愉しい余暇の作り方
敵の襲来。
確実に敵だ。
『現場の張り詰めた空気』が物語る。
嬲り殺しにする趣味を持ち合わせない敵。だが、確実に脅威は排除する。このフロアのこの一角だけが異常に静かなのが確証だ。
――――サプレッサーか。
襲撃者、この場合は殺し屋といった方が正確か。
速やかに建造物に侵入して敵性脅威を排除しながら対象を殺害する殺し屋は厄介だ。
裏返せば『リオの存在で速やかに松島を消せないと悟った』ので現場まででてきたか、クライアントが違う種類の――乗り込んで静かに殺害する殺し屋――を雇ったか。
リオは侵入者の腕前を知ることよりも、侵入者の人数と建物外部で援護する影に対して最大の意識を向けた。
――――複数。
――――多くない。カチコミじゃない。
――――空薬莢を蹴ったか。
――――ん?
掌を当てるドアの隙間から、ゴムが焦げた臭いが微かに流れてくる。
――――バフが焦げてる。サプレッサーか。
――――臭いが『多い』。複数ね。
――――足音が二手に『割れた』。足音が軽い。
――――2人か。『回転』が聞こえない。短機関銃じゃない。
リオは掌に伝わる振動と、僅かな臭いと、床や壁の軋みで侵入者が短機関銃以外で武装した2人組で各部屋を掃討しながらこの部屋に近付いていることを察知する。
同時に脳内の『殺し屋リスト』を検索して該当する名前を探すが心当たりが多過ぎて役に立たない。
時間のあるときに脳内を整理する必要があるようだ。
――――来る!
リオは扉から掌を引き、FNバラクーダを右手に携えたまま、ドアを開いたときに陰になる場所に回り込む。襲い来るであろう瞬間を待つ。1秒が10分にも思える長い『瞬間』だ。
ドアが開く。
スタングレネードが放り込まれることもなく、侵入者は歩みをすすめる。
バラクラバで顔面の殆どを覆った、体格からして男。
牛乳瓶のようなサプレッサーを捩じ込んだベレッタM92FSをアイソセレススタンスで構えている。
衣服こそはカジュアルなパーカーだったが体の運びは場馴れした慎重さを持っていた。
扉が開ききる前に、ドアの蝶番が作り出す隙間から、男の頭部から爪先が過ぎ去ってしまわない内にリオは先制を仕掛けた。
呼吸を止めながら銃口を蝶番の隙間から、9mm口径より僅かに細い隙間から男の左肋に照準を付ける。
息を殺した先制は慣れない。
コイツは陽動かもしれないというリスクを感じてので、絶対の優位性はないのだ。
引き金を引く。滑らかにラッチが噛み合う。自動巻きムーブメントの腕時計のようなスムーズなモーションを描いて撃鉄が撃発位置まで起き上がる。オールドコルトに似たアクション――撃鉄が叩く瞬間、撃鉄が一瞬、僅かに一段後退する――を見せて撃針がハンマーブロック越しにプライマーを叩く。
撃発。
聞き慣れた9mmパラベラムの発砲音。
この部屋のあるフロア全体が防音を施してあるというのは本当らしく、音響が伸びずに薄らと轟音が消えていくのを聴覚が捉える。
フルメタルジャケットの9mmパラベラムはバラクラバの男の左脇腹から右肩に向けて射入する。
弾頭が体内に入り込んだ瞬間、衝撃で鳩尾の辺りが膨れる。横隔膜内部に衝撃が伝わったのだ。経験上、救急救命処置を施さなければ1時間もせずに絶命する。無論自力での行動は不可能な致命傷だ。
断末魔の代わりであるかのように、男はベレッタM92FSの引き金を1度だけ引いてうつ伏せに倒れる。
パーティ用クラッカーより控えめな発砲音とともに空薬莢が弾き出される。
サプレッサーとは勘違いされがちだが、発砲音を無音にする道具ではない。発砲音を抑える道具で、少し離れれば人間の可聴域を外れるほどに抑制が効くことから、映画やドラマで過大な描写をされている。
音の壁を超えない鈍足の実包を使っても文字通りの消音は物理的に不可能だ。
発泡して発砲音が消えるということは弾頭を標的に届かせるほどの圧力を発揮できなかったということ他ならない。
同程度の銃火器を用いて例えるのなら、大雑把にいえば発砲音の大きさイコール打撃力の大きさだ。
「!」
リオは男の死体を乗り越えて頭を下げつつ匍匐前進の姿勢をとり、そのまま、部屋を出た。
視界に入る、開け放たれた幾つかのドアの下……床にはバケツで撒いたような血糊が広がっている。各部屋が制圧されたことを物語っていた。生存者は判断できない。情報が断片的で何もかもが即断できない。
リオの勘が鈍っていなければもう一人居る。
「……」
――――?
