EVICTORS
……小紅には「その力は使っちゃ駄目。人間に悪用されるよ」と釘を刺されている。
以来、文字通りに『電子の妖精』と化して画面の向こうから小紅をサポートする、『外見20代前半の童顔の女』……【下下抜入】の美縁は呪うことも祟ることもその能力を削除したかのように無害になった。
もう1人の住人。1人と数えるより一柱と数えた方が正しい。
小紅が【ヘルガ】と呼ぶ自動拳銃だ。
戦前に製造された初期ロットの94年式拳銃の容をなした『つくも神』。
永く大事に扱われたことから魂が宿り人間の世界に顕現した霊験灼たかな、神聖な『九十九神』……ではない。断じてない。くどいが決してそのような清浄な御魂が宿った現の姿ではない。
もっと暗く。もっと赤く。もっと深く。もっと忌まわしい。……残忍、残虐、冷酷、冷血、非情。この世界の全ての言語で表現できる貶し文句を並べても未だ足りない。
『九十九神』ではなく『付喪神』とあてるに足るだろうか?
それも忌避されるニュアンスを含む全ての憎悪を吸収して産み出されるべくして産まれた『付喪神』。
皇紀2594年(1934年。昭和9年)に旧陸軍に準式採用拳銃として採用される。
この頃始まった軍部の遣独駐留大使の将校がドイツ軍将校への手土産として『設計思想が純国産』の94年式拳銃を鼻息高くドイツへ持参した。1本の収納弾倉と8本の予備弾倉にもワーグナーのワルキューレの騎行に肖って戦乙女の9人姉妹の名前を金色の文字でエッチングしてある。
日独防共協定が締結される約2年前の話である。
山の様な8mm南部と共に携えて手渡したものの、極東の珍品以上の扱いはされずに長く埃を被っていた。
何しろコッキングすれば安全装置は役に立たないという欠点が、安全思考で固められた拳銃に慣れたドイツ軍将校には奇異なものを見る以上に使い道がなかったのだ。
「こんな物は危なっかしくて撃つ気にもなれぬ」と盟友の土産の捨て場所に困っていた頃、時代は既に大きく動いていた。
1939年。ブッヒェンワルト収容所の女囚看守長マルガレーテ・イルゼ・コッホの手中に94年式拳銃が有った。
『ブッヒェンワルトの魔女』として悪名高い彼女は、旦那の親衛隊将校にして収容所所長のカール・コッホが友人から貰ったという94年式拳銃を自らの残虐思考を満たす道具として用いていた。
女色家で色情狂でサディストのイルザは普段から地位を利用して女囚に対してサディズム溢れる虐待で性的興奮を得ていた。
絶食させた大型訓練犬を女囚と一緒に独房に放り込んだり、胸や尻の肉をサーベルで削ぎ落と、手足を縛ってドブネズミの巣窟に放り込んで絶叫を愉しんでいた。
その中で、94年式拳銃は32口径より強力だが9mmパラベラムより殺傷に足りない8mm南部弾の威力と小柄な彼女でも扱い易い重量とグリッピングで何かと、女囚に向かって引き金を引いていた。
腹に命中させても即座に死に到らない致死率。
安全装置の有無は元から関係なかった。実包を薬室に送り込めば弾倉が空になるまで撃ち続けるのだから。
苦悶の表情に固まる大量の女囚が毎晩、焚殺場に放り込まれた。
頭蓋に撃ち込んでも弾頭は頭蓋にへばり付き、被害者は鞭を打たれて立ち上がる事を強制される。
肝臓や腎臓などの人体的急所を狙っても苦悶を与えるだけで簡単に死なない。
計画的処分が決定した女囚を庭に放ってプリンキングの標的にした。
戦闘や護身で使われたことは皆無。イルザの職務中の写真にはワルサーPPのホルスターが写り込んでいたが、中身は怪しい所だ。
イルザが94式拳銃用拳銃嚢を元に専用ホルスターを作らせるほど、94年式拳銃に愛着を感じていたとは考え難い。
彼女にとって94年式拳銃は私的拷問道具であって装備ではない。
一説によれば8mm南部が底を突かなかったのはカール・コッホの上司のハインリヒ・ヒムラー名義で定期的に日本軍遣独交流大使に弾薬と交換部品を送らせていたとか。
夫のカールと共に背任行為で当局に逮捕され投獄されるが、証拠不十分でイルザは釈放となる。夫は1945年に処刑された。
敗戦後には武装解除令を受けてイルザの手元を離れた94年式拳銃。
残念なことに、その時には、94年式拳銃には……。自我にも似た意識があった。
あらゆる『可能性が否定出来ない』現象。
第三帝国の敗戦間近に94年式拳銃には既に古代遺産協会(オカルト局)がナチスお抱え魔術師グラシェナーが書いたとされる魔導書の一篇が掘り込まれていた等の謂れがあるが、兎も角、溶鉱炉に放り込もうが圧潰器に掛けようが、一度は姿を消すが必ず、当代の所持者の元に『帰って来る』のだ。手放した当時の姿で。
……部品毎に分解して分散して処分しても必ず、翌日には所持者の目前で『誰かがそこに置いたように』存在している。
壊れず。劣らず。汚れず。
欧州の端から極東の島国に渡るまでの数十年間でたった1挺の拳銃が5000とも10000ともいわれる命を吹き消してきた。明らかに尾ひれが付いた不自然な数。……その尾ひれを完全否定できない根拠があるだけに、研究者はおののく。
やがて敗戦するドイツのどこに、敗色が濃い日本のどこに、それだけの弾薬を遣り取りする余裕があるのだ。
それだけの弾薬を発砲していながら一切の不具合を起さないのは事故を報告するのを隠匿する何かが働いたからではないか?
