愉しい余暇の作り方

 一人掛けのソファに浅く座り、大きく背凭れに背中を任せ、サングラスをかけて座ったまま眠っている。
 右手にFNバラクーダを握り、股の間に銃身を挟む形で保持している。拳を軽く握った左手の内側には9mmパラベラムを銜え込んだ特殊クリップが隠されている。
 このときばかりはポニーテールを解き、前髪を顔面に垂らして顔を半分以上隠す。
 この状態であれば、休息中なのか起きているのか寝ているのか、近寄らなければ判断できない。これが仕事中のリオの仮眠だ。こまめに仮眠を繰り返し、寝溜めはしない。
 また、休息を疎かにするような真似はしない。
 彼女はプロである前に人間だ。体がストレスや不摂生で危険信号を発している状態で仕事が遂行できるとは考えていない。
 人生には精神論や根性だけでは乗り越えられない事象の方が多いことを知っている。
 『その彼女が跳ね起きた!』
 勿論、意識だけだ。否、右手のFNバラクーダも。
 閃電の残像を見せる勢いで右手だけが鎌首をもたげ、ピタリと銃口をドアに向ける。丸で『元から起きていたかのような、仮眠を取っていないような鮮やかなモーション』だった。
 轟く銃声。ダブルアクションでの一撃。
 起きていない撃鉄が精巧な機械が調子よく噛み合う。作動。撃鉄と引き金が滑らかに役目を果たす。9mmパラべラム特有の乾いた軽い撃発音も大袈裟に聞こえる。
 突如の雷音に飛び起きて目を丸くした松島。中途半端な眠気も吹き飛んだ事だろう。
 半分ほど開いたドアの向こうから、20代後半と思われるニキビ跡を顔に拵えた青年が生気無く立っていた。MP3プレイヤーのイヤホンを耳に嵌めてパーカーを羽織ったどこにでもいる顔だが、確かに松島組の構成員だった。
「……」
 リオは続け様にもう一発同じ場所――胸部――に9mmのフルメタルジャケットを叩き込む。
 生気の無い顔は苦悶の表情すら見せず、土人形のような表情のまま、床に膝をついて前のめりに倒れた。
「な、な、なんだ!」
「『ゾンビ』ね……DOXってヤクに脳味噌をやられたのね」
「俺はウチのモンにはヤクに手を出すなと厳しくいっている! こんなことがあるわけない!」
 リオはソファを立つと目を開いたまま絶命した青年の傍に寄り、右足の爪先でうつ伏せの青年をひっくり返し、パーカーの裾を捲る。
「……う」
 言葉を失う松島。9mmが拵えた孔から湧き出る赤い液体が衝撃だったのではない。
 この青年に腹巻のごとく巻き付けられたセムテックスのブロックに言葉が出なかった。
「……」
「この組員、どこかで無理にDOXを打たれてアタマが酔ってるときに『吹き込まれた』みたいね」
 リオは自分が射殺した松島組構成員の耳からイヤホンを抜き取り、それに耳を当てながら言う。
 DOXとは新種の麻薬だ。体内に取り込むと急速にダウナー系の酩酊状態に陥り脳細胞のA10神経が麻痺し、『心地よい無気力』に襲われる。無気力の酩酊に陥っている間は意志の壁が非常にもろくなる。
 その状態でオウムに言葉を吹き込むのと同じ要領で、耳元で行わせたい動作を囁き続ければ、自分の意志でその動作を行う強迫観念を植えつけられ、実際に条件が揃うと、『その動作』を行う。
 DOXが脳の中枢を支配している間は一切の肉体的苦痛をシャットダウンするので、手足や胴体に銃弾を叩き込んでも、腕を切り落としても動じることなく『生き続ける』。ゆえに『ゾンビ』と呼ばれる。
 手っ取り早い『ゾンビ』……反社会行動を植えつけられたDOX患者の対処方法は頭部を破壊し、脳漿を損壊させる事だ。
