EVICTORS
本当の『悪い怪物』は文字通り、体を溶かして道路に染み込んでいたりするのだから始末に悪い。
概ねして『悪い怪物』は小紅のように『弱い怪物』が退治する。
人間に直接的なとばっちりは廻ってこない。
嫌われるのは『人間に尻尾を振って、守ってもらっている弱い怪物』だけ。『弱い怪物』がどんなに磨り潰されても人間には痛くも痒くもない。
その頃には『悪い怪物』の弱味を人間の術者が見つけているはずだからだ。
そのためだけに神仏に仕える聖職者で構成される部署もあるが弱点を『奪い返されるのを警戒して』部署や個人名は絶対秘匿だ。
フリーランスで生活が苦しくなると『悪い怪物』の弱点や棲息地帯などの詳細情報を切り売りしてくる高等な能力者も民間に存在する。
人外……マスコミでこの文言を用いて喧伝するのは決まって、評価の低いタブロイド誌だが、人の口に戸板は立てられぬとはよくいったもので、ネット情報を媒介として都市伝説が流布され、やがて新しい『弱点を持たない怪物』が生まれる。
それらも説得するのが小紅たち、特殊警務二課の職務だ。
善いか悪いかも判然としない『都市型の新種』相手にリトマス試験紙のような使われ方もする。
それが特殊警務二課だ。
※ ※ ※
翌日。
某県某市内の共同アパート『玉栄荘』(たまえそう)にて。
築5年。入り組んだ住宅街の真ん中で日当たりも悪く建坪面積も小さい事から、極狭規模の物件しか建てられず、永らく更地だったが、地主が駐車場にも農耕地にも使えない、この狭い路の奥にある土地に共同アパートを建てた。
少々の実入りを期待していたが、ある日、聞いたこともない不動産屋が、『過ぎた額』でこの共同アパートを買い取った。
2階建て6部屋。トイレ、風呂、洗濯機、物干し場共同。エアコン、ケーブルテレビ、ネット環境完備。基本1K6畳。簡易台所、押入れ、物入れ各1箇所。
旧い住宅が犇く雑多な街の中にあって築年数の浅い共同アパート『玉栄荘』こそが高野小紅の住処だ。
高野小紅の家系は日本人なら『誰もが知っている小妖怪』の流れを汲む。
時代によっては神と同じ扱いを受けていた世代もあるが、殆どの場合は『誰もが知っていると
いうだけで大したことのない妖怪』の末裔に過ぎない。
普通に戸籍持って生まれて普通に人間として暮らしてきて……泣いて笑って学校にも通って恋もして就職もして……。
両親きょうだいもいる。親類縁者もいる。人間の友人もいる。
なのに、ある日突然、公僕に成り下がった。
彼女に関わる、彼女のこれまでの人生に関わってきた全ての人間の命と引き換えに、彼女は特殊警務二課に唐突に配置。
警察機構に「家族と知人を社会的に殺されたくなかったら言うことを聞け」と脅されているのと同じだ。
小紅自身は人外の末裔には違いないが、色濃く妖術妖力を受け継いでいるのではない。
寧ろ一般人と何ら変わりない。突然、家に押しかけてきた体制の犬に公僕に成り下がることを強制されて現在に到る。
先祖の『偉大な力』どころか自分がその系統の人間であることも意識したことがない彼女にとって正に青天の霹靂。
国の圧力である日突然、化け物退治の最前線に立たされた民間人と同じだ。
裁判を起こすという選択は最初から揉み消されていた。
何故なら『人外は存在していないのが絶対の前提』で法律が形作られており、人外であると国に認識されると然るべき処理をされて国籍も戸籍も抹消される。
いつでも『不良外国人として』国外に強制追放できる。それに到る書類は全て国が憲法の名の下に発行するのだから偽物ではない。
何もかもがある日突然の理不尽。
小紅が大人しく従う理由は国内の親類縁者のためだけではない。
純潔な人間ではないが、平穏な生活を奪った……『自分を人外だと密告した人間』を探し出して必ず殺害するのが目的だ。
「……」
与えられた生活空間。
『玉栄荘』の2階の一室が彼女の部屋。
この部屋に形は違えど人外の同居人が居る。
それも2人。合計3人で住んでいるが、特別、狭いと感じたことはない。6畳1間の部屋であるが、小紅以外の2人は場所を必要としない人外だ。
1人はブラウン管発明以来の都市伝説が生んだ若い妖怪【下下抜入】(かげぬい)の美縁(みより)。
一昔前までは『呪いのビデオ』として名を馳せていたが、最近のデジタル機器に迎合できず朽ちて消え行くのを待っていたのだが、アナログ情報をデジタル信号に変換してAVIファイルとしてブルーレイディスクに焼きつけた結果、人間に従うことを……否、自分を『広い世界に連れ出してくれた』――アナログからデジタルへの変換作業をした人間――高野小紅に恩義を感じ、自分から特殊警務二課に配置を望んだ変わり者。