――――気配は有る!
――――『気配しか無い!』
匍匐前進のまま、床を3m進んでも襲撃者のリアクションが皆無なのが恐ろしかった。
危険を承知で中腰になり、左手で壁にそっと触れる。ゆっくりと掌を壁に優しく押し当てる。
――――逃げたか?
――――逃げるにしても『音がしない』。
左掌から伝わる情報はこのフロアで生きている人間は少数だということだ。
どこかの部屋から死にきれない犠牲者の呻き声が聞こえる。
――――!!
いつもの芳醇なインドネシア葉巻の香り。
背後の部屋。襲撃者が来る前まで迄、松島と居た部屋。
今は松島しか居ない。
その部屋から自分が咄嗟に捨てた2本目のヘンリーウインターマン・ハーフコロナの香りが流れてきた。
――――『上か!』
天井と上階の床下の中層に『誰か居る』。
低い姿勢のまま、松島の部屋に戻る。
リオはそれまでのスタイルを放棄し、立ち上がり、松島がスチールデスクで隠れているはずの執務室に飛び込んで3発の9mmパラベラムを45cm間隔で天井に叩き込む。
脆い材質の板に安っぽい、面白みのない孔を空け、静寂が狭い室内を席巻する。
僅かな隙間風が執務室の対流が変わったことを報せてくれた。
安物の葉巻の御陰で、カラカラに乾いた機械巻き葉巻の御陰で、いつまでも煙が立ち上り、その変化を感知したのだ。
「……」
葉巻の香りが廊下まで、漂ってこなかったら解らなかった。
居るのだ。
『この部屋の、この部屋の天井の、この部屋の天井の裏に敵は居るのだ』。
ベリッと何かを捲る音がした。松島がスチールデスクの裏にガムテープで貼り付けてあった拳銃を剥がした音だった。自動拳銃なのかスライドが後退する金属音が聞こえる。
しばしの沈黙。
シリンダーには残りがたった2発のFNバラクーダを忙しなく天井の凡ゆる箇所に向けるが、気配がない。
否。
気配を出せなかったというべきか。
「あっ……」
松島が小さな悲鳴に似た声を挙げた。
リオがこの部屋に戻るなり、天井に向かって盲滅法に放った銃弾の何れかが被弾したのだろう。
天井に開いた3つの孔からゆっくりと、一滴二滴と黒いものが垂れ始めた。終いには細い黒い糸が出現する。
垂れたそれは、床にドス黒い血液の池を描いた。肝臓か腎臓か脾臓か、運悪く致命的な部位にまぐれの9mmがめり込んだのだろう。
天井裏で咳き込む息が聞こえたのを最後に気配は沈黙した。
顔も知らぬ襲撃者は神頼みに近い牽制に引導を渡された。
隘路で命を落とす襲撃者に構ことなく、9mmパラベラムの尻を銜えた新しい専用クリップを取り出して左手の小指に指を通す。
松島にスチールデスクの下に隠れるように促す。リオはドアの陰に滑り込む。
確実に敵だ。
『現場の張り詰めた空気』が物語る。
嬲り殺しにする趣味を持ち合わせない敵。だが、確実に脅威は排除する。このフロアのこの一角だけが異常に静かなのが確証だ。
――――サプレッサーか。
襲撃者、この場合は殺し屋といった方が正確か。
速やかに建造物に侵入して敵性脅威を排除しながら対象を殺害する殺し屋は厄介だ。
裏返せば『リオの存在で速やかに松島を消せないと悟った』ので現場まででてきたか、クライアントが違う種類の――乗り込んで静かに殺害する殺し屋――を雇ったか。
リオは侵入者の腕前を知ることよりも、侵入者の人数と建物外部で援護する影に対して最大の意識を向けた。
――――複数。
――――多くない。カチコミじゃない。
――――空薬莢を蹴ったか。
――――ん?
