一刃結鎖

 ……そんな経緯から、既にリングに上がって3分が経過した。
 目前で全長1.4mほどのシャベルを杖術の基本的な中段構えで睨んでいる男は鋭い眼光とは裏腹に足元から肩から……全身から亡霊のような得体の知れない負の空気を撒き散らしていた。
 身の丈1m75cmほどのその男の身なりは灰色を基調としたピクセルパターンのポンチョを死神のマント宜しく纏っている。衣服は暗めの灰色一色の戦闘服だ。
――――兵士崩れか。
――――参ったね……白兵戦のエキスパートじゃないか!
 その男は坊主頭に近い、刈り揃えた頭にポンチョのフードを被っているようだ。
「……」
 そんなことをしたら視界が確保し難いだろうに、とは一欠けらも思わなかった。
 バンガーは必ず何かしらのパフォーマンスや儀式を持っている。意識はしていないだろうが位取もその類なのかもしれない。
「……」
 位取はチラリと右に視線を振る。
 壁にオッズ表が張り出されたので、それを確認した。
 自分の名前と対戦相手の名前が表記された欄を見る。
――――イ・ジンホ……半島か大陸の人間か?
 再び視線を戻す。
 彼我の距離3m。
 刃や打突鋲などの突き物が付いた長物を右半身で中段構えを取るのは、実の所、日本の柄物には中々見られない構えだ。槍術が華やかだった時代では武士は左脇に二本差しをしていたために、右半身では槍の柄が邪魔になって槍も二本差しも自由に扱えなかった。
 そこで槍を嗜む武士は左半身で長物を構える訓練もしていた。故に、武士階級で槍を遣う一部の侍にしかこの構えは広まらなかった……が、相手が国外の術技を遣うのなら話は少々変わってくる。
 それも大陸系ならば。柄の長い武器であれば杖・棍・槍の区別なく、状況に応じて構えが変化する。
 しかも、変幻自在な使い分けを高速で攻防一体に用いる上に両手両足による攻撃も無視できない。
 一つの武器だけに固執する日本古来の武器術とは思想が違うのだ。
 位取が、右脇にぶら下がった鎌の柄を右手に逆手に握り、左肩から右脇に掛けて緩くたすき掛けになっている鎖鎌を引き抜く。
 掌の中で柄がクルリと回転して柄が本来の順握りになる。鎖分銅は右足元にコトリと落ちる。
 左足を軽く一歩引いたところで仕合開始を告げる空砲が発砲される。
「!」
 空砲が尾を引いている最中にイ・ジンホという名前らしい男はポンチョを靡かせて跳躍した。
 腰の辺りにシャベルを構えての突撃。位取の2m50cm手前で突如、シャベルが繰り出された。
「!」
 咄嗟に翳した柄の太刀もぎにシャベルの鈍角な先端が衝突して火花が散る。
 勢いに押されて2歩ほど後退する。
 イ・ジンホは密接した距離で柄の中程を位取に叩き付けてきたが、位取も鎌の柄の両端を握り、押し留まる。
 イ・ジンホの獰猛な表情がジリジリと位取の顔に近付く。
――――やばい!
