愉しい余暇の作り方

 トカレフの男の背後から長脇差を構えた2人が示現流の猿叫に似た叫び声で斬り掛かってくる。
 狭い室内で大上段に振りかぶり過ぎだ。天井に引っ掻き瑕を作り、刃が毀れた耳障りな音がする。
 男達が長脇差を振り上げたときには既に左足の踵でテーブルのシガレットケースセットを弾くように踏みつけ、衝撃で浮いた四角い水晶製のバカラの灰皿を左手で握って突き出していた。
 右手側の男の刃が速い。迷わず脳天を割るつもりだ。脳内で未来の軌跡がみえる。
 刹那の計算で男の長脇差が命中するであろう自分の額に水晶の灰皿を掲げて長脇差を防ぐ。
 耳鳴りを感じる金属音を立てて長脇差が折れる。
 右袈裟の軌道で秋水が冴える、もう一振りの脇差も左肩に翳した灰皿で刃が振り下ろされる方向を往なし、その男の大きなロスのあいだに……右脇腹に水晶の灰皿で殴打した。
 先ほどの長脇差が折られた男は果敢にも中ほどで切っ先を失った長脇差で斬りつけてくるがリオは蝿でも払うようなモーションで、灰皿を男の顎先に投げつける。その重量で以て停止させる。
 突進してくる標的には重量弾頭だ。顎を押さえ、躓くように転ぶ様子を見ると軽い脳震盪を起こしたのかも知れない。
「如何でしょう?」
 リオはあろうことかハーフコートの左脇から回転式拳銃を抜いてクライアントであるはずの松島優志に向ける。
 松島はスーツから抜いたマカロフのスライドを引き切る前にピタリと停止した。
 松島優志はマカロフの薬室に実包を送ることができなかった。
 リオの回転式拳銃は既に撃鉄が起きている。
 松島優志はマカロフのトリガーガードに人差し指を指して両手を上げて降参のジェスチャーをした。
「『何故、銃を抜く?』」
「松島さんは『タマの代金も払ってやるから今から襲いかかる連中を何分で何人気絶させることができる?』とおっしゃいました。つまり、この部屋は防音で拳銃程度の音は漏れないと解釈しましたが」
「そうじゃない。なぜ、俺に銃口を向けようと思った? お前の背後には護るべき対象がいるじゃないか」
「経験上……といってしまえばそれまでですが、女の『護り屋』だからってよくテストされるんですよね。で、大概の場合はクライアント様が『俺が最後の試験だ』と良く仰る」
「食えないな」
 松島はマカロフを左脇に滑り込ませた。
「それじゃ、クライアントも信用していないと?」
「信用と信頼を一緒くたに考えると危険だと自分に言い聞かせているだけです」
 松島がマカロフをホルスターに戻し、代わりに煙草のソフトパックを取り出したのをみてリオも回転式拳銃を下ろした。
「然し……派手にやったなぁ」
 松島はアメリカンスピリットを銜えながら辺りを見回した。
 死屍累々。
 この狭い応接室もどきの部屋でそれ以外の形容が見当たらなかった。
「殺せ、ではなく、『伸したら』というオーダーでしたので」
 貼り付けたような営業スマイルで答えるリオ。リオの足元では6人の『試験官』が苦痛と戦いながら呻き声を漏らしていた。
 リオは肩を竦めて回転式拳銃を……FNバラクーダを左懐に仕舞う。
 FNバラクーダとは何の変哲もない回転式だ。38口径6連発3インチ銃身。
 全長約210mm。重量1.05kg。S&W M10 FBIスペシャルをやや無骨にしたような肉厚のデザインだ。
 エジェクターシュラウドや指掛けを意識した角ばったトリガーガード。微調整不可能の凹ノッチ型アイアインサイト。1970年代前半にFN社が司法機関のオフィサー向けに販売したモデル。
 一時製造中止となるもこれといった欠点も見付からず現在では少数がリバイバル生産して販売されている。但し、市場はオフィサーでは無く、FN社の熱心なコレクター向けとして。
