一刃結鎖
――――それじゃ、上手な鉄砲を撃ってもらおう。
「……」
「……?」
随分と疲れが表面化してきた様子の対戦相手にイ・ジンホはどう攻めるか考えあぐねていた。
馬鹿の一つ覚えのように同じ型からの鎖分銅術は相当な負担だったのだろう。
何か、隠し玉を持っているに違いない! ……イ・ジンホの脳裏には常にそれが在る。
イ・ジンホ自身は大した武術は齧っていない。
体力が勝敗を決する戦場格闘術だけで切り抜けてきた。
その中で素手よりナイフ、ナイフよりバトン、バトンよりシャベルと素手における近接戦闘でリーチが長い武器の方が有利で信頼できると信じたためにシャベルを遣うに到る。
現在の脆い小銃着剣では数回の斬り突きでバヨネットマウントが壊れてしまうので信用していない。
狭い塹壕戦では銃火器に取り付けた銃剣で、万が一の暴発で戦友や自身が危険な目に遭う。
近接戦に有利だといわれているショットガンでさえ、実際には棍棒のように振り回して遣う機会が多かった。
塹壕での乱戦では悠長に再装填している時間などありはしない。
近接する目前の敵を7秒以内で無力化させなければ以降1秒毎に自身が無力化させられる危険性が8.7%ずつ上昇する。
どんな隠し玉を持っている? ……彼の興味と注意はそこだけにあった。
未だ一度も牙を剥いていない切先両刃造りの鎌に自ずと視線が向けられる。
考えられる戦術は分銅によるシャベルの射程外からの攻撃か、鎌によるシャベルより密接した状態からの攻撃か。
「……撃ってこいよ」
「……」
――――さあ、早く上手な鉄砲を撃ってこいよ!
――――『弾を止めてやるから!』
唇の端で不気味に笑みを吊り上げる位取。
勝算はある。だが、それが充分か否かと聞かれれば首を傾げる程度の勝算だ。
確実に鎖分銅を打ち返す反射神経と動体視力……イ・ジンホはそれを武器に伸し上がってきたのだろう。
勿論、位取の反射神経や動体視力もなかなかのものだ。はっきり表現すれば完全に拮抗していると評価しても過言ではない。
位取が僅かに体力が劣り、今正に『その体力不足を演技の一つとして取り入れている』くらいの違いしかない。
――――さあ! さあ! さあ!
――――早く撃てよ!
疲労に曇る瞳を作りながら位取は確かにイ・ジンホの右足が動いたのを見た。
――――きた!
コンスタントに一撃必殺の突きと振りを繰りだすことが、イ・ジンホという人物の戦闘スタイルだととっくの昔に見破っている。それも確実な重い攻撃を的確に命中させるタイプの。どれもこれも一撃で首を跳ね飛ばされそうな威力の。
ならば、命中しやすいように誘えばいい。
【直】の構えの弱点の一つとして、鎖分銅を構え直した時点で大きく右半身の構えが崩れて右脇腹から左肩までに防御の手立てが無いことである。
となれば、その直線上にある左胸――人体的急所の一つである心臓――を守るものは何もなくなる。戦国の世なら手甲や帷子、または短刀で防御の体勢を維持することができるが、生憎、そんなものはない。
迷うことなく、イ・ジンホの渾身のシャベルが突き出される。
位取も【直】の構えから鎖分銅を繰り出した……が、それには鎖分銅が『付いてこなかった』。
何もせず『遊んでいる』はずの左手が鎖分銅を掴み、右手の鎌だけが一直線に伸びた。
「!?」
「!」
両者の間で一際大きな火花が散った。
鎌の太刀もぎがシャベルの剣呑な先端を真正面から捉える。余りの重い衝撃に鎌を落としそうになるが、奥歯を噛み締めて耐える。
シャベルの先端と鎌が太刀もぎを中点に一直線に繋がる。
空かさず、イ・ジンホはシャベルを両手で握り直そうと構える。
このまま捻れば圧倒的膂力差で位取の手から鎖鎌を捩じ落とすことができる。
「この距離だ!」
位取はイ・ジンホの両手がシャベルを掴んだのを見計らって左手の鎖分銅を放した。
鎖分銅が宙にあるうちに左足の爪先で分銅を蹴り飛ばす。
シャベル+イ・ジンホの両手+『狙撃地点までの距離』=鎖の射程。
「グッ!」
イ・ジンホは顔面蒼白になりながら腰から砕ける激痛に意識を奪われる。
蹴り飛ばされた鎖分銅はイ・ジンホの金的に命中した。大した破壊力でなくとも、『その部位にそれが当たる』というだけで効果のある攻撃だ。
指弾の速度。
シャベルを捉えたままの鎌の柄尻を右足で踏み付けて、それを足場にシャベルの頭部、シャベルの柄、シャベルを握る左右の手首、と順々に駆け上がり、彼女の全ての勢いがたっぷりと乗った左膝蹴りをイ・ジンホの顎先に叩き込む。
「ガッ……」
既に半分白目を剥いているイ・ジンホ。お互いの体は硬い地面に向かって落ちようとしている。
