御旗を基に
目の前のちょっとした贔屓様である少女・真桐鉄英は一向に譲らない。
どうしてもリコイルスプリングを交換して欲しいと食い下がったのだ。
問題はその交換だ。ごく初期のベレッタM84のリコイルスプリングは少しばかり長い。ゆえにマイルドな射撃感を射手に提供していたのだが、現行モデルでは僅かに短い。従って他メーカーの同寸パーツを組み込めば解決なのだが、ここに存在するベレッタM84のスプリングスペースにジャストフィットするスプリングは現在では廃盤だ。
そもそも、ベレッタM84専用に開発されたパーツは、様々なモデルチェンジを経て簡単には流用できない。
ベレッタM84FSのデコッキングセフティと連動している機関部のパーツが最たる例だ。
外見は似ているが中身は度重なる『改悪』のお陰で別物に変貌している。
引き金や撃鉄といった露出したパーツならば、時間を掛ければ削り出しで拵えることが可能だが、『廃盤のスプリングを拵えて不具合が発生しないようにスプリングが掛る底部を削る』となると、話しは大きく変わってくる。
ヤスリで一削りでもしようものいなら、その時点でベレッタM84クロッシェントモデルの価値は大きく損なわれる。
『価値より実用性』。
これを譲らない困った客の訪問に悩んでいる。
「はぁー……」
鉄英は首を項垂れて苦い顔を作る。「ようやくく考え直してくれたか!」と田巻店主は安堵したが、その穏やかになった顔はすぐに変貌する。
「しょうがないわね。じゃ、コレで」
鉄英は足元の小型ボストンバッグをカウンターに乗せて開いて中身を見せた。
「!」
「足りる?」
悪戯っぽくニンマリと笑う鉄英。
ボストンバッグの中身は使い古された万札が、100枚毎に輪ゴムで束ねられて20束ほど詰め込まれている。
中には血が乾いた跡が見える1万円札も混じっている。
鉄英の最後の手段。金で黙らない人間は居ない。この世の万事は金で解決する。
「……」
「……」
しばしの沈黙の後、田巻店主は困惑の表情を押し出し、そのボストンバッグを受け取った。職人気質の意気込みが金の力で折れた瞬間だ。
「お嬢ちゃんよ、これだけ札束が有ればもっと優秀な……」
「野暮なことは言わないでちょうだいね。『私は頭の悪さだけでドブの中を生きて来たんだから』」
鉄英は人差し指を唇に当てて可愛らしくウインクする。
「本物の馬鹿なんだな」
田巻店主は口をへの字に曲げて肩を竦めた。
鉄英が【田巻銃砲店】の裏口から裏路地に出たときには深夜3時を経過していた。
朝の冷え込みが襲い掛かる直前の時間帯。
風の流れも変わってくる。
夜の時間もそろそろお終いの浅く深い時間。近郊の商店街での一コマ。
【田巻銃砲店】はこの商店街より郊外にある射撃場に近い位置にあり、競合店のない銃砲店だから、普通に経営していても儲けは安定している。
「寒い……」
呟く。咳き込むような街灯の下を歩き出し、完全に夜が明けるまでにこの商店街から姿を消した。
※ ※ ※
弦屋正秋(げんや まさあき)。22歳。180cmの恵まれた体躯。
蜜柑箱に筋肉をコーティングしたようなバネの利いた逞しい肢体は打撃系格闘技の現役選手を連想させる。
紫で統一された作業ベストに特攻服のズボン。頭には鋏でツバを短く切り落としたウッドランド迷彩のブッシュハット。作業ベストの下には長銃身拳銃のホルスター。それも両脇に。左脇にはLARグリズリーの50AE。右脇には水平2連発ソウドオフショットガン。腰のベルトには手榴弾ホルダーが付いたM16用30連マグポーチ。そして、それらを隠すつもりがあるのかないのか、七分袖の長羽織に袖を通すことはなく、肩掛けにしている。
