EVICTORS
「そこで、名のある僧侶に槍矛で討ち取られたのですが、槍の千段巻きを掴んだまま、谷に転落……」
「……ふーん。怨霊と地縛霊のハイブリッドか」
「はい。予想通りに槍を手にしたお婆さんだから【槍手婆あ】に転じたと」
言葉の洒落遊びが独り歩きして急速に都市伝説に変貌するのは現在では当たり前の現象だが、メディアの発達していない遊郭があった時代では言葉の伝聞が畏怖や恐怖を大きく巻き込んで時間を掛けて膨張するために、人の思念体が容易く人外に化ける。
「だからか……納得ねぇ……」
小紅の目前で姿を変えつつある、形を持たないガス状の塊は何処からとも無く吹いた一陣の風で簡単に掻き消されて吹き飛んだ。
代わりに、そこに居たのは……。
「妖怪【槍手婆あ】の縞夜……ね」
寒気。
佇む。ではなく、聳える寒気。
小紅の前に顕現したそれは蛆が這い出してきそうな死体独特の悪臭を放つ黒いボロ布を貫頭衣のようにまとった女。
誰が婆あだ、と小紅は萎縮し始めた肝に嘘を吐くために口笛を吹いた。
女。
ボロ布をまとった悪臭を漂わせる、絶世の美女。
小紅が「誰が婆あだ」と軽薄な悪態を吐くのも解る。
そこに居るのは決して名前から連想される老婆ではない。背丈も小紅と変わらない土気色の肌をした美女だ。
整った輪郭に整然と配置された眉目は容姿端麗というに充分。
怒りの色を帯び、しかし、生気のない黒い眼。意志の固さを誇示する唇。
まともな人間であれば、人外でなければ、過去世は兎も角、現世ではモデル稼業で充分に稼ぐことができる容姿。
ただ、右手に携えた手突き槍――長さ約60cmの柄に約30cmの矛先をした片手で扱う短い槍――と左手の5指の間に挟んだ五寸釘が異様な悪意を孕んでいた。
「ねーねー。美縁さーん。『敵意を持たないタイプ』じゃなかったの?」
美縁を恨めしそうに非難して【槍手婆あ】の縞夜を見据えながら、ゆっくりと【ヘルガ】の銃口をそれの胸元に向ける。
「敵意は感じません。『私たちが人間……人間の手先だから襲うだけです』。【槍手婆あ】のアイデンティティには触れていないみたいです」
「んー。説得力ないね……だけど、まあ、人外に固持する理由を求めるのはいつも野暮だよね」
「なら、先手必勝! 一撃必殺!」
小紅の肩越しにイオリが飛び出し、鉈鎌を風車のように回転させながら【槍手婆あ】の縞夜に突進する。
紫電の速さで放たれた五寸釘も悉く打ち落とす。
違えることなく振り下ろした鉈鎌の刃は唐竹割りに【槍手婆あ】の縞夜の脳天を捉える。
勝利を疑わず、イオリは手にした確実な感触を覚えながら一気に床に切っ先が突き刺さるまで、得物を振り下ろす。
「!」
軽石を叩き割るのに似た音を立てて白骨が転がる。
【槍手婆あ】の縞夜は確実に捉えたはずだが、綺麗な白骨死体が軽い音を立てて足元に崩れるだけだ。【槍手婆あ】の本体は……。
「イオリ!」
発砲。8mm南部はいつの間にかイオリの頭上で舞うように滞空している【槍手婆あ】の縞夜に命中する。
「いーっ!」
「きゃーっ」
2人は一斉に耳を塞いだ。
怪鳥を絞め殺したような甲高い断末魔が廊下に響き渡る。
鼓膜に針で突付かれる痛みが走る。眩暈や頭痛すら覚える叫び声。
8mm南部は確かに命中した。先ほども命中した。人外の体積に関わらず『人間に8mm南部を撃ち込んだように苦しむ』のが【ヘルガ】の能力の一つ。
詰まり……。
「ちっ……『絵の具』め!」
小紅は胎を熱く擽る性欲の度合いが低いことから素早く察した。
