御旗を基に

 刹那。
 再び踵を返して追い駆ける連中に向き直るとダブルタップ。それを2回。
 45口径と比較にならない軽い発砲音と共に空薬莢が掻き出される。
 弾丸は1人に2発ずつ撃ち込んだつもりだったが、2人が右大腿部や下腹部を押さえてつんのめって転がった。放った9mmショートを腹部や胸部に理想的に着弾させることができなかったが、2人は完全に脱落させた。
 残りの4人は無駄弾を撒き散らしながら左右に2人ずつ展開。
 遮蔽部というには頼りない商店のブリキの看板の陰に身を隠す。空かさず離脱! ……の、はずだったが、またもきびすを返した鉄英のスタジアムジャンパーの右裾が轟音と共に跳ね飛ぶ。
「!」
 【首狩瀑布】のイメージアイテムの一つ。12番口径シングルショットピストル。
 12m以上の距離からの2.5インチ3号弾と思しき粒球が鉄英を強襲した。
 33cmしかない銃身では10m以上離れると、スラグのような一粒弾でも使わない限りまともなコローンもパターンも形成されずに一撃必殺の破壊力が足り得ない。
 だが、それを背中にまともに喰らうと……。
「っうぶ!」
 続く12番口径の射撃に背面を万遍無く捉えられた鉄英は見えない巨大なハンマーで背中から叩き出されたように体が一瞬、浮遊する感触を認識し、無様に顔面から地面に倒れ込んだ。
 12番口径の無秩序なパターンは外国人力士の張り手のような打撃力を提供する。
 このように体の軽い鉄英は抵抗の間もなく、畳のように広い張り手をお見舞いされたように吹っ飛ぶ。
 奇跡だったのは針の一刺しで生命活動を停止するとまで例えられる人体の急所の一つ、延髄の表面――盆の窪――に1発も被弾しなかったことだ。
 顔面から伝わる痛みが現実に生きていることを教えてくれたのでどこかの神様に感謝する。
 日本は八百万の神の国だ。『追われる美少女の盆の窪』を守る神様もいるに違いない。
 はっきりとした意識を保ったまま、素早く仰向けになり迂闊に彼女に止めを刺すべく近付いていた1人の男に不意打ちのダブルタップ。
 今度はしっかりと、3m先の動体標的の腹部に2発の9mmショートの孔を拵える。
 男は提げていたガバクローンを放り出して、前のめりにうずくまるように倒れた。
 鉄英は視界の端で戦果を確かめると、ゴキブリを髣髴とさせる匍匐全身で違法駐車を束ねた自転車の山の陰に転がり込む。
 アドレナリンが噴出しているので大した痛みは感じない。
 様々な脳内麻薬が興奮を快感に変換していく。これが醒めきったら反動で悶え苦しむだろう。
 今更、敵意を向ける人間を銃撃しても呵責の念も覚えない。
 今まで、たまたま同じ考えをした人間と戦ってきて生き延びてきただけだ。
 銃……否、武器を抜いたからには必ず責任が発生する。落とし前のつけ方を違えると冗談抜きで命で以って代償を払わされる。
 山積した自転車の束は幸い、連中の45口径や12番口径を貫通しないだけの密度を持っていた。中腰で立っても遮蔽物として使えるだけの高さが有る。
 連中の残りが果敢に距離を詰めながらガバクローンを発砲する。
 鉄英も反撃を試みるべく銃口を覘かせるが、必ず3人の内2人が牽制射撃を行い1人がその間に距離を詰める。
 末端構成員とは思えない練度……と、今更、舌を巻きはしなかった。連中の強さがそこに凝縮されているのを知っているからだ。
 連中、【首狩瀑布】には『末端だから弱い』という概念は存在しない。
 常に戦闘力や火力や情報を並列化させて連帯の結束を強固なものにしている。いつ誰がどこで欠けても、誰でも欠員の役目を果たせるように訓練されている。
 言い変えれば【首狩瀑布】の入団条件は親和性や協調性に富んだ人格者だということになる。
 この組織運営を社会に活かせばもっと違う方向で成功していたのに……といつも思う。
 連中の頭目も、きっと、鉄英の造り上げた即席チームもヒエラルキーの形成を逆手に取ったシステマチックな組織力を指して、「もっと違うことに頭を使えば成功するだろうに」と思っているが、そんなことは今の鉄英が知るところではない。
――――小癪!
 ベレッタM84を潜望鏡のように突き出して盲撃ちを披露する。
 付け入る隙がないほどの見事な弾丸の無駄使いをしてしまう。
 手首に不自然にかかるリコイルショック。距離を詰める連中の足止めに役に立っていない。
 あっという間にスライドが後退したまま弾薬切れを報せる。
 あたふたと空弾倉を抜いてマグウェルに新しい弾倉を叩き込み、スライドリリースレバーを押し下げる。
 ジャキ!
 スライドが前進して実包を薬室に送り込む。
 反撃!
 イザ! 体勢を整えて銃口を振り上げようとする鉄英の脳天にほんのり熱い鉄の感触。
「よう。梃子摺らせんなよ」
 ガバクローンの銃口がピッタリと鉄英の頭を密着して捉えている。目を閉じていても嫌でも命中する距離。
 距離を詰められた。
 王手。
 チェックメイト。
 お手上げ。
 後はすぐに訪れるであろう速やかな死を待つだけ。
――――頑張ったんだし、ま、良いか。
 人間とは理不尽と不条理の狭間で存在する動物である。
 次の瞬間に即死すると理解して納得して覚悟すると、思わぬ行動を取る。
 鉄英はベレッタM84を静かに地面に置き、ドスンと胡坐を書いて座り込んだ。
 そして大輪の花が咲いたような大きな笑顔で快活に笑う。
「あーっはっはっはっ!」
 膝を叩いての大笑い。まさに大笑いだ。
 鉄英自身も何がそんなに面白いのか解らない。ただ、何故か腹の底から笑いが込み上げてきた。
 気が触れたにしては脳内が晴れやかに澄み渡っている。『ちゃんと自分が死ぬことを理解した上での』大笑い。
 この大笑いが辞世の句に出ると言わんばかりの大笑い。諦めや絶望や達観などの坊主の説教臭い問答も霞んで見える、大きな笑顔。
「じゃあね」
 アーケードの向こうの、曇天の向こうの、太陽の世界に手を伸ばすような温かい笑顔で、『誰かに、何かに、向かって別れを言った』。また明日会おう。そんなニュアンスの「じゃあね」だった。

