EVICTORS

 その『当面の天敵』である香具師ヶ峰警部からの入電ともなれば任務以外の何ものでもない。
 仏教用語で小難しく調伏とはいっているが、結局人間を守るために同類の反感を買う仕事を押しつけられるのだ。
  ※ ※ ※
 軍隊でいえば作戦部と情報部の両方を一度にこなす流動的なチーム。それが高野小紅班を始めとする特殊警務二課の各チーム。
 警察組織らしく捜査本部は立ち上げられない。ことの本質は捜査ではなく、『鎮圧』なのだ。
 可愛らしいニューナンブより10番口径マグナムのロードブロックが必要な部署だ。人間の法的枠外で人間に徒をなす存在を速やかに『説得・始末』するのが目的である。捜査の概念が通じないのは当たり前だ。
「だから……なのよねぇ」
 小紅が到着するなりうんざりした表情で切り株に腰を掛けた。
「小紅さん! 大変です! 圏外です!」
 何時ものジーンズパンツの尻ポケットから電子音声で美縁が状況を裏切らない報告をする。
 山間部よりはやや山奥。
 過疎集落をバスで抜けて大型ナップザックを肩に掛けてやって来たそこは建築意図が解らない洋館。
 見た目が洋館なのは解る。恐らく10年以上は使用されていない廃屋同然の建築物。
 ここにこれだけの建物を建てるのであれば普通は大型山荘だと相場が決まってそうなのにわざわざ瀟洒な造りの洋館を建てた理由が解らない。
「ま、いつものことだけどね」
 小紅はナップザックから魔法瓶を取り出して氷水を一口呷る。
 色々な意味でいつものこと。
 こんなところにこんな建物が、なぜ? どうして?
 面倒臭そうなのが出てきそう。
 相変わらず孤立無援。
 古い土着神でありませんように、と願う。
――――ま、いつものことだけどね。
 小紅は楽しいハイキングを装ってはいるが、紅葉が美しい風景を愛でるつもりもないし麗かな午後の一時に休憩を兼ねたスナップ撮影に洒落込む気もない。
 斥候に出たイオリが戻るのを待つだけだ。
 相手が人外なのは解りきっている。こうして敵意を剥き出しにしているかもしれない人外の縄張りで、それも本拠地と思しき洋館の前で一服吐く行為自体が『常識で考えれば常識外れ』だ。
 勝つか負けるか解らないが、取り敢えず全員突撃……かつての旧軍は古い体制から、この逐次投入作戦を頑なに守り続けていたずらに兵力を磨り潰してきたわけだが、現代に於いては特殊警務二課では常套的な作戦らしい。
 それを無策だと憤慨するのは簡単だが、実際に策を弄するだけ無駄なのだ。……理由は簡単。相手は人間ではないからだ。
 数々の舞台で脚色される活劇的ヴァン・ヘルシングさながらに突撃するのが任務。
 この方法で今まで生き延びてこられた理由は、必ずしも害悪を撒き散らす存在が敵だとは限らないからだ。
 人間に対して中立や好意的だが安穏な生活を送りたいがために、山奥や無人島に引き篭もる人外も多い。
 警察組織内での人外の扱いは『人外は全て悪い存在であることが大前提』に規則が組み立てられる。弱みを掴まれたり言い包められると途端に人間の下僕として使役される。悲しいかな、人外を欺瞞して、交渉して、契約して人間の配下に置くのも小紅たちの仕事だ。
「駄目ね。『視えない』わ。中に『居る』けど、数やタイプも解らない」
 無防備にも洋館の向かって左側から歩いて現れるイオリ。
 手にはホームセンターで売られている鉈鎌を握っているが、交戦直後の形跡は見られない。
 洋館。ゲートも壁も無く、建物だけが開けた平地に建てられているだけの『何の変哲もない2階建ての廃屋』。
「……『敵を視ている感覚』は?」
「ううん。それも解んない。まだ思念体レベルじゃない?」
