一刃結鎖

「そりゃあ、そうだけど……でも、そろそろ追い剥ぎ稼業から足を洗ってどこかの博打に参加したら良いのに」
 男は火の点いていない煙草を横咥えにして空になって久しいタンブラーをバーテンダーに向かって掲げた。すぐにバーテンダーが粛々と近付いて国産のシングルモルトをダブルで注ぐ。
「あ? バンガーで登録はしてるよ」
「そりゃ初耳だ」
 男は使い捨てライターで煙草に火を点すと、しばらく黙って位取の相変わらずな呟きに似た声を待った。
 位取はアルコールが入るといつもこうだ。覇気が消えて何かとボソボソと喋る。
 ベストの裾からぶら下がっている鎖鎌の柄を一度、抜き放てばガラリと人が変わるのだが……酒の席で無粋な合の手は不要だと男は位取が次に喋り出すまで煙草とタンブラーを交互に口に運んだ。
「……登録はしてるがオッズの微調整のために待機中。待ち続けて1ヶ月……」
「鎖鎌遣いは珍しいからなぁ。胴元もカードの組み合わせに困ってるんだろ」
「……かもな」
 男はチーズ鱈を一摘み、口の放り込んで黙々と咀嚼した後、タンブラーのシングルモルトを味わうこと無く嚥下すると席を立った。
「博打に出るのなら連絡をくれ。いくらか賭けさせて貰うよ」
「ああ……」
 男がそのまま先に上がろうとしたところを呼び止めた。
「なあ、宗造(むなよし)……」
「? ……何だ?」
「……このご時世じゃ、剣客も商売だな」
 宗造と呼ばれた男は肩を竦めて「今更何を言ってるんだ」とジェスチャーで表現すると、何も喋らず再びきびすを返して薄汚いバーを出て行く。
 一人残された位取は退屈そうにチーズ鱈を咥えて頬杖を突いた。
 
 
 翌日、位取は塒の幽霊が出そうなマンションの一室でシャワーを浴びていた。
 建築されてかなりの年月が経過している。雨漏りや停電が酷い部屋が多い中、珍しくまともに使える部屋を借りることができた。
 家賃や維持費は追い剥ぎや用心棒で稼いだ貴金属を換金して支払っている。
 火力と水量がやや充分で無く、蛇口やレバー類が所々変色しているが特に不自由だとは感じなかった。寧ろ、命を賭けている限り、ライフラインが確保された塒があって三食に不自由せず酒も呑める環境は、この辺りの貧困街では上流階級だといえた。
 全身の各所に生々しい瑕を刻んだ、美しく強靭な肢体をバスタオルで包む。
「……!」
 髪を乾かすべくドライヤーを当てている最中に携帯電話にメール着信がある。
 この着信音は以前から登録していた賭博仕合の胴元に設定してある。出場枠が決まれば連絡してくれと頼んであるので、内容を確認しなくとも予想はつく。
 バスタオル一枚の姿で携帯電話に届いたメールの内容を確認する。
 予想を違わず、胴元からの出場依頼だった。折り返すようにメールを打つが、送信先は予てから出場するなら連絡すると約束していた宗造だ。
 画面には宗造正嗣(むなよし まさつぐ)と表示されている。
 生憎と対戦相手の情報は全く知らされない。
 リングに上がってからのお楽しみだ。
 対戦相手の力量は支払われるファイトマネーの寡多で推し量ることができるが、ぞれもまた事前には知らされない。ファイトマネーいかんで参加するバンガーが逃げ出すことを防ぐためだ。
 遠回しに「殺す気がある人間」しかこの賭博仕合に出場しない仕組みになっている。
 出場する気があるのなら指定された時間に現地集合。
 試合内容により、6m平米から10m平米の四角い有刺鉄線のリングに放り込まれるまで、そこに集った誰と誰が仕合をするのかは不明。賭ける方も賭けられる方も実にスリリングだ。
「さて。『久し振りのまともな仕事』だ……」
 位取にとってはこの仕合がバンガーとして初めての仕合になるが何の憂いもなかった。
 これを足場に良心がチクリと痛む強盗の真似事をする機会が減ると思えば、気分が楽だった。
 バンガー同士の仕合ともなれば死亡沙汰は日常茶飯事で、毎回リングの脇では人体売買組織の末端構成員がドライアイスを詰めた等身大のクーラーボックスを担ぎ込んで控えている。
 死亡が確認されれば速やかにドライアイス漬けにされて、然るべき場所で腑分けされて髪の毛すら残らない。解剖の際に滴った血液でさえ集めて換金のタネにするのだ。
 これらの背徳な組織と胴元……引いてはこの地域を束ねる犯罪組織とは懇ろの中で、犯罪組織は新鮮な死体を提供するためにできる限り死亡率が高く、それでいて客が白熱するカードを組むのに長い時間を掛ける。人体売買組織からも博打を打ちに来た客からも大枚を巻き上げることができるためだ。
 余程悪辣な糊口の凌ぎ方をしてきたのか、位取はこれを『久し振りのまともな仕事』だとのたまった。
   ※ ※ ※
 胴元からメールが届いて2日後の夜10時。
 貧困街から僅かに外れた郊外の廃ビルの地下駐車場で位取は割れんばかりの喧騒の渦中、目前の対戦相手を注視していた。
 6m四方の『狭い』リング。
 有刺鉄線が巻きつけられたフェンスが一切の境目であるかのようだ。この見るからに痛々しいフェンスの向こうでは早くも熱狂している客が十重二十重の垣根を作り、手に手にマークシート式の勝者投票券を握っている。
 そしてフェンスのこちら側には約2m四方の余白が囲み、そこで人体売買組織の構成員が待機している。
 十数人の短機関銃を構えたヤクザ者が審判を警護している。
 勝敗を決める審判のジャッジ次第で、仕合の流れが不穏になると簡単に暴徒化する客から審判を守るためだ。
 仕合自体にルールなど、あって無きに等しい。
 どちらかが降参するか……死亡するか、だ。
 時間無制限一本勝負。
 リングとはいっても一段高くなってロープとコーナーがあるわけではない。
 地面……足場に