夜と霧の使者
銃撃。
確実に殺しにくる銃撃。
有利な状況を弄ぶ勝者の戯れは感じられない。
――――9mmのセミオートか。
彼は遮蔽物が乏しい廃屋の残骸が広がる空間でできるだけ呼吸を整える。
サイドアームのグロックG18がフルオートで発砲できるマシンピストルである一点だけが彼に精神的優位性を提供していた。
頭上のフレア弾頭が焼き切れる前に勝負をつけなければ負けだと、なぜか思い込む。
陰から突き出したコーナーチェッカーが破砕する。
驚きはしたが怯まなかった。彼は目測と勘で体勢を潜ませている薄いベニヤ板越しに9mmをフルオートで指切り連射する。宙を舞う空薬莢が砂地に落ちる。
鈍い音。二つ。……鈍い音が二つだ。
一髪の隙の銃撃戦に、彼は左肩の肉を削られた。骨から異常な振動は伝わらないので戦闘の継続は可能だ。
更に3,4発の指切り連射で弾幕を張る。
銃声の合間に聞こえた鈍い音が彼に手応えを与えた。
バイタルゾーンへの被弾では無いにしろ、イニシアティブを奪うに充分な負傷を負わせた。どこかに潜む『あの女』に一矢報いた歓喜を堪える。
40mmの砲撃で自身で破砕させた遮蔽物を放棄して更に移動を繰り返す。
逃げも進みもしない。『あの女』の弾薬の消費と疲労を誘うためだ。
銃撃の応酬。
9mmがフレアで照らし出される空間の直下で交わされてお互いに致命的な一撃を探り合う。
――――足音……。
――――逃げたか?
――――何処へ?
――――だがチャンスだ!
『あの女』が砂を蹴る音が聞こえる。その足音が続くに連れて『あの女』からの銃撃も疎らになり集弾性も下がる。
追う。これはチャンスだと、彼は追った。賭けのつもりで何度も遮蔽から体を晒したが、掠る銃弾すらない。
「……」
走る彼の目下に血痕が確認できる。
血の色と飛び散り具合から見て手か足の筋肉の、骨に近くない肉か脂肪が厚い部分に被弾したとみられる。
表面の肉を削いだ以上の負傷だ。長くは動けまい。足なら頓挫するし、腕なら銃を保持するのも難しいだろう。
彼は『あの女』の姿を追った。
脳裏に焼きつくほどの悪魔めいた笑みが忘れられない『あの女』を。
彼を襲う銃声。銃弾は虚しく空を切る。最初に見せたカミソリのような殺気が乗った銃撃ではない。
疲労か負傷か消費か。その全てか。彼の作戦が功を奏しているのか。盤上の帰趨が形勢逆転の機を掴んだ感覚がする。
やや長めの指切り射撃。
応戦するセミオートの銃声。
互いに何度も弾倉交換を繰り返す。『あの女』が撒いたと思われる空薬莢や空の複列弾倉も見受けられる。
フレアが照らす範囲内のぎりぎりの場所で、常に『あの女』は銃撃を放つ。彼はその、明確にシルエットが浮かばない『あの女』を狙って銃撃を浴びせている。
もうすぐフレアの灯りが消える頃合いだ。
彼は一気に勝負に出る。
アイソセレススタンスでグロックG18を構え、ジグザグに移動しながら『あの女』が潜んでいると、山を張ったプレハブ小屋の瓦礫に突進する。銃声と射線から計測してこの遮蔽物にしか陣取ることができる場所はない。
「!」
「……!」
彼は右手側へ小さな迂回経路で遮蔽物に回り込み、自分を散々苦しめていた『あの女』と初めて対峙した。
地面に座り込み、柱に背を任せる、日本人の女。
右脇腹に被弾し白いトレーナーから血が滲み浮いている。右脹脛と左橈骨に被弾しており、ザイルで応急の止血帯としている。
その女の顔には笑顔。
悪魔の様な獲物を喰らい尽くす笑顔ではなく、全てが終わった清々しい笑顔。
痛みのためか額に珠の汗を浮かべている。
フレアの白色光ではなく、本当に顔色が血の気を引かせて青白くみえる。
