御旗を基に

 鉛をぶらさげたような体が正常を取り戻したときは既に翌日の午前3時だった。
 シーツを取り替えたばかりの布団に寝転がると今度は心地良い疲れを感じて途端に睡魔に襲われた。抵抗することなく眠りに落ちる。
  ※ ※ ※
「なるほど。【紺兵党】のリーダーか」
 弦屋正秋は各地区を統括する連絡員からの定時報告を聞き終えると、足元で右足を失った、血染めの特攻服を着た青年に向かって無造作にLARグリズリーから50口径を放った。距離1m50cm。
 外しようのない距離で右足を欠損したばかりの青年の頭部は、西瓜を金属バットで叩き割ったような射出孔を作り、顎だけを残し、絶命する。足を失っても止血すれば助かるが、頭部を失っては止血しても無意味だ。
 【首狩瀑布】の根城の街外れにある港湾部で構成員だけの数では【首狩瀑布】の総数と同じ暴走族の一団を襲撃した後の現場での出来事。
 硝煙とガソリンと鉄錆び臭い血の香りが立ち込める倉庫街の一角で一方的な屠殺に始終した抗争。
 この暴走族も近いうちに絶滅させるターゲットとして【首狩瀑布】のリストに上がっていた。
 バイクの咆哮と飛び交う火線と吹き上がる罵詈雑言のなかで、【首狩瀑布】内で選抜された20人を引き連れて包囲戦から始まった抗争は、50人前後からなる地元でも有名な暴走族の全滅で幕を閉じた。
 円陣を組むようにたむろする集団目掛けて、手榴弾の波状投擲。次いで火炎瓶で退路を塞いで行き場を失った集団を¬(かぎ)字陣形に展開した【首狩瀑布】がひたすら、銃撃。
 奇襲に於ける瞬間的圧倒的火力で勝利した。
 その襲撃の最中に構わずに携帯電話に入電させた報告を、弦屋正秋は聞いていたのだ。
 左手で携帯電話を扱い、右手のLARグリズリーで遁走を計る残党狩りに徹した。
 いつも影のように付き従う樋川晃の姿は無い。
 港湾部まで『遠征中』でリーダー不在の【首狩瀑布】を代理でまとめるべく拠点の【たつみ屋】で待機。
 各地区からの弦屋正秋に対する伝達や連絡はメールを使わず、できる限り声でコンタクトをとることを義務付けている。
 メールの文面では語彙のバラつきが大きく、文言のニュアンスから真意を計ることが時として難しいからだ。
「しつこい女は嫌いじゃないがな……」
 以前に矢鱈と勘のいい動きと、人望を持った小癪な女が率いる集団を潰したことがあったかな? と弦屋正秋の記憶が回転し始めた。
「まあ、いいさ。手痛い損害を蒙ったんじゃない。失った手勢は『貴重だが、軽微』だ。そんなことより、その女が本格的に新しいチームを作っているわけじゃなさそうだから、監視だけに留めておけ」
 弦屋正秋は連絡要員にそれだけ伝えると通話を切って作業ベストのポケットに突っ込む。
 辺りを見回し、大きく息を吸い込んで「撤収!!」と叫ぶ。残党狩り――既に死体となった暴走族のメンバーに丁寧に銃弾を叩き込んでいた【首狩瀑布】選抜隊――を行っていた連中は4、5人一塊で別々のルートを辿って撤収を始めた。
 団子で撤収を始めたのでは色々と難がある。
 構えていた敵の別働隊に自分たちと同じ戦法で全滅させられるかも知れないし、暴走族と同じく大集団で通りを闊歩していたのではアシがつきやすい。
 警察を撒くのは簡単だが、遭遇するたびに遁走を試みなければならないので面倒臭い。
  ※ ※ ※
「ねえ。清水さん」
「……」
 前日に【首狩瀑布】が地元の暴走族を壊滅させた港湾部内の反対の突堤付近で鉄英は灰墨色のスーツを着込んだ長身の中年と会合していた。
 男の名は清水一意(しみず いちい)。年の頃40代前半。長身で頑強な体躯と野性味の強い無骨な顔つきが印象的な男だった。
