御旗を基に
朝日を背に浴びてハンドルを駆り、何かと喧しいアルファロメオのジャジャ馬エンジンを抑えながらやってきたのは山腹にある、第三国マフィアが運営するヤードだった。
普通に考えればお門違いだろう。
勿論、解体すればアルファロメオの価値がガタ落ちする。
ややこしい話しだが、このヤードは国内でホットマネーをクリーニングするための隠れ蓑だ。
高価なものや通し番号の入った新札の束をそのまま使えばアシが付くので使い古された札束に換金する必要がある。若しくは非合法に入手した高価な品々を正式な鑑定書を貼り付けて堅気の世界で堂々と使えるようにする必要がある。
そこで、高級車を転売する窓口を開設しているこのヤードに買い取ってもらい、その金額を全てその場でクリーニングする。
手数料は少し高いが手間が掛らず、一定額以下の金額であればその場で即、現金化できる。
清水一意が提供したアルファロメオ・ジュリエットスパイダーはここで現金化するために、鉄英が清水一意に頼んで寄越してもらったものだ。
車検証や権利に関する書類は全て揃っており、偽造がスムーズに進むように、千歳飴――偽造印鑑――もあらかじめ用意してある。
鉄英に関わる本家の人間が本物を用意したのだから、高く売れないわけがない。
その辺りもマーケティング済みで、暗黒社会の富裕階層にいる、クラシックスポーツカー専門のカーマニアが50年代の赤いアルファロメオを血眼になって探しているのを知っている。鉄英はそれも鑑みて59年型の赤いアルファロメオを清水一意に持って来てもらった。
……これが、鉄英の財布が『非常時であっても温かい理由』のタネ明かしだ。
何とも甘ったれた金策である。
金策自体に鉄英は何も思うところはない。ただの一言。誰かが制止してくれる一言を発するのを待っているだけだ。
彼女の名誉のためにつけ加えるのならば。
彼女が実家と連絡を取り、祖父の懐に取り入ったのは【紺兵党】が壊滅してからだ。
それ以前は粗食と安普請で餓えと雨露を凌ぎ、傷病を自前の回復力だけで癒してきた。
鉄英の見境がなくなったのは【紺兵党】の壊滅後だ。
物の価値を知らぬアル中のヤクザに10万円分のビール券と引き換えに譲って貰ったベレッタM84。
錆びかけていたそれを完全にオーバーホールし、9mmショートが解決できる範囲の揉めごとは全て自力で乗り切った。
ベレッタM84を握る彼女に同調する少女たち。
一人、また一人と集う少女たち。
いつしか、鉄英は粗暴な集団の中心で頭脳となり指先となり、掛け替えの無い居場所を自分で創り上げた。
何より、それが誇らしかった。いつの間にかでき上がってしまっていた一つの塊が、振り返ってみれば、今までに感じたことがないような充足感と達成感を与えてくれて……『他者との団結』を教えてくれた。
荒廃し、寒風が薙ぐ鉄英の心に真夏の一時に訪れる爽涼な風にも似た居心地を与えてくれた。
名門の令嬢というだけで幼い頃より誰もが腫れ物に触るように接してきた。
友達どころか気軽に話せる知人もいない。
家族も閉鎖的で排他的な性質で優等思想が強い。そんな環境で育った思春期の少女が健全に歩めるわけもなく、ほどなくして非行に走り素行不良が目立つようになる。
折角入学した高校も1年生の3学期で自主退学『させられた』。
家を飛び出してからは社会的底辺を這い回り、警察沙汰になるたびに財閥の圧力で揉み消されてきたが、それですらも鉄英は気に入らなかった。
研ぎ澄ました諸刃の剣。
納まる鞘を持たず、自分も他人も傷付ける人斬り包丁。
全てに対して反抗を叫びたい渇望が渦巻いていた鉄英が、破壊衝動と厭世が常に沸騰している彼女が、初めて築いた【紺兵党】という社会不適格者集団に愛情を傾けないわけがなかった。
然るに。
ゆえに。
だからこそ。
【紺兵党】を壊滅させられた反動は凄まじかった。
その反動と同じく湧き上がった自分でも認めたくない心境……それが、『引退』を勧めてくれる一言。
……だが、誰も居ない。
嘗ての仲間も。
清水一意でさえ。
止められない。
止めて欲しい。
二律背反が沸き立つ。
鉄英自身も悟っている。
中途半端な覚悟の上での犯罪行為に頭の天辺まで浸かりきっている。
碌な死に方をしない。それは恐怖の圏外だ。鉄英にとって恐怖というものは、何も定まらず、情動だけが入道雲のように膨れ上がって満足な『死に果て方』ができないこと。
ドブネズミのごとく、下水に死体が浮いても死に場所としては上等だと思っている。
最期に自分があるべき姿と場所を掴んだか否かが重要だ。
救済は要らない。
本懐とは何か?
