御旗を基に
「なあ。お嬢ちゃんよ?」
ベネリとフランキとブローニングの散弾銃が一堂に会して整然と列を作っている銃砲店の店内。
壁に掛けた時計の針は深夜2時を報せていた。
窓や表のシャッターは完全に閉じられ、換気扇のファンだけがこの静寂に対抗出来る唯一の存在であった。
カウンター越しに60歳直前の店主は寂しくなり始めた頭髪を掻きながら目前の珍妙な来訪者に戸惑っていた。
【田巻銃砲店】。この一帯でも希少な『真っ当な銃砲店』。
店主の田巻善一(たまき ぜんいち)はこの店を開いて30年になるベテランだった。
表も裏も無い、善良な市民が経営する普通の銃砲店。一般市民には馴染みの薄い銃砲全般を扱っているという他は到って健全な商店だ。
どこに出しても恥ずかしくない優良店……その地位を築くのに30年もかかった。
それもこれも銃砲店という『表にも裏にも貴重な存在の、実入りが良い商売』を手に入れるための欺瞞工作だった。
銃火器犯罪が跋扈する現代では誰も高額紙幣を積んでスポーツ射撃にしか使えない銃を買わない。
そこに無造作に陳列して有る、28000円の値札を付けた中古のベレッタS686を買うだけの金が有れば、とある場所へ行けばベレッタM92FSの新品が予備弾倉付きで買える。
……今はそんな時代だ。射的選手でも無い限り、誰も真面目に銃砲許可証を取得しない。
巷では銃火器犯罪が溢れ返り、毎日、日本のどこかで数件の銃撃戦が発生している。
恐ろしいのはヤクザ者同士の勢力争いではなく、犯罪者予備軍にもなりきれない堅気の人間がハジキを手に急激に犯罪者に没落していく事実だ。
そんな時代のそんな環境のそんな田巻銃砲店店主の目前でセンターブルーのスタジアムジャンパーに濃紺のジーンズパンツを穿いた若い女……否、少女は口角を吊り上げて、契約を取り付ける営業職を辞めたメフィストフェレスを連想させる、底のない笑顔で頷いた。
「お願い。ここしか頼めないの……」
美人というより魅力的。精悍というより整然。
少しばかり、猫科の動物を連想させる美少女気味な容貌。身長のほどは165cm以上170cm未満の肉付きの良い体躯。
ここに、この少女が佇んでいるので浮いて見えるが、人込みに紛れればその他大勢に変貌する程度の存在感。
真桐鉄英(しんどう かなえ)。
地元の地域密着型カラーギャングの『リーダーだった』少女。
当年19歳。女性だけで編成される社会不適格者の集団【紺兵党】(こんぺいとう)を3年前に組織したが、半年前によその地域から乗り込んできたチーマーにシマを奪われて事実上の解散を余儀なくされる。
一挙に全てを失ったのではなく、抗争の連続で疲弊し組織を維持する秩序が乱れた挙句に徐々に各個撃破されたのだ。
抗争の中で命を落とす者も居た。
刺殺、銃殺、扼殺。それらはまだマシに死ねた方だ。中には面白半分に直腸からウオッカを注入されて急性アルコール中毒で放置され、死に到った者もいる。
現在ではたむろを避けて一人で繁華街を徘徊している。
決まったシマを持たず、気ままに社会の底辺を愉しんでいる身分を『見せ付けている』。
実際は……実のところは……違う。
報復活動を実行中だ。
半年前に【紺兵党】を壊滅に追いやったチーマーは決まった呼称を持たず、流動的な活動形態で絨毯を広げるようにこの界隈を嘗め尽くした。
推定するに50人近い構成員だと思われる。
背後に暴力団との関係も噂され、反撃に出る勢力はことごとく打ち倒されるか、恫喝や圧力で傘下に引き摺り込まれた。
たった一人で、真桐鉄英という一個戦力で反旗は翻され、地味なゲリラ戦を展開中。
その鉄英を常に傍で支える相棒が、経年劣化か耐用年数の超過でガタがきたので修理を依頼したのが、今回の【田巻銃砲店】での一幕だ。
「お嬢ちゃんが、どこでコイツを手に入れたのかは知らん。だがな……」
「何か問題でも有るの?」
翳りの差す瞳で鉄英は田巻店主を優しく見据える。
鉄英と田巻店主の間に横たわるカウンター上で静かに息づいているそれは中型の自動拳銃。
「金を積まれれば『何でも弄って見せる』。だが、『コイツは別物だ』」
田巻店主は薄く生え始めた顎鬚を掻きながら眉間に皺を寄せる。その様を肩を竦めて鉄英は薄く笑う。「だから何なの?」というニュアンスを込めた、取るに足りない問題を一蹴する薄ら笑いだ。
そこで大人しくしている『野獣』はベレッタM84。
初期ロット生産分のコレクター垂涎の『2桁ナンバー』。しかも下2桁の番号の右に×印が打ち込まれたテストチェックモデル。後のM84Fでは廃止された刻印だ。
ベレッタM84と言えば最もベレッタ社らしい自動拳銃と絶賛された逸品だ。
