夜と霧の使者

 彼の左手側10mの位置では額にタイガーストライプ迷彩のバンダナを巻いた戦友が9mmの単射で遮蔽物を探るように発砲している。
 鋭い口笛を吹いて、バンダナの男に命令を下す。
 
先行しろ。援護する。
この先10mを確保だな?
そうだ。後衛は持つ。
了解。



 バンダナの男が一層焦げ臭くなる集落の真ん中に向かって先行する。その右斜め後方にチームリーダーが位置して、3歩間隔で銃口を前後に振り、警戒する。
 バンダナの男の探る単射は尚も続く。
 陰という陰。影という影を9mmで縫う。弾薬の流通経路が確保できているからこそできる贅沢な掃討だ。
 彼の単射に混じって聞き馴れない銃声。拳銃ではない。拳銃弾には違いないが『拳銃であるかどうかが怪しい銃声』。
 背後を警戒していたチームリーダーはバネで弾かれたように反応し、バンダナの男の方を銃口と共に見る。……戦友の姿が無い。
 否、砂を蹴る、もがく音が聞こえる。声が出せないのか、声を出していないのか、姿のないバンダナの男は無言だ。
 時折、泣き叫ぶようなH&K MP5A5の単射。……火線が地面から伸びて上空を突く。
 戦友はあの場所で、あの木材が散乱する場所の影で苦しんでもがいている。すぐに助けてやりたい衝動が働くがその直情を経験が諌めた。

――――罠だ!

 チームリーダーは右旋回で迂回しながら木材の遮蔽が途切れる隙間を探した。
 
――――敵は1人。
――――こんなに静かに応戦できる手練とは。
――――撤退が契約にないのが辛い。
――――これだけの腕が奮えるのか……何者だ?

 いまだに姿がみえぬ敵の戦力に、今更ながら恐怖を覚えるチームリーダー。
 仮にH&K MP5A5の他に暗視装置やサーモグラフィーを所持していたとしても、これほどの手練と対峙するとなると3倍以上の戦力が必要だ。
 戦場に於いても1個の敵戦力を降伏させるのに必要な戦力は敵戦力の3倍の数が必要だ。
 それに、姿のみえない敵は、戦友を救出に向かう味方を誘き寄せるために、生きたエサを使う手段を知っている。
 彼はじっと目を凝らした。
 もがく彼のH&K MP5A5の悲鳴に似た銃火の他に聞こえる銃声。……それはあろうことか地面からだ。
 地面の砂地に誰かが潜伏して銃撃を加えているのではない。
 彼は銃声と発砲するタイミングから即座に理解した。
 
――――ああ。あれは。
――――地面に『タネ』を植えているな。
 数有るトラップの中でもポピュラーなタネと呼ばれるブービートラップ。
 タネとは簡単にいえば、短く細い鉄パイプの一端に釘などの硬く鋭い金属を内側一方で固定し、実包を逆の一端から雷管側から落としただけの簡素な構成だ。
 それを地面に差し込み、対象物がそれを踏みつけると衝撃で釘が雷管を起爆させて弾頭を弾き出す仕組みだ。簡易的対人地雷とでも形容しようか。
 だから、彼がもがいて、あがいて、苦しんで、手足をばたつかせればあちらこちらに埋設されたタネに触れて撃発する。
 視認が難しいが、声が出せないのは首に紐かワイヤーが食い込んで呼吸をするので精一杯だからだろう。