 リオは相手が松島組構成員という手前、2発、胸部に9mmパラベラムを叩き込んで心臓にインパクトを与えて衝撃によるショック死を与えた。1発目で不審を感じ、同時に『ゾンビ』の可能性も考慮して2発目を同じ場所に叩き込んだ。
 リオが持ち上げるイヤホンからは電子的な音声で「執務室」「スイッチを押せ」とエンドレスで流れている。
「松島さん。セーフハウスか隠れ家があるのならできるだけ有効に使った方が良いわね。あと4日……あ、3日か。3日もここに篭もりきりじゃ、あなたの神経が持たない。『大事な用』のときに神経が磨り減っていたら『間違えた判断』をすることになるわ」
「そんな都合のいい場所があるのなら苦労しない!」
 苛立ち始めた松島。心なしかポマードで固めた髪型が崩れかけている。
 松島の怒声を孕んだ声に臆せずリオは続ける。
「イロ、いないの? いるでしょ? この仕事を引き受けたときにあなたの行動範囲を調べさせてもらったわ。『ここから5km離れたマンションに3人目のイロがいるでしょ?』」
「な……」
 松島は絶句する。『このボディガードは1人目と2人目オンナのことを知っている』。
「松島さん、あなた、随分とイロを盾にするのが得意のようね」
 松島にとってそれは決定的だった。
 リオがあからさまに鎌を掛ける言葉を放つ。
 松島は過去に2人の情婦を盾にあるいは囮に使って難を逃れている。
 結果、2人の情婦は敵対組織のヒットマンに殺された。
 その都度、小器用に極短期間だけ地下に潜ったように鳴りを潜めるのだ。対面勝負のヤクザがイロを差し出して逃げ惑っているという事実が組織内に広まれば沽券に関わる。
「そのオンナと『今後も付き合うつもりがない』のならマンションの部屋だけ拝借して急造のセーフハウスにしましょう。質問は?」
 何かいおうと口が開く松島だが、複雑な面持ちで閉口して「解った」と呟いた。
  ※ ※ ※
「少し遠回りになるけど、構わいないわよね?」
「任せるよ」
 リオが運転する銀色のサーブが国道から外れたときだ。
 助手席の松島も左脇に手を伸ばす。
 左右のサイドミラーに2台のワンボックスカーが確認できる。
 同じ間隔で同じ速度で、隙があらば挟み込もうとするように車道から外れない程度に左右に展開している。
「居眠り運転の暇も無いわね」
「お前はジョークのセンスがなまくらなタイプなんだな」
 車内では2人共、これから起きる、予想できる展開に冷や汗を掻きながら緊張を解そうとしていた。
 車道や高速道路とは車を捨てない限り所謂、密室だ。襲撃に最も向いたロケーションの1つだ。
 襲撃者も姿形を衆人環視に認識されてしまうという危険が大きいが、目標の達成率……対象を殺害する確率も高い。
「実は私、カーチェイスは大の苦手なの」
「最悪のジョークだな」
 左ハンドルのサーブということもあって、強ちジョークでも無い。
「……ちょっと片付ける。『狩場』が近いから助かったわ」
「何言ってるんだ?」
「松島さんを囮にして連中を片付けるの」
「それもジョークだよな」
 リオは無言でハンドルを切ってルートを急遽変更した。
  ※ ※ ※
「見失った!」
 廃棄されたコンテナが林立する港湾部の空き地で追撃者の一団は自分たちが追っていたサーブを見ながら舌打ちをする。
 サーブの両ドアは大きく開き、車内には誰もいなかった。
 助手席側のドアから3mほど離れた砂利の地面にアメリカンスピリットとデュポンのライターが無造作に転げ落ちていた。
 追撃者の一人がそれを見つめ、視線を上げる。その先には飯場や倉庫が並ぶ区画が有る。
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