右手にだらりと下げた大型拳銃の銃口がぴくぴくと動くが、その銃口がこちらに向かう気力も気配もない。
フレアが消えようとしている。
彼は、彼の国の言葉で「死ね」と静かに呟いた。
違和感。
『この目に映る何かは、何かがおかしい』……違和感の正体を突き止めるよりも早く彼のグロックG18はその女に向けられた。
そして、銃声一発。
――――そうだ。
――――『複列弾倉』だ。
もう。遅い。
消えゆくフレアの光源。
再び、燻る小さな炎が光源となる世界が訪れる。
彼は……彼は倒れながら違和感を理解した。
「はっ……ははっ……危な……かった……」
妹理は『背後から撃たれて』絶命した最後の襲撃者を見ながら大きく息をした。
戦闘悦楽症のスイッチが入って新陳代謝が停止し、痛みや衝撃が緩和されているとはいえ、『自分で自分の脇腹を撃つのは勇気が必要だった』。
この男が派手に出血した傷口だけをみていてくれなかったら、右足と左腕の行動不能に近い傷口に気をとられて、『左足の靴の爪先に釘で差し込んだ細い紐』に気が付いていたら、『撒いた空弾倉と手に持っている拳銃の違いに気が付いたら』……どれか1つでも欠落しては成功しない芝居とトラップの融合技だった。
途中で撒いた空弾倉は拾ったベレッタの予備弾倉。
大きく注意を引き付けるための、浅く狙ったとはいえ、脇腹の銃創。
靴の爪先に紐を介して連結した、『自分の頭上辺りに照準を定めたベレッタ』。
もしもこの男のデータベースに単列弾倉のH&K P9Sと複列弾倉のベレッタM92FSの違いが確実にインプットされていたら簡単に見破られていただろう……『自分を餌にし、ベレッタを伏兵とした』トラップが。
ほんの少しでも違和感を覚えて逡巡されたら全てが破産した命懸けの罠。
強敵だった。
遊ぶ余地が見つけられない、スリルに支配された狭窄した世界。
強敵だったが、何が強敵だったのかしっかりと思考を巡らせて反芻できない。
全身全霊を投じて命をカードに達成感を得た。その快楽だけは事実だ。
妹理とて自らを満足させるために手加減や手抜きはしていない。
自慢のH&K P9Sで対処できない連中だと判断したので戦術の転換を行っただけ。
どう考えても拳銃1梃だけで、強力な短機関銃を4梃も、それも訓練されたプロ4人を相手に勝てる気がしなかった。
イメージした勝利の図はズタボロの自分が死にかけの笑顔を浮かべている絵面。
イメージしたくない敗北の図はボロ雑巾の如く蜂の巣にされて転がる自分。
勝利と敗北のイメージ。
その両者の中で勝利への執着が僅かに優っていたからこそなせた勝利だ。
逃げるという選択肢はなかった。
選べなかった。思い浮かばなかった。
戦闘悦楽症を満足させたい脳内の自分が、寿命を削ってでも戦闘を展開しろと命令していたのかもしれない。
彼女は心を蝕まれているのだ。
※ ※ ※
持ち合わせの鎮痛剤を全て噛み砕きながら愛車を運転して駆け込んだのは、商売上の縄張りの界隈から離れた隣町の闇医者。
持ち合わせがなかったためにその闇医者に多額の借金をして治療費を払い、浮浪者の塒と変わらない雑魚寝部屋で『入院』した。
退院後に期限付きで医療費という名目の報酬を払うと約束した。
約束を破れば即刻で殺し屋が差し向けられる。
闇医者とて信用商売である。医は仁術という言葉からは離れた世界なのだ。
津ヶ谷理恵はというと、心身の疲労で高熱を出し、3日ほど、妹理と仲良く枕を並べて『入院先』で寝込んでいた。
10日後、ようやくの帰還。
2人共、体重を15%もダウンさせての不健康な容貌をしていた。
傷が塞がったばかりの妹理と津ヶ谷理恵は冷蔵庫にあった賞味期限切れの怪しい食料を絶食解禁の肉食獣のように頬張った。
