夜と霧の使者

 辺りは自分達が叩き込んだグレネードランチャーのせいで鼻が曲がるような臭いを立てて燻っている。
 ナイロンやプラスチックに引火した火が足元の光源を確保してくれている。
 男の背後に10m間隔で3人の人影。
 小さな炎の集合体に照らされる顔はいずれも30代後半の東南アジア系の顔つきだった。
 グルカ兵上がりなのか、後ろ腰に刃渡り40cmのククリナイフを差している。全員の手にはM203がアッドオンされたH&K MP5A5が握られている。
 男達は先頭の男のハンドシグナルで四方に展開する。
 大きく緩く、破砕された家屋群の外周を取り囲む。
 誰も気を抜かない。死体を確認するまで、仕事は終わっていない。誰も気を抜かない。相手は1人の戦力であっても銃火器の火力は変わらない。
 彼らが借りた2人の日本人はたった2発の9mmで沈黙させられている。
 右手側をカバーする男の足元で突然、火柱が上がった。揮発性の引火物に残り火が引火したのだろう。背丈ほどに大きく広く伸びた炎に驚き、仰け反った男。
「!」
 足に『何か』が絡まり、バランスを崩す。その背後の夜陰から手が伸びて後ろ襟を掴まれ、そのまま背後に倒れる。
「っ!」
 両四肢を羽交い絞めにされているのに喉に回ったワイヤーが食い込んで声が出させない! 助けを求めようにも仲間は彼の異変に気付かず、背中を見せて前進する。握っているH&K MP5A5の引き金を引こうにもビクともしない。……『背後から誰か』に羽交い絞めされたときに弾倉を抜かれたらしい。マガジンセフティが働いたのだ。
「? ……!」
 不意に左手が自由になる。自由になった手は喉仏を締め上げる針金を外すべく喉に向かい、喉を激しく掻く。血流が急激に停止するために吉川線を描いている。
 そして……左腋のリンパ腺辺りに強く深く押し当てられる、丸めたウエス。
 背後の人物が何をしようとしているのかと理解したとき、引き金は引かれた。
 ウエス越しに銃身を密着させての発砲は発砲音が極端にくぐもる。下手なサプレッサーより効果が高いことが多い。
 左腋の薄い筋肉を破って侵入した拳銃弾は男の心臓に到達し、確実な死をもたらされた。



