EVICTORS

 相違点は安っぽい言葉を包み隠しせずに、在りきたりな言葉で励ましてくれた誰かに騙されたつもりで、少しだけ上を向いて歩こうと決めたことだった。
 ある秋の夕方。
 夕月が美しい時間帯。
 平穏を切り抜いたような日常風景の裏側からの帰還。
 
「他の子とのお喋りも駄目?」
 200mほど離れた橋の欄干に凭れてノクトビジョン付き双眼鏡で帰路に就く少女の後ろ姿をみながら、小紅は心底残念そうな溜息を吐いた。
「駄目なの……そう……」
 双眼鏡から目を離した小紅は右脇に立つ、鯛焼きを齧るボーイッシュなショートカットの少女を見た。
 歳の頃は15、6歳。赤いジャージに黒と灰墨色のチェック柄のミニスカートに膝上まであるスパッツが健康的な雰囲気を、これでもかと醸し出している。
「ダぁメぇ」
 ショートカットの少女は間延びした、しかし、はっきりと小紅の質問に返答した。
「連れないねぇ……はぁ、でも」
 小紅は左掌を自分の左頬に撫でつけて緩んだ口角を更に緩ませた。
「肌理の細かい肌をしたほっぺただったなー。きっと凄い美人さんに化けるよー」
 空かさず、ショートカットの少女は鯛焼きを咥えたまま、小紅の脇腹に足刀を叩き込む。
「小紅のバカー!」
 激痛で軋む脇腹を押さえながら小紅は踏み止まると、眼鏡がずれたままなのに構わず、後ろ腰を押さえて息を荒げた。
「や、止めてよね! 【ヘルガ】が臍を曲げたらどうするのさ!」
「小紅なんか! 【ヘルガ】とあの子と前の子とその前の子とその前の前の子とその前の前の前の子と仲良くしてたらイイじゃない!」
 ショートカットの少女は大股で左手に鯛焼きが詰まった紙袋を携え、日が完全に暮れた橋の上を歩き出した。
 ポツンと残された小紅は後ろ腰から【ヘルガ】という名前らしい拳銃を引っ張り出し、そっと、剥き出しで特徴的なシアーバーを撫でた。
 91年式拳銃。
 安全装置の有無に関わらず、薬室に実包が装填されたままならば暴発することで有名な旧軍の正式採用拳銃。
 暴発で有名過ぎて連合軍からは『自殺ナンブ』というありがた迷惑な評価を受けるが、実包1発にまで、神様が宿ると信じられて拳銃の安全携行には徹底した教育が施されていた旧軍では実のところ、暴発事故は殆ど報告されていない。
 「使用しないときは薬室は絶対に空」が拳銃携行時の嗜みとまでされていた。
 安全装置に守られた拳銃しか見たことがない欧米の将兵からは信じられない設計思想だ。
 当時の技術を鑑みて9mmショートと同じ威力の8mm南部を6発も撃つことができる全長170mm以下の中型拳銃はある意味貴重だった。
 当時は貴重だったかも知れない。
 一説によれば使用実包の8mm南部は撃発した際に発生する反動は当時の成人日本人男性に一番扱い易い衝撃だったとか。また、胴長短足を連想させるデザインはフルロードした状態で最高の重心バランスを発揮できるように計算されたとか。
 使用以外では薬室は必ず空の状態を保つこと。これが鉄則。
 使用が終わると、コッキングピースをゆっくりと空薬莢を弾き出さない速度で引き絞り、排莢子が実包の尻を銜えたままで実包の弾頭が遊底に対して垂直に突き出す。
 そこでコッキングピースを前進させて実包を排莢口で挟んで空いた手でその実包を捩るように捥ぎ取る。
 するとコッキングピースが自動的に前進して『安全に薬室が空になる』。
 94年式拳銃に限らず、旧軍を代表する大型拳銃の南部14年式拳銃や南部式自動拳銃は同じ運用だ。尤も、安全装置の概念が結果的に度外視された拳銃は94年式拳銃だけだった。
 この徹底した『安全運用』のお陰で94年式拳銃による暴発事故は数えるほどしか報告されず、寧ろ、頑強堅牢で故障も少ない上に安価だった。
 当時の将校に正式採用拳銃の支給制度は有ったが、軍閥出身者や資産のある名家の出身者は同盟国や大陸経由で購入する外国製拳銃を使用することが多く、それがステータスの側面であった。
 舶来でも敵性拳銃を所持しても罰則には当らない。
 だが、財布の中身が乏しい大半の将校はこの安く丈夫な94年式拳銃を有り難く携行していた。
 兎も角、現在では時代遅れも甚だしく、設計思想も運用概念も通用しない。
 安全装置の有無に関わらずコッキングしていれば常に暴発とは噴飯ものに度し難い。
 その問題拳銃を【ヘルガ】と呼び、愛用する高野小紅。
「ゴメンねぇ。ヘルガ。また怒らせちゃった……」
 永い友に語り掛けるような口調。秀麗な眉を八の字に下げて苦笑いっぽい笑顔を作る。
「別に。気にしてないから。いつものことだから」
 そんな返答が耳に入ってきたような錯覚。小紅にとっては錯覚や幻聴ではなく、『現実』なのだ。
「ホント。ゴメン」
 小紅は94年式拳銃を後ろ腰のホルスターに戻す。
 いつの間にか回収した空弾倉と残りの予備弾倉を合計して8本あることを確認すると彼女も橋の欄干に沿って歩き出した。
   ※ ※ ※
 高野小紅。
 31歳。
 警察庁警備部特殊警務二課所属。
 階級・巡査長。
 任務:市民の生命、財産を脅かす知的存在の排除。
 
