EVICTORS
「来た!」
イオリが小紅の方を向かずに小紅に対して絶叫で報告する。
幅2m前後5mはある長い廊下が『歪む』。人間が視れば視覚的な錯覚だと勘違いする見事なエフェクト。
実際は……本当に歪んでいる。
薄汚れた白い漆喰の壁に艶消しのペンキが走るように黒い何かが覆い隠す。
影。……窓から昼下がりの陽光が差しているというのに、まるで『直射日光が当っていない部分は夜のように暗闇に染まる』。
――――足場が!
――――崩れる!
――――敵の中に『呑まれる』!
先ほど、イオリが体験したであろう何者かに手足を引っ張られる感覚が小紅を襲う。
引き摺り込まれる方向は大きく波打つ床板の隙間。『何かがこちらを窺っている』のが解る。……床板の隙間のそれと『眼が合っている』のだから。
床板の隙間に見え隠れする無数の眼球。瞬きもする。恨めしい目つきもする。飢えた獣のように血走った眼もある。
咄嗟に【ヘルガ】を床に発砲する。
たったの1発だったが、大きく開いた床板の隙間に埋もれつつあった足首を引き上げるのに充分だった。
床に穿った弾痕から血飛沫が散る。無秩序に小さく跳ねる空薬莢。……恐らく、ダメージは与えている。
熱を帯びた空薬莢が熱くて人間が両方の掌で焼け石を転がすように『空薬莢を熱がっている』。
悲鳴や罵声が聞こえてきそうな闇。死ぬに到らない銃弾に撃たれて悶絶し、熱い空薬莢を押し付けられて火傷を負う仕草は人間臭くて小紅の緊張した頬が引きつりながらも綻ぶ。
一方イオリは鉈鎌を武芸の一端をみせながら振り回し、内装を破壊しながら手足に纏わり付く見えない何かを刃で払っていた。
「小紅さん! 来ます!」
「もっと具体的に!」
美縁の警告に小紅は左手で予備弾倉を用意しながら短く聞く。
「小紅さんの後ろ! 大き目の『絵の具』です!」
「!」
間髪入れず、碌に背後も確認せずに【ヘルガ】の銃口だけを左腋下から突き出して発砲する。
排莢口から噴出する熱いガスの直撃を避けるために顔を不自然な方向へ向ける。左腋下に空薬莢が当たる感触を得る。
銃弾は違わず……否、廊下一面を殆ど覆い隠す大きな不定形の靄に命中する。標的が大き過ぎて、これなら目を閉じていても命中する。
撃たれた大きな靄は表面の色調を黒や灰色に変色させて球形のガスを思わせる輪郭のはっきりしない形状で後退を始めた。
まるで太腿や腹部を撃たれて重傷を負いながら逃げようとする息遣いが感じられた。それも当たり前で、これが【ヘルガ】のいくつかある『最大の能力の一つ』だ。
実包という媒介があれば、相手の姿形大きさに関わらず、決して楽に死ねない不必要な苦痛を与える。人間だろうが動植物だろうが人外だろうが関係なしだ。
そして【ヘルガ】のいくつかある『最大の能力の一つ』……【ヘルガ】に撃たれた相手の心身の苦痛を脳内麻薬に変換して使用者に伝える。
「……」
慣れた感覚とはいえ、辛い。
小紅は唇の端を噛んだ。
自分が撃たれたのでもないのに、腹に焼け火箸を突っ込まれた気分になり、不快だ。痛みは全くないが、性欲を刺激する中枢神経に火がくべられたように胎が静かに疼く。
【ヘルガ】の歴代の使用者はこのように凶銃の異界の能力に中てられ最後には自分の頭を弾く狂気に呑み込まれる。
人外とはいえ、人間と何ら変わらない身体能力の小紅にはキツイ洗礼だ。撃てば撃つほど、ショーツのクロッチが滴るほどの性的快楽に呑み込まれそうになる。
どのような対象にでも気軽に抵抗できる頼もしい仲間の【ヘルガ】だが、【ヘルガ】自身に明確な意思はない。
使用者に他者を傷付けることで湧き出る、どんな感情もどんな小さな変化も性的快楽に変換して提供する。
それも運動神経や反射神経に作用する直前の、使用者が耐えられるギリギリの興奮しか与えない。使用者が判断や操作のミスで死んでしまえば、アイデンティティの一つに相当する『性的興奮を与える』という行動ができないからだ。
標的の活動するエネルギーが大きければ大きいほど、射手に伝わる快楽は大きい。
エネルギー。
生命だろうと非生命だろうと。
倫理的に定義される生命であろうとなかろうと。
若しも万物の創造主に相当する存在を標的としたとき、小紅はただの色ボケした牝犬に成り下がらないという自信はない。
「小紅さん! しっかり!」
美縁が尻ポケットでバイブ機能を用いて警告するが、全身が性感帯になっている今の小紅には刺激が強い。
「ひゃん!」
可愛らしい声を挙げて白い喉を仰け反らせる小紅。
「あーあー。デキ上がっちゃって……でも、本体か、それに近いモノに命中させたみたいね」
イオリが時折、影から射出される五寸釘を打ち落としながら軽口を叩く。
