愉しい余暇の作り方
彼女は3度も裏切られた。
永い相棒になるであろうと大枚を叩いた自動拳銃に3度も裏切られた。
確かに45口径の停止力は魅力的だった……だが、それだけだ。
殺し屋でもカチコミ屋でもない彼女は命中精度よりも信頼性を優先してスプリングフィールドアーモリーの1911を最初の友として選んだ。
タマをばら蒔く機械としてしか認識していなかった。
結果として装弾数の少なさから何度もロスを突かれて被弾した。
暴力のレンタルリースを生業としていない彼女は次にパラオーディナンスP-14を選んだ。だが、しっかりと握り込むことができなかった。
銃を握る上で『保持すること』と『操作すること』と『発砲すること』と『握り込むこと』はそれぞれ別問題であることを知った。
私服に忍ばせるコンシールドとしても主眼に入れてデトニクスを選んだが、至近接では可動部位が多く、空薬莢が弾き出される方向も考えなければならないカットダウンモデルは帯に短し襷に長しという印象を受けた。
京藤リオ(きょうどう りお)はとうとう、自動拳銃という選択肢を捨てた。
尚早という意見も聞かずに、『それ』を選んだ。『それ』は選んでも……選べたとしても『入手できるか否かは別問題の珍品でしかなかった』。
心理学的には彼女の奥底のマチョズモが働いたからかもしれない。
※ ※ ※
薄い臙脂色をしたハーフコートを纏ったリオ。
172cmの長身。長い肢体を収めたスタイルは、ただ立ち尽くしているだけでもモデルとして雑誌の表紙を飾れるほどに整っている。
滑らかにやすり掛けしたような輪郭のラインにちりばめて、引き締まったパーツは流麗さを伺わせるが人形のような無欠性は感じられない。
シュシュで大雑把に束ねられたポニーテールと横咥えにしたやけに太いデミタスシェイプのシガリロがそこはかとなく獰猛な美女を演出しているからだ。
今年で27歳になる。拳銃を扱う――撃つ方の人間として――職業ではあったが、『護る側』の人間だった。だからといって必ずしも遵法精神溢れる法の番人というわけではない。寧ろ法の番人は天敵だ。
ヒールが限りなく低い、活動的な革靴の底をカツカツと鳴らしながら夜の繁華街を歩く。最近は一昔前ほど、けばけばしい彩りで道行く人を嘗めることもなくなった。これが節電が叫ばれる当代の流行りらしい。
路地裏に入る角にある、ショットバーに入ったのは午後10時だったと記憶している。
呑み屋を問わずこの界隈の商店で、宵の口の時間としては最も客の多い時間帯。
ドアを開けるなり目つきだけが鋭いバーテンダーがリオを一瞥する。明からさまに、困った客だ、としかめた眉目が語っていた。
「相変わらず客に良い態度をしないねぇ」
リオは空いているカウンターのストゥールに腰掛けるとハイネケンの瓶を頼む。
平凡中庸な容貌で目つきだけ、印象が悪いバーテンダーは変わらぬ視線でコースターと開栓したハイネケンをリオの前に置いた。
「アンタの煙草は臭いから客が嫌がるんだ」
バーテンダーは嫌味も隠さずに思いの丈を静かにリオに放つ。
「ほら、良くみてよ。火は点いてないでしょ? 客商売なんだからもう少し愛想良くしたら?」
苦笑い気味に肩を竦めて銜えていた機械巻きの葉巻――ヘンリーウインターマン・ハーフコロナ――をハイネケンの脇に無造作に置く。
サッと顔色の変わるバーテンダーだが、よくみるとセロファンから開封されていない新品だった。
「……アンタこそ相変わらず無意味な悪戯が好きだな」
賑わう店内では、二十歳を過ぎたばかりで酒の味がまだ理解できぬ若年層でごった返していた。
ショットバーという性質上、ここで飲み明かして管を巻く雰囲気ではない。景気づけの代わりに軽く一杯引っかけて体が温まってから盛り場へ本格的に繰り出す『入り口』みたいなものだ。
適度に客と接するために右往左往するバーテンダー。
カウンターの向こうには3人のバーテンと、15坪ほどの店内にはウエイトレスとウエイターが合計で3人居た。
営業を回転させるための人員としては多い方だが、時間帯がピークに近いのだからわざとこの時間だけ増やしているのだろう。
客は合計27人。リオからみてもションベン臭いガキの溜まり場と化していた。よく観察していると、誰しもが3杯以内のショットで店をでる。
「いい天気だね」
とリオ。
「いい天気だったね」
とバーテンダー。
リオは好物のハイネケンで頬をほんのりと桜色に上気させていたが、バーテンダーは先ほどから揶揄を続けるリオに対して血圧を上げていた。
1時間ほどして、店内のBGMがJ―POPのテクノアレンジに切り替わった時だ。
「『ルートビア有る?』」
左手の人差指をアンニュイに立ててバーテンダーに訊くリオ。
「『沖縄に行けば?』」
