御旗を基に

「……」
 反論の余地がない弦屋正秋。確かに、諸々の残党や生き残りをマークしろとは伝達したが、それぞれの連帯まではノーマークだった。
 はみ出し者同士が仲良く手を取る等とは考えも及ばなかった。
「これらは前々から既に『将軍』に報告はしていましたが……」
 追い討ちを掛ける樋川晃に掌をみせて制止する。
「解った解った。悪かったよ。じゃ、お前ぇのプランを聞かせろよ」
 完全に白旗を揚げた弦屋正秋は樋川晃に殺意を含まない眼光――弦屋正秋の普通の目付きなのだ――を向けてコップに満たした冷たい麦茶を一口飲んだ。
  ※ ※ ※
 1週間が経過。
 相変わらずの微妙な戦績を維持しつつ各地区を転戦する鉄英のチーム。
 だが、今日は朝から胸騒ぎがしていた。
 胸騒ぎという表現も的確かどうか不明。
 不安といったほうが最適か。
 手が止まっていた。……ベレッタM84を思い出したように入念にクリーニングする。メンテナンスの最中に呆けてしまっていた。
 何か起きそうな気がする。
 鉄英は落ち着かない心を少しでも和らげる思いでクリーニングリキッドを染みこませたフランネルをロッドでバレルに通す。
 いつも以上にグリースを継ぎ足し、通常分解を組み立てた後にはみ出たグリースをウエスで拭き取る。
 弾倉に詰め込む実包も確実に作動することを期してハイベロシティがキャッチコピーのGecoハイエナジーを選ぶ。
 仲間が1人、撃たれた。
 ……【紺兵党】で初めての犠牲者を出したときの焦燥感に似ている。
 何かが瓦解する音が聞こえてきそうだ。
 1人の負傷から始まった【紺兵党】の凋落。
 今でも鮮明に覚えている。忌々しい面構えの弦屋正秋が放った50口径は仲間の右膝に命中し、50口径はそのまま膝下を衝撃で引き千切った。
 ……戦慄。聞いたこともないような凄まじい発砲音。見たこともないような凄まじい破壊力。
 鉄英とて銃を握る人間だ。
 銃を握って人に銃口を向けるからには自分にも銃口が向けられる覚悟はできている。……それでも足が竦んでしまう破壊力を見せつけられた衝撃と、仲間が不具にされた心理的ショックは忘れられない。
 【紺兵党】時代からのトレードマークであるセンターブルーのスタジアムジャンパーに袖を通してウエストポーチを腰に巻く。装弾済みの10本以上の予備弾倉をウエストポーチに突っ込む。
 『急転直下』
 そんな言葉が鉄英の脳裏を走る。
 チームのメンバーに連絡を取ろうと携帯電話に手を伸ばすが、何故か、手が退く。思い切って携帯電話を手に取る……。が、ダイヤルはプッシュせずポケットに突っ込む。
 午前10時を報せていたデジタル腕時計を手首に巻く。
 曇天の下、安普請のアパートを出る。
 行き先はチームのメンバーが根城にしている各地区の店に向かうためと安全のために常に電話では繋ぎを取らない情報屋に情報を買いに行くため。
「……」
 バスや路面電車を乗り継いで遠回りの道順を辿る。
――――お、いたいた!
