愉しい余暇の作り方

 小癪で姑息。然し王道。
 さぞや名前のある殺し屋に違いない。あるいは暴力をレンタルする何かしらの職人。
 しばしば、殺し屋の世界をランク付けするのに『素人は銃でプロはナイフ』という認識が世間に広まっている。
 実際のところはランクづけするだけ無意味なのだ。
 情報操作だけで社会的世間体的に抹殺する『殺し屋』や確率と統計を求め可能性の連鎖だけを用いて命を奪う『殺し屋』も存在する。
 故に、銃火器を使う殺し屋を最底辺だと思い込んでいると足元を掬われる。
 それを痛感したのはこの襲撃事件が終わってから1時間後のことだ。 天井裏から引き摺り降ろしたノクトビジョンを装備した男の死体が握っていたのは銃火器ではなく、工具のネイルガンを改造したものでコンプレッサーが不要のガス式だった。
 装填されている釘には成分の判別は不能だが焦げ茶色に塗られていた。……猛毒だと察する方が自然だろう。
 更に2時間後には松島優志が本部と連絡を取り、専門の『クリーニング業者』を寄越してもらい死体を片付ける。
 生存者は子飼いの闇医者の元に運ばれる。
「随分と大急ぎね……」
 リオは松島と応接間でテーブルを挟んで騒がしいテナント内部を一瞥する。
「『覚悟はしていたがね』」
 2人共、煙草の紫煙を燻らせるだけでそれきり沈黙する。
「……」
「……」
 殺し屋の襲撃に心がすり減らされたわけではなさそうだ。
「……実質3日」
「……」
 松島はボソリと喋る。
「1週間の期日でお前を雇ったが、それはブラフだ……」
 既に読んでいた憶測だったが、リオは何も知らぬ素振りで機械巻き葉巻を大きく吸い込む。
「実際には今から4日後が俺にとってのデッドラインだ。大きな会議がある……詳しくは話せないが俺と他数名に『決定権の1つ』が与えられた。パワーバランスを図る上で大事な会議だ。欠席は棄権と見倣される」
 そこまで、誰となしに喋る。述懐のように語る松島。
 何本目かのアメリカンスピリットに火を点ける動作で言葉を区切り、リオに内容をまとめさせる編集点を設けた。
「先代会長の妾の子でね……本江会には縁故就職だったんだ」
「縁故就職ですか。それはそれはハートフルなヤクザ屋さんで」
 リオは相槌を打つように軽口を飛ばす。松島は言葉を続けた。
「肩身が狭くならないようにと、充分に目をかけてくれた。本気で恩義を感じて尽くしてきたさ」
 そこで途端に松島の顔が濁る。
「ヤクザに向いていないと悟ったときはこのザマだ。引き返せねぇ。世話を焼いてくれるってことは引き返せない世界に進むってことだ……まぁ、過ぎた事は仕方ないわな。今度の会議を最後に、晦まして悠々自適に勝手に過ごしたいと思った。ところが最後にする仕事が組の趨勢を左右するデカイ仕事になっちまった」
 リオは『解っているのに足が洗えないヤクザの勝手な希望と楽観』を聞き流すことはできなかった。
 興味のある話ではなかっが、リオはリオとして全うする仕事が遂行しやすくなるヒントがどこかに隠されているのではないかと、顔に僅かな営業スマイルを作って耳を傾けていた。
「まあ、どこに反対派がいるか解らん。全員武闘派と思った方が良い。組の主だったカシラ連中はどこも誰もボディガードやらヒットマンを雇って見えないところで凌ぎを削っている。俺は嫌な禍根は残したくないからボディガードだけを雇った。アンタのことだ……ヒットマンあがりで使える腕前のはずだった大野……ほら、アンタが指をへし折った黒星の使い手だ。アイツが『使えない奴だと解って良かったよ』」
 砂糖と蜂蜜をぶち込んだホットチョコレートを嚥下した気分になるリオ。
 綺麗事のオンパレードだ。
 この年齢で防御と遁走しか考えていない若手の組長も珍しい。なるほど、彼自身が言うように松島は暴力の世界では長生きしてはいけない『善人』だった。他者を蹴落とし自らの覇道で頂点を目指すのには『優し過ぎた』。
 同時に本江会が急先鋒の武闘派だけで組織されたかのようにみえる。藁の撚り合わせに思える。公安の介入を待たずに近い内に空中分解を起こしかねない。「本江会の行方をみてから廃業したら?」ともう少しで口を突くのを飲み込んだ。
 松島が1週間というサバを読んだ期日でリオを雇った理由も解る。
 前述の通りブラフだ。
 残りの3日間も組員に緊張を持たせ、組を引き締める役割と、彼が姿を晦ます退路に逃げ込むまでの時間稼ぎ。……コソコソと時間稼ぎの間も松島を守っている姿をみせることで、松島組構成員は『外部からの攻撃に備える』という名分の元、一致団結する。
 1週間が過ぎる頃には松島は破門状を叩きつけられるか、後任を譲って消える算段だろう。
 リオは襲撃が予想されない後半の3日間は腑抜けな仕事にならないようにと苦笑に唇を歪めていた。
  ※ ※ ※
 文字通り個人で『護り屋』なるボディガード稼業を開いているからには必ず、直面する問題の1つに生理的欲求が有る。
 『護り屋』とて人間である。
 食事や睡眠や排泄は生命体である以上、前提で行動しなければならない。
 そんな事情から『護り屋』は複数の人員で行うのが常とされているのだが、リオはさも卓見を発揮して襲撃の嚆矢を読んでいる所作で悠々と生理的欲求をクライアントの癪に障らない程度に済ませている。
 傍目から見ているとリオが「眠るから」と2時間の仮眠をとっている間や用を足しているうちは襲撃者が不穏な行動をみせない……かのようにみえる。
 実は襲撃者が『襲撃するであろうロケーションや時間帯』を逆に利用して仕事中の寸暇を全て生理的欲求の解消に当てているだけだ。
 勿論、ベッドに潜ってガッツリ眠るわけではない。悠々とワインと一緒にステーキを胃袋に詰めているわけでもない。
 僅かな眠り、簡素な食餌、場合によっては部屋の隅でバケツに排泄。 残念ながら映画のようにクライアントと懇意の仲になって、楽しい時間を共有するなどということは皆無だ。そもそもフィクションだ。
 それにクライアント側から提供された休憩用の部屋自体が内部の不穏因子の仕掛けた罠である場合も考えられる。
 それらを鑑みた上で『自分が襲撃者なら、どれだけの人数を率いたどんな得物を使う襲撃者でどの時間のどの場所で襲撃するのか』を常に思考している。
 過去の経験から大方は当て嵌る。
 先読みするかのような発言や行動をリオが起こしたとしてもはぐらかすだけでタネや仕掛けを開陳しない。
 経験則で学んだ殺し屋のパターンは『ある意味、個人情報で社外秘だ』。
 毎月の生理で悩まされたとしてもプロ意識だけで苦痛を遮断して仕事を全うしてきた。100%でないにしろ高い完遂率を誇っている要因は自分の経験と勘だとリオは信じている。感性に誇りを持っている。
  ※ ※ ※
 午前8時半。
 松島優志の警護を依頼されて翌日の朝。
 尤も、明け方まで、襲撃者の死体や犠牲者の始末に付き合っていた御陰で殆ど不眠不休だった。
 リオは貴重な『睡眠時間』を堪能していた。その脇で遮光カーテンの御陰で朝日の当たらない執務室で松島が4人掛けのソファで早くも疲労に参った顔色で毛布に包まっていた。
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