「分裂? ……したの?」
「そうね。『この感触は』大雑把に見て二手に分かれたってところかな?」
イオリと背中合わせにして周囲を警戒する。
消えた。【ヘルガ】の8mm南部の直撃を2発も受けた。普通なら長くは生きられないだろう。普通なら陰で悶え苦しんで身動きが取れないであろう。
もしも【ヘルガ】の凶弾を、本体を二分することで、その効力も二分したのなら充分に動けると考えるべきだ。
人間でも極論をいえば関取の腹に22ショートを1発叩き込んで意味のない停止力であるように、見掛けは普通の体躯の女でも中身の生命力や抵抗力は底なしの場合もあり得る。
小紅とて残念ながら【ヘルガ】の能力を100%信用していない。
それは『信頼という意味』で信用していないという意味ではなく、相手が人外である限り、人間が大好きな定義や公式で線引きすることができるケースは稀だからだ。
そのような意味では【ヘルガ】の能力は未知数だといえよう。
人間が定義する概念の信仰対象――あらゆる神仏――をたったの1発で絶命させることができても、綿埃のような小さな不定形浮遊物体の人外を仕留めるのに何千何億の実包が必要になるかもしれない。
【ヘルガ】の存在意義として使用者に快楽を提供する価値を見つけることができなければ、人外に対して攻撃的サディスト的意思を持つことを放棄するだろう。……即ち、人外に対する戦力外に落ちるわけだ。
その【ヘルガ】がまだ小紅の子宮付近で滾るモノを押し付けている間は役に立っている。
――――効いてるよね?
視界の端をちらちらと飛蚊症のごとく移動する黒い影を追いながら、心の中で【ヘルガ】に問うてみる。【ヘルガ】は当たり前に無言。
「小紅!」
「来たね」
イオリと小紅は同時にいう。
風に揺れる蝋燭を思わせるエフェクト効果を引っ提げて2人の目前に【槍手婆あ】の縞夜が現れた。
2人に対して2人の【槍手婆あ】の縞夜。
『絵の具』と隠語で呼ばれるこのタイプは分裂を繰り返せばそれだけ固体の人外的能力は低くなる。頭数が増えれば増えるほど、烏合の衆ができあがる。
「あー。やだねー」
「何がよ?」
「だってさー。この『勝つか負けるか解んないけど、全員突撃』みたいな雰囲気」
「それ、私たち? 敵のこと?」
一拍置いて小紅はやる瀬ない溜息を吐いてはっきり言った。
「私たちに決まってんでしょー」
暫しの沈黙。2人と2体は睨み合う。彼我の距離は等分に4mほど。陽はかなり傾いてきた。夕陽が完全に沈むと……十中八九、【槍手婆あ】の縞夜の天下だろう。
パリンッ。
どこかでガラスが割れる音がした。
イオリの先ほどまでの解体作業で完全に割り損ねた窓ガラスの欠片が落ちて床で割れたのだろう。
小さな小さな可愛らしい破砕音だったが、そのガラスが割れる音を先途に2人は一気に走った。
イオリは五寸釘を打ち落として懐に易々と入り、手突き槍と白兵戦に縺れ込んだ。
熟練の大京八流武術と手数の多さで突きを繰り出す素人業が拮抗している。
イオリと【槍手婆あ】の縞夜の間に小さな火花が無数に咲く。
右手の手突き槍だけで無く、左手の五指に挟んだ五寸釘も打突武器のごとく繰り出す。
歯を食い縛って丁々発止の熱戦を展開するイオリの背後では小紅がいつもの緩い表情を消し、眉に僅かな皺を寄せながら、早くも至近戦に持ち込んでいた。……正確には、至近戦に持ち込まれていた。【ヘルガ】を構える隙も体勢も見付けられないまま、【槍手婆あ】の縞夜の近接を許した。
