえる、鈍い湿り気のある命中音。
H&K P9Sのスライドにかかった血煙が熱されて湯気を上げながら鉄錆の臭を放つ。
その鮮血を啜ったばかりのH&K P9Sをウイーバースタンスで構える。
ウイーバースタンスは映画やドラマで多用される拳銃の構えではあるが、実のところ、民間でしか広まっていない護身拳銃射撃の一つでしかない。
スクリーンでは役者が恰好良く映えるので多用されてはいるが、前方への射角が狭く銃を持つ手側の体を半身にして前方と後方へしか素早い移動が出来ず、CQCを主体とする特殊部隊やそれに類する多くの部隊では使われなくなった古い構えだ。
だが、拳銃を構えたときの安定感や腕が胸や腹部の一部を敵弾よりカバーする攻防一体の構えであり、一度に多数の標的を相手にしない護身戦闘では尚も有用な構えである。
現在では運動力学を取り入れたアイソセレススタンスが戦闘射撃のトレンドとして流布されている。
アイソセレススタンスは前後左右への移動が容易で素早く行え、左右合計ほぼ180度の射角を持っており、攻勢にマッチしたスタンスである。
短所としては相手に体表を広く晒すために被弾率が高いということと、遮蔽物からの咄嗟の発砲には不向きであるという点だが、前述の攻勢……圧倒的な火力で瞬時に制圧することでそれを補っている。
「……」
直感が教える。
そこに敵が出現すると。
直感が教える。
そこに銃口を向けて引き金を引けと。
直感が教える。
『まだ危ない』と。
2階へと階段の踊り場を登り切ろうとした瞬間、階段を上る足を不意に止めて折角維持していたウイーバースタンスを解除した。
馬賊撃ちさながらにH&K P9Sを横倒しにして目前の染みが浮いた合板のドアを撃つ。
撃つ。
撃ち続ける。
スライドが後退した。
停止すると、壁際に背中を押し付けて僅かな遮蔽効果を得る。
コンチネンタル型のマガジンキャッチを小指で押して自重で空弾倉を落とし、新しい弾倉を差し込む。
コッキングレバー上部のスライドリリースレバーを押してスライドを前進させて初弾を薬室に送り込む。
スライドが心地良い音を立てて作動したと同時に先ほど、無闇矢鱈に撃ち抜いた合板のドアの向こうから重い何かがずり下がる音が聞こえた。
10秒もしないうちにドアの足元の隙間から血液が染み出してくる。直感だけに頼った意味の無い弾幕……否、直感が教えた牽制と攻撃を兼ねた発砲は『たまたま』、ドアの向こうの敵を屠った。
従来通りに停止力だけを提供するシルバーチップホローポイントではドアでことごとく停止して本当の意味で『意味をなさなかっただろう』。数発がドアに大穴をあけ、数発が室内に飛び込んだ。その先に被害者がいたのだ。
残存戦力は1人……とはなぜか数えない。
数えたがらない。数えるなとさえ、考える。
左手に折れると狭い通路。5mほどの直線通路。
銃声の轟音で耳を劈かれて聴覚を失ったかのように静か。
薄暗い静かな世界。硝煙が席巻する極々、狭い空間。彼女はウイーバースタンスで擦り足気味に前進する。
狭い射角でも通用するからウイーバースタンスではない。使い慣れた銃を使い慣れた構え方で撃ちたいだけだ。
どんなに強力な火器も自在に操れなければ意味が無い。
今現在のグリッピングもそうだ。
カップ&ソーサーで銃を保持。銃を握る右手を反対側の左掌がグリップ底部を包み込むように保持する持ち方だ。
この持ち方はグリップ付け根にマガジンキャッチが取り付けられている自動拳銃の場合、暴発を起こした時に弾倉が勢いよく飛び出して左掌を怪我すると危険視されていたが、回転式やH&K P9SやワルサーP-38のようにグリップ底部にマガジンキャッチが有るコンチネンタル型マガジンキャッチを採用している自動拳銃には縁がない問題だ。
尚、カップ&ソーサーのデメリットを克服したグリッピングとしてフィストグリップが存在する。
これは銃を持つ手を反対側から文字通りグリップパネルを覆い隠すように保持する握り方だ。
一定以上の掌の大きさがなければ求めた安定感が得られないのが欠点だ。
拳銃を用いた一般的なコンバットシューティングは前述の二つのスタンスとこられ2つのグリッピングを組み合わせて行う。
「……」
静寂。妹理が聴覚を失ったのか、世界が静かなのか。
無音の世界に鼓動が警鐘のように派手に跳ねる。
歩む足音も、足裏から伝わる感触が音源に変換されて脳に伝達されるので、ある種の野生動物のように空気の振動で不可聴域の音声を拾っていると錯覚する。
転がっているボルトやナットを踏み締めるだけでも足の裏が靴底を通して激痛を訴えている感覚。
頭蓋の中を呼吸と心拍が反響し『自分だけが五月蝿い』。
――――居る……。
ドアの向こうに居る。
3m進んだ歩みを止めてドアの前に立つ。
銃口はドアの真ん中を狙う。ドアに嵌められた30cm×40cmほどの擦りガラスの窓には何も映ってはいない。
その部屋の中で灯りを提供している白色灯の柔らかい明かりだけが伺える。
――――居る……。
ドアの向こうに居る。
その部屋にはエキストラとして雇った、『依頼人を騙る仕掛け人』もいるはずだが何の騒ぎもない。口を塞がれているか『口封じ』されたか。
殺意だけが鎌首をもたげて拱いている。
――――ああ……。
――――『しまった』……。
妹理のH&K P9Sが脱力したかのようにさがる。
素早くスイッチ。
素早く、H&K P9Sを左右の手にスイッチさせ、ウイーバースタンスでの運足も左右を切り替える。
構えを右半身から左半身に切り替えた。
スイッチの際のオーバーアクションで勢いを付けて銃口の向きまでもスイッチさせる。……目前のドアを向いていた銃口は背後の、今し方自分が上がってきた階段の角を向く。
諦観に似た面持ちも切り替わる。
突如、廊下をオレンジに染めるマズルフラッシュに、瞬きしない強い面構え。
弾き出された空薬莢が壁や天井に跳ね返り、中空を回転しながら床に転がる。
ガンスモークが薄らと立ち昇る銃口の先……階段の角……9mmのフルメタルジャケットで削られた僅かな遮蔽の陰から大型の回転式拳銃が、9mmの命中した衝撃で投げ出される。
屠った感触は伝わらなかったが、一時的な無力化に成功。
感慨深い溜め息を漏らすと思いきや、再び左半身と右半身をスイッチ。
H&K P9Sを右手に持ち変え、今度こそ迷わず、先程の白色灯が灯る部屋のドアを孔だらけにする。
スライドストップが掛かる。弾倉を交換しながら走る。合板の脆いドアを蹴破り、ブレイクスルー。
偽物のクライアントとの交渉役だったのかその男はバラクラバを被っていなかった。