確実に殺しにくる銃撃。
有利な状況を弄ぶ勝者の戯れは感じられない。
――――9mmのセミオートか。
彼は遮蔽物が乏しい廃屋の残骸が広がる空間でできるだけ呼吸を整える。
サイドアームのグロックG18がフルオートで発砲できるマシンピストルである一点だけが彼に精神的優位性を提供していた。
頭上のフレア弾頭が焼き切れる前に勝負をつけなければ負けだと、なぜか思い込む。
陰から突き出したコーナーチェッカーが破砕する。
驚きはしたが怯まなかった。彼は目測と勘で体勢を潜ませている薄いベニヤ板越しに9mmをフルオートで指切り連射する。宙を舞う空薬莢が砂地に落ちる。
鈍い音。二つ。……鈍い音が二つだ。
一髪の隙の銃撃戦に、彼は左肩の肉を削られた。骨から異常な振動は伝わらないので戦闘の継続は可能だ。
更に3,4発の指切り連射で弾幕を張る。
銃声の合間に聞こえた鈍い音が彼に手応えを与えた。
バイタルゾーンへの被弾では無いにしろ、イニシアティブを奪うに充分な負傷を負わせた。どこかに潜む『あの女』に一矢報いた歓喜を堪える。
40mmの砲撃で自身で破砕させた遮蔽物を放棄して更に移動を繰り返す。
逃げも進みもしない。『あの女』の弾薬の消費と疲労を誘うためだ。
銃撃の応酬。
9mmがフレアで照らし出される空間の直下で交わされてお互いに致命的な一撃を探り合う。
――――足音……。
――――逃げたか?
――――何処へ?
――――だがチャンスだ!
『あの女』が砂を蹴る音が聞こえる。その足音が続くに連れて『あの女』からの銃撃も疎らになり集弾性も下がる。
追う。これはチャンスだと、彼は追った。賭けのつもりで何度も遮蔽から体を晒したが、掠る銃弾すらない。
「……」
走る彼の目下に血痕が確認できる。
血の色と飛び散り具合から見て手か足の筋肉の、骨に近くない肉か脂肪が厚い部分に被弾したとみられる。
表面の肉を削いだ以上の負傷だ。長くは動けまい。足なら頓挫するし、腕なら銃を保持するのも難しいだろう。
彼は『あの女』の姿を追った。
脳裏に焼きつくほどの悪魔めいた笑みが忘れられない『あの女』を。
彼を襲う銃声。銃弾は虚しく空を切る。最初に見せたカミソリのような殺気が乗った銃撃ではない。
疲労か負傷か消費か。その全てか。彼の作戦が功を奏しているのか。盤上の帰趨が形勢逆転の機を掴んだ感覚がする。
やや長めの指切り射撃。
応戦するセミオートの銃声。
互いに何度も弾倉交換を繰り返す。『あの女』が撒いたと思われる空薬莢や空の複列弾倉も見受けられる。
フレアが照らす範囲内のぎりぎりの場所で、常に『あの女』は銃撃を放つ。彼はその、明確にシルエットが浮かばない『あの女』を狙って銃撃を浴びせている。
もうすぐフレアの灯りが消える頃合いだ。
彼は一気に勝負に出る。
アイソセレススタンスでグロックG18を構え、ジグザグに移動しながら『あの女』が潜んでいると、山を張ったプレハブ小屋の瓦礫に突進する。銃声と射線から計測してこの遮蔽物にしか陣取ることができる場所はない。
「!」
「……!」
彼は右手側へ小さな迂回経路で遮蔽物に回り込み、自分を散々苦しめていた『あの女』と初めて対峙した。
地面に座り込み、柱に背を任せる、日本人の女。
右脇腹に被弾し白いトレーナーから血が滲み浮いている。右脹脛と左橈骨に被弾しており、ザイルで応急の止血帯としている。
その女の顔には笑顔。
悪魔の様な獲物を喰らい尽くす笑顔ではなく、全てが終わった清々しい笑顔。
痛みのためか額に珠の汗を浮かべている。
フレアの白色光ではなく、本当に顔色が血の気を引かせて青白くみえる。
