愉しい余暇の作り方

 小規模暴力団の組長でも、機敏に動けて臨機応変に対処するだけの頭脳は持ち合わせていないと想定。
 ヤクザが自分でいう『腕っ節』ほど頼りないものはない。
 全国規模の暴力団の総裁で有っても9mmで頭を吹き飛ばされたら死ぬ。生命活動的に死ぬ。詳しくは話さないが警護期間の1週間のどこかで大きな取引か会合が秘密裏に行われるのだろう。
 自分が従える構成員にも大っぴらにいえない内容の何かがあるのだろう。
 だが、リオには全く関係ない。クライアントの提示した金額で首を縦に振ったのだから何が起きても1週間は命の保証をする。
「さっきはやってくれたな……」
 先ほど、右手の人差し指をへし折ってやったトカレフの男が殺意で空気を歪めながらリオを睨む。
 男の人差し指にはアルミのギプスを添えて包帯でぐるぐる巻きにされている。
 意外と処置が早かったことから鑑みると闇医者が近所に潜伏しているのか。
 兎も角、男が右利きだというのであれば、拳銃稼業でヤクザの世界を渡り歩くのは、治療中は辞めた方が良い。
「……あ」
 営業用の笑顔のまま、何か気の利いた一言でもいって機嫌を取ろうかと思ったが、トカレフの男は般若面を返して立ち去る。
 あの男もあの男なりにリオの『腕』は理解したのだろう。
―――いかんなぁ……。
―――身内に敵を作ったかな?
 相も変わらずキナ臭い仕事場で、そこはかとなく安心したリオ。思わず火の点いていないヘンリーウインターマンの機械巻きに火を点ける。
   ※ ※ ※
 敵。
 敵、敵。
 敵、敵、敵。
 数え上げれば街を行く幼稚園児もIEDを仕掛けている工作員に思えてくる。
 経験と勘で培った独自の嗅覚で判別するのがこの仕事のカギだ。
 同じ『護り屋』でも解りやすい暴力から解りやすい暴力で排除する『リオの様な護り屋』の方が楽な仕事だ。
 闇社会の『護り屋』としては経営をコンサルタントするように組織の運営をバックアップして水面下の、更に下で組織そのものを『護る人物』も存在する。
 生き馬の目を抜く昨今では何が商売になって何が喰いものにされるか知れたものではない……と、勤勉に執務をこなす松島優志のスチールデスクの脇で2本目のヘンリーウインターマンに火を点けた。
 松島の左隣で背中を壁に任せたまま、リオは大きく口腔に煙を溜め、毒煙を噴き出すように一気に吐く。
「俺を酸欠死させる気か? お前はどこかから送り込まれた殺し屋だろ」
 老眼鏡を外し眉根を揉みながら松島は煙を書類の束で扇ぐ。
「煙幕を張って狙撃対策をしているんです。狙撃手は何かと条件が揃わないと引き金を引きませんからこれは有効な手段なんです」
 と、涼しい顔のリオ。勿論、軽口の範疇だ。
 何か一言怒鳴り返してやろうかと松島は奥歯を噛んだが、リオは右手をスラックスを通すベルトのバックルに軽く手をかけ、視線だけは遮光カーテンの隙間からリップミラーを通して窓の外を警戒していた。
 即応できる体勢で神経を張り詰めているのが解る。
 一応は仕事をしているのだと理解した松島は硬い奥歯を緩めて、自分も愛飲のアメリカンスピリットに手を伸ばした。
 松島も組員を宥めてまで、外部から専門の『護り屋』を招き入れた。
 1週間だけの契約だが、彼女に具体的な敵対因子を教えていないのは知られたくない取引があるからである。
 大方が三下同然で構成された松島組構成員はカチコミとしては『優秀』だが、アタマが足りない分だけに警護に於いて全面的に命を預ける気にはなれない。
 即戦力として期待していたトカレフ使いの大野は半日前の『試験』であっという間にリオに実力で黙らされてしまい、戦力外に格下げだ。