今は恨み節を実行することだけが生き甲斐。
その恨みも、『何に対しての恨み』なのか。
【首狩瀑布】を一人残らず撃ち殺せば得られるものか?
大人しく実家に戻って飼い慣らされた猫に成り果てることか?
野獣のような孤高の存在には到底なりきれない。
人間性の破滅に向かって堕落を続けるしかない。
それが……それが『真桐鉄英という、不安定で禍々しい闇の塊』。
※ ※ ※
「いや、ちょ!」
加瀬肇(かせ はじめ)は敵の猛烈な追撃に舌を巻いたまま、無様な膠着を余儀なくされていた。
【首狩瀑布】構成員で治める地区の西部を統括する代表だった。
今年20歳になる、新進気鋭のホープ。
赤く染めて逆立たせたトサカ髪が印象的な長身痩躯の青年。
愛用の拳銃は【首狩瀑布】内で口径が統一されている45口径のガバクローン……ではなく、自腹を切って購入したスターモデルMD。
B級アクション映画ではガバメントの代用として多用されるスターモデルMのマシンピストル版。
スタイルはガバを踏襲しているつもりでも滲み出るシルエットはガバとはほど遠い。
45口径でその他多数のガバクローンと共用できる弾倉を使用することから【首狩瀑布】内での使用が認められている。
【首狩瀑布】内部では口径と弾倉の規格を統一してチーム内の兵站を潤滑にすることを運営基盤の一つとして掲げている。
どんな人間でも一発でも当ればノックダウンさせる停止力が買われて45口径がスタンダードとなっている。
手勢11人。
西部地区を根城にする半数以上のメンバーが商店街の裏道にある喫茶店でたむろしているところを『敵チーム』の襲撃を受けた。
最近、小さな勢力が【首狩瀑布】にちょっかいを出しているので密な連絡をよこすようにと本部から何度か連絡があった。
その情報収集のために加瀬肇もこまめに街角の情報屋から他チームの動向を買い取り、手下に裏取りをさせていたが……情報漏れか、売られたか、様々な原因が考えられるがこんなに大規模な襲撃がどこかのチームで企てられていたとは聞いていない。
短機関銃の一連射を合図に、たむろしていた喫茶店が、改装が必要なほどの銃弾を叩き込まれる。
短機関銃の数は1挺だが、9mmパラベラムの軽快な発砲音が絶え間なく聞こえる。
いずれも9mm口径の域を出ないエネルギーなのでコンクリの壁に隠れるか、床に這い蹲って頭を抱えていれば直撃は免れる。
……そう。大人しくしていれば、だ。
普通に考えればお門違いだろう。
勿論、解体すればアルファロメオの価値がガタ落ちする。
ややこしい話しだが、このヤードは国内でホットマネーをクリーニングするための隠れ蓑だ。
高価なものや通し番号の入った新札の束をそのまま使えばアシが付くので使い古された札束に換金する必要がある。若しくは非合法に入手した高価な品々を正式な鑑定書を貼り付けて堅気の世界で堂々と使えるようにする必要がある。
そこで、高級車を転売する窓口を開設しているこのヤードに買い取ってもらい、その金額を全てその場でクリーニングする。
手数料は少し高いが手間が掛らず、一定額以下の金額であればその場で即、現金化できる。
清水一意が提供したアルファロメオ・ジュリエットスパイダーはここで現金化するために、鉄英が清水一意に頼んで寄越してもらったものだ。
車検証や権利に関する書類は全て揃っており、偽造がスムーズに進むように、千歳飴――偽造印鑑――もあらかじめ用意してある。
鉄英に関わる本家の人間が本物を用意したのだから、高く売れないわけがない。
その辺りもマーケティング済みで、暗黒社会の富裕階層にいる、クラシックスポーツカー専門のカーマニアが50年代の赤いアルファロメオを血眼になって探しているのを知っている。鉄英はそれも鑑みて59年型の赤いアルファロメオを清水一意に持って来てもらった。
……これが、鉄英の財布が『非常時であっても温かい理由』のタネ明かしだ。
何とも甘ったれた金策である。
金策自体に鉄英は何も思うところはない。ただの一言。誰かが制止してくれる一言を発するのを待っているだけだ。
彼女の名誉のためにつけ加えるのならば。
彼女が実家と連絡を取り、祖父の懐に取り入ったのは【紺兵党】が壊滅してからだ。
それ以前は粗食と安普請で餓えと雨露を凌ぎ、傷病を自前の回復力だけで癒してきた。
鉄英の見境がなくなったのは【紺兵党】の壊滅後だ。
物の価値を知らぬアル中のヤクザに10万円分のビール券と引き換えに譲って貰ったベレッタM84。
錆びかけていたそれを完全にオーバーホールし、9mmショートが解決できる範囲の揉めごとは全て自力で乗り切った。