「『落ちろ!』」
位取は体が宙にあるうちに右肘打ちの体勢を取り、全体重を乗せたまま落下する法則に体を任せた。通称、エルボードロップ。
先に地面に着いたのはイ・ジンホ。彼は吹っ飛ばされたのではなく、体勢を崩して仰向けに倒れただけだ。
その右側頭部に向かって落下する位取の肘打ち。
鈍い音がした。
頭蓋が割れる嫌な音だ。
肘の先からもその感触が伝わる。
そして、瞬間的に理解する。
――――ああ……。
――――勝ったんだ……。
鎖鎌遣いだから決め手も鎖鎌でなければならないという鉄則は無い。勝つことが求められる仕合の場であれば尚更だ。
やや遅れて聞こえてきた熱狂の渦。
さらに遅れて聞こえてきた3発の空砲。
硬い地面に大の字に寝転がるバンガーが二人。
一人は虚ろな目で勝利の実感を掴めずに脱力し、もう一人には人体売買組織の人間が蟻のようにたかり、『使いものになるか否か』を検分されていた。
「……」
位取は疲労を隠せない仕草で立ち上がると、愛用の鎖鎌を拾い上げ右手を振るった。彼女の体に鎖がたすき掛けに緩く巻きつく。
短機関銃を構える5人の組織側の人間にガードされながら暑苦しい花道を後にする。
背後ではイ・ジンホを罵倒する汚い言葉の大合唱だった。勝利を収めた位取には花道側の人間だけが彼女を称えていた。
――――疲れた。
仕合について、深い感慨も率直な感想も何も浮かんでこない。
疲労だけが毛穴から吹き出る感触がする。生きている証拠だと体が叫んでいる。
※ ※ ※
「純度フォー・ナインの金が50gに……缶詰合計約4kg。日用雑貨約20品……か」
翌日。
位取は自宅で『ファイトマネー』を床に広げ、表情の無い顔で胡座を書いていた。
これが人間の命の価値だとすれば随分と安い。
イ・ジンホの行く末は聞いてはいない。位取の手応えからすれば、治療を受けて静養していればそう、遠くない時間に復帰できるはずだ。
宗造からは勝利を祝う軽口なメールが届いた。それだけだ。
一夜明けても空虚な気持ちは変わらない。
それでも追い剥ぎよりは良心の呵責が苛まれることがないので楽だった。
腐った時代の腐った商売に身を投じることについては抵抗はない。
泥水を啜ってでも生きなければならない世情に、自分には一加流鎖鎌という術が、たまたま与えられただけ幸せだと噛み締めていた。
《一陣結鎖・了》
「……」
「……?」
随分と疲れが表面化してきた様子の対戦相手にイ・ジンホはどう攻めるか考えあぐねていた。
馬鹿の一つ覚えのように同じ型からの鎖分銅術は相当な負担だったのだろう。
何か、隠し玉を持っているに違いない! ……イ・ジンホの脳裏には常にそれが在る。
イ・ジンホ自身は大した武術は齧っていない。
体力が勝敗を決する戦場格闘術だけで切り抜けてきた。
その中で素手よりナイフ、ナイフよりバトン、バトンよりシャベルと素手における近接戦闘でリーチが長い武器の方が有利で信頼できると信じたためにシャベルを遣うに到る。
現在の脆い小銃着剣では数回の斬り突きでバヨネットマウントが壊れてしまうので信用していない。
狭い塹壕戦では銃火器に取り付けた銃剣で、万が一の暴発で戦友や自身が危険な目に遭う。
近接戦に有利だといわれているショットガンでさえ、実際には棍棒のように振り回して遣う機会が多かった。
塹壕での乱戦では悠長に再装填している時間などありはしない。
近接する目前の敵を7秒以内で無力化させなければ以降1秒毎に自身が無力化させられる危険性が8.7%ずつ上昇する。
どんな隠し玉を持っている? ……彼の興味と注意はそこだけにあった。
未だ一度も牙を剥いていない切先両刃造りの鎌に自ずと視線が向けられる。
考えられる戦術は分銅によるシャベルの射程外からの攻撃か、鎌によるシャベルより密接した状態からの攻撃か。
「……撃ってこいよ」
「……」
――――さあ、早く上手な鉄砲を撃ってこいよ!
――――『弾を止めてやるから!』
唇の端で不気味に笑みを吊り上げる位取。
勝算はある。だが、それが充分か否かと聞かれれば首を傾げる程度の勝算だ。
確実に鎖分銅を打ち返す反射神経と動体視力……イ・ジンホはそれを武器に伸し上がってきたのだろう。
勿論、位取の反射神経や動体視力もなかなかのものだ。はっきり表現すれば完全に拮抗していると評価しても過言ではない。
位取が僅かに体力が劣り、今正に『その体力不足を演技の一つとして取り入れている』くらいの違いしかない。
――――さあ! さあ! さあ!
――――早く撃てよ!
疲労に曇る瞳を作りながら位取は確かにイ・ジンホの右足が動いたのを見た。
――――きた!