「……うん。『大きいね』。少なくとも土地神様じゃないみたい」
イオリがステップを踏むように小刻みに場所を移動しながら相変わらずの破壊活動。
イオリの『小癪な解体工事』が癇に障ったのだろうか? 敵本体と思われるモノが目前にでてきて尚且つ、【ヘルガ】の餌食になったのだ。逃げたところで長くは生きられまい。……逃げられればの話しだが。
頬を桃色に上気させて【ヘルガ】の愛に耐える小紅の目前で形をなさない『何か』が相変わらずガス状の球形を保って緩慢な移動を続けている。
「美縁。通訳して」
「はい!」
ダブルハンドで構えて僅かにウイーバースタンスを作りながら【ヘルガ】の銃口を下げ気味に、小紅は喋り出した。
「あなたは? 殺すとか滅するとか消すとかっていう敵意はないの。人に害をなさないのならね。あなたは何モノ?」
「小紅さん……駄目です。言葉は通じていますが、こちらと会話するつもりは無いようです」
「……名前が知りたいわ。『人間の敵かどうかもね』。返答次第では今直ぐ『調伏』よ」
「解りました」
しばらく美縁が沈黙した。相変わらずイオリはドアを蹴破り、柱を折り、床板を剥がしていた。その解体作業から発生する塵と埃の酷さに小紅は少し顔をしかめた。
「小紅さん。少し強引ですが、相手の思考に割り込んで情報を引き出しました」
それを聞いた小紅は顔色を青く変えた。
「バカっ! 相手に呑まれたらどうするの! 危ないでしょ!」
「ですが、それが最短で最善かと……」
片眉を吊り上げた小紅は口先を尖らせて会話を急いだ。
「で、相手は何て?」
「名前は【槍手婆あ】の縞夜(しまや)。土着の人外ではありませんね」
「遣り手婆あってくらいだから、女衒か何か?」
「はい。元は遊郭の女衒だったのですが、武士に斬られて野晒しにされていたらしいです。それを憐れに思った上人様がこの近くのお寺まで運んで埋葬したとか……」
「……それって大分昔の話のでしょう?」
「多分。記憶の断片を『洗い』ましたが……」
「どうしたの?」
美縁は明瞭でないデータを検索しているように言葉を濁した。
「遣り手婆あが【槍手婆あ】になった理由ですよ」
「ビックリなエピソードでも?」
「埋葬されても成仏できずに彷徨って、この近くに丑の刻参りにやってくる女性の参り人ばかり『検めていた』らしいです」
「女衒の性って奴?」
イオリが小紅の方を向かずに小紅に対して絶叫で報告する。
幅2m前後5mはある長い廊下が『歪む』。人間が視れば視覚的な錯覚だと勘違いする見事なエフェクト。
実際は……本当に歪んでいる。
薄汚れた白い漆喰の壁に艶消しのペンキが走るように黒い何かが覆い隠す。
影。……窓から昼下がりの陽光が差しているというのに、まるで『直射日光が当っていない部分は夜のように暗闇に染まる』。
――――足場が!
――――崩れる!
――――敵の中に『呑まれる』!
先ほど、イオリが体験したであろう何者かに手足を引っ張られる感覚が小紅を襲う。
引き摺り込まれる方向は大きく波打つ床板の隙間。『何かがこちらを窺っている』のが解る。……床板の隙間のそれと『眼が合っている』のだから。
床板の隙間に見え隠れする無数の眼球。瞬きもする。恨めしい目つきもする。飢えた獣のように血走った眼もある。
咄嗟に【ヘルガ】を床に発砲する。
たったの1発だったが、大きく開いた床板の隙間に埋もれつつあった足首を引き上げるのに充分だった。
床に穿った弾痕から血飛沫が散る。無秩序に小さく跳ねる空薬莢。……恐らく、ダメージは与えている。
熱を帯びた空薬莢が熱くて人間が両方の掌で焼け石を転がすように『空薬莢を熱がっている』。
悲鳴や罵声が聞こえてきそうな闇。死ぬに到らない銃弾に撃たれて悶絶し、熱い空薬莢を押し付けられて火傷を負う仕草は人間臭くて小紅の緊張した頬が引きつりながらも綻ぶ。
一方イオリは鉈鎌を武芸の一端をみせながら振り回し、内装を破壊しながら手足に纏わり付く見えない何かを刃で払っていた。
「小紅さん! 来ます!」
「もっと具体的に!」
美縁の警告に小紅は左手で予備弾倉を用意しながら短く聞く。
「小紅さんの後ろ! 大き目の『絵の具』です!」
「!」
間髪入れず、碌に背後も確認せずに【ヘルガ】の銃口だけを左腋下から突き出して発砲する。
排莢口から噴出する熱いガスの直撃を避けるために顔を不自然な方向へ向ける。左腋下に空薬莢が当たる感触を得る。
銃弾は違わず……否、廊下一面を殆ど覆い隠す大きな不定形の靄に命中する。標的が大き過ぎて、これなら目を閉じていても命中する。
撃たれた大きな靄は表面の色調を黒や灰色に変色させて球形のガスを思わせる輪郭のはっきりしない形状で後退を始めた。