 路面電車の窓からチームのメンバーが無防備にふらふらと歩いているのが見えた。
 その後方に明らかにストーキングしている3人の不良的風体をした少年が尾行(つ)けている。
 携帯電話で教えてやろうと、携帯電話を取り出した時、そのメンバーは曲がり角から伸びた手で、誰かに捉まれた……と、そこで車窓をトラックが横切って視界が途切れた僅かな間に、目で追っていたメンバーの姿が見えなくなっていた。
「!」
 それに気を取られたのも束の間で、さり気なくリップミラーを取り出して背後を確認する。隣の車両から鉄英を窺っている少年の姿が2人分確認できた。
 できるだけ平静を装って車窓の外に視線を移す。
 路面電車が停車しても慌てて降車せず、終着まで居座ることにした。
「……」
 停車を繰り返すたびに客層が入れ替わり、次第に視線が強く感じられる。
 今更リップミラーを取り出すまでもない。完全に囲まれている。同じ車両で背中を向けて無関係を装っている奴もいるが、左脇の膨らみは異常に凶悪にみえた。
 与えられた僅かな時間を縫って事態を整理してみた。
 こちらの出方が一挙にばれることは普通は考えられない。何故なら、【首狩瀑布】より決定的に勝利している点。
 豊富な財力で情報屋から逐一細かな情報を買い取っているからだ。
 情報屋が簡単に寝返るような金額は奴らは持ち合わせていない。銃や弾薬を買うのとはわけが違う。
 情報屋も自分自身の信頼がかかった地位を端金でパアにするほど馬鹿じゃない。
 情報屋自身も知らぬ間に欺瞞の情報を本物と偽って買わされたのかも知れない。買わされたというのは正確じゃないのかもしれない。いかにも情報屋が気を利かせたがる――贔屓客に買わせようとする美味い情報を只で仕入れる――ような臭いがする、情報をどこかでばら撒いたのかも知れない。

 終着駅である車庫前駅で降車。
 疎らな乗客の中、平静を崩さずに歩く。
 普段、根城にしている地区の割りに、目立つ物がないので通うことが余りない。慣れない辺鄙な場所。
 シャッターの閉まった店舗が軒を連ねる死に掛けの商店街。住居兼店舗自体も無人が多い。人の気配がしない。たまに、この商店街を抜け道に使おうとする自転車に乗った地元の住民らしき人間と擦れ違う程度だ。
「……」
 大して長くない商店街のほぼ中央で鉄英は歩みを止めた。
 背後に複数の気配がするがいずれも隠すつもりのない殺気を沸騰させている。
 逃げも隠れもできない状況。
 不意に振り向いてやる。
 それでもそこに居並ぶ6人の愚連隊風情は――撃ってくれと言わんばかりに――横一列に並んで、面構えにしっくりくる個性的なガンを飛ばしていた。
 彼我の距離10m。
 人気はなく障害物もない状況。最早遁走を計ることは不可能だった。
 否、抵抗せずに遁走を計るのなら無理であって、厳しいながらも抵抗を試みれば排撃が勝利に終わる可能性がある。
「……」
「……」
 互いの空間が捻じれるほどに殺意と殺気が掻き混ぜられて、鉄英の秀麗な眉目にまで浅い皺が寄る。
 捲土重来を図って以来の危機。
 いつの世も一定以上の人徳を持つ頭目の死去は集団の精神的死去を意味する。
 ……勿論のこと。
 ……鉄英は、負けるわけには、いかなかった。
「!」
 突然、鉄英は深く腰を落として右手を左脇に滑り込ませた!
 イニシアチブを握られたと焦った目前の6人も鉄英より速度は劣るものの、懐や腰に手を伸ばす。
 焦った顔色が瞬間的に冷静を取り戻したところをみると矢張り、場数を踏んだ連中なのだろう。
 鉄英は右脇のベレッタM84を抜かずに素早く踵を返して走り去る。
「逃げた!」
 連中の誰かが叫ぶ。
 安全装置を解除して漸く発砲。
 10m以上先をジグザグで走る動体目標の鉄英を確実に仕留めるには無理がある。
 何発かは鉄英のスタジアムジャンパーの裾に丸い孔を空けたが、多くは虚しく空を射抜く。
 連中が走りつつ発砲という愚行を行わないのは訓練されたからか自己の経験からか。
 もしも連中が一斉に走り出して鉄英を追い駆けていたら状況は変わっていた。
 ガバクローンの心許ない弾倉はあっという間に空になり、再装填を行いながら揃わない足取りで連中が鉄英を追い駆け始めた。
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