夜と霧の使者
――――巧くいかないか。
プレハブ小屋の2階の窓に写る影を観察していたが、2人のターゲットがバラクラバを脱いでいただけだ。
もう1人の素顔の中年女が立っていたがそれは雇ったエキストラで、銃声が聞こえるとすぐに逃走するように打ち合わせをしてある。
プレハブ小屋の1階に体を滑り込ませる。
元からこの辺りは妹理のホームグラウンドだ。あらゆる地形や構造は頭に入っている。このプレハブの引き戸が、見た目は錆が浮いているのにそれを裏切り、滑らかに静かに開いたのはこの出入り口だけオイルを挿しておいたからだ。
「……」
――――窓に1人……『役者』の体重じゃない。
――――この上は広間。中央に2人。
――――部屋の出入り口……廊下との境目に1人。
――――硬い音……ヒールか? 『役者』の足音ね。
暗い空間で目を閉じて聴覚を研ぎ澄まし、上階での動体の動線を計算する。
今の妹理の脳内では三次元マッピングが投影されてエネミーフラグが刻々と移動する。
ガチンッと音を立てる。
小さなギアが噛み合いフリントがオイルを吸ったウイッグに着火する。
妹理の掌でオーストリア製のイムコライターがぼやけた光源を提供する。
ショットシェルの外観と自動拳銃の装填機構を取り入れたメカニカルなオイルライターだ。防錆加工を施したクロームをひん曲げて拵えたチープな作りのライターで、可動部位が多い割りにジッポーの安価なブリスターパックモデルの半分以下の値段で買える。
これでも一時期はオーストリアやスイスの軍隊で採用されていたこともある歷とした軍需品だ。
嘗て連合軍がジッポーを兵士のソウルアイテムとしていたように、ナチス政権下のドイツ軍兵士がトレンチライターを小さな友としていたように、永く愛される確実に暖かい灯りを提供するアイテムは精神的に良い作用をもたらすという理由から戦中戦後と各国は空薬莢やブリキで競って独自のオイルライターを企画製造したものだが、ジッポーの優勢は現代でも覆されることはない。
その中であっても最も複雑な機構で製造の工程も多いイムコライターを用いる妹理は精神構造として男性に近いのか、小粋なギミックが詰まったアイテムを好む。
「さて……」
イムコライターをゆっくりと左右に振り、天井や壁や室内のドア類を確認する。
脳内のマッピングの精度が上がっていく。
チキチキと音を立てて作戦が構築される感覚。
先程まで、胸中に立ち篭めていた不明瞭な感覚は一旦忘れる。
イメージで練り上げる作戦がそのまま理想的に具現できることだけを考える。
静かにイムコライターの蓋を閉じる。再び訪う暗闇。
左脇からH&K P9Sを内ポケットから財布を取りだすような自然な手つきで抜く。
いつものシルバーチップホローポイントがぎっしりと詰まった弾倉が差し込まれている。
山径と谷径が扁平なポリゴナルバレルの御陰で容赦なく柔らかい金属のシルバーチップやセミジャケッテッド弾頭が使える。
これらの弾薬は普通の銃身であると長丁場の射撃だと山径と谷径の隙間に弾頭自身の削れた金属滓が堆積して弾頭に充分な回転が加えられずに命中精度の極端な低下を招き、銃身自体の寿命を削る。
H&K P9Sのポリゴナルバレルはメンテナンスフリーとはいかなくとも長丁場でも充分に安定した命中精度を提供してくれる。
長丁場だと薬室内の加熱による暴発やスライド内機関部の消耗が心配になる。どんなに好印象でも最後には『ピーキーで気難しい』と評価される不遇な自動拳銃だ。
体に染み付いた右半身のウイーバースタンスを保持する。
傭兵稼業が長くとも、実際に戦場で拳銃を使うともなればそれは兵士にとって非常事態だ。
拳銃のタマが届く目前に敵兵がきていることを意味する。どこのコンバットシューティングスクールでも最初に教える基本スタンスのウイーバースタンスで充分に応用できた。
但し、彼女は拳銃に限っては左右をスイッチできるように自己流で練習をしている。他の兵士と比べて拳銃とのつきあいが長かった。
H&K P9Sの薬室には実包が送り込まれている。合計で10発の銃弾。予備弾倉は合計で12本。
一仕事遂行するには充分だといえた。
グリップ付け根のコッキングレバーを押し下げる。
ギアとラッチが精巧に噛み合い僅かな力で撃芯を引き絞ることができる。
滑らか過ぎて、撃芯発条子がギリギリと押し縮められている感触すら伝わってこない。
レバーを完全に押し下げてスライド内部で確かにコッキングされた作動音が聞こえる。同時に蛍光の白色塗料を塗ったインジケーターピンがスライド後端から4mmほど飛び出る。
本来では手探りで装填を確認するだけの機能だが妹理は更に視認性を高めるために白く塗っているのだ。サイトにも白色ドットを打ち込んである。
――――ここに……こい!