――――手の内が読まれている?
――――馬鹿な!
――――どこに誰が侵攻するのか解らないのだぞ!
――――『まさか』、な。
――――『まさか』……な……。

 非情な判断だが、チームリーダーの男は目前10mの砂地で仰向けに倒れて苦しんでいるバンダナの男に見切りをつけた。『今は放置だ。助けない』。
 バンダナの男の苦しむさまを視界から切り離して周囲を警戒し、一歩二歩と静かに後退を始める。
 状況を把握して理解する必要がある。パニックに陥ると敵の思う壺だ。
 前後左右上下。そして前後左右上下。さらに前後上下左右。彼は警戒した。バンダナの男が倒れていた場所から20歩ほど遠ざかったとき、銃声が響く。
 軽い、大したことのない、拳銃の発砲音。
 そして静寂。
 潮騒が耳鳴りとなって聴覚を邪魔するほどの静寂。
 拳銃の発砲音を先途に訪れた静寂。
 チームリーダーが仲間を棄てたと判断するや否や、バンダナの男は姿の見えない何者かによって銃殺されたと考えるのが普通だ。……そして、異常だ。
 異常。
 何もかも異常。
 この場に踏み込んでからが異常。
 みえない敵に怯え、極めて原始的なトラップでことごとく、速やかに奪命させられる仲間。
 自分たちが吹き飛ばしたガルバリウムの屋根板すら、蹴り飛ばすのが憚られる。

――――敵が罠に誘導しているのではなく……。
――――全方位に罠を仕掛けているのだとしたら……。
――――この短時間で! どんな化物だ!
 
 不意に彼を襲う銃撃。
 聞き慣れた短機関銃の発砲音。
 屠られた仲間の死体から武器を押収したのだろう。
 彼は咄嗟に俯せに倒れる。遮蔽物を伝いながら匍匐前進で移動する。
 経験がそうさせたのか、後ろ腰からククリナイフを抜き放ち、その切っ先で砂地を突っつきながらの移動だ。どこにタネが植えられているか解ったものではない。
 追い討ちをかける銃撃のパターンを聴いて敵の位置や距離を測る。三方が硬い岩に囲まれているこの村落では銃声は僅かに木霊する。それにしても……不穏。おかしな現象。

――――敵は1人じゃないのか!

 1梃だけの発砲と思っていた銃撃が数十秒間隔で重なっていく。フルオートもあればセミオートもある。やがて3梃のH&K MP5A5の合唱となるが、耳を澄ますも数秒で銃声が止む。

――――敵は1人じゃないのか?

 彼の脳裏に一瞬だけブランクが発生する。
 ゲリラ戦術では少数の兵力をあたかも大勢が投入されている錯覚を誘発させる目的があることを。……その真意を一時的に失念していた。

――――転進! 転進だ!

 彼は腰を低く屈めた体勢で一心不乱の後退を始める。
 
――――いかん!
――――嵌る!

 転進する足を止め、H&K MP5A5にアッドオンされたM203にフレアを装填し、空へ向けて引き金を引く。
 気が抜ける間抜けな砲撃音の数秒後、280m上空でマグネシウムに引火し、辺りは昼間のように明るくなる。素早く、対人散弾を装填。突発な会敵時に散弾銃と同じ効果を期待する。
 だが……。
 
「!」

 発砲音。
 目前で。
 そこにいた。
 目前5mの位置に。
 倒すべき敵がいた。
 拳銃を右手に構えて、壮絶な笑みを浮かべた、倒すべき敵が目前5mの位置で発砲した。

「!……っ」
 
 彼はH&K MP5Aを捨てながらレッグホルスターからグロックG18を抜いた。
 バックステップを踏みながらの牽制の発砲。
 H&K MP5A5は『使えなくなった』。
 幸か不幸か、胸元に構え直したH&K MP5A5に『あの女』が放った9mmと思しき銃弾が命中し、ボルト基部が破損した。
 瞬間的修理が望めない現況では放棄してサイドアームを抜くのが正しい判断だ。尤も、判断を下す前に体が直感的に動いていた。
 『あの女』を……遮蔽物に隠れながら掌大のコーナーチェッカー――手鏡――で覗う。その場所に『あの女』はいない。
 この距離までどのように近づいたのか、この期になぜ姿を現したのか、あの肝を冷やされる笑顔の意味は何なのか……全く解らない。
 カタン……。
 小さな音。木製の何かが発動する小さな音。
 カタン……カタン……。
 
「チッ!」

 背筋に悍ましいものを感じた彼は遮蔽物として心許ない家屋の大黒柱から身を晒す危険を承知で飛び退く。
 寸拍遅れて大黒柱に鉄パイプがまっすぐ飛来して先端にガムテープで固定されたガラス片の矛先が当たって砕ける。
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