 何の変哲もない、と表記したが厳密には『優れた特異点がない』というだけで、実際には否を唱えるユーザーが殆どだろう。
 シリンダーを交換すれば9mmパラベラム弾を使用することができる。
 38口径が公式に掲載されているが実際は357マグナムと共用のシリンダーだ。
 シリンダーだけを交換するためにフロントサイトの微調整や銃身の嵌め直しも必要がなく命中精度に影響しない。
 9mmパラベラム用シリンダーを用いる場合は専用のフルムーンクリップを用いる。現在、リオのFNバラクーダが装備しているシリンダーは9mmパラベラム用シリンダーだ。
 同様のコンセプトとしてはS& M1917が挙げられるが、操作性や携行性、命中精度や堅牢性は勿論のこと、FNバラクーダのほうが圧倒的に上だ。
 劣るとすれば45口径の鈍重な停止力が得られないくらいだろうが、停止力をセールスポイントにする弾頭が溢れかえる現代ならば大した問題ではない。
「……たったの6発か……予備の銃は? ソレが予備か?」
 三下達に抱えられてぞろぞろと退室する6人をみながら松島優志は横銜えの煙草で質問する。
「はぁ……」
 リオは腑抜けた相槌で喋りだした。
「『護り屋』に限らず警護をとする人間は戦ってはいけないんです」
「ほう?」
「襲撃者に応戦するとそれだけ人員と火力が割かれてしまい、警護の連携が乱れやすくなります。警護の本懐は対象の死守です。ですから牽制程度のタマを撃つことができれば問題ありません。襲い来る敵の足を止めることができればいいのです。相手を殺す必要もありません。相手が怯んだ隙に兎のように逃げるだけの時間を稼げばいいわけですから」
 斬った張ったの世界で、命を左右に動かす松島からすれば興味深い話だった。
 『命をとる必要はない』。この言葉が何故か心地良く聞こえる。
 捕らえた敵対因子は必ず殺害命令を下してきた彼には命乞いをするまでもない人間を義理人情や、丁度いい落とし前として生かしてしまうという考えがなぜか愉快だった。
 唯々諾々と忠実に働く麾下の構成員の口からは絶対に聞けない、貴重な盲点だ。
 この講釈を聴くだけでも京藤リオを呼び寄せた甲斐がある。
 後はそれが口だけのセールストークでないことを祈るばかり。 
 この女の実力は、今し方、伸された6人以上の度胸とアタマを持った鉄砲玉がくればすぐに鍍金が剥がれるだろう。……様々な観点から松島優志は京藤リオに興味を持った。
 傲岸な態度でクライアントの上位性を気取ってはいたが、表看板の実績で成り立つ世界で活躍する手並みをみたくなった。
 その機会が訪れるということは彼にとっての危機に違いないので少しばかり、二律背反に唇を歪めた。
  ※ ※ ※
「ふむ……」
 火の点いていないヘンリーウインターマン・ハーフコロナを銜えたまま、松島組の入っているテナントをみて回る。
 松島優志という人物は意外と虚栄心がおとなしいのか、どこの部屋を覗いても一点豪華主義が具現化したような調度品は少なかった。
 行動範囲であれば、機密からプライベートまでの距離も対面で聞き出して、脳内の地図に投影してみたが、マニュアル通りにいずれも複数の往復経路を確保している。
 こうなれば襲撃者がいるとすれば限られてくる。狙撃、爆発物、毒殺。
 アルマジロのようにガチガチのガードをつけるのも却って危険だ。相手の全戦力を引き出しかねない。
 紙面上の契約では警護の期間は1週間。
 松島優志に軽量の防弾ベストを着込んでもらうのは当たり前として、『その他にある穴』を指折り数えてみる。
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