妹理は部屋の中央より僅かにずれた位置に移動し、天井……直上に銃口を向ける。両手で構えて両腕をしっかり伸ばす。視線は床を見つめている。
聴覚が鋭さを増す。殊、暗闇に於いては誰しも聴力が増加する。今はカミソリに似た聴覚が全ての感覚だ。
妹理の頭上に重量感のある足音が移動してくる。
呼吸をするのも忘れた次の瞬間、発砲。
空薬莢が弾き出される。
上階でくぐもる悲鳴。
妹理が陣取った位置はシルバーチップホローポイントでも充分に貫通できる脆弱な部分だ。
被弾した犠牲者にとっては、予め緩いマッシュルーミングを起こした弾丸が下半身を強襲したのだから暗がりで喉をワイヤーで絞められたような驚きだろう。
勿論これで仕留めたとは思っていない。
靴底が厚ければ停止してしまうだろう。運動エネルギーが落ちた銃弾が足の筋骨に当たったとしても表皮にめり込むだけだろう。
その1発を先途に妹理は走った。
天井から357マグナムの弾頭が襲いくる。
頭上で雷雲がとぐろを巻いているような轟音だ。
妹理は潜む室内から押し戸を蹴破って2階へ通じる階段を目指した。外部からも非常階段は設置されている。そこへ通じるドアは鎖で頑丈に塞がれている。
357マグナムの破壊力なら火力を集中させれば突破は可能だが、短時間の足止めとしては有用だ。
過ぎた背後の部屋の天井から薄い灯りが射す。357マグナムの弾頭が2階の床を穿いて1階の天井に孔を作ったのだ。
その光が射す薄暗い部屋を、銀塩フィルムに焼き付ければ幻想的な前衛芸術として展覧会に出展できる作品になり得ただろう。
廊下の奥にある2階へ通じる階段を見つけたときには既に2人のターゲットが踊り場に陣取り銃口を並べていた。
夜間でもシルエットの掴み難い回転式だ。
マットブラック処理が施されているのだろう。弾頭の種類が何であれ357マグナムのパウダーで弾き出されるのだ。シリコンやプラスチックの模擬弾でもバイタルゾーン付近に命中しただけで致命傷だ。
連なる銃声。
2梃の8連発は容赦なく、妹理の足元や側面の壁をその猛威で以て削っていく。
リロードのロスを誘発させるために、わざと遮蔽物を選ばず廊下のほぼ中央を走る。
古今の回転式の泣きどころは再装填に時間がかかることだ。
スピードローダーであっても更に劇的に短縮させることは望めない。
プレハブ小屋の2階の窓に写る影を観察していたが、2人のターゲットがバラクラバを脱いでいただけだ。
もう1人の素顔の中年女が立っていたがそれは雇ったエキストラで、銃声が聞こえるとすぐに逃走するように打ち合わせをしてある。
プレハブ小屋の1階に体を滑り込ませる。
元からこの辺りは妹理のホームグラウンドだ。あらゆる地形や構造は頭に入っている。このプレハブの引き戸が、見た目は錆が浮いているのにそれを裏切り、滑らかに静かに開いたのはこの出入り口だけオイルを挿しておいたからだ。
「……」
――――窓に1人……『役者』の体重じゃない。
――――この上は広間。中央に2人。
――――部屋の出入り口……廊下との境目に1人。
――――硬い音……ヒールか? 『役者』の足音ね。
暗い空間で目を閉じて聴覚を研ぎ澄まし、上階での動体の動線を計算する。
今の妹理の脳内では三次元マッピングが投影されてエネミーフラグが刻々と移動する。
ガチンッと音を立てる。
小さなギアが噛み合いフリントがオイルを吸ったウイッグに着火する。
妹理の掌でオーストリア製のイムコライターがぼやけた光源を提供する。
ショットシェルの外観と自動拳銃の装填機構を取り入れたメカニカルなオイルライターだ。防錆加工を施したクロームをひん曲げて拵えたチープな作りのライターで、可動部位が多い割りにジッポーの安価なブリスターパックモデルの半分以下の値段で買える。
これでも一時期はオーストリアやスイスの軍隊で採用されていたこともある歷とした軍需品だ。
嘗て連合軍がジッポーを兵士のソウルアイテムとしていたように、ナチス政権下のドイツ軍兵士がトレンチライターを小さな友としていたように、永く愛される確実に暖かい灯りを提供するアイテムは精神的に良い作用をもたらすという理由から戦中戦後と各国は空薬莢やブリキで競って独自のオイルライターを企画製造したものだが、ジッポーの優勢は現代でも覆されることはない。
その中であっても最も複雑な機構で製造の工程も多いイムコライターを用いる妹理は精神構造として男性に近いのか、小粋なギミックが詰まったアイテムを好む。
「さて……」
イムコライターをゆっくりと左右に振り、天井や壁や室内のドア類を確認する。
脳内のマッピングの精度が上がっていく。
チキチキと音を立てて作戦が構築される感覚。
