愉しい余暇の作り方

 松島は少し眠らせてくれとぶっきらぼうにいうと寝室に篭ったきりになる。
 この名前も聞いていない情婦に対してどこまで何を説明していいのか苦笑を禁じ得なかった。
「どうも。京藤リオと申します。この度は松島様の警護を任されました。事情が有りまして本日はこちらにお伺いしました」
 いつもより温和な営業スマイルで接してしまうリオ。
「金崎美穂(かなさき みほ)と申します。まあまあ、こちらへどうぞ」
 スイートルームへ通されて、紅茶とクッキーを供される。
「あの……金崎様……」
 リオが事情を話そうと口を開いたとき、美穂は人差し指を唇に当てて、何も喋らないようにジェスチャーする。
「……」
 虚を突かれるリオ。
「あの人がまた何か厄介なことになったのでしょう? それなら何も仰らないで下さい……『私も何も知りません』。それで宜しいでしょう?」
 美穂の小春日和のように仄かに暖かい笑顔。
 こんなに癒される女性が……出会って10分ほどしか経過していない同性がこんなに柔和に包み込んでくれるのは……嬉しかった。
 小奇麗に清掃が行き届き、きちんと調度品が整った部屋を視界の端に捉えて再び美穂の笑顔を見る。
 テーブルを挟んで対面で椅子に座っているが、今すぐ美穂の胸に飛び込んで眠りたい衝動に駆られる。それはそれは現世を忘れられる眠りが迎えてくれるに違いない。……そんな錯覚がする。
 同性、それも年上に対して恋愛感情を持ったことがないし持つ気もnいリオは振り切るように話題の方向を変えた。
 このままでは彼女を自宅に持って帰って自分が囲いそうだ。
 警護対象のヤクザのイロを寝取る女の警護なんて表社会でも裏社会でもスキャンダル以外何ものでもない。
 そもそも中学生のように甘い魅惑に飛び込もうとする自分のみたことがない性癖に驚いた。
「私も眠ります。表のドアに施錠をお願いします。このマンションはセキュリティも高いですし警備員も常駐していますが念のためです」
 できるだけ美穂を怖がらせないように言葉を選ぶ。
「では優志さんの寝室へ。もう1つベッドがありますので」
「ああ、お構いなく。毛布をお借りできればそこのソファで眠ります」
 と、リオは大型のソファベッドを指す。
「はい。解りました。すぐにお持ちしますね」
 美穂は席を立つとウオークインクローゼットに入っていく。
 美穂がリオの傍を通るときにリオは女性として格の違いを見せつけられ、一人の女として凹む。
 ……良い匂い。石鹸かシャンプーかフレグランスか。兎も角良い匂い。
 微かに甘い、然し清潔感のある、鼻腔や胸腔をも癒す香り。これが貴い女の匂いなのだとリオは理解した。
 美穂の匂いに心を奪われていたリオの目前に毛布と枕が置かれる。
「ごゆっくりして下さいな。何もない部屋でごめんなさいね」
「あ、いえ。寝るスペースを提供してくだされば結構ですので」
 咄嗟のこととはいえもう少しまともに返答ができなかったのかと自分の語彙の少なさとコミュニケーション能力の低さを恨む。
  ※ ※ ※
 奇妙。
 奇妙な生活。
 奇妙な事態。
 奇妙な経過。
 捨て去ったはずの可能性が色濃くリオの思考回路を埋め尽くす。
 美穂のマンションにセーフハウスとして転がり込んでから2日が経過した。
 何事も無く、安穏に、平穏に。
 核戦争の真っ只中で安全なシェルターを確保したように静か過ぎるのだ。
 松島が『出勤』すれば日常茶飯事に殺し屋があの手この手で襲撃を繰り返す。
 リオが不信を抱いたのは昨夜のことだ。美穂のマンションに『帰宅』するとき、リオは美穂のマンションが本当に安全かどうか、指定したルートを運転手の松島組構成員に教えて出発させた所、途端にカーチェイスに発展した。
 つまり尾行されていた。
 たった2日での目まぐるしい変化だ。
 可能性として、敵も追跡して松島のヤサを探すことを思いついただけかもしれない。だが、『なぜ、あれほどの強襲を頻繁に繰り返す敵対勢力がたった1日の警備の穴……姿を晦ましたたった1日にパタリと襲撃を止めたのか』。
 そしてリオが絡まないとしるや突然の襲撃を再開。
 リオが考える可能性の『可能性としての手掛かり』は、敵対勢力は相変わらず不明だが、その敵対勢力は松島組の幹部級以上の動向は常に察知していることと、松島のヤサは敵対組織ですらしらないという『なぜか守られている秘匿性』だ。
 不思議。奇妙。怪奇。
 裏返せばリオの『護り屋』としての腕前が立証されたことになる。
 松島がイロのヤサに転がり込んでいるとは一言も漏らしていない。
 松島の側近や懐刀にもだ。上部組織にも教えていない。代わりに、「松島はリオが手配したセーフハウスで一時的に生活している」と、欺瞞の情報を流している。しかも欺瞞工作をしつつ、欺瞞が欺瞞らしく見えるように往路はリオ1人だけがハンドルを握る。
 追尾を巻きながら逃げ果せることで敵襲を回避。路上での尾行も松島組構成員ですら囮にして逃げ回った。
 不思議。奇妙。怪奇。……リオの推測が正しければ小学生向け漫画と同じレベルの仕掛けでしかない。
  ※ ※ ※
「京藤さん。行かれるのですか?」
 美穂は心配そうに柳眉を下げ、靴を履くリオの背中をみる。
「行きます。電話が鳴っても松島さんは不在だといってください。松島さんは朝からお教えした通りに一日中、ウオークインクローゼットで隠れていてもらいます。大丈夫です。今日一日を乗り切れば問題は有りません」
 3日目の朝。リオは『護り屋』として攻勢にでた。警護対象から目を離しても問題ないと確信したからだ。
 寧ろ、『松島を狙う敵を壊滅させた方が安全だ』。
 敵の目星に関しては憶測でしかない。だが、松島の元を離れても問題がないのは解っている。
 松島が所有する何台かの車のうち、美穂といるときだけ下駄履き代わりに使っている小型車に乗り込む。
 地下駐車場から静かに発進させる。『予想通り、誰もみていない。予想通り、誰も追ってこない』。
 いつものようにルートを大きく遠回りして不必要な道路も走る。
 タップリ1時間半掛けて松島組の入るビルに到着。
 わざと横柄な態度で歩みを進める。
 ビルに入り、ぶっきらぼうにヘンリーウインターマン・ハーフコロナを銜える。美穂のマンションでは気を使って葉巻は自重していただけにこの一服は久し振りの安息感と満足感を提供してくれる。
 怪獣のように紫煙を乱暴に吐き散らしながら松島組のテナントに入ると、部屋の中はごった返している。
 視界に入ってくる人数を合計すると25人。
 これが松島組構成員の土壇場を経験したことのある戦闘員だ。
 全員が拳銃を携行している。ホルスターに差す者。ベルトに挟む者。無用心に握る者。戦闘員と呼ばれてはいるが実戦経験ではなく、拳銃を発砲したことがあるだけの素人が半分以上だ。本物の戦闘訓練を受けたのではない。
 テナント……恐らくはこのフロア全部が殺気立っている。
 大方の構成員は明日が『組の趨勢を決める会合』が開かれるので警護要員として掻き集められて銃を握らされているだけだ。
 この威勢のいい集団もリオには白々しくパフォーマンスをしているだけにしかみえない。
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