EVICTORS

 床板に強かに叩かれた【ヘルガ】は暴発させながら宙を舞う。
 目的も定まらずに吐き出された8mm南部は天井に弾痕を穿った。
 怪鳥を思わせるおぞましい悲鳴と噴血。
 家屋が震える。
 小紅は、目前に飛び上がった、コッキングピースが後退した【ヘルガ】を掴み、先ほどまで同じく床に置いた予備弾倉も床板を踏むことで反発力で跳ね上げさせて中空で掴む。
 そのころには既にマガジンキャッチを押すことで空の弾倉を自重で落下させていた。
 【ヘルガ】……94年式拳銃は構造上、撃ち尽くした弾倉を抜くとコッキングピースが前進してしまう。
 94年式拳銃の特徴の一つだ。素早く新しい弾倉を叩き込んでも前進して薬室を閉じてしまったコッキングピースを再び引いてやらねば実包を薬室に装填出来ない。
 シビアな戦闘では命取りになる欠点だが、旧日本軍では拳銃を所持するのは最前線で戦う必要のない将校が提げる護身用火器なので、刹那を争う機構は設計段階から必要とされていなかったという。
「え?」
 閃くような素早さでコッキングピースを引く所まではイオリも見た。
 だが、銃口が向いた先は……。
「オチは2つ、ね!」
 小紅は凄惨に口角を上げると床に向かって弾倉に詰まった実包の数だけ発砲した。
 おぞましい悲鳴。
 イオリははっと思い当たった。
 この廊下で小紅が足元を取られたときに床に向かって発砲したのを。確かにあのときも床から鮮血が飛び出た。
「匂い……」
 イオリは呟く。
 匂いだ。【ヘルガ】に『撃たれて』床から噴き出す血には死臭がしないばかりか、鮮明で健康的な赤色だ。先ほど、搾り取ってきたような濃厚な鉄錆の匂いがする。
 決して死体から溢れるドス黒い血液ではない。
 おぞましい悲鳴。
 苦悶にのたうつ床、天井、壁、気流。
 肺に流れ込む不快極まりない、生暖かい、湿度を含んだ空気。
 建物全体が今すぐに崩壊してもおかしくない震動。
「これが……オチ……なんだよねぇ……」
 床に座り込んで【ヘルガ】から強制的に供給される性的快楽に耐える小紅。
 頬が上気して桜色に染まり、艶っぽい声色に変わる。温かい迷宮の入り口からはしとどに彼女の愛欲が溢れる。
「【槍手婆あ】はここに住んでいるだけで、『丑の刻に出没して、売り物になる女』を……はぁ……見定めるだけのアイデンティティしか持っていない……」
 小紅に駆け寄り、肩にシャツを掛けるイオリ。
「……でしょ?」
 小紅は薄っすらと霞が掛かった瞳で恨めしそうな顔でこちらを睨む2体の【槍手婆あ】の縞夜を見た。
 返事はない。
「じゃ、この建物は……依り代?」
「そう。仙脈だの霊脈だのの上に建ってるはず……感触が違ったの」
 小紅はコッキングピースが後退して薄っすらと硝煙を纏う【ヘルガ】を見ながらいう。
「【槍手婆あ】を撃ったときと……床に撃ったときに感じたエッチな感触がね」
 滔々と体に注ぎ込まれる快楽に白い腹を小刻みに震わせて、ぎゅっと目を閉じる。
 彼女の脳内では事件の顛末を報告する書類の作成の文面をいかに書き始めるか? という事務的な思考と【ヘルガ】が仕留めた人外の定義的ランクの大きさを体感できる性的興奮が真っ向からぶつかって戦っていた。
「女衒というからには……あっ……んっ……宿が無いと商売は始まらない……だから、この建物を『遊郭』に見立ててた……だけで……あっあっ……」
 イオリは小紅が無理に喋ろうとするのを制するように優しく抱き締めた。
 小紅の体は火照って、どこを触っても達しそうになっている。
「あんたたちは『人間には害を与えるけど、女を裸にするだけ』の存在だったんだね」