 このテナントフロア全室は松島組と本江会のペーパーカンパニーの名義で借りている。どの部屋にも即応を言い聞かせて武装させた組員を配置しているが、有事にはどこまで役に立つか。
 一方、リオは時折天井に設けられたロスナイやエアコンにも視線を走らせていた。
 密閉された窓際の執務室は外部から狙撃されることは難しい。
 遮光カーテンが役に立ってくれる。熱感知センサーを装備した狙撃銃で狙撃する殺し屋という描写を映画で良く見かけるが、一発必中一撃必殺を旨とする殺し屋ならバイタルゾーンが鮮明に映し出されない遠距離スコープで狙う真似はしない。
 対戦車バズーカなどの砲撃も考慮しているが、この雑踏の多い界隈で射角を確保するのは至難の技だ。
 半日前、組員に既に指示を下し、欺瞞の鳥避けCDをぶら下げたニクロム線で拵えたネットを窓の外に張り巡らせてある。
 金属が剥き出しの目の細かいワイヤー類は対戦車バズーカや対戦車ロケットを打ち込まれても弾頭の電気信管に不具合を発生される確率が高くなる。そうなれば『外部』からの襲撃で考えられるのは、空調やエアダクトに毒や麻酔を含んだガスを流すことだ。
 ロスナイやエアコンのフラップには細く割いたテッシュペーパーをセロハンテープで一房、貼り付けている。
 室内の対流が変わるたびにフラップにぶら下がるテッシュペーパーを見てから足元のイタチ獲り器に入った1匹のドブネズミをみる。
 捕獲したときはジタバタと五月蝿かったが、今は鱈腹エサを食べて大人しくなっている。毒やガスなどの検知器としては古典的だが有効だ。 鳥を使う同業者もいる。勿論リオも鳥類を使いたいが、適度に世話を焼かないと何もしなくても病死するのが難点で扱い難い。
 その点、ドブネズミは悪環境で棲息している割にはタフで環境のささやかな変化に敏感だ。
「……」
 リオは紫煙が目に沁みるのを堪えて左手首のミリタリーウオッチを見る。
 リオがこの事務所に初めて入ったのは午前10時頃。
 現在午後9時半。
 午後7時の食事――独自の経路から入手したシークレットサービス公式毒見キットで毒物の混入の有無を確認――が終わってからずっと執務室で書類の整理だ。
 松嶋曰く、テナントの管理を賄う手回しとシノギの計算だけだと嘯くがリオはそれ以上深入りしなかった。
「……」
 再びカーテンの隙間をリップミラー越しにみる。
 控えめなネオンが照らす夜空は曇り気味だった。
   ※ ※ ※
 午前0時を経過。
 松島が書類の整理と確認を終えた。
――――静か過ぎる。
「松嶋さん、あなたの組員は早寝早起き?」
「何の話だ?」
 冷たい指先で背筋を撫でられる感触を覚えたリオは咄嗟にハンドシグナルで松島にスチールデスクの下に潜り込むように指示し、FNバラクーダを抜き放つ。
 執務室のドアに向かって前転で近寄り、掌の甲をドアの下段付近にぴったりと押しつけ、室外の振動を感じ取る。
 呼吸を止めて木製のドアの向こうを推し量る。
 片膝で屈んだ状態で、右手にFNバラクーダ。左手はドアに密接。物質の固有振動数とまではいかなくても、足音や会話やある種の音域は振動として感知することができる。音響は即ち情報だ。
――――拙い。
 執務室の窓から伝わる界隈の雑音とは違った音域を手と耳が拾う。左掌がドアが小さく揺れるのを感じ取る。
 極々、小さなドアの揺れ。建物内部の空気が入れ替わったのではない。
――――侵入!
――――この部屋……他のテナントには侵入していない?
――――このテナントの組員は殺られたか?
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