まるで太腿や腹部を撃たれて重傷を負いながら逃げようとする息遣いが感じられた。それも当たり前で、これが【ヘルガ】のいくつかある『最大の能力の一つ』だ。
実包という媒介があれば、相手の姿形大きさに関わらず、決して楽に死ねない不必要な苦痛を与える。人間だろうが動植物だろうが人外だろうが関係なしだ。
そして【ヘルガ】のいくつかある『最大の能力の一つ』……【ヘルガ】に撃たれた相手の心身の苦痛を脳内麻薬に変換して使用者に伝える。
「……」
慣れた感覚とはいえ、辛い。
小紅は唇の端を噛んだ。
自分が撃たれたのでもないのに、腹に焼け火箸を突っ込まれた気分になり、不快だ。痛みは全くないが、性欲を刺激する中枢神経に火がくべられたように胎が静かに疼く。
【ヘルガ】の歴代の使用者はこのように凶銃の異界の能力に中てられ最後には自分の頭を弾く狂気に呑み込まれる。
人外とはいえ、人間と何ら変わらない身体能力の小紅にはキツイ洗礼だ。撃てば撃つほど、ショーツのクロッチが滴るほどの性的快楽に呑み込まれそうになる。
どのような対象にでも気軽に抵抗できる頼もしい仲間の【ヘルガ】だが、【ヘルガ】自身に明確な意思はない。
使用者に他者を傷付けることで湧き出る、どんな感情もどんな小さな変化も性的快楽に変換して提供する。
それも運動神経や反射神経に作用する直前の、使用者が耐えられるギリギリの興奮しか与えない。使用者が判断や操作のミスで死んでしまえば、アイデンティティの一つに相当する『性的興奮を与える』という行動ができないからだ。
標的の活動するエネルギーが大きければ大きいほど、射手に伝わる快楽は大きい。
エネルギー。
生命だろうと非生命だろうと。
倫理的に定義される生命であろうとなかろうと。
若しも万物の創造主に相当する存在を標的としたとき、小紅はただの色ボケした牝犬に成り下がらないという自信はない。
「小紅さん! しっかり!」
美縁が尻ポケットでバイブ機能を用いて警告するが、全身が性感帯になっている今の小紅には刺激が強い。
「ひゃん!」
可愛らしい声を挙げて白い喉を仰け反らせる小紅。
「あーあー。デキ上がっちゃって……でも、本体か、それに近いモノに命中させたみたいね」
イオリが時折、影から射出される五寸釘を打ち落としながら軽口を叩く。
「……うん。『大きいね』。少なくとも土地神様じゃないみたい」
イオリがステップを踏むように小刻みに場所を移動しながら相変わらずの破壊活動。
イオリの『小癪な解体工事』が癇に障ったのだろうか? 敵本体と思われるモノが目前にでてきて尚且つ、【ヘルガ】の餌食になったのだ。逃げたところで長くは生きられまい。……逃げられればの話しだが。
頬を桃色に上気させて【ヘルガ】の愛に耐える小紅の目前で形をなさない『何か』が相変わらずガス状の球形を保って緩慢な移動を続けている。
「美縁。通訳して」
「はい!」
ダブルハンドで構えて僅かにウイーバースタンスを作りながら【ヘルガ】の銃口を下げ気味に、小紅は喋り出した。
「あなたは? 殺すとか滅するとか消すとかっていう敵意はないの。人に害をなさないのならね。あなたは何モノ?」
「小紅さん……駄目です。言葉は通じていますが、こちらと会話するつもりは無いようです」
「……名前が知りたいわ。『人間の敵かどうかもね』。返答次第では今直ぐ『調伏』よ」
「解りました」
しばらく美縁が沈黙した。相変わらずイオリはドアを蹴破り、柱を折り、床板を剥がしていた。その解体作業から発生する塵と埃の酷さに小紅は少し顔をしかめた。
「小紅さん。少し強引ですが、相手の思考に割り込んで情報を引き出しました」
それを聞いた小紅は顔色を青く変えた。
「バカっ! 相手に呑まれたらどうするの! 危ないでしょ!」
「ですが、それが最短で最善かと……」
片眉を吊り上げた小紅は口先を尖らせて会話を急いだ。
「で、相手は何て?」
「名前は【槍手婆あ】の縞夜(しまや)。土着の人外ではありませんね」
「遣り手婆あってくらいだから、女衒か何か?」
「はい。元は遊郭の女衒だったのですが、武士に斬られて野晒しにされていたらしいです。それを憐れに思った上人様がこの近くのお寺まで運んで埋葬したとか……」
「……それって大分昔の話のでしょう?」
「多分。記憶の断片を『洗い』ましたが……」
「どうしたの?」
美縁は明瞭でないデータを検索しているように言葉を濁した。
「遣り手婆あが【槍手婆あ】になった理由ですよ」
「ビックリなエピソードでも?」
「埋葬されても成仏できずに彷徨って、この近くに丑の刻参りにやってくる女性の参り人ばかり『検めていた』らしいです」
「女衒の性って奴?」