飛来する五寸釘を交わしたと思ったら喉元を狙う槍の矛先。
「……ふーん。怨霊と地縛霊のハイブリッドか」
「はい。予想通りに槍を手にしたお婆さんだから【槍手婆あ】に転じたと」
言葉の洒落遊びが独り歩きして急速に都市伝説に変貌するのは現在では当たり前の現象だが、メディアの発達していない遊郭があった時代では言葉の伝聞が畏怖や恐怖を大きく巻き込んで時間を掛けて膨張するために、人の思念体が容易く人外に化ける。
「だからか……納得ねぇ……」
小紅の目前で姿を変えつつある、形を持たないガス状の塊は何処からとも無く吹いた一陣の風で簡単に掻き消されて吹き飛んだ。
代わりに、そこに居たのは……。
「妖怪【槍手婆あ】の縞夜……ね」
寒気。
佇む。ではなく、聳える寒気。
小紅の前に顕現したそれは蛆が這い出してきそうな死体独特の悪臭を放つ黒いボロ布を貫頭衣のようにまとった女。
誰が婆あだ、と小紅は萎縮し始めた肝に嘘を吐くために口笛を吹いた。
女。
ボロ布をまとった悪臭を漂わせる、絶世の美女。
小紅が「誰が婆あだ」と軽薄な悪態を吐くのも解る。
そこに居るのは決して名前から連想される老婆ではない。背丈も小紅と変わらない土気色の肌をした美女だ。
整った輪郭に整然と配置された眉目は容姿端麗というに充分。
怒りの色を帯び、しかし、生気のない黒い眼。意志の固さを誇示する唇。
まともな人間であれば、人外でなければ、過去世は兎も角、現世ではモデル稼業で充分に稼ぐことができる容姿。
ただ、右手に携えた手突き槍――長さ約60cmの柄に約30cmの矛先をした片手で扱う短い槍――と左手の5指の間に挟んだ五寸釘が異様な悪意を孕んでいた。
「ねーねー。美縁さーん。『敵意を持たないタイプ』じゃなかったの?」
美縁を恨めしそうに非難して【槍手婆あ】の縞夜を見据えながら、ゆっくりと【ヘルガ】の銃口をそれの胸元に向ける。
「敵意は感じません。『私たちが人間……人間の手先だから襲うだけです』。【槍手婆あ】のアイデンティティには触れていないみたいです」
「んー。説得力ないね……だけど、まあ、人外に固持する理由を求めるのはいつも野暮だよね」
「なら、先手必勝! 一撃必殺!」
小紅の肩越しにイオリが飛び出し、鉈鎌を風車のように回転させながら【槍手婆あ】の縞夜に突進する。
紫電の速さで放たれた五寸釘も悉く打ち落とす。
違えることなく振り下ろした鉈鎌の刃は唐竹割りに【槍手婆あ】の縞夜の脳天を捉える。
勝利を疑わず、イオリは手にした確実な感触を覚えながら一気に床に切っ先が突き刺さるまで、得物を振り下ろす。
「!」
軽石を叩き割るのに似た音を立てて白骨が転がる。
【槍手婆あ】の縞夜は確実に捉えたはずだが、綺麗な白骨死体が軽い音を立てて足元に崩れるだけだ。【槍手婆あ】の本体は……。
「イオリ!」
発砲。8mm南部はいつの間にかイオリの頭上で舞うように滞空している【槍手婆あ】の縞夜に命中する。
「いーっ!」
「きゃーっ」
2人は一斉に耳を塞いだ。
怪鳥を絞め殺したような甲高い断末魔が廊下に響き渡る。
鼓膜に針で突付かれる痛みが走る。眩暈や頭痛すら覚える叫び声。
8mm南部は確かに命中した。先ほども命中した。人外の体積に関わらず『人間に8mm南部を撃ち込んだように苦しむ』のが【ヘルガ】の能力の一つ。
詰まり……。
「ちっ……『絵の具』め!」
小紅は胎を熱く擽る性欲の度合いが低いことから素早く察した。
「分裂? ……したの?」