ベレッタM84を握る彼女に同調する少女たち。
一人、また一人と集う少女たち。
いつしか、鉄英は粗暴な集団の中心で頭脳となり指先となり、掛け替えの無い居場所を自分で創り上げた。
何より、それが誇らしかった。いつの間にかでき上がってしまっていた一つの塊が、振り返ってみれば、今までに感じたことがないような充足感と達成感を与えてくれて……『他者との団結』を教えてくれた。
荒廃し、寒風が薙ぐ鉄英の心に真夏の一時に訪れる爽涼な風にも似た居心地を与えてくれた。
名門の令嬢というだけで幼い頃より誰もが腫れ物に触るように接してきた。
友達どころか気軽に話せる知人もいない。
家族も閉鎖的で排他的な性質で優等思想が強い。そんな環境で育った思春期の少女が健全に歩めるわけもなく、ほどなくして非行に走り素行不良が目立つようになる。
折角入学した高校も1年生の3学期で自主退学『させられた』。
家を飛び出してからは社会的底辺を這い回り、警察沙汰になるたびに財閥の圧力で揉み消されてきたが、それですらも鉄英は気に入らなかった。
研ぎ澄ました諸刃の剣。
納まる鞘を持たず、自分も他人も傷付ける人斬り包丁。
全てに対して反抗を叫びたい渇望が渦巻いていた鉄英が、破壊衝動と厭世が常に沸騰している彼女が、初めて築いた【紺兵党】という社会不適格者集団に愛情を傾けないわけがなかった。
然るに。
ゆえに。
だからこそ。
【紺兵党】を壊滅させられた反動は凄まじかった。
その反動と同じく湧き上がった自分でも認めたくない心境……それが、『引退』を勧めてくれる一言。
……だが、誰も居ない。
嘗ての仲間も。
清水一意でさえ。
止められない。
止めて欲しい。
二律背反が沸き立つ。
鉄英自身も悟っている。
中途半端な覚悟の上での犯罪行為に頭の天辺まで浸かりきっている。
碌な死に方をしない。それは恐怖の圏外だ。鉄英にとって恐怖というものは、何も定まらず、情動だけが入道雲のように膨れ上がって満足な『死に果て方』ができないこと。
ドブネズミのごとく、下水に死体が浮いても死に場所としては上等だと思っている。
最期に自分があるべき姿と場所を掴んだか否かが重要だ。
救済は要らない。
本懐とは何か?
今は恨み節を実行することだけが生き甲斐。
その恨みも、『何に対しての恨み』なのか。
【首狩瀑布】を一人残らず撃ち殺せば得られるものか?
大人しく実家に戻って飼い慣らされた猫に成り果てることか?
野獣のような孤高の存在には到底なりきれない。
人間性の破滅に向かって堕落を続けるしかない。
それが……それが『真桐鉄英という、不安定で禍々しい闇の塊』。
※ ※ ※
「いや、ちょ!」
加瀬肇(かせ はじめ)は敵の猛烈な追撃に舌を巻いたまま、無様な膠着を余儀なくされていた。
【首狩瀑布】構成員で治める地区の西部を統括する代表だった。
今年20歳になる、新進気鋭のホープ。
赤く染めて逆立たせたトサカ髪が印象的な長身痩躯の青年。
愛用の拳銃は【首狩瀑布】内で口径が統一されている45口径のガバクローン……ではなく、自腹を切って購入したスターモデルMD。
B級アクション映画ではガバメントの代用として多用されるスターモデルMのマシンピストル版。
スタイルはガバを踏襲しているつもりでも滲み出るシルエットはガバとはほど遠い。
45口径でその他多数のガバクローンと共用できる弾倉を使用することから【首狩瀑布】内での使用が認められている。
【首狩瀑布】内部では口径と弾倉の規格を統一してチーム内の兵站を潤滑にすることを運営基盤の一つとして掲げている。
どんな人間でも一発でも当ればノックダウンさせる停止力が買われて45口径がスタンダードとなっている。
手勢11人。
西部地区を根城にする半数以上のメンバーが商店街の裏道にある喫茶店でたむろしているところを『敵チーム』の襲撃を受けた。
最近、小さな勢力が【首狩瀑布】にちょっかいを出しているので密な連絡をよこすようにと本部から何度か連絡があった。
その情報収集のために加瀬肇もこまめに街角の情報屋から他チームの動向を買い取り、手下に裏取りをさせていたが……情報漏れか、売られたか、様々な原因が考えられるがこんなに大規模な襲撃がどこかのチームで企てられていたとは聞いていない。
短機関銃の一連射を合図に、たむろしていた喫茶店が、改装が必要なほどの銃弾を叩き込まれる。
短機関銃の数は1挺だが、9mmパラベラムの軽快な発砲音が絶え間なく聞こえる。
いずれも9mm口径の域を出ないエネルギーなのでコンクリの壁に隠れるか、床に這い蹲って頭を抱えていれば直撃は免れる。
……そう。大人しくしていれば、だ。