 全て飲み込んだイオリが小紅の言葉を継ぐ。
 イオリ自身もスカートを失い、ジャージのファスナーを切り裂かれて衣服が満遍なく破られている。が、掠り傷以上の大袈裟な怪我は一切認められない。
「で、私達の認識の対象にもなっていなかった……この建物が本命」
 イオリがピシャリと断定する口調でいう。
「地脈に類する国土の要点に具現化する悪霊しか呼ばないこの建造物を『調伏』する! 美縁!」
「はい!」
 脱ぎ捨てられたズボンの尻ポケットで美縁が叫んだ。
 美縁自身も違和感を覚えていたのだ。自分と同じ分類の人外だというのに『明確に人間に対する悪意』が探れず、また、【槍手婆あ】の縞夜に抽象的霊的接触を図ってもまるで……プラスネジをマイナスドライバーで締めるような何か違う感触を不審だと感じていた。
 歯痒いのはそれを小紅が使う人間の言語的概念で説明できないこと――彼女は一切の物理的接触ができないのでネジとドライバーに例えた表現も現実には不可能――だった。
「人外が複数だとは思いませんでした!」
 言うが早いか、美縁はこの山間部にポツンと佇む洋館に『呪い』を施した。
 勿論、電子的速度で。
 人外の美縁が同属を『呪い殺す』ために作成した、美縁しか使えないアプリを使って。
「……」
「……」
 おぞましいばかりの阿鼻叫喚を挙げながら洋館の拵えに宿る『何かしらの存在』は消え去るのかと思ったが、雀が鳴くような声も挙げずに指をパチンと鳴らすよりも早く消え去った。
 その証拠に洋館を襲っていた激しい震動――これが実質的な断末魔なのかも知れない――はピタリと止む。
 日に焼けたカーテンが風にそよぐ。
 長い廊下で取り残された全裸の小紅とズタボロの衣服のイオリはさながら、強姦に遭った被害者という風体だ。
「で、あんたたちはどうすんのさ?」
 イオリはぶっきらぼうに、立ち尽くす2体の【槍手婆あ】の縞夜を見ながら言う。
「あの……【槍手婆あ】から着信です」
 美縁がいう。
「ハンズフリーで繋いでよ」
 ようやく息が整って体の火照りも下火になった小紅が軽口でいう。
「はい。繋ぎますね!」
 美縁は数秒の保留メロディを流した後、再び喋り出した。
 但し、声は皺枯れて墓穴の底から呻いているような低く暗い老婆の声だ。
「あたしゃ……消えるよ……もう、ここいらで商売はできないさね……売りに出せる女を探し続けた……だけんど……めくればめくるほどなぁ……あんたみたいな牛みたいな乳の女しか居ん世ん中になっただぁ……店に出せる女は……はー……もう、居ねぇんだなって……こんなナリになっても心は……しんどい……」
「……」
「……」
 小紅もイオリも黙って聞き入っていたが、回線がプツッと切れる音がしたと思ったら聞きなれた非通話音が聞こえてきた。
「以上です……本当に消えたようです」
「ああ。そうだねぇ」
 小紅は風に吹かれて舞い散る黒い灰を見ながらしみじみという。
 人を象った灰が窓から流れ出るまで、感傷的な面持ちで見守る。
 人外の最後とは得てしてこんなものだ。
 存在する理由がなくなれば大人しく退散する。文字通りに『退散』だ。
 人の枠を外れてまで性の行使を糧に生き残ろうとした【槍手婆あ】が世を果敢無んで、この世に存在することを捨てたのだ。その心には無念が湧いたか、諦観が去来したか。
 何の脅威もなくなった洋館の、日当たりが良い廊下で小紅とイオリはしばらく言葉もなく、俯いたままだった。
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