 先頭の男より右側の男が脱落したのに気が付かない、さらに右手側の男。
 アンバランスな迷彩を醸すブーニーハットを被っている。
 寡黙に前進する。見掛けは珍妙でも実力は保証された集団であるという自負がある。
 銃弾で仕留められる人間は全て仕留める。……それが矜持。
「……」
 ジャングルブーツに、僅かな僅かな、僅かな抵抗。
 ピタリと足を止める。視線だけを足元に落とすと、実に稚拙なストリングトラップの一端に触れていた。
 屈んで細いザイルで拵えたそれに対し、張力をそれ以上与えないように、左腰から抜いたタクティカルナイフで静かに張力を固定して切っ先を地面に刺す。これでこのトラップは意味をなさなくなった……さて、前進再開と、トラップの端を跨いで立ち上がった。
「?」
 固定したはずのトラップの紐が張力を失い、地面の砂に落ちている。
 怪訝に首を傾げながら、何も発動しなかったトラップの紐を引く。
 どこまでも伸びている。
 紐の端は遮蔽になって見えない陰から伸びているらしい。
 人の気配がある……。
 ブーニーハットを正して立ち上がるとH&K MP5A5を構え直す。
 視線を辺りに素早く巡らせる。燻りの火種の明かりが及ばない物陰にキャンパスシートの橋がみえる。……不穏な気配はそこからではない。
 カタン……カタン……。
 小さな音。
 目前の夜陰の中で、遮蔽の背後で、光源が及ばないどこ処かで小さな音が、乾いた木と木が触れ合う音が、金属の擦過音が、ヒュンと紐が空を切る音が重なる。
 光の届かない、見えない場所で何かが起きている。
 人の気配がない、戦術的価値の有無がはっきりしない廃屋の陰で何かが起きている。
 だが、留意し最も注意すべき気配の対象は自分の背後に感じる。鋭い、殺気。拳銃よりもナイフを構えているの似た、冷たい気配。
 彼の中で葛藤が発生する。
 不穏な空気をまとったそれは、迷いが無かった自信を暗礁に乗り上げさせて半歩も歩みを進めることができなくなっていた。
 小さな恐怖の連鎖。
 何か起きているその事象は、絶対に自分を狙っている。
 背後の得体の知れない何かも自分を狙っている。
 疑心暗鬼に乗せられる計略に嵌ってしまったのではないかと、自分の判断の曇りすら疑う。
 疑うことで、悩ませることで、考えさせることで、この場に停滞させることが目的であることを主張するトラップなのかも知れぬと、疑惑が疑惑を呼ぶ。
 カタン……カタンッ!
 一際大きな音。
 心臓が迫り上がる。
 瞬間。視界の端で先程のキャンパスシートの一端が跳ねる。
 それが人力によるものか否かは確認できなかった。とにかく、『弾幕を張って転進することで頭が一杯だった』。
 プロらしからぬトリガーハッピー。
 軸足を支点に銃口が右から左へと振られる。
 毎分850発の速度で短機関銃用9mmパラベラムの強装弾が吐き出されるが手応えは得られなかった。
 得られたのは……目前の夜陰を切って飛来した全長1mほどの槍――2cm径の鉄パイプにバックフォールディングのナイフが括りつけられただけの簡素な槍――だけで、それを鳩尾下部に受け、串刺しになる。
 ……そしてH&K MP5A5の乱射の狭間に背後から放たれた拳銃の弾頭が心臓裏中心寄りの脊髄に被弾し、彼はほど無く絶命した。
 銃口から薄らと硝煙が上るH&K P9Sを握る手首が幽鬼のように夜の闇に消え入る。


「!」
「!」
 残存する2人の男は咄嗟に口笛を吹いて位置の確認を行う。
 互いにみえない距離であっても、返信される口笛の数とリズムで会話をする。

仲間が殺られた。
2人とも殺られた。
プロがいる。
ああ。プロに違いない。
退くか? 進むか?
慌てるな。こちらが不利と断定できない。
 
 彼らを突き動かすプロの自負。そして彼らを危惧させる『プロの存在』。
 ゲリラ戦術を生業にする彼らだからこそ理解できる。
 少数対少数の戦闘で1つの音が響き渡る時は1人の命が散ったことを意味する。
 その根拠の理由は彼ら自身が、必殺必中の距離でしか発砲しない戦闘を経験したことがあるからだ。
 かつて、苦渋を舐めさせられた遠い昔の遭遇戦に似ている。
 彼らは自ずと口笛で音信が取れない2箇所に歩みを進めた。
 危険ではある。危険ではあるが、すなわち、そこに敵が存在していて、待ち構えているか、次のフェイズの準備をしているという確証があった。
 事前の情報では殺し屋紛いの女がガキを連れて潜伏しているという……遠くには逃げられない。
 暗く遮蔽の多いここ処で迎撃するしか手立てはないはずだ。
 辺りは、前方に海。村落の三方には大きな磯場と勾配の急な斜面。海を泳ぎでもしない限り簡単に逃げられない。袋の鼠そのもの。
 課せられた任務は生死を問わずガキを連れてくること。
 こちらは応戦、排撃、掃討に対応できるだけの火力を有している。何も難しいことではない。過剰殺傷ともいえる。
 だが……状況は甘くなかった。
 かつての平和ボケ国家とは思えない腕利きがガキの警護についている。
 彼らは進む。『何者かが待ち受ける深い夜の深い淀みへ』。


 ここに存在する戦力の半分を失った分隊規模の戦力の中にあってチームリーダーは健在だった。
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