 頼むわ。
 水を差さないで。

 いつまで経っても叶えられない願い。
 時間が経過――実際には5秒にも満たない――し過ぎて、『素の自分』に戻る鉄英。朗らかな笑顔がスンと消える。
「?」
 酷く気分が悪い。体調が悪いという気分の悪さではなく、期待をへし折られて不快が群雲のように湧き出る。
 険悪な表情で自分に引導を渡してくれるはずの男の顔を仰ぎ見た。
「え?」
 顔を真っ青にしてホールドアップしている男。
 首を回してその男の背後にいる【首狩瀑布】のメンバーも見る。同様の青褪めた顔。
「わ、解ったよ……退くよ! 退くから……止め」
 銃声。
 聞いたことがない、嵐のような銃声。
 思わず耳を塞ぐ。
 噴出する火薬滓がぺちぺちと顔や衣服に当る。
 薙ぎ払う銃撃。目前に有る自転車の束の向こう、鉄英にとって死角からの銃撃。バケツに金属片を入れて無造作にばら撒いたような細かな怪音。
 銃声が止むなり、聞き覚えのある声。
「申しわけありません。家庭を持つ者としては子供の喧嘩に親が出るのは主義としては反対なのですが、これが仕事でして。どうか勘弁のほどを」
10/14ページ
スキ