コンスタントに一撃必殺の突きと振りを繰りだすことが、イ・ジンホという人物の戦闘スタイルだととっくの昔に見破っている。それも確実な重い攻撃を的確に命中させるタイプの。どれもこれも一撃で首を跳ね飛ばされそうな威力の。
ならば、命中しやすいように誘えばいい。
【直】の構えの弱点の一つとして、鎖分銅を構え直した時点で大きく右半身の構えが崩れて右脇腹から左肩までに防御の手立てが無いことである。
となれば、その直線上にある左胸――人体的急所の一つである心臓――を守るものは何もなくなる。戦国の世なら手甲や帷子、または短刀で防御の体勢を維持することができるが、生憎、そんなものはない。
迷うことなく、イ・ジンホの渾身のシャベルが突き出される。
位取も【直】の構えから鎖分銅を繰り出した……が、それには鎖分銅が『付いてこなかった』。
何もせず『遊んでいる』はずの左手が鎖分銅を掴み、右手の鎌だけが一直線に伸びた。
「!?」
「!」
両者の間で一際大きな火花が散った。
鎌の太刀もぎがシャベルの剣呑な先端を真正面から捉える。余りの重い衝撃に鎌を落としそうになるが、奥歯を噛み締めて耐える。
シャベルの先端と鎌が太刀もぎを中点に一直線に繋がる。
空かさず、イ・ジンホはシャベルを両手で握り直そうと構える。
このまま捻れば圧倒的膂力差で位取の手から鎖鎌を捩じ落とすことができる。
「この距離だ!」
位取はイ・ジンホの両手がシャベルを掴んだのを見計らって左手の鎖分銅を放した。
鎖分銅が宙にあるうちに左足の爪先で分銅を蹴り飛ばす。
シャベル+イ・ジンホの両手+『狙撃地点までの距離』=鎖の射程。
「グッ!」
イ・ジンホは顔面蒼白になりながら腰から砕ける激痛に意識を奪われる。
蹴り飛ばされた鎖分銅はイ・ジンホの金的に命中した。大した破壊力でなくとも、『その部位にそれが当たる』というだけで効果のある攻撃だ。
指弾の速度。
シャベルを捉えたままの鎌の柄尻を右足で踏み付けて、それを足場にシャベルの頭部、シャベルの柄、シャベルを握る左右の手首、と順々に駆け上がり、彼女の全ての勢いがたっぷりと乗った左膝蹴りをイ・ジンホの顎先に叩き込む。
「ガッ……」
既に半分白目を剥いているイ・ジンホ。お互いの体は硬い地面に向かって落ちようとしている。
「『落ちろ!』」
位取は体が宙にあるうちに右肘打ちの体勢を取り、全体重を乗せたまま落下する法則に体を任せた。通称、エルボードロップ。
先に地面に着いたのはイ・ジンホ。彼は吹っ飛ばされたのではなく、体勢を崩して仰向けに倒れただけだ。
その右側頭部に向かって落下する位取の肘打ち。
鈍い音がした。
頭蓋が割れる嫌な音だ。
肘の先からもその感触が伝わる。
そして、瞬間的に理解する。
――――ああ……。
――――勝ったんだ……。
鎖鎌遣いだから決め手も鎖鎌でなければならないという鉄則は無い。勝つことが求められる仕合の場であれば尚更だ。
やや遅れて聞こえてきた熱狂の渦。
さらに遅れて聞こえてきた3発の空砲。
硬い地面に大の字に寝転がるバンガーが二人。
一人は虚ろな目で勝利の実感を掴めずに脱力し、もう一人には人体売買組織の人間が蟻のようにたかり、『使いものになるか否か』を検分されていた。
「……」
位取は疲労を隠せない仕草で立ち上がると、愛用の鎖鎌を拾い上げ右手を振るった。彼女の体に鎖がたすき掛けに緩く巻きつく。
短機関銃を構える5人の組織側の人間にガードされながら暑苦しい花道を後にする。
背後ではイ・ジンホを罵倒する汚い言葉の大合唱だった。勝利を収めた位取には花道側の人間だけが彼女を称えていた。
――――疲れた。
仕合について、深い感慨も率直な感想も何も浮かんでこない。
疲労だけが毛穴から吹き出る感触がする。生きている証拠だと体が叫んでいる。
※ ※ ※
「純度フォー・ナインの金が50gに……缶詰合計約4kg。日用雑貨約20品……か」
翌日。
位取は自宅で『ファイトマネー』を床に広げ、表情の無い顔で胡座を書いていた。
これが人間の命の価値だとすれば随分と安い。
イ・ジンホの行く末は聞いてはいない。位取の手応えからすれば、治療を受けて静養していればそう、遠くない時間に復帰できるはずだ。
宗造からは勝利を祝う軽口なメールが届いた。それだけだ。
一夜明けても空虚な気持ちは変わらない。
それでも追い剥ぎよりは良心の呵責が苛まれることがないので楽だった。
腐った時代の腐った商売に身を投じることについては抵抗はない。
泥水を啜ってでも生きなければならない世情に、自分には一加流鎖鎌という術が、たまたま与えられただけ幸せだと噛み締めていた。
《一陣結鎖・了》
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