腰より長い黒髪に白い貫頭衣が一般的なプリントイメージだった嘗ての彼女はもういない。
現在、【下下抜入】(かげぬい)の美縁(みより)は髪をばっさりと切り、肩下30cmほどの髪をポニーテールでまとめ、衣装も膝上15cmの紅い小町着物で着飾っている。
それまでの不健康極まりない血色もオンラインスポーツゲームに嵌った結果、生き生きとした血色の良い魅力的な風貌へと変化した。
自身の体がデジタルファイルなのでネット環境が整っていれば電脳の世界に文字通りダイブできる。
ネット上に散らばる情報収集と解析では恐らく日本随一の手練だろう。
更に最近はスマートホンのWi―Fiを介して自分の意志で『外出』することを覚えた。
……が、美縁本人は小紅の携帯電話に住み着いて彼女のポケットに納まっているのがお気に入りのようだ。
【下下抜入】の美縁には最早、人に害をなす要素は見当たらない。
美縁が調伏してこの世から消え去ろうとしている土壇場で彼女を身を挺して守ったのが、自分が散々苦しめてきたはずの『人間』である小紅だ。
美縁には、今まで積み重ねてきた負の感情だけを、正の感情に置き換えて小紅を通じて人間に恩を返そうとする気概しかない。
小紅が「私のお気に入りのケータイだ」と美縁の住み着く携帯電話に頬擦りされる度に、顔を赤くして照れるような気恥ずかしいような気分になっている。
小紅のためにアラームで起こしたり、ワンセグの受信感度を常に最高値を保っていたり、配信情報を読み上げて今日の天候や電車の乗り換え案内を行うのが楽しくて仕方がない。
小紅に褒められるとイラスト投稿サイトで拾ってきたような若年層受けするキャラにビジュアルを変貌させて素直に照れる。
美縁の体はデジタル情報なので強い磁気や物理的圧力に弱い。媒体が破壊される全ての要因が弱点なのだ。
ジャミングシステムを乗っ取ることはできてもジャミングの波長を突破することはできない。
それに宿る媒体のバッテリーが切れると媒体の集積回路で封印されてしまうので一切の力を発揮できない。勿論、早目の充電を促す彼女。
害をなさないとはいえ、美縁とて最凶の都市伝説の一翼を担った存在である。
1週間で確実に人間を呪い殺すだけの技量は衰えを知らない。メディアの発達した現代ではコピーとショートカットを多用すれば国内の8割の人間を呪い殺すことができる。
概ねして『悪い怪物』は小紅のように『弱い怪物』が退治する。
人間に直接的なとばっちりは廻ってこない。
嫌われるのは『人間に尻尾を振って、守ってもらっている弱い怪物』だけ。『弱い怪物』がどんなに磨り潰されても人間には痛くも痒くもない。
その頃には『悪い怪物』の弱味を人間の術者が見つけているはずだからだ。
そのためだけに神仏に仕える聖職者で構成される部署もあるが弱点を『奪い返されるのを警戒して』部署や個人名は絶対秘匿だ。
フリーランスで生活が苦しくなると『悪い怪物』の弱点や棲息地帯などの詳細情報を切り売りしてくる高等な能力者も民間に存在する。
人外……マスコミでこの文言を用いて喧伝するのは決まって、評価の低いタブロイド誌だが、人の口に戸板は立てられぬとはよくいったもので、ネット情報を媒介として都市伝説が流布され、やがて新しい『弱点を持たない怪物』が生まれる。
それらも説得するのが小紅たち、特殊警務二課の職務だ。
善いか悪いかも判然としない『都市型の新種』相手にリトマス試験紙のような使われ方もする。
それが特殊警務二課だ。
※ ※ ※
翌日。
某県某市内の共同アパート『玉栄荘』(たまえそう)にて。
築5年。入り組んだ住宅街の真ん中で日当たりも悪く建坪面積も小さい事から、極狭規模の物件しか建てられず、永らく更地だったが、地主が駐車場にも農耕地にも使えない、この狭い路の奥にある土地に共同アパートを建てた。
少々の実入りを期待していたが、ある日、聞いたこともない不動産屋が、『過ぎた額』でこの共同アパートを買い取った。
2階建て6部屋。トイレ、風呂、洗濯機、物干し場共同。エアコン、ケーブルテレビ、ネット環境完備。基本1K6畳。簡易台所、押入れ、物入れ各1箇所。
旧い住宅が犇く雑多な街の中にあって築年数の浅い共同アパート『玉栄荘』こそが高野小紅の住処だ。
高野小紅の家系は日本人なら『誰もが知っている小妖怪』の流れを汲む。
時代によっては神と同じ扱いを受けていた世代もあるが、殆どの場合は『誰もが知っていると
いうだけで大したことのない妖怪』の末裔に過ぎない。
普通に戸籍持って生まれて普通に人間として暮らしてきて……泣いて笑って学校にも通って恋もして就職もして……。