 位取が歯を食い縛る。
 彼女が直感した危険は力負けすることではない。
「ぐっ!」
 予想通りに密接した距離からの右膝蹴り。
 位取も距離を保とうと引き掛けていた途端の蹴りだ。
 体が僅かに地面から浮いていなければこの右膝蹴りだけで勝敗は決していたかも知れない。
 膝蹴りの衝撃はある程度軽減できたが、ノーダメージではない。腹筋が破れそうな鈍痛が激しく襲う。お陰で、丹田で練る呼吸を完全に乱された。
 苦痛を押して距離を置き、右手首のスナップだけで横流の陽――頭上でヘリのメインローター宜しく『右回転』で鎖分銅を回転させる型――で牽制する。
 分銅が1周するまでに1秒以下のハイペースだが、位取の一加流鎖鎌術では基本的な速度だ。
 殆どの鎖鎌の流派では鎖分銅の回転の速さを3段階に分けて序・急・破と呼ぶ。
 序は防御/待機。急は攻撃/牽制。破は打ち込む直前の全遠心力が乗った状態だ。尚、回転方向も同じく陽は右回転、陰は左回転と決まっている。
 尚、鎖分銅を持つ手の体側面で鎖分銅を回転させる事を正流、頭上で回転させる事を横流、体の左右側面で交互に回転させる事を縦横と呼ぶ。これらの基本型はいずれの流派でも共通した事項であるようだ。
 イ・ジンホの間髪を入れない攻撃が続く。
 距離を置いてもシャベルの柄の後端を持ち、腕を一杯に伸ばして鎖分銅の射程外から攻撃が飛んでくる。そのたびに鎖分銅をシャベルの先端に叩き付けて迎撃するが……鎖分銅ゆえの弱点が露になる。
 分銅が硬い物に当たって遠心力を失うと再び回転させて構え直すのに時間が掛かる。
 鎖鎌が敗北する原因の半分はこの隙を狙われるのだ。
 どんな熟練者でも物理的法則には逆らえない。それを鑑みても位取は器用に凌いでいる部類の人間だ。
 四方がフェンスのために鎖分銅を大きく振り回して移動出来ないのも苦境の理由だった。
 正流・縦横で回転させれば天井に掠る。横流で回転させればフェンスが邪魔で平面に移動できない。
 イ・ジンホは鎖分銅の弱点を見抜きことごとく繰り出される分銅をシャベルで打ち返す。……だが、一加流鎖鎌術に限っていえば後二つの鎖分銅術がある。即座にその内の一つに切り替える。
「……!」
 イ・ジンホに初めて狼狽の表情が出る。
 分銅が限り無く直線の軌道を描く。
 右手の鎖鎌を大きく左脇に振り戻し、一旦、鎖分銅を自分より背後に後退させる。
 そして腰の刀を抜く様なモーションで一気に鎌を前方に振り出し、序・急の段階を踏まずにいきなりり破の速度で直進する運動エネルギーをぶつける。
 遠心力から「振り出される大きな『線』」攻撃ではないために、分銅の弾道が読めない。『点』攻撃なのだ。鎖分銅は振り回して打撃するためにどうしても被弾箇所は頭部・肩などの人体の上部に集中するが、弾道が直進するこの分銅術【直】では彼我の距離など関係なく、対する人体の何処にでも分銅をぶつけることができる。
 更に引き戻しから攻撃までのロスが少なく積極的に攻める状況で非常に有利な分銅術だ。
 反面、デメリットも存在する。
 一旦鎖分銅を引き戻して力を溜めている刹那の間、左脇の向こうに鎌が向いているので――敵と正反対の方向に武器が向いている――この隙を突かれると即座に防御の体勢に移行できない。
 イ・ジンホも分銅を打ち返すという防御からシャベルのヘッドで受け止めるという消極的な防御に出た。
 熱気で沸騰する仕合会場に鎖分銅とシャベルが衝突する鈍い金属音が間断無く響き渡る。
「……」
「……」
 どれくらいの一方的な攻撃と防御が続いたか。
 これだけの鎖分銅を繰り出したことは位取の経験上数えるほどしかない。
――――駄目だ……下手な鉄砲過ぎて決定打にならない!
――――腕が上がらなくなってきた……。
 どんなにフェイントを織り交ぜてランダムに着弾箇所を変更してもことごとく防がれる。
 そろそろ、この【直】の弱点も見切られてきたはずだ。
 右手の鎌を引いた隙に剣呑なシャベルの突きが繰り出されるのも時間の問題だろう。
 肩で息をしながら位取は、重く引き摺り始めた分銅を左脇に流した。
――――下手な鉄砲か……。
 しばし逡巡。
――――じゃ、撃たなきゃいいじゃないか!
 相変わらず【直】の型を維持しようとゆっくりとした動作で構える。意図的に疲労困憊な表情を作り、膝を笑わせる。
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