愉しい余暇の作り方

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「で、その女は使えるのか?」
 本江(ほんごう)会系暴力団松島組組長を一応の肩書きとする松島優志(まつしま ゆうし)はソファと対のテーブルセットを挟み、向こうに座る臙脂色のハーフコートを纏った女を一瞥した。
 そいつは営業スマイルを浮かべているだけの人形にしか見えなかった。
 四十五の齢を重ねた彼であったが、どうもこの手のセールスは好きになれない。『目前の若い女が、どう考えても自分の命を死守する職種に就いている』とは思えなかった。
「いやいやいやー。本人を前にして使えるのか? とは。流石に組長さんともなると天下を睥睨するお言葉をお使いになられるのですねー」
 営業スマイルに加え癪に触る応対。
 実力勝負の世界ゆえに個人のパーソナルは問われないとはいえ、ここまで小馬鹿にされると顔面に一発でも叩き込んでやりたいが、報告によるとこの京藤リオという女は、定刻5分前に到着し、応対に出た組員が巫山戯て尻を撫であげようとしたところ、腕拉ぎを決められたまま、受身が取れない体勢で床に叩き付けられたとか。
 それが嘘か本当かはこの際、置いておく。彼女の周りに立つ2人の組員が挙動不審に距離を保ちたがるのが少々気になるが……。
「本江会とその末端組織は失礼ながらこちらで調べさせて頂きました。この『難しい時代』に随分と急進的な発展を遂げられているようで。それだけに不定な暗因を抱えている、と」
 京藤リオという女の並べる事柄に嘘やブレはない。全て事実だ。
 今時、武闘派を掲げて台頭してきたのは本江会くらいのものだ。
 旗揚げから公安にマークされるまで、随分と通過しなければならない掟と慣習は無視してきた。
 故に外部には敵だらけだ。
 粗暴過ぎて手打ちを行う相手も居ない。
 本江会本部は公安が張り付いているが、松島が仕切るこの組には所轄の警察以外は殆どノーマーク。
 万年欠員の地元警察も本音は暴力団同士の潰し合いならいくらでも結構という風潮さえある。
 流れ弾が民間人にでも当たってくれたら必ず松島組を潰してやるのに、という不謹慎な雰囲気すら感じる。
「で、具体的なプランは? フリーランスでも『護り屋』だからいくらかプランはあるだろう?」
 『護り屋』……松島優志は京藤リオをそう呼んだ。
 アンダーグラウンドの世界には暴力と破壊と反社会を生業にするアクティブアタックな人種だけで構成されていない。
 一山いくらで雇われるフリーランスが多い中でもボディガードを専門とする人種も存在する。
 殆どの場合は徒党を組み連携を図り一つの対象を警護するのだが、殺し屋や対象の敵対組織につけ入れられ、警護する側から警護対象の情報が漏洩し『護り屋』として機能しないことが割合として多い。
 そのような輩は大概の場合、『護り屋』を営む一方でカチコミの際に人数合わせの戦力として駆り出される、『攻める側』として看板を掲げている場合が殆どだ。二足の草鞋を履き、更に小遣いを稼ぐの同じ真似だ。
 仁義任侠より『警護』を口実に金のためだけに情報を収集し、情報屋に高値で売りつける悪徳業者も珍しくない。
 その混沌とした背景から、個人経営の『護り屋』を雇う『確率が高い』。
 大規模あるいは組織だった行動が可能な集団なら、警護対象を護衛するのは同じ集団に所属する構成員と相場は決まっているが、その構成員ですら信用ならないと察した場合は背に腹は変えられない思いで、京藤リオのような個人経営で徒党を組まない『護り屋』を雇う場合が有る。
 勿論のこと、京藤リオだけでなくフリーランスの、外部の、個人経営の、素性が知れない人間を警護要員として組織内に招き入れるのは相当なリスクが伴う。
 『護り屋』がそれでも好まれる理由は……。
 それは、成功報酬が安く、使い捨てが効き、後ろめたい組織運営とは直接関係のない立場の人間なので、司直の手を誤魔化しやすいのだ。
 襲撃されて応戦に対応したのが組織の人間ではなく、外部の、事情を知らない『護り屋』だけが発砲していたのなら、状況的に『悪いのは護り屋だけ』と捉えられる。
 武装する『護り屋』を手元に置いていたとしても「武装しているとは知らなかった」でシラを切りやすい……引き換えとして麾下の戦力には極限まで、非合法な道具を用いた応戦を控えさせなければならないが。
 つまるところ、フリーランスの、所長兼現場担当という零細企業あるいは一人親方は、一騎当千を名乗っても遜色のない腕っ節が揃っている。
 京藤リオも例外に漏れず、クライアントの情報を命以上に死守し『信頼と実績』で今の地位を維持確保している。
 六次の隔たりを経てもクライアントの情報は漏れない……この、当たり前の職人気質が薄くなった昨今は女と謂えども腕前が確かなら『雇ってしまう』。
「私としましても応戦はできても排撃はできない、ということご理解していただけないと職務が全うできませんので」
 前口上のように長い台詞になりそうな『約款』を遮り、松島優志はやや辟易した顔で掌を振った。
「ゴチャゴチャいう前に『腕』を見せてくれ。タマの代金も払ってやるから『今から襲いかかる連中を何分で何人気絶させることができる?』」
 口調は抑揚がなかったが、明確な殺意と鉄の冷たさを込めた言葉が先途となって腕試しが唐突に行われた。
 リオを案内し、背後で控えていた2人が同時に動いた。
 リオはソファから盛大にずりさがり、そのまま、背凭れを両掌で押す。
 ソファがリオの体重と崩れた重心を支えることができずに後ろに跳ね飛ぶ。
 膝下にソファが強打し、懐から得物を抜こうとしていた2人の動作にロスができる。その間にリオは両膝を折り、超低度のリンボーダンスにでも挑むのに似た体勢のまま、地面を蹴り、一瞬、三点倒立ににた格好を見せ、硬い革靴の爪先が落ちた場所は背後で居た2人の脳天だ。
 鈍い、嫌な音とともに2人は床に伸びた。
 右手の別室のドアが開き組員が流れ込んでくる。視界に居るだけで4人。
 先頭の男が短ドスを腰溜めにして突進してくる。避けようともせずに右足を勢い良く、転がっていたソファの右手側の肘掛を踏んだ。
 クルクルと宙を舞うソファに短ドスが突き刺さり、体を往なすと同時に短ドスの男の脛を踵で蹴って苦悶させる。
 短ドスの向こうにトカレフを抜き放った男が立っていたが『即座に理解した』……指に拳銃胼胝。トカレフは愛用の道具。トカレフの特質を知っている。撃鉄を起こして待機しているのは危険だと知っている。
 今のドサクサでは撃鉄を起こしても同士撃ちの可能性は高い。
 ならば銃口で狙いをつけてこちらの戦意を抉くのが目的。『即ち、撃鉄が起きていない』。
 リオは躊躇わず、一っ飛びで距離を詰め、トカレフのブッシングに掌底を叩き込む。僅かにスライドを後退させる。
 するとエジェクターが実包のリムを二度噛みし、撃鉄を起こし引き金を引くという作動が行えなくなった。
 そのまま突きだした右手をスライド上部を滑らせて撃鉄を包むように掴んで相手の掌側にトカレフを捻る。こうしてトカレフの男は人差し指を捻挫し、激痛を堪えきれず両膝をつく。
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