バーテンダーは空になったリオのハイネケンの瓶を手元に引き、結露の水分で役目を果たさなくなった紙製のコースターを取り替えた。
傍目に仲の悪いスタンスでもバーテンダーは彼なりに自分の仕事を果たしている。
「『ルートビアって言ったのに』」
「『それを飲んだら帰れ』」
終始、軽口のリオに飲食店の接客業にあるまじき台詞を吐くバーテンダー。
「『そうするよ』」
ただの冷水が入ったタンブラーが新しいコースターの上に置かれた。
一気に嚥下しても無味無臭。冷たいだけの水。
空になったタンブラーに嫌味がましく呑み代を小銭ばかりでジャラジャラと投入して、リオはストゥールを立つ。
『然りげなく、先ほどの新しいコースターをハーフコートのポケットに捩じ込む』。
店をでて表通りの人混みに紛れる素振りを見せ、ショットバーの角辻に有った路地裏への小路に体を滑り込ませる。
八重歯で機械巻き葉巻のセロファンを破りながら歩く。
店の裏手に着くころには機械巻き葉巻を銜えてジッポーで火を点けていた。
ステレオタイプなバーテンダーの衣装に私物と思われるフィールドコートに袖を通した先ほどのバーテンダーがビールケースに腰を掛けて待っていた。
「今度は面倒だぞ」
店内とは違った冷徹冷血な印象を受ける声色。
「『今度も』でしょ? 私の仕事に楽なものはないわよ」
リオはヒラヒラとポケットに捩じ込んだコースターを取り出して、振ってみせる。そのコースターに視線を向けて肩を竦める。
「世の中には身内も信用できない人が多くて助かるわ」
ヘボン式のローマ字を換字暗号で鉛筆で書いた文字列がびっしりと並んでいる。
古典的なシーザー暗号の上位版で、一見すると暗号文とは思えない。巫山戯た文字遊びにしか見えない。
「依頼は引き受ける。と?」
「んー。委細面談かな?」
「……今夜中にクライアントと連絡を取っておく」
バーテンダーはビールケースから腰を浮かせてリオに背中越しに言う。
「よろしくー」
バーテンダーが店内に戻るのを確認し、リオは肺まで吸い込んでいるのかと勘違いするほどに深く大きく葉巻を吸い込んだ。
葉巻がみるみる灰燼に帰していく。
次の瞬間にはリオの顔か半分が破裂したのかと思うような盛大な排煙だった。恐らく味も香りも解ったものではないだろう。
マニラ葉巻の紫煙が晴れた向こうにあるやや残念な美女の眉目は厳しく皺を刻んでいた。
永い相棒になるであろうと大枚を叩いた自動拳銃に3度も裏切られた。
確かに45口径の停止力は魅力的だった……だが、それだけだ。
殺し屋でもカチコミ屋でもない彼女は命中精度よりも信頼性を優先してスプリングフィールドアーモリーの1911を最初の友として選んだ。
タマをばら蒔く機械としてしか認識していなかった。
結果として装弾数の少なさから何度もロスを突かれて被弾した。
暴力のレンタルリースを生業としていない彼女は次にパラオーディナンスP-14を選んだ。だが、しっかりと握り込むことができなかった。
銃を握る上で『保持すること』と『操作すること』と『発砲すること』と『握り込むこと』はそれぞれ別問題であることを知った。
私服に忍ばせるコンシールドとしても主眼に入れてデトニクスを選んだが、至近接では可動部位が多く、空薬莢が弾き出される方向も考えなければならないカットダウンモデルは帯に短し襷に長しという印象を受けた。
京藤リオ(きょうどう りお)はとうとう、自動拳銃という選択肢を捨てた。
尚早という意見も聞かずに、『それ』を選んだ。『それ』は選んでも……選べたとしても『入手できるか否かは別問題の珍品でしかなかった』。
心理学的には彼女の奥底のマチョズモが働いたからかもしれない。
※ ※ ※
薄い臙脂色をしたハーフコートを纏ったリオ。
172cmの長身。長い肢体を収めたスタイルは、ただ立ち尽くしているだけでもモデルとして雑誌の表紙を飾れるほどに整っている。
滑らかにやすり掛けしたような輪郭のラインにちりばめて、引き締まったパーツは流麗さを伺わせるが人形のような無欠性は感じられない。
シュシュで大雑把に束ねられたポニーテールと横咥えにしたやけに太いデミタスシェイプのシガリロがそこはかとなく獰猛な美女を演出しているからだ。
今年で27歳になる。拳銃を扱う――撃つ方の人間として――職業ではあったが、『護る側』の人間だった。だからといって必ずしも遵法精神溢れる法の番人というわけではない。寧ろ法の番人は天敵だ。
ヒールが限りなく低い、活動的な革靴の底をカツカツと鳴らしながら夜の繁華街を歩く。最近は一昔前ほど、けばけばしい彩りで道行く人を嘗めることもなくなった。これが節電が叫ばれる当代の流行りらしい。
路地裏に入る角にある、ショットバーに入ったのは午後10時だったと記憶している。