 2人は会話をしているはずなのに視線を交わすことがない。そればかりか、距離を置いて背中合わせに立ち、他人同士を装う仕草で立ち竦んでいる。
 彼我の距離4m。
 その間に挟まれているのは赤いアルファロメオ・ジュリエットスパイダー。
 典型的高級スポーツカーで59年式750D型。中古でも600万円は下らないグレードを保った1.3Lクラスのスポーツカー。幌も新品同様で問題無く作動する。
 鉄英の右手にはジュリエットのキーが握られており、時折、暇を持て余したようにクルリと指先で廻す。
 清水一意。旧華族の直系財閥である真桐グループの中枢を支える『顧問会』の取締役の一人……に付き従う執務頭。……それが表向きの立場。実際は鉄英の祖父である真桐グループ総裁の『雑用係』。
 あらゆる圧力を用いて対抗組織やグループ内派閥を統治して管理する役職と権限を与えられた若手の重鎮だ。
 今、清水の番犬とも喩えられる強面のエグゼクティブは感情の窺えない面持ちで、ナットシャーマン・ブラック&ゴールドを銜えていた。
 清水が真桐グループ総裁より与えられた密名は唯一つ。
 総裁の孫娘・鉄英を影からバックアップすること。護衛ではない。援護だ。
 鉄英の選んだ路で鉄英自身が破滅を迎えるのなら、それは清水の責任ではない。人を殺めようが青酸カリを嚥下しようがそれが鉄英の選んだ末期なら問題はない。
 鉄英の生来の性格が禍して無頼放蕩が祟り、父親に派手に勘当された孫娘を不憫に思った祖父が、馬鹿さ加減を出して甘やかしているだけの『援護』でしかない。
 冷淡な感情でのみ仕事に徹する清水からすれば『鉄英の父のコレクションの極々々一部でしかないアルファロメオを書類上で細工して』鉄英に譲渡させることはダイレクトメールをシュレッダーに掛けるのと同じくらいに事務的で簡単な仕事だった。
 感情は一切挟まない。
 援護対象が『間接的に金になる資産』を所望したから細工しやすい個人所有の物品を引き渡したに過ぎない。
 こんなときなら……遊びたい盛りの少女とも女ともいえる微妙な年齢の女性なら、無限に金品が溢れ出る打ち出の小槌を持って来てくれるのなら、ティラノサウルスにだって抱き付いてキスをするだろう。
 背中越しの不良娘は沈んだ笑顔を見せるだけだ。
「……」
 清水は半分ほどの長さになったナットシャーマンの紙巻を携帯灰皿に押し込む。
 一息置いてきびすを返し一礼すると、「それではこれで」と一言だけのこして歩いて去る。
 朝日が昇って間もない時間での出来事だ。
 鉄英も無言でアルファロメオ・ジュリエットスパイダーに乗り込むとキーを捻る。
 右脛の擦過傷が回復し始めて薄皮が張り始めたのでアクセルを踏む度にむずむずと違和感がする。
 完璧に近いレストアを施されたエンジンは不調を訴えることなく素直に初期のアルファロメオ独特の唸り声を挙げる。
 言えない。
 言えるはずもないし、言える理由もない。
 今の私を止めてくれと、どの面をさげてどこの誰にいえばいいのか解らない。
 ……半面、止めてくれるな。
 悔しさと恨みを晴らすまでは生き恥も忸怩たるものを堪えて、生き抜いてみせる……そんなアンビバレンスを抱いた心では、消散した【紺兵党】に見せる顔がない。
 さっさとアシを洗うのも一手。深みに挑むのも一手。きっと、自分は大きな選択を迫られているんだと考えるしかなかった。

 ヤード。
 盗難車を専門に解体する闇工場全般を指す。
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