具体的な書面も非公式な申請も、何もかもが不思議としか片付けられない。
その後も管理者が謎の自殺で94年式拳銃は持ち主を転々とするが、ある時はカンヌシと名乗り、またある時はオンミョウジを名乗る日本の神職者に引き取られてからは所在不明。
日本人に渡したのは厄介払いのつもりだったのかも知れない。
……これで疫病神は去った。はずだが……。
現在は、日本に里帰りして司法警察の一端で『現役』だ。
当代管理人の高野小紅はこう語る。
「不思議なんだ……どんな敵も致命傷にはならないんだ。踏み潰すだけで死ぬネズミみたいに小さな人外でも、象より大きな人外でも、影や霊体みたいに『実体』が無くても、弱点に命中させても『まるで成人男性に8mm南部クラスの銃弾を撃ち込んだように』死ぬような死なないようなダメージしか与えないんだ。だから人外を仕留めたかったら2発は叩き込まなきゃ駄目。【ヘルガ】はコストが悪いんだ。山菜掘りナイフに欺瞞して貰った『有り難い聖剣』がないと銃弾の無駄使いになることが多いね。あ、でも相手が『子供のように』弱い生命力なら1発で仕留められる場合も有るね。……撃つ相手の強さを見極めないと【ヘルガ】は使えない。……え? 【ヘルガ】? ああ。分解したときに右のグリップパネルを裏返したらアチラの言葉で『ヘルガよりアリーへ』って白いインクで書いてあったから【ヘルガ】って呼んでる。コイツもその名前で呼ばれて臍を曲げないから【ヘルガ】なんだろうね……? 言葉? んー。何となく頭に響く感じ? そんなので解る気がする。クリーニングしてやると艶っぽい声出すし、呑み屋で置き忘れてきたらプンスカ怒るし……全部、『何と無く』だけどね」
以来、文字通りに『電子の妖精』と化して画面の向こうから小紅をサポートする、『外見20代前半の童顔の女』……【下下抜入】の美縁は呪うことも祟ることもその能力を削除したかのように無害になった。
もう1人の住人。1人と数えるより一柱と数えた方が正しい。
小紅が【ヘルガ】と呼ぶ自動拳銃だ。
戦前に製造された初期ロットの94年式拳銃の容をなした『つくも神』。
永く大事に扱われたことから魂が宿り人間の世界に顕現した霊験灼たかな、神聖な『九十九神』……ではない。断じてない。くどいが決してそのような清浄な御魂が宿った現の姿ではない。
もっと暗く。もっと赤く。もっと深く。もっと忌まわしい。……残忍、残虐、冷酷、冷血、非情。この世界の全ての言語で表現できる貶し文句を並べても未だ足りない。
『九十九神』ではなく『付喪神』とあてるに足るだろうか?
それも忌避されるニュアンスを含む全ての憎悪を吸収して産み出されるべくして産まれた『付喪神』。
皇紀2594年(1934年。昭和9年)に旧陸軍に準式採用拳銃として採用される。
この頃始まった軍部の遣独駐留大使の将校がドイツ軍将校への手土産として『設計思想が純国産』の94年式拳銃を鼻息高くドイツへ持参した。1本の収納弾倉と8本の予備弾倉にもワーグナーのワルキューレの騎行に肖って戦乙女の9人姉妹の名前を金色の文字でエッチングしてある。
日独防共協定が締結される約2年前の話である。
山の様な8mm南部と共に携えて手渡したものの、極東の珍品以上の扱いはされずに長く埃を被っていた。
何しろコッキングすれば安全装置は役に立たないという欠点が、安全思考で固められた拳銃に慣れたドイツ軍将校には奇異なものを見る以上に使い道がなかったのだ。
「こんな物は危なっかしくて撃つ気にもなれぬ」と盟友の土産の捨て場所に困っていた頃、時代は既に大きく動いていた。
1939年。ブッヒェンワルト収容所の女囚看守長マルガレーテ・イルゼ・コッホの手中に94年式拳銃が有った。
『ブッヒェンワルトの魔女』として悪名高い彼女は、旦那の親衛隊将校にして収容所所長のカール・コッホが友人から貰ったという94年式拳銃を自らの残虐思考を満たす道具として用いていた。
女色家で色情狂でサディストのイルザは普段から地位を利用して女囚に対してサディズム溢れる虐待で性的興奮を得ていた。
絶食させた大型訓練犬を女囚と一緒に独房に放り込んだり、胸や尻の肉をサーベルで削ぎ落と、手足を縛ってドブネズミの巣窟に放り込んで絶叫を愉しんでいた。