掌を当てるドアの隙間から、ゴムが焦げた臭いが微かに流れてくる。
――――バフが焦げてる。サプレッサーか。
――――臭いが『多い』。複数ね。
――――足音が二手に『割れた』。足音が軽い。
――――2人か。『回転』が聞こえない。短機関銃じゃない。
リオは掌に伝わる振動と、僅かな臭いと、床や壁の軋みで侵入者が短機関銃以外で武装した2人組で各部屋を掃討しながらこの部屋に近付いていることを察知する。
同時に脳内の『殺し屋リスト』を検索して該当する名前を探すが心当たりが多過ぎて役に立たない。
時間のあるときに脳内を整理する必要があるようだ。
――――来る!
リオは扉から掌を引き、FNバラクーダを右手に携えたまま、ドアを開いたときに陰になる場所に回り込む。襲い来るであろう瞬間を待つ。1秒が10分にも思える長い『瞬間』だ。
ドアが開く。
スタングレネードが放り込まれることもなく、侵入者は歩みをすすめる。
バラクラバで顔面の殆どを覆った、体格からして男。
牛乳瓶のようなサプレッサーを捩じ込んだベレッタM92FSをアイソセレススタンスで構えている。
衣服こそはカジュアルなパーカーだったが体の運びは場馴れした慎重さを持っていた。
扉が開ききる前に、ドアの蝶番が作り出す隙間から、男の頭部から爪先が過ぎ去ってしまわない内にリオは先制を仕掛けた。
呼吸を止めながら銃口を蝶番の隙間から、9mm口径より僅かに細い隙間から男の左肋に照準を付ける。
息を殺した先制は慣れない。
コイツは陽動かもしれないというリスクを感じてので、絶対の優位性はないのだ。
引き金を引く。滑らかにラッチが噛み合う。自動巻きムーブメントの腕時計のようなスムーズなモーションを描いて撃鉄が撃発位置まで起き上がる。オールドコルトに似たアクション――撃鉄が叩く瞬間、撃鉄が一瞬、僅かに一段後退する――を見せて撃針がハンマーブロック越しにプライマーを叩く。
撃発。
聞き慣れた9mmパラベラムの発砲音。
この部屋のあるフロア全体が防音を施してあるというのは本当らしく、音響が伸びずに薄らと轟音が消えていくのを聴覚が捉える。
フルメタルジャケットの9mmパラベラムはバラクラバの男の左脇腹から右肩に向けて射入する。
弾頭が体内に入り込んだ瞬間、衝撃で鳩尾の辺りが膨れる。横隔膜内部に衝撃が伝わったのだ。経験上、救急救命処置を施さなければ1時間もせずに絶命する。無論自力での行動は不可能な致命傷だ。
断末魔の代わりであるかのように、男はベレッタM92FSの引き金を1度だけ引いてうつ伏せに倒れる。
パーティ用クラッカーより控えめな発砲音とともに空薬莢が弾き出される。
サプレッサーとは勘違いされがちだが、発砲音を無音にする道具ではない。発砲音を抑える道具で、少し離れれば人間の可聴域を外れるほどに抑制が効くことから、映画やドラマで過大な描写をされている。
音の壁を超えない鈍足の実包を使っても文字通りの消音は物理的に不可能だ。
発泡して発砲音が消えるということは弾頭を標的に届かせるほどの圧力を発揮できなかったということ他ならない。
同程度の銃火器を用いて例えるのなら、大雑把にいえば発砲音の大きさイコール打撃力の大きさだ。
「!」
リオは男の死体を乗り越えて頭を下げつつ匍匐前進の姿勢をとり、そのまま、部屋を出た。
視界に入る、開け放たれた幾つかのドアの下……床にはバケツで撒いたような血糊が広がっている。各部屋が制圧されたことを物語っていた。生存者は判断できない。情報が断片的で何もかもが即断できない。
リオの勘が鈍っていなければもう一人居る。
「……」
――――?