 具体的に謂えば、警察機構に特設された超法規集団の一員。
 『人間が作った法律の枠を守ったり治安を与る司法警察である必要ですらない、人間以外の人間で構成される組織』のメンバー。
 彼女達にとっては警察手帳や階級や所属など意味をなさない。
 中には人間による圧力ですら意味を持たないメンバーも居る。
 彼女たちが日本国民として庇護を受ける条件として提示された二つの選択。
 一つ。人間に害悪をもたらす前に善悪の区別なく、その可能性のある内に人外らしく調伏されること。
 二つ。人間に害悪をもたらす存在をすべからく、その可能性がある内に人外の力で調伏すること。
 前者と後者は意味が全く反対だ。
 前者は「善きも悪きも人外ならば人間に屈服して封印・退治・追放されろ」と押し付けられ、後者は「人間に屈服して悪きに傾く人外を人間に代わって退治しろ」と『同士打ち』を押し付けられている。
 つまるところ、人間は自分たちのような人間の世界に住む人ならざる者を認識しておきながら、その能力を恐れて人間たちの手が汚れない方法で計画的に屠殺している。
 人外――妖怪。心霊。都市伝説。魑魅魍魎。人が術技でなした人以外の存在など――を十把一絡げに討伐することを押しつけられた人外。
 彼女たちに逃げ場はない。
 人間が強気に出るときは決まって相手の弱点を握ったときだ。
 小紅も例外に漏れずに弱点を握られている。
 人間はこの弱点を活用するのだ。人間に従って消え失せるか、使いっ走りに成り下がるか。
 日本警察の一部署の更に片隅で籍を置いているメンバーは人間に従ってでも人間社会に溶け込むことを選んだ不器用な人外だ。
 与えられたのは同じ境遇の人外との連携のみ。
 人間の血液が必要だという種族は輸血パックが提供されるし、行灯から直接、菜種油を舐めたい種族には職人が拵えた高級菜種油が与えられる。
 凡そ、人外どころか人間や動植物との争いを好まない国内の古来種ばかりが人間に弱味をつかまれて顎で使われている。
 高等な知能を持つ、人間が思い描く『悪い怪物』は狡猾に人間社会に溶け込んでいる。
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