先程まで、胸中に立ち篭めていた不明瞭な感覚は一旦忘れる。
イメージで練り上げる作戦がそのまま理想的に具現できることだけを考える。
静かにイムコライターの蓋を閉じる。再び訪う暗闇。
左脇からH&K P9Sを内ポケットから財布を取りだすような自然な手つきで抜く。
いつものシルバーチップホローポイントがぎっしりと詰まった弾倉が差し込まれている。
山径と谷径が扁平なポリゴナルバレルの御陰で容赦なく柔らかい金属のシルバーチップやセミジャケッテッド弾頭が使える。
これらの弾薬は普通の銃身であると長丁場の射撃だと山径と谷径の隙間に弾頭自身の削れた金属滓が堆積して弾頭に充分な回転が加えられずに命中精度の極端な低下を招き、銃身自体の寿命を削る。
H&K P9Sのポリゴナルバレルはメンテナンスフリーとはいかなくとも長丁場でも充分に安定した命中精度を提供してくれる。
長丁場だと薬室内の加熱による暴発やスライド内機関部の消耗が心配になる。どんなに好印象でも最後には『ピーキーで気難しい』と評価される不遇な自動拳銃だ。
体に染み付いた右半身のウイーバースタンスを保持する。
傭兵稼業が長くとも、実際に戦場で拳銃を使うともなればそれは兵士にとって非常事態だ。
拳銃のタマが届く目前に敵兵がきていることを意味する。どこのコンバットシューティングスクールでも最初に教える基本スタンスのウイーバースタンスで充分に応用できた。
但し、彼女は拳銃に限っては左右をスイッチできるように自己流で練習をしている。他の兵士と比べて拳銃とのつきあいが長かった。
H&K P9Sの薬室には実包が送り込まれている。合計で10発の銃弾。予備弾倉は合計で12本。
一仕事遂行するには充分だといえた。
グリップ付け根のコッキングレバーを押し下げる。
ギアとラッチが精巧に噛み合い僅かな力で撃芯を引き絞ることができる。
滑らか過ぎて、撃芯発条子がギリギリと押し縮められている感触すら伝わってこない。
レバーを完全に押し下げてスライド内部で確かにコッキングされた作動音が聞こえる。同時に蛍光の白色塗料を塗ったインジケーターピンがスライド後端から4mmほど飛び出る。
本来では手探りで装填を確認するだけの機能だが妹理は更に視認性を高めるために白く塗っているのだ。サイトにも白色ドットを打ち込んである。
――――ここに……こい!
妹理は部屋の中央より僅かにずれた位置に移動し、天井……直上に銃口を向ける。両手で構えて両腕をしっかり伸ばす。視線は床を見つめている。
聴覚が鋭さを増す。殊、暗闇に於いては誰しも聴力が増加する。今はカミソリに似た聴覚が全ての感覚だ。
妹理の頭上に重量感のある足音が移動してくる。
呼吸をするのも忘れた次の瞬間、発砲。
空薬莢が弾き出される。
上階でくぐもる悲鳴。
妹理が陣取った位置はシルバーチップホローポイントでも充分に貫通できる脆弱な部分だ。
被弾した犠牲者にとっては、予め緩いマッシュルーミングを起こした弾丸が下半身を強襲したのだから暗がりで喉をワイヤーで絞められたような驚きだろう。
勿論これで仕留めたとは思っていない。
靴底が厚ければ停止してしまうだろう。運動エネルギーが落ちた銃弾が足の筋骨に当たったとしても表皮にめり込むだけだろう。
その1発を先途に妹理は走った。
天井から357マグナムの弾頭が襲いくる。
頭上で雷雲がとぐろを巻いているような轟音だ。
妹理は潜む室内から押し戸を蹴破って2階へ通じる階段を目指した。外部からも非常階段は設置されている。そこへ通じるドアは鎖で頑丈に塞がれている。
357マグナムの破壊力なら火力を集中させれば突破は可能だが、短時間の足止めとしては有用だ。
過ぎた背後の部屋の天井から薄い灯りが射す。357マグナムの弾頭が2階の床を穿いて1階の天井に孔を作ったのだ。
その光が射す薄暗い部屋を、銀塩フィルムに焼き付ければ幻想的な前衛芸術として展覧会に出展できる作品になり得ただろう。
廊下の奥にある2階へ通じる階段を見つけたときには既に2人のターゲットが踊り場に陣取り銃口を並べていた。
夜間でもシルエットの掴み難い回転式だ。
マットブラック処理が施されているのだろう。弾頭の種類が何であれ357マグナムのパウダーで弾き出されるのだ。シリコンやプラスチックの模擬弾でもバイタルゾーン付近に命中しただけで致命傷だ。
連なる銃声。
2梃の8連発は容赦なく、妹理の足元や側面の壁をその猛威で以て削っていく。
リロードのロスを誘発させるために、わざと遮蔽物を選ばず廊下のほぼ中央を走る。
古今の回転式の泣きどころは再装填に時間がかかることだ。
スピードローダーであっても更に劇的に短縮させることは望めない。