弦屋正秋こそがこの街を我が物顔で練り歩く『素行不良の総合商社』こと、【首狩瀑布】の大代表。
リーダーや総長とは名乗らない。【首狩瀑布】内では上下関係が非常に希薄で、明確なヒエラルキーが定義されていない。
実にフランク……といえば聞こえはいいが、危機管理に対する意識が低いともとれる。
【首狩瀑布】の強みは実はそこにある。
何人かの代表格がそれぞれの傘下を管理し、末端からの意見や意向を常に把握して大代表の弦屋正明が『民主主義的采配』で組織を主導する。
他のチーマーのシマを乗っ取る際にもこの形態が発揮され、多数が『正しい』と判断しないと『例え有意義なカチコミでも敢行することはない』。
その結果、悪い方向に風向きが変わっても一人のリーダーが勝手に決めた事柄の末の出来事ではなく、多数の人間が『正しい』と判断して行った結果なので誰も文句はいわない。文句がいえる状況ではなくなる。
この大家族主義な集団こそが真桐鉄英率いる【紺兵党】を壊滅に追いやった勢力だ。
【首狩瀑布】の構成員は47人。
現在では公安に要注意集団としてグレーリストに名前を刻まれている。
ゴリラより僅かに人間寄りにハンサムな弦屋正秋は根城として活用している、古びた定食屋【たつみ屋】で、白飯大盛りとメンチカツ定食を長ネギの味噌汁で胃袋に流し込みながら配下の伝える『日報』に耳を寄せる。
組織全体の把握こそが【首狩瀑布】の鍵であるゆえに、顔に似合わず細かな報告、連絡、相談を徹底させていた。
強力なカリスマ性だけでは一個の集団を掌握することは難しい。人の心を掴む人徳と、適材適所を図る能力は別物だ。
裏切り者の炙り出しから外部組織との交渉まで『民主主義的』に進行させるには横の連携を強化し、議長となり司会進行する人間が必要だ。この場合、【首狩瀑布】大代表の弦屋正秋が議長である。
20人も入れば満員の札を出さなければならない場末の定食屋で、各地区を暫定的に任せた代表者が放った『日報』の連絡員が弦屋正秋の前で列を作り報告を読み上げる。
全員が『日報』を読み終えたあとも薄汚い定食屋の一角を占拠して、控えていた数少ない直属の手勢の一人である樋川晃(ひかわ あきら)が弦屋正秋に声を掛ける。
斜に構えた風体をしていたが、顔つきは不良というより人一倍威勢が良い若者という印象が強い好青年だった。
「弦屋『将軍』、最後にあまりいい報せでないことが……」
樋川晃は弦屋正秋の席の背中隣に座ると抑揚なく話し始めた。
「【紺兵党】の生き残りがウチの下っ端を尾行(つ)けているらしいです」
「【紺兵党】? そんなの忘れた。で、報告にも上がってこないのを何故お前が知っている?」
別段、機嫌が変わることがない弦屋正秋。
「大反抗の前触れかと。生き残り同士が結託して一大勢力を地下で作っていないという保証はありません」
「で、お前はどうしたい?」
「【首狩瀑布】より大きな勢力になる前に潰しておいた方がよいかと」
「……なら、俺達も地下に潜るまでだ」
意外な返答に毒気を抜かれる樋川晃。
外見に似合わず、弦屋正秋と云う人物は策略家的な穏健派の顔を見せたからだ。
「烏合の衆が作った勢力なんざ、所詮団結力は知れている。このシマを塗り替えても今度は身内同士で殺し合いが始まる。なら、そのチームの結束が弱まった頃に『一番強いチーム』を潰せばことは問題は簡単に消せる」
最小限の暴力で最大の効果を発揮することを『作戦の教義』とする弦屋は粗暴な振る舞いとは裏腹に繊細な戦略眼を持っていた。
