EVICTORS

「……牛みたいな乳の女で悪かったわね」
「ん? 何?」
「ううん。負け惜しみ。捨て台詞……行こうか。大分日が傾いてきたよ」
 山間部の夕暮れは早い。気温も早く下がる。
 小紅は小さなくしゃみを3連発。急いで自分で解いた身包みを整える。乾いてこびり付く大量の自身の愛欲に顔を少ししかめる。
 イオリも小癪に潰されたスカートのファスナーを安全ピンで止めて応急処置する。上着のジャージは変わりやすい気温に合わせてあらかじめ持参していた厚手のジャージに着替えることでカバー。
 山道。帰路の途中。
「私達もいつかあんな風に消えるのかな?」
 イオリが寂しそうに独りごちる。
「タイプが違うもん。有り得ないよ」
 何の根拠もない呟きで小紅は答える。
 2人は意識して会話をしているのではなかった……山間から臨む、沈む太陽が世界をオレンジと黒に彩る中で、2人の背中は次第に近付き……手を繋いだまま、言葉の必要がない2人だけの世界に埋没し、歩き続けた。

 
 完全に日が暮れた。
 夜の帳が降りるというなんでもない表現が、ここでは情緒のある風情に思えた。
 小紅達が住む共同アパートがある近辺では近所のコンビニやパチンコ店や深夜営業の飲食店のお陰で虫が鈴の音を転がすような環境ではない。
 虫が鳴いていたとしても、近隣の住民が醸し出す生活の雑音に完全に掻き消されている場合が殆どだ。
 空を見上げれば広い夜空に指を指して遊べる豊富な天体。これが、午後8時の過疎地のバス停だ。
 帰路の最中にバス停で。
 バス停の待合室で肩を並べてウトウトと目蓋を上げ下げして睡魔と闘っている2人。
 ……カクンと小紅の額が落ちた。
「あ?」
「……え?」
 小紅とイオリは2人して眠い目を擦る。
 暗いバス停の中、表に街灯が1本だけあるが、それは時刻表を視認しやすくするだけの働きしかしていない。
「ねえ? 小紅?」
「ん?」
 垂れかけの涎を拭きながら、小紅は可愛らしく小首を傾げて相棒の顔を見た。
「如何して【槍手婆あ】の前で突然裸になることを思い付いたのさ?」
「きっかけはスカート、かな?」
「?」
「イオリのスカートが綺麗に剥がされて気がついたんだよねぇ。【槍手婆あ】は私たちの体を検めるのに必死だった。それこそ『検めるためなら手段を選ばない』剣幕だったよね」
 小紅は眼鏡を正しながら続けた。
「で、思ったわけよ。『検めやすいように裸になったら?』って。そしたら【槍手婆あ】は動きを止めた……なのに……」
「なのに? 何?」
「美縁がそれでも騒ぐからさ。『敵意を見せていない相手が居るはずなのに感じる敵意』」
 そこでイオリは小さくあっと声を出した。
「そうかー。それでか」
「うん」
 イオリが悟ったことに間違いはないと、小紅もにへらと笑って返す。
「そうだよ。逆に考えたんだよねぇ。【槍手婆あ】の棲家だと思っていたのはちょっと勘違いで、【槍手婆あ】とギブアンドテイクが成り立った誰かが居る……」
「……人間を捨てた【槍手婆あ】に人間臭い『建物型の人外』」
 小紅は満足そうに頷く。
「だってさぁ。【槍手婆あ】はまるで、『致命傷を受けても突進してくる勢い』なのに……【ヘルガ】の空薬莢が床に落ちただけで、その空薬莢を『熱がって床板がお手玉する』なんて滑稽でしょ? ロジカルに繋がらない現象なのよ」
 小紅が疲労混じりに語る一方で段々顔が青褪めてくるイオリ。
「それじゃ……今回は偶々『ロジカルで判断出来たから』良かったけど……」
「うん。ギャンブル。私の読みが外れてたら……ぜーんぶ、終わりね」
 あっけらかんと語る小紅。
 株式の当たり銘柄を巧く読んだので小遣いが転がり込んできた主婦みたいな気楽加減だった。
 小紅のその顔をみるや否や。
「バカーッ!! ちょっとくらい相談しなさいよ! 相談できなくても合図とか! 色々あるでしょ! もうーっ! 信じらんない!!」
 イオリは小紅の体を激しく揺さぶりながら非難する。小紅は眼鏡をずらしながらもへらへらとした笑顔を浮かべているだけだった。
 いつまでも続く微笑ましいじゃれ合いが薄暗いバス停で展開されていたが、唐突に静かになる。
「今度は何かいってよね……」
 イオリは小紅の良く実った胸の双球に顔を埋めながら呟く。
「『今度』ね……」
「嘘。『前も同じ事言ったくせに』」
 小紅はそっとイオリの頭を撫で、ずれた眼鏡を直す。
 一段と明るい光源が発生。
 暗い中、長く待ったバスが到着だ。
「行こっか……」
「うん」
 小紅はイオリの手をエスコートして立ち上がる。
 彼女達の戦いは未だ終わっていない。帰宅するまでが仕事……ではなく、帰宅してノートパソコンで報告書を作成して送信するまでが仕事なのだ。



 有給休暇なき、超法規公務員。


 これが、警察庁警備部特殊警務二課・高野班のいつもの仕事でいつもの風景だった。
 満足に機動力も与えられず情報も手探りで人間に代わって人間の敵を片付ける、同族殺しを背負わされた現代の人外。
 ファンタジーで描かれる存在とは反対の……決して、派手でもなく安穏でもない知的存在。
 恰好良いことも鬼畜のように汚いこともない、ただの人間の心を持った『人間以外』。
 
 それがこれから綴られるストーリーに登場する、どこか残念でどこか鋭い、『とある人外達の集団』の仕事と日常。




「あーっもうっ! 発砲した数と残りのタマの数が合わないーっ!」
「いや、ちょ、私のジャージ、ボロボロよ? 何で経費で落とせないのさ!」
「あのー……申し上げ難いのですが……充電して下さい……」

《EVICTORS・了》
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