両親きょうだいもいる。親類縁者もいる。人間の友人もいる。
なのに、ある日突然、公僕に成り下がった。
彼女に関わる、彼女のこれまでの人生に関わってきた全ての人間の命と引き換えに、彼女は特殊警務二課に唐突に配置。
警察機構に「家族と知人を社会的に殺されたくなかったら言うことを聞け」と脅されているのと同じだ。
小紅自身は人外の末裔には違いないが、色濃く妖術妖力を受け継いでいるのではない。
寧ろ一般人と何ら変わりない。突然、家に押しかけてきた体制の犬に公僕に成り下がることを強制されて現在に到る。
先祖の『偉大な力』どころか自分がその系統の人間であることも意識したことがない彼女にとって正に青天の霹靂。
国の圧力である日突然、化け物退治の最前線に立たされた民間人と同じだ。
裁判を起こすという選択は最初から揉み消されていた。
何故なら『人外は存在していないのが絶対の前提』で法律が形作られており、人外であると国に認識されると然るべき処理をされて国籍も戸籍も抹消される。
いつでも『不良外国人として』国外に強制追放できる。それに到る書類は全て国が憲法の名の下に発行するのだから偽物ではない。
何もかもがある日突然の理不尽。
小紅が大人しく従う理由は国内の親類縁者のためだけではない。
純潔な人間ではないが、平穏な生活を奪った……『自分を人外だと密告した人間』を探し出して必ず殺害するのが目的だ。
「……」
与えられた生活空間。
『玉栄荘』の2階の一室が彼女の部屋。
この部屋に形は違えど人外の同居人が居る。
それも2人。合計3人で住んでいるが、特別、狭いと感じたことはない。6畳1間の部屋であるが、小紅以外の2人は場所を必要としない人外だ。
1人はブラウン管発明以来の都市伝説が生んだ若い妖怪【下下抜入】(かげぬい)の美縁(みより)。
一昔前までは『呪いのビデオ』として名を馳せていたが、最近のデジタル機器に迎合できず朽ちて消え行くのを待っていたのだが、アナログ情報をデジタル信号に変換してAVIファイルとしてブルーレイディスクに焼きつけた結果、人間に従うことを……否、自分を『広い世界に連れ出してくれた』――アナログからデジタルへの変換作業をした人間――高野小紅に恩義を感じ、自分から特殊警務二課に配置を望んだ変わり者。
腰より長い黒髪に白い貫頭衣が一般的なプリントイメージだった嘗ての彼女はもういない。
現在、【下下抜入】(かげぬい)の美縁(みより)は髪をばっさりと切り、肩下30cmほどの髪をポニーテールでまとめ、衣装も膝上15cmの紅い小町着物で着飾っている。
それまでの不健康極まりない血色もオンラインスポーツゲームに嵌った結果、生き生きとした血色の良い魅力的な風貌へと変化した。
自身の体がデジタルファイルなのでネット環境が整っていれば電脳の世界に文字通りダイブできる。
ネット上に散らばる情報収集と解析では恐らく日本随一の手練だろう。
更に最近はスマートホンのWi―Fiを介して自分の意志で『外出』することを覚えた。
……が、美縁本人は小紅の携帯電話に住み着いて彼女のポケットに納まっているのがお気に入りのようだ。
【下下抜入】の美縁には最早、人に害をなす要素は見当たらない。
美縁が調伏してこの世から消え去ろうとしている土壇場で彼女を身を挺して守ったのが、自分が散々苦しめてきたはずの『人間』である小紅だ。
美縁には、今まで積み重ねてきた負の感情だけを、正の感情に置き換えて小紅を通じて人間に恩を返そうとする気概しかない。
小紅が「私のお気に入りのケータイだ」と美縁の住み着く携帯電話に頬擦りされる度に、顔を赤くして照れるような気恥ずかしいような気分になっている。
小紅のためにアラームで起こしたり、ワンセグの受信感度を常に最高値を保っていたり、配信情報を読み上げて今日の天候や電車の乗り換え案内を行うのが楽しくて仕方がない。
小紅に褒められるとイラスト投稿サイトで拾ってきたような若年層受けするキャラにビジュアルを変貌させて素直に照れる。
美縁の体はデジタル情報なので強い磁気や物理的圧力に弱い。媒体が破壊される全ての要因が弱点なのだ。
ジャミングシステムを乗っ取ることはできてもジャミングの波長を突破することはできない。
それに宿る媒体のバッテリーが切れると媒体の集積回路で封印されてしまうので一切の力を発揮できない。勿論、早目の充電を促す彼女。
害をなさないとはいえ、美縁とて最凶の都市伝説の一翼を担った存在である。
1週間で確実に人間を呪い殺すだけの技量は衰えを知らない。メディアの発達した現代ではコピーとショートカットを多用すれば国内の8割の人間を呪い殺すことができる。