「ソイツは放っておけ」
「……はい」
どうしてもリコイルスプリングを交換して欲しいと食い下がったのだ。
問題はその交換だ。ごく初期のベレッタM84のリコイルスプリングは少しばかり長い。ゆえにマイルドな射撃感を射手に提供していたのだが、現行モデルでは僅かに短い。従って他メーカーの同寸パーツを組み込めば解決なのだが、ここに存在するベレッタM84のスプリングスペースにジャストフィットするスプリングは現在では廃盤だ。
そもそも、ベレッタM84専用に開発されたパーツは、様々なモデルチェンジを経て簡単には流用できない。
ベレッタM84FSのデコッキングセフティと連動している機関部のパーツが最たる例だ。
外見は似ているが中身は度重なる『改悪』のお陰で別物に変貌している。
引き金や撃鉄といった露出したパーツならば、時間を掛ければ削り出しで拵えることが可能だが、『廃盤のスプリングを拵えて不具合が発生しないようにスプリングが掛る底部を削る』となると、話しは大きく変わってくる。
ヤスリで一削りでもしようものいなら、その時点でベレッタM84クロッシェントモデルの価値は大きく損なわれる。
『価値より実用性』。
これを譲らない困った客の訪問に悩んでいる。
「はぁー……」
鉄英は首を項垂れて苦い顔を作る。「ようやくく考え直してくれたか!」と田巻店主は安堵したが、その穏やかになった顔はすぐに変貌する。
「しょうがないわね。じゃ、コレで」
鉄英は足元の小型ボストンバッグをカウンターに乗せて開いて中身を見せた。
「!」
「足りる?」
悪戯っぽくニンマリと笑う鉄英。
ボストンバッグの中身は使い古された万札が、100枚毎に輪ゴムで束ねられて20束ほど詰め込まれている。
中には血が乾いた跡が見える1万円札も混じっている。
鉄英の最後の手段。金で黙らない人間は居ない。この世の万事は金で解決する。
「……」
「……」
しばしの沈黙の後、田巻店主は困惑の表情を押し出し、そのボストンバッグを受け取った。職人気質の意気込みが金の力で折れた瞬間だ。
「お嬢ちゃんよ、これだけ札束が有ればもっと優秀な……」
「野暮なことは言わないでちょうだいね。『私は頭の悪さだけでドブの中を生きて来たんだから』」
鉄英は人差し指を唇に当てて可愛らしくウインクする。
「本物の馬鹿なんだな」
田巻店主は口をへの字に曲げて肩を竦めた。
鉄英が【田巻銃砲店】の裏口から裏路地に出たときには深夜3時を経過していた。
朝の冷え込みが襲い掛かる直前の時間帯。
風の流れも変わってくる。
夜の時間もそろそろお終いの浅く深い時間。近郊の商店街での一コマ。
【田巻銃砲店】はこの商店街より郊外にある射撃場に近い位置にあり、競合店のない銃砲店だから、普通に経営していても儲けは安定している。
「寒い……」
呟く。咳き込むような街灯の下を歩き出し、完全に夜が明けるまでにこの商店街から姿を消した。
※ ※ ※
弦屋正秋(げんや まさあき)。22歳。180cmの恵まれた体躯。
蜜柑箱に筋肉をコーティングしたようなバネの利いた逞しい肢体は打撃系格闘技の現役選手を連想させる。
紫で統一された作業ベストに特攻服のズボン。頭には鋏でツバを短く切り落としたウッドランド迷彩のブッシュハット。作業ベストの下には長銃身拳銃のホルスター。それも両脇に。左脇にはLARグリズリーの50AE。右脇には水平2連発ソウドオフショットガン。腰のベルトには手榴弾ホルダーが付いたM16用30連マグポーチ。そして、それらを隠すつもりがあるのかないのか、七分袖の長羽織に袖を通すことはなく、肩掛けにしている。