「そうね。『この感触は』大雑把に見て二手に分かれたってところかな?」
イオリと背中合わせにして周囲を警戒する。
消えた。【ヘルガ】の8mm南部の直撃を2発も受けた。普通なら長くは生きられないだろう。普通なら陰で悶え苦しんで身動きが取れないであろう。
もしも【ヘルガ】の凶弾を、本体を二分することで、その効力も二分したのなら充分に動けると考えるべきだ。
人間でも極論をいえば関取の腹に22ショートを1発叩き込んで意味のない停止力であるように、見掛けは普通の体躯の女でも中身の生命力や抵抗力は底なしの場合もあり得る。
小紅とて残念ながら【ヘルガ】の能力を100%信用していない。
それは『信頼という意味』で信用していないという意味ではなく、相手が人外である限り、人間が大好きな定義や公式で線引きすることができるケースは稀だからだ。
そのような意味では【ヘルガ】の能力は未知数だといえよう。
人間が定義する概念の信仰対象――あらゆる神仏――をたったの1発で絶命させることができても、綿埃のような小さな不定形浮遊物体の人外を仕留めるのに何千何億の実包が必要になるかもしれない。
【ヘルガ】の存在意義として使用者に快楽を提供する価値を見つけることができなければ、人外に対して攻撃的サディスト的意思を持つことを放棄するだろう。……即ち、人外に対する戦力外に落ちるわけだ。
その【ヘルガ】がまだ小紅の子宮付近で滾るモノを押し付けている間は役に立っている。
――――効いてるよね?
視界の端をちらちらと飛蚊症のごとく移動する黒い影を追いながら、心の中で【ヘルガ】に問うてみる。【ヘルガ】は当たり前に無言。
「小紅!」
「来たね」
イオリと小紅は同時にいう。
風に揺れる蝋燭を思わせるエフェクト効果を引っ提げて2人の目前に【槍手婆あ】の縞夜が現れた。
2人に対して2人の【槍手婆あ】の縞夜。
『絵の具』と隠語で呼ばれるこのタイプは分裂を繰り返せばそれだけ固体の人外的能力は低くなる。頭数が増えれば増えるほど、烏合の衆ができあがる。
「あー。やだねー」
「何がよ?」
「だってさー。この『勝つか負けるか解んないけど、全員突撃』みたいな雰囲気」
「それ、私たち? 敵のこと?」
一拍置いて小紅はやる瀬ない溜息を吐いてはっきり言った。
「私たちに決まってんでしょー」
暫しの沈黙。2人と2体は睨み合う。彼我の距離は等分に4mほど。陽はかなり傾いてきた。夕陽が完全に沈むと……十中八九、【槍手婆あ】の縞夜の天下だろう。
パリンッ。
どこかでガラスが割れる音がした。
イオリの先ほどまでの解体作業で完全に割り損ねた窓ガラスの欠片が落ちて床で割れたのだろう。
小さな小さな可愛らしい破砕音だったが、そのガラスが割れる音を先途に2人は一気に走った。
イオリは五寸釘を打ち落として懐に易々と入り、手突き槍と白兵戦に縺れ込んだ。
熟練の大京八流武術と手数の多さで突きを繰り出す素人業が拮抗している。
イオリと【槍手婆あ】の縞夜の間に小さな火花が無数に咲く。
右手の手突き槍だけで無く、左手の五指に挟んだ五寸釘も打突武器のごとく繰り出す。
歯を食い縛って丁々発止の熱戦を展開するイオリの背後では小紅がいつもの緩い表情を消し、眉に僅かな皺を寄せながら、早くも至近戦に持ち込んでいた。……正確には、至近戦に持ち込まれていた。【ヘルガ】を構える隙も体勢も見付けられないまま、【槍手婆あ】の縞夜の近接を許した。
飛来する五寸釘を交わしたと思ったら喉元を狙う槍の矛先。