『チーター』の呼称で親しまれたモデルは厳密に言えば32口径を使用する兄弟機のM81である。
これは38口径13連発モデルであるが、特徴は多弾数では無く、現行モデルでは考えられないギミックである、クロススイッチセフティを採用していることだ。
つまり、コック&ロックを行うことができる。
コック&ロックとは撃鉄を撃発位置まで起した状態でセフティを掛けておき、有事の際にセフティを解除しただけで引き金を引けば素早く撃発できる仕組みだ。
即応性に優れたシステムだが、全てが計算されて考案されたギミックではない。
棚から牡丹餅的に発見されたギミックで、ベレッタM84が産声を上げた時代以前からこの仕組みのセフティを取り入れた拳銃は溢れていた。
有名なところではコルト・ガバメントのコンディション1がそれに類する。
それにトリガーガードも後世のコンバットトリガーガードではなく、流麗なデザインを損なわない、シンプルなデザイン。一説ではトリガーガードの形状はベレッタ社純正ホルスターを用いた場合にスムーズに抜き差ししやすいように計算されたスタイルだとか。
グリップパネルのチェッカリングもベレッタM84FSのダイヤグラスカットではなく、細かなクロスカット。
……それらを鑑みて、田巻店主は大きく溜息を吐き、呻くように引く声で鉄英を睨んで言う。
「いくらコイツの中身にガタがきたからってな……コイツは『銃の形をした宝石』だ。俺のような老いぼれが気軽に触って良い代物じゃない」
田巻店主の言い分は尤もで、初期ロットのベレッタM84の少数ナンバーは2桁以下というだけでサザビースやクリスティに出品できるほどに希少性が高い。
ましてや、専属テスターがチェックするために選ばれた高精度の×モデル――クロッシェントモデルと、一部で呼ばれている――に町の銃砲店の店主、腐っても暗黒社会のガンスミスを自称する表裏の顔を使い分ける銃砲店の店主でも、『銃の形をした宝石』に自らが直接修理に携わるのは気が引けた。
自信が無かったからではない。希少価値が下がる真似をしたくなかった。
少しばかり愛顧に賜っている鉄英の頼みだからと聞いてやれば、この仕事が舞い込んだ。
問答の始まる少し前には代わりの新型拳銃を見繕ってやるから、ベレッタを墓場まで持っていけと忠告した。
ベネリとフランキとブローニングの散弾銃が一堂に会して整然と列を作っている銃砲店の店内。
壁に掛けた時計の針は深夜2時を報せていた。
窓や表のシャッターは完全に閉じられ、換気扇のファンだけがこの静寂に対抗出来る唯一の存在であった。
カウンター越しに60歳直前の店主は寂しくなり始めた頭髪を掻きながら目前の珍妙な来訪者に戸惑っていた。
【田巻銃砲店】。この一帯でも希少な『真っ当な銃砲店』。
店主の田巻善一(たまき ぜんいち)はこの店を開いて30年になるベテランだった。
表も裏も無い、善良な市民が経営する普通の銃砲店。一般市民には馴染みの薄い銃砲全般を扱っているという他は到って健全な商店だ。
どこに出しても恥ずかしくない優良店……その地位を築くのに30年もかかった。
それもこれも銃砲店という『表にも裏にも貴重な存在の、実入りが良い商売』を手に入れるための欺瞞工作だった。
銃火器犯罪が跋扈する現代では誰も高額紙幣を積んでスポーツ射撃にしか使えない銃を買わない。
そこに無造作に陳列して有る、28000円の値札を付けた中古のベレッタS686を買うだけの金が有れば、とある場所へ行けばベレッタM92FSの新品が予備弾倉付きで買える。
……今はそんな時代だ。射的選手でも無い限り、誰も真面目に銃砲許可証を取得しない。
巷では銃火器犯罪が溢れ返り、毎日、日本のどこかで数件の銃撃戦が発生している。
恐ろしいのはヤクザ者同士の勢力争いではなく、犯罪者予備軍にもなりきれない堅気の人間がハジキを手に急激に犯罪者に没落していく事実だ。
そんな時代のそんな環境のそんな田巻銃砲店店主の目前でセンターブルーのスタジアムジャンパーに濃紺のジーンズパンツを穿いた若い女……否、少女は口角を吊り上げて、契約を取り付ける営業職を辞めたメフィストフェレスを連想させる、底のない笑顔で頷いた。
「お願い。ここしか頼めないの……」
美人というより魅力的。精悍というより整然。
少しばかり、猫科の動物を連想させる美少女気味な容貌。身長のほどは165cm以上170cm未満の肉付きの良い体躯。
ここに、この少女が佇んでいるので浮いて見えるが、人込みに紛れればその他大勢に変貌する程度の存在感。
真桐鉄英(しんどう かなえ)。
地元の地域密着型カラーギャングの『リーダーだった』少女。