弦屋正秋こそがこの街を我が物顔で練り歩く『素行不良の総合商社』こと、【首狩瀑布】の大代表。
リーダーや総長とは名乗らない。【首狩瀑布】内では上下関係が非常に希薄で、明確なヒエラルキーが定義されていない。
実にフランク……といえば聞こえはいいが、危機管理に対する意識が低いともとれる。
【首狩瀑布】の強みは実はそこにある。
何人かの代表格がそれぞれの傘下を管理し、末端からの意見や意向を常に把握して大代表の弦屋正明が『民主主義的采配』で組織を主導する。
他のチーマーのシマを乗っ取る際にもこの形態が発揮され、多数が『正しい』と判断しないと『例え有意義なカチコミでも敢行することはない』。
その結果、悪い方向に風向きが変わっても一人のリーダーが勝手に決めた事柄の末の出来事ではなく、多数の人間が『正しい』と判断して行った結果なので誰も文句はいわない。文句がいえる状況ではなくなる。
この大家族主義な集団こそが真桐鉄英率いる【紺兵党】を壊滅に追いやった勢力だ。
【首狩瀑布】の構成員は47人。
現在では公安に要注意集団としてグレーリストに名前を刻まれている。
ゴリラより僅かに人間寄りにハンサムな弦屋正秋は根城として活用している、古びた定食屋【たつみ屋】で、白飯大盛りとメンチカツ定食を長ネギの味噌汁で胃袋に流し込みながら配下の伝える『日報』に耳を寄せる。
組織全体の把握こそが【首狩瀑布】の鍵であるゆえに、顔に似合わず細かな報告、連絡、相談を徹底させていた。
強力なカリスマ性だけでは一個の集団を掌握することは難しい。人の心を掴む人徳と、適材適所を図る能力は別物だ。
裏切り者の炙り出しから外部組織との交渉まで『民主主義的』に進行させるには横の連携を強化し、議長となり司会進行する人間が必要だ。この場合、【首狩瀑布】大代表の弦屋正秋が議長である。
20人も入れば満員の札を出さなければならない場末の定食屋で、各地区を暫定的に任せた代表者が放った『日報』の連絡員が弦屋正秋の前で列を作り報告を読み上げる。
全員が『日報』を読み終えたあとも薄汚い定食屋の一角を占拠して、控えていた数少ない直属の手勢の一人である樋川晃(ひかわ あきら)が弦屋正秋に声を掛ける。
斜に構えた風体をしていたが、顔つきは不良というより人一倍威勢が良い若者という印象が強い好青年だった。
「弦屋『将軍』、最後にあまりいい報せでないことが……」
樋川晃は弦屋正秋の席の背中隣に座ると抑揚なく話し始めた。
「【紺兵党】の生き残りがウチの下っ端を尾行(つ)けているらしいです」
「【紺兵党】? そんなの忘れた。で、報告にも上がってこないのを何故お前が知っている?」
別段、機嫌が変わることがない弦屋正秋。
「大反抗の前触れかと。生き残り同士が結託して一大勢力を地下で作っていないという保証はありません」
「で、お前はどうしたい?」
「【首狩瀑布】より大きな勢力になる前に潰しておいた方がよいかと」
「……なら、俺達も地下に潜るまでだ」
意外な返答に毒気を抜かれる樋川晃。
外見に似合わず、弦屋正秋と云う人物は策略家的な穏健派の顔を見せたからだ。
「烏合の衆が作った勢力なんざ、所詮団結力は知れている。このシマを塗り替えても今度は身内同士で殺し合いが始まる。なら、そのチームの結束が弱まった頃に『一番強いチーム』を潰せばことは問題は簡単に消せる」
最小限の暴力で最大の効果を発揮することを『作戦の教義』とする弦屋は粗暴な振る舞いとは裏腹に繊細な戦略眼を持っていた。
「ソイツは放っておけ」
「……はい」