「空間限定型とか?」
「私もそう思って、リスや山ネズミを潜入させたけど……」
「何も無かった?」
「うん」
 香具師ヶ峰警部からの指令は単純明快だった。
 県境の廃屋に巣食う人外を『処置』してこい、だ。
 その存在は、悪いとも良いともいっていない。何ものかも解らない人外と接触して『問題を解決してこい』だ。
 『問題が起きている事実の有無』は関係ない。全ての人外は人間に服従するか国外に出て行くかのどちらかを迫る。交渉の余地があれば穏便にカタがつくが、逆鱗に触れれば即座に同類同士で殺し合いだ。
 できるものなら波風立てずに『人畜無害』だと報告して『観察処分』相当で解決したい。……ゆくゆくは人間に使い潰されるのだろうが。
「それにしても」
 小紅は過ごしやすい陽日を仰ぎ見てまた一口、魔法瓶を呷った。それをイオリに差し出して呟く。
「こんなときでも良い天気なんて……ああ、偉大なるご先祖様の御力の数億分の1でも私に具わっていれば」
 意味ありげな台詞の割りにいつもの眠そうな顔。警察組織の走狗らしい精悍な輝きはない。悪い表現を敢えて用いれば、死んだ魚の眼がピッタリだ。
「?」
 ポツリ。
 太陽を仰ぎ見る小紅の鼻の頭に小さな水滴。
 天気雨だ。
「やったね小紅ー。数億分の1の力が発揮できたよ!」
 イオリが悪戯っぽく笑う。
 にへら。小紅も不細工な笑顔を浮かべる。
 何がそんなに楽しいのか、2人は本当に遠足に来た小学生のように笑いながら、ザックから100円均一で買った雨合羽を取り出し、無邪気に笑いながらセカセカと着る。
 敵地のど真ん中かも知れぬ死地で、次の瞬間に絶命しているかも知れぬ危険地帯でふざけ合いながら雨合羽をまとう。
「!」
「……」
 矢張り、次の瞬間だった。
 2人は一斉に構える。
 小紅はズボンのベルトに提げていた山菜掘りナイフを抜き、イオリは鉈鎌を薙刀でも構えるかのようなスタンスで右半身になる。
「……ねぇ」
「うん……」
「どう思う?」
「誘われてるのかしら?」
 小紅に「どう思う?」と聞かれても当たり障りのない返答しかできないイオリ。
 洋館の表玄関の大きな観音開きの扉――塗装が剥げて地板が風雨に変色している――が油の切れた不快な音を立てて開く。
 その奥の陽の光が乏しい空間に手招きされている錯覚がする。
 辺りは奇妙な雨。狐雨というには日差しの中、驟雨。2人の雨合羽を雨粒が叩く。さも、雨に濡れたくなかったら洋館の中で雨宿りしていきなさいな。というニュアンスにも感じられる。
「来いって……いってるんでしょうねぇ」
「コーヒーでも出してくれるのかな?」
「あ、私、コーヒーフロートがいいなぁ」
「私、モカブレンド。美味しいケーキが出たら嬉しいな」
 軽い口調の普通の会話。
 だが。
 小紅は山菜掘りナイフを逆手に持って身を屈めて前進。ザックは放り出す。
 イオリも倣って歩く。鉈鎌の柄の後端を左手で握り、鉈鎌の峰に右手の指を添える。
 安物の雨合羽を浸透する雨の不快感を一切無視して、2人は警戒しながら全開の表玄関に近付く。各窓から差し込む日差しだけが心許ない光源を何とか確保していた。
 張り詰めた空気にあてられたのか心臓が半鐘のように五月蝿い。鼓動のお陰で自分の全てをモールス信号で発信しているような錯覚。
 フロントを務めるイオリの顔色がサッと蒼く変わる。
 玄関から2歩ほど侵入したところで鉈鎌の峰に沿って伸ばしていた右手首が何者かに掴まれ、そのまま洋館の内部に引き摺り込まれる。
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