当年19歳。女性だけで編成される社会不適格者の集団【紺兵党】(こんぺいとう)を3年前に組織したが、半年前によその地域から乗り込んできたチーマーにシマを奪われて事実上の解散を余儀なくされる。
一挙に全てを失ったのではなく、抗争の連続で疲弊し組織を維持する秩序が乱れた挙句に徐々に各個撃破されたのだ。
抗争の中で命を落とす者も居た。
刺殺、銃殺、扼殺。それらはまだマシに死ねた方だ。中には面白半分に直腸からウオッカを注入されて急性アルコール中毒で放置され、死に到った者もいる。
現在ではたむろを避けて一人で繁華街を徘徊している。
決まったシマを持たず、気ままに社会の底辺を愉しんでいる身分を『見せ付けている』。
実際は……実のところは……違う。
報復活動を実行中だ。
半年前に【紺兵党】を壊滅に追いやったチーマーは決まった呼称を持たず、流動的な活動形態で絨毯を広げるようにこの界隈を嘗め尽くした。
推定するに50人近い構成員だと思われる。
背後に暴力団との関係も噂され、反撃に出る勢力はことごとく打ち倒されるか、恫喝や圧力で傘下に引き摺り込まれた。
たった一人で、真桐鉄英という一個戦力で反旗は翻され、地味なゲリラ戦を展開中。
その鉄英を常に傍で支える相棒が、経年劣化か耐用年数の超過でガタがきたので修理を依頼したのが、今回の【田巻銃砲店】での一幕だ。
「お嬢ちゃんが、どこでコイツを手に入れたのかは知らん。だがな……」
「何か問題でも有るの?」
翳りの差す瞳で鉄英は田巻店主を優しく見据える。
鉄英と田巻店主の間に横たわるカウンター上で静かに息づいているそれは中型の自動拳銃。
「金を積まれれば『何でも弄って見せる』。だが、『コイツは別物だ』」
田巻店主は薄く生え始めた顎鬚を掻きながら眉間に皺を寄せる。その様を肩を竦めて鉄英は薄く笑う。「だから何なの?」というニュアンスを込めた、取るに足りない問題を一蹴する薄ら笑いだ。
そこで大人しくしている『野獣』はベレッタM84。
初期ロット生産分のコレクター垂涎の『2桁ナンバー』。しかも下2桁の番号の右に×印が打ち込まれたテストチェックモデル。後のM84Fでは廃止された刻印だ。
ベレッタM84と言えば最もベレッタ社らしい自動拳銃と絶賛された逸品だ。
『チーター』の呼称で親しまれたモデルは厳密に言えば32口径を使用する兄弟機のM81である。
これは38口径13連発モデルであるが、特徴は多弾数では無く、現行モデルでは考えられないギミックである、クロススイッチセフティを採用していることだ。
つまり、コック&ロックを行うことができる。
コック&ロックとは撃鉄を撃発位置まで起した状態でセフティを掛けておき、有事の際にセフティを解除しただけで引き金を引けば素早く撃発できる仕組みだ。
即応性に優れたシステムだが、全てが計算されて考案されたギミックではない。
棚から牡丹餅的に発見されたギミックで、ベレッタM84が産声を上げた時代以前からこの仕組みのセフティを取り入れた拳銃は溢れていた。
有名なところではコルト・ガバメントのコンディション1がそれに類する。
それにトリガーガードも後世のコンバットトリガーガードではなく、流麗なデザインを損なわない、シンプルなデザイン。一説ではトリガーガードの形状はベレッタ社純正ホルスターを用いた場合にスムーズに抜き差ししやすいように計算されたスタイルだとか。
グリップパネルのチェッカリングもベレッタM84FSのダイヤグラスカットではなく、細かなクロスカット。
……それらを鑑みて、田巻店主は大きく溜息を吐き、呻くように引く声で鉄英を睨んで言う。
「いくらコイツの中身にガタがきたからってな……コイツは『銃の形をした宝石』だ。俺のような老いぼれが気軽に触って良い代物じゃない」
田巻店主の言い分は尤もで、初期ロットのベレッタM84の少数ナンバーは2桁以下というだけでサザビースやクリスティに出品できるほどに希少性が高い。
ましてや、専属テスターがチェックするために選ばれた高精度の×モデル――クロッシェントモデルと、一部で呼ばれている――に町の銃砲店の店主、腐っても暗黒社会のガンスミスを自称する表裏の顔を使い分ける銃砲店の店主でも、『銃の形をした宝石』に自らが直接修理に携わるのは気が引けた。
自信が無かったからではない。希少価値が下がる真似をしたくなかった。
少しばかり愛顧に賜っている鉄英の頼みだからと聞いてやれば、この仕事が舞い込んだ。
問答の始まる少し前には代わりの新型拳銃を見繕ってやるから、ベレッタを墓場まで持っていけと忠告した。
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