――――気配は有る!
――――『気配しか無い!』
匍匐前進のまま、床を3m進んでも襲撃者のリアクションが皆無なのが恐ろしかった。
危険を承知で中腰になり、左手で壁にそっと触れる。ゆっくりと掌を壁に優しく押し当てる。
――――逃げたか?
――――逃げるにしても『音がしない』。
左掌から伝わる情報はこのフロアで生きている人間は少数だということだ。
どこかの部屋から死にきれない犠牲者の呻き声が聞こえる。
――――!!
いつもの芳醇なインドネシア葉巻の香り。
背後の部屋。襲撃者が来る前まで迄、松島と居た部屋。
今は松島しか居ない。
その部屋から自分が咄嗟に捨てた2本目のヘンリーウインターマン・ハーフコロナの香りが流れてきた。
――――『上か!』
天井と上階の床下の中層に『誰か居る』。
低い姿勢のまま、松島の部屋に戻る。
リオはそれまでのスタイルを放棄し、立ち上がり、松島がスチールデスクで隠れているはずの執務室に飛び込んで3発の9mmパラベラムを45cm間隔で天井に叩き込む。
脆い材質の板に安っぽい、面白みのない孔を空け、静寂が狭い室内を席巻する。
僅かな隙間風が執務室の対流が変わったことを報せてくれた。
安物の葉巻の御陰で、カラカラに乾いた機械巻き葉巻の御陰で、いつまでも煙が立ち上り、その変化を感知したのだ。
「……」
葉巻の香りが廊下まで、漂ってこなかったら解らなかった。
居るのだ。
『この部屋の、この部屋の天井の、この部屋の天井の裏に敵は居るのだ』。
ベリッと何かを捲る音がした。松島がスチールデスクの裏にガムテープで貼り付けてあった拳銃を剥がした音だった。自動拳銃なのかスライドが後退する金属音が聞こえる。
しばしの沈黙。
シリンダーには残りがたった2発のFNバラクーダを忙しなく天井の凡ゆる箇所に向けるが、気配がない。
否。
気配を出せなかったというべきか。
「あっ……」
松島が小さな悲鳴に似た声を挙げた。
リオがこの部屋に戻るなり、天井に向かって盲滅法に放った銃弾の何れかが被弾したのだろう。
天井に開いた3つの孔からゆっくりと、一滴二滴と黒いものが垂れ始めた。終いには細い黒い糸が出現する。
垂れたそれは、床にドス黒い血液の池を描いた。肝臓か腎臓か脾臓か、運悪く致命的な部位にまぐれの9mmがめり込んだのだろう。
天井裏で咳き込む息が聞こえたのを最後に気配は沈黙した。
顔も知らぬ襲撃者は神頼みに近い牽制に引導を渡された。
隘路で命を落とす襲撃者に構ことなく、9mmパラベラムの尻を銜えた新しい専用クリップを取り出して左手の小指に指を通す。
松島にスチールデスクの下に隠れるように促す。リオはドアの陰に滑り込む。