愉しい余暇の作り方

 脳内のカウントゲージの数値がどんどん上昇する。9mmが捉えた犠牲者の数だ。
 時折、左掌を壁や廊下に当てて敵勢力の大雑把な動向を確認する。
 エレベーターが稼働した振動は察知できない。非常階段が開く音も感じられない。
 呻き声と硝煙と血の鉄錆に似た匂いが充満する。
 防音を施してあるだけに外部への換気や吸気は狭く弱く作られているのだろうか。
 外壁に面する壁を叩いてみるが、なるほど、鈍い音だ。ベニヤのように薄い資材の向こうには防音素材が何重にもサンドウィッチされているのだろう。
 リオは足跡を残さないようにクリップ付きの空薬莢をポケットに捩じ込んでいる。
 硬い床面で体重をかけても変形しない金属の円柱が転がる床というのは非常に危険だ。それを踏みつけて転倒でもしたら生死に関わる隙を与える。転倒により負傷することも考えられる。
 故に。
 アレは嫌いだった。
 狭い室内でアレを振り回されるのはある意味、攻め込み難い状況を形成するからだ。
 短機関銃。厳密にはサプレッサー付きのイングラムM11。
 戦後に開発されたフルオートオンリーの短機関銃としては優秀な部類に入る短機関銃だ。
 命中精度だけが『優秀な部類』を推し量るファクターではない。
 このように狭い環境でスプレーを吹き付けるように銃弾を高速でばら撒かれると近接戦に持ち込み難いうえに、リオの状況が不利になる。膠着した状態が生まれる可能性が高い。
 イングラムを駆るのは大野だ。
 左手で慣れない手付きでイングラムを扱いながら何事か喚く。
 喚く内容は別に聞きたくないが、抑えられた発砲音の音域から外れた人間の怒声は意外によく聞こえる。リオを罵倒する汚い言葉の羅列でしかなかった。
 このフロアの奥まった、エレベーターからみて共用給湯室に篭ってリオを迎え撃つ……というより、逃げるあてを探していたらここに飛び込んでしまったらしい。
 好き勝手に発砲させて弾薬の消費を図ることにする。
 大野が立て篭る給湯室まで、直線8mの廊下。途中で2箇所のドア。
 ここで無傷なのはリオと大野だけ。
 負傷者や死にきれないでいる生存者は確認できるが、完全に無力化させられており、負傷してもなお、立ちはだかろうという気骨のあるヤクザは皆無だ。
 大野と共に退室したもう1人の幹部は先ほど、トリガーハッピーな大野にフレンドリーファイヤーで背中を熱い銃弾で縫われた。
 松島組の流動的なスケジュールを考慮すれば謀反を企てた、或いは敵対勢力に鼻薬を嗅がされた裏切り者は多方片付いた。
 外出中で戦力に数えられない少数の組員――松島組の三下。敵対勢力に買い取らていない連中――は御用聞きで本日中には帰らない。
 事前に高級幹部たち達に帰るなと命令されている。悲しいかな、その10名にも満たない三下だけが現在の松島優志サイドの戦力でシンパだ。松島以上の幹部の命令には背けない。
 大野はイングラムを慣れない左手で盲撃ちを繰り返す。
 再装填に大きなロスができる。この狭い直線の空間で9mmを無差別にばら撒かれたら近接が難しい。
 先ほども助けを乞うて、腹部に被弾したヤクザがドアの陰から出てくるなり見境なく蜂の巣だ。
 リオは理解している。
 大野だけは殺してはいけない。
 心臓と口が動いている状態で確保しなければ松島の『安全』は保証されない。
 大野自体がトカゲの尻尾のように切り捨てられる可能性も有る。
 大野が生きていれば、松島が『内部の人間に命を狙われている』とアピールする材料になる。尤も、生け捕りの大野をどう料理するかは松島の胸先三寸だ。それくらいの優位性はオマケでつけてやりたいものだ。
――――?
――――タマが切れたかな?
 ようやく沈黙するイングラム。
 ガチャッと乱雑な乾いた鉄の音が聞こえた。弾薬が切れたのだ。
 手持ちに銃火器があってもイングラムと実包が共用できないのだろう。
 つくづく、小物臭が際立つ拳銃使いだと思っていたがここまで見事に小物を体現していると不憫に思える。
――――さて……出ますか。
 機をみるに敏いリオは大野があくまで所持しているであろう、矜持のトカレフを抜き放つ前に低姿勢で一直線にダッシュした。