呑み屋を問わずこの界隈の商店で、宵の口の時間としては最も客の多い時間帯。
ドアを開けるなり目つきだけが鋭いバーテンダーがリオを一瞥する。明からさまに、困った客だ、としかめた眉目が語っていた。
「相変わらず客に良い態度をしないねぇ」
リオは空いているカウンターのストゥールに腰掛けるとハイネケンの瓶を頼む。
平凡中庸な容貌で目つきだけ、印象が悪いバーテンダーは変わらぬ視線でコースターと開栓したハイネケンをリオの前に置いた。
「アンタの煙草は臭いから客が嫌がるんだ」
バーテンダーは嫌味も隠さずに思いの丈を静かにリオに放つ。
「ほら、良くみてよ。火は点いてないでしょ? 客商売なんだからもう少し愛想良くしたら?」
苦笑い気味に肩を竦めて銜えていた機械巻きの葉巻――ヘンリーウインターマン・ハーフコロナ――をハイネケンの脇に無造作に置く。
サッと顔色の変わるバーテンダーだが、よくみるとセロファンから開封されていない新品だった。
「……アンタこそ相変わらず無意味な悪戯が好きだな」
賑わう店内では、二十歳を過ぎたばかりで酒の味がまだ理解できぬ若年層でごった返していた。
ショットバーという性質上、ここで飲み明かして管を巻く雰囲気ではない。景気づけの代わりに軽く一杯引っかけて体が温まってから盛り場へ本格的に繰り出す『入り口』みたいなものだ。
適度に客と接するために右往左往するバーテンダー。
カウンターの向こうには3人のバーテンと、15坪ほどの店内にはウエイトレスとウエイターが合計で3人居た。
営業を回転させるための人員としては多い方だが、時間帯がピークに近いのだからわざとこの時間だけ増やしているのだろう。
客は合計27人。リオからみてもションベン臭いガキの溜まり場と化していた。よく観察していると、誰しもが3杯以内のショットで店をでる。
「いい天気だね」
とリオ。
「いい天気だったね」
とバーテンダー。
リオは好物のハイネケンで頬をほんのりと桜色に上気させていたが、バーテンダーは先ほどから揶揄を続けるリオに対して血圧を上げていた。
1時間ほどして、店内のBGMがJ―POPのテクノアレンジに切り替わった時だ。
「『ルートビア有る?』」
左手の人差指をアンニュイに立ててバーテンダーに訊くリオ。
「『沖縄に行けば?』」
バーテンダーは空になったリオのハイネケンの瓶を手元に引き、結露の水分で役目を果たさなくなった紙製のコースターを取り替えた。
傍目に仲の悪いスタンスでもバーテンダーは彼なりに自分の仕事を果たしている。
「『ルートビアって言ったのに』」
「『それを飲んだら帰れ』」
終始、軽口のリオに飲食店の接客業にあるまじき台詞を吐くバーテンダー。
「『そうするよ』」
ただの冷水が入ったタンブラーが新しいコースターの上に置かれた。
一気に嚥下しても無味無臭。冷たいだけの水。
空になったタンブラーに嫌味がましく呑み代を小銭ばかりでジャラジャラと投入して、リオはストゥールを立つ。
『然りげなく、先ほどの新しいコースターをハーフコートのポケットに捩じ込む』。
店をでて表通りの人混みに紛れる素振りを見せ、ショットバーの角辻に有った路地裏への小路に体を滑り込ませる。
八重歯で機械巻き葉巻のセロファンを破りながら歩く。
店の裏手に着くころには機械巻き葉巻を銜えてジッポーで火を点けていた。
ステレオタイプなバーテンダーの衣装に私物と思われるフィールドコートに袖を通した先ほどのバーテンダーがビールケースに腰を掛けて待っていた。
「今度は面倒だぞ」
店内とは違った冷徹冷血な印象を受ける声色。
「『今度も』でしょ? 私の仕事に楽なものはないわよ」
リオはヒラヒラとポケットに捩じ込んだコースターを取り出して、振ってみせる。そのコースターに視線を向けて肩を竦める。
「世の中には身内も信用できない人が多くて助かるわ」
ヘボン式のローマ字を換字暗号で鉛筆で書いた文字列がびっしりと並んでいる。
古典的なシーザー暗号の上位版で、一見すると暗号文とは思えない。巫山戯た文字遊びにしか見えない。
「依頼は引き受ける。と?」
「んー。委細面談かな?」
「……今夜中にクライアントと連絡を取っておく」
バーテンダーはビールケースから腰を浮かせてリオに背中越しに言う。
「よろしくー」
バーテンダーが店内に戻るのを確認し、リオは肺まで吸い込んでいるのかと勘違いするほどに深く大きく葉巻を吸い込んだ。
葉巻がみるみる灰燼に帰していく。
次の瞬間にはリオの顔か半分が破裂したのかと思うような盛大な排煙だった。恐らく味も香りも解ったものではないだろう。
マニラ葉巻の紫煙が晴れた向こうにあるやや残念な美女の眉目は厳しく皺を刻んでいた。
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