その中で、94年式拳銃は32口径より強力だが9mmパラベラムより殺傷に足りない8mm南部弾の威力と小柄な彼女でも扱い易い重量とグリッピングで何かと、女囚に向かって引き金を引いていた。
腹に命中させても即座に死に到らない致死率。
安全装置の有無は元から関係なかった。実包を薬室に送り込めば弾倉が空になるまで撃ち続けるのだから。
苦悶の表情に固まる大量の女囚が毎晩、焚殺場に放り込まれた。
頭蓋に撃ち込んでも弾頭は頭蓋にへばり付き、被害者は鞭を打たれて立ち上がる事を強制される。
肝臓や腎臓などの人体的急所を狙っても苦悶を与えるだけで簡単に死なない。
計画的処分が決定した女囚を庭に放ってプリンキングの標的にした。
戦闘や護身で使われたことは皆無。イルザの職務中の写真にはワルサーPPのホルスターが写り込んでいたが、中身は怪しい所だ。
イルザが94式拳銃用拳銃嚢を元に専用ホルスターを作らせるほど、94年式拳銃に愛着を感じていたとは考え難い。
彼女にとって94年式拳銃は私的拷問道具であって装備ではない。
一説によれば8mm南部が底を突かなかったのはカール・コッホの上司のハインリヒ・ヒムラー名義で定期的に日本軍遣独交流大使に弾薬と交換部品を送らせていたとか。
夫のカールと共に背任行為で当局に逮捕され投獄されるが、証拠不十分でイルザは釈放となる。夫は1945年に処刑された。
敗戦後には武装解除令を受けてイルザの手元を離れた94年式拳銃。
残念なことに、その時には、94年式拳銃には……。自我にも似た意識があった。
あらゆる『可能性が否定出来ない』現象。
第三帝国の敗戦間近に94年式拳銃には既に古代遺産協会(オカルト局)がナチスお抱え魔術師グラシェナーが書いたとされる魔導書の一篇が掘り込まれていた等の謂れがあるが、兎も角、溶鉱炉に放り込もうが圧潰器に掛けようが、一度は姿を消すが必ず、当代の所持者の元に『帰って来る』のだ。手放した当時の姿で。
……部品毎に分解して分散して処分しても必ず、翌日には所持者の目前で『誰かがそこに置いたように』存在している。
壊れず。劣らず。汚れず。
欧州の端から極東の島国に渡るまでの数十年間でたった1挺の拳銃が5000とも10000ともいわれる命を吹き消してきた。明らかに尾ひれが付いた不自然な数。……その尾ひれを完全否定できない根拠があるだけに、研究者はおののく。
やがて敗戦するドイツのどこに、敗色が濃い日本のどこに、それだけの弾薬を遣り取りする余裕があるのだ。
それだけの弾薬を発砲していながら一切の不具合を起さないのは事故を報告するのを隠匿する何かが働いたからではないか?
具体的な書面も非公式な申請も、何もかもが不思議としか片付けられない。
その後も管理者が謎の自殺で94年式拳銃は持ち主を転々とするが、ある時はカンヌシと名乗り、またある時はオンミョウジを名乗る日本の神職者に引き取られてからは所在不明。
日本人に渡したのは厄介払いのつもりだったのかも知れない。
……これで疫病神は去った。はずだが……。
現在は、日本に里帰りして司法警察の一端で『現役』だ。
当代管理人の高野小紅はこう語る。
「不思議なんだ……どんな敵も致命傷にはならないんだ。踏み潰すだけで死ぬネズミみたいに小さな人外でも、象より大きな人外でも、影や霊体みたいに『実体』が無くても、弱点に命中させても『まるで成人男性に8mm南部クラスの銃弾を撃ち込んだように』死ぬような死なないようなダメージしか与えないんだ。だから人外を仕留めたかったら2発は叩き込まなきゃ駄目。【ヘルガ】はコストが悪いんだ。山菜掘りナイフに欺瞞して貰った『有り難い聖剣』がないと銃弾の無駄使いになることが多いね。あ、でも相手が『子供のように』弱い生命力なら1発で仕留められる場合も有るね。……撃つ相手の強さを見極めないと【ヘルガ】は使えない。……え? 【ヘルガ】? ああ。分解したときに右のグリップパネルを裏返したらアチラの言葉で『ヘルガよりアリーへ』って白いインクで書いてあったから【ヘルガ】って呼んでる。コイツもその名前で呼ばれて臍を曲げないから【ヘルガ】なんだろうね……? 言葉? んー。何となく頭に響く感じ? そんなので解る気がする。クリーニングしてやると艶っぽい声出すし、呑み屋で置き忘れてきたらプンスカ怒るし……全部、『何と無く』だけどね」