 前方の給湯室に向かって。
 軽い、馬が駆けるのに似た発砲音と共にマッハ2でトカレフの30口径が3発飛来したが、リオのハーフコートの裾に孔を開けただけだった。
 ……嫌な音。
 ジキッという軋みに似た金属音。
 自動拳銃使いなら誰もが恐れるジャムだ。
 それもボトルネックのトカレフならではの二度噛みしたジャム。
 薬室の内部で空薬莢が斜めになったまま、次に発泡すべく迫り上がってきた実包に押されてスライドがオープンホルドに似た形状のまま、作動を停止する現象だ。
 こうなれば工具を用いて分解して問題の除去に掛からねばトカレフの形をした文鎮だ。
 大野のトカレフがリオに投げつけられる。
 大野が後ろ腰から旧ソ連製のF1手榴弾を取り出し、安全ピンに指を掛けた。リオの動体視力からすれば止まっている蝿を叩き落とすに相当する簡単な作業……リオは躊躇せず引き金を引いた。
 手榴弾の安全ピンを持つ左手の人差し指を撃つ。
 大野の血走った眼が飛び出さんばかりに見開かれて尻餅を付いた。
 両手の指が健常で無くなった大野の胸に孔が開く。
 薄らと白い煙が立ち上る。防弾ベストだ。ケプラーの繊維が高速回転する9mmを停止させ、摩擦熱で周辺の複合繊維が焼けたのだ。ほどよくマッシュルーミングした弾頭は命中し辺りの繊維を巻き込み、開いた孔の周囲が盛り上がる。
 防弾ベストとはたった1.2発の拳銃弾から体内への銃弾の侵入を防ぐ代物であり、映画のように無敵の防御を発揮しない。それに衝撃は一切緩和されないので骨折や内蔵圧迫で臓器が破裂することもある。
 大野の場合は胸部でも堅牢な胸骨の真ん中に9mmシルバーチップホローポイントの軟らかい弾頭が命中したので命に別状はない。
 尻餅を着く前の着弾の衝撃で脳震盪でも起こしたのか、涎を垂らしたまま、大の字に仰向けに倒れる。
 気を失っている大野に近づくと両手の親指と小指を背中で掌同士を合わせ、持ち歩いている結束バンドで縛り上げ、手首も同様に結束バンドで縛る。
 最初から最後まで、見事に雑魚のリアクションを見せてくれた大野に拍手を送りたかった。
  ※ ※ ※
 その日の午後10時に会合が開始。
 3時間に及ぶ話し合いの末の投票で松島は一票を投じて役目を終えた。
 警護要員が全滅なのでリオを引き連れていたが、大野の口から割り出された松島暗殺を目論んだ内部の敵対勢力は投票権を剥奪され、不義のかどで組織は取り潰し。本江会本部からの上級幹部が派遣されて後任することが決まった。
 公安の鎮静に膨大な賄賂を使う羽目になった本江会本部は、松島に組長の資格無しとして破門を言い渡した。後任に同じく本江会本部から派遣される上級幹部が組長を務めることになった。
  ※ ※ ※
「結果としてあなたは全てを失いました」
「解ってるさ。だが、万々歳な幕引きだと思うがね」
 会議の翌日、美穂のマンションで遅い朝食を摂りながら松島は眉目を揉んで気が抜けきった欠伸をする。
 美穂を含めて3人はテーブルの席に着いて生温い空気を吸い込んでいた。
 リオは改めてこの甘々な思考しかしていない松島優志という男を真正面から見据えた。
 もしかしたら松島優志はこの幕引きに誘導させるためにリオを雇ったのかもしれない。
 そんな疑念さえ覚えた。



 全てのクライアントは100%生き延びたがっている。
 
 その心意気を大前提に『護り屋』を遂行する。
 目前で呑気な顔でコーヒーを啜る松島優志の警護は解約されたわけではない。

 本日を含め残り3日間の任務が待っている。

 万難を排しクライアントに暴力で安全を提供するのが京藤リオの仕事。
 生温く、居心地が良く、眠気さえ覚える空間で浸るのは性分じゃない。

 その甘い空間でさえ気配を手繰るのがリオ。

 『護り屋』京藤リオの仕事だ。

 そしてリオは自分に供されたコーヒーを一口啜っていい放つ。

「さて本日のご予定は? 足抜けヤクザ屋さん候補生?」
 悪戯っぽいリオの笑顔がひまわりのように眩しかった。

《愉しい余暇の作り方・了》
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