右手にだらりと下げた大型拳銃の銃口がぴくぴくと動くが、その銃口がこちらに向かう気力も気配もない。
フレアが消えようとしている。
彼は、彼の国の言葉で「死ね」と静かに呟いた。
違和感。
『この目に映る何かは、何かがおかしい』……違和感の正体を突き止めるよりも早く彼のグロックG18はその女に向けられた。
そして、銃声一発。
――――そうだ。
――――『複列弾倉』だ。
もう。遅い。
消えゆくフレアの光源。
再び、燻る小さな炎が光源となる世界が訪れる。
彼は……彼は倒れながら違和感を理解した。
「はっ……ははっ……危な……かった……」
妹理は『背後から撃たれて』絶命した最後の襲撃者を見ながら大きく息をした。
戦闘悦楽症のスイッチが入って新陳代謝が停止し、痛みや衝撃が緩和されているとはいえ、『自分で自分の脇腹を撃つのは勇気が必要だった』。
この男が派手に出血した傷口だけをみていてくれなかったら、右足と左腕の行動不能に近い傷口に気をとられて、『左足の靴の爪先に釘で差し込んだ細い紐』に気が付いていたら、『撒いた空弾倉と手に持っている拳銃の違いに気が付いたら』……どれか1つでも欠落しては成功しない芝居とトラップの融合技だった。
途中で撒いた空弾倉は拾ったベレッタの予備弾倉。
大きく注意を引き付けるための、浅く狙ったとはいえ、脇腹の銃創。
靴の爪先に紐を介して連結した、『自分の頭上辺りに照準を定めたベレッタ』。
もしもこの男のデータベースに単列弾倉のH&K P9Sと複列弾倉のベレッタM92FSの違いが確実にインプットされていたら簡単に見破られていただろう……『自分を餌にし、ベレッタを伏兵とした』トラップが。
ほんの少しでも違和感を覚えて逡巡されたら全てが破産した命懸けの罠。
強敵だった。
遊ぶ余地が見つけられない、スリルに支配された狭窄した世界。
強敵だったが、何が強敵だったのかしっかりと思考を巡らせて反芻できない。
全身全霊を投じて命をカードに達成感を得た。その快楽だけは事実だ。
妹理とて自らを満足させるために手加減や手抜きはしていない。
自慢のH&K P9Sで対処できない連中だと判断したので戦術の転換を行っただけ。
どう考えても拳銃1梃だけで、強力な短機関銃を4梃も、それも訓練されたプロ4人を相手に勝てる気がしなかった。
イメージした勝利の図はズタボロの自分が死にかけの笑顔を浮かべている絵面。
イメージしたくない敗北の図はボロ雑巾の如く蜂の巣にされて転がる自分。
勝利と敗北のイメージ。
その両者の中で勝利への執着が僅かに優っていたからこそなせた勝利だ。
逃げるという選択肢はなかった。
選べなかった。思い浮かばなかった。
戦闘悦楽症を満足させたい脳内の自分が、寿命を削ってでも戦闘を展開しろと命令していたのかもしれない。
彼女は心を蝕まれているのだ。
※ ※ ※
持ち合わせの鎮痛剤を全て噛み砕きながら愛車を運転して駆け込んだのは、商売上の縄張りの界隈から離れた隣町の闇医者。
持ち合わせがなかったためにその闇医者に多額の借金をして治療費を払い、浮浪者の塒と変わらない雑魚寝部屋で『入院』した。
退院後に期限付きで医療費という名目の報酬を払うと約束した。
約束を破れば即刻で殺し屋が差し向けられる。
闇医者とて信用商売である。医は仁術という言葉からは離れた世界なのだ。
津ヶ谷理恵はというと、心身の疲労で高熱を出し、3日ほど、妹理と仲良く枕を並べて『入院先』で寝込んでいた。
10日後、ようやくの帰還。
2人共、体重を15%もダウンさせての不健康な容貌をしていた。
傷が塞がったばかりの妹理と津ヶ谷理恵は冷蔵庫にあった賞味期限切れの怪しい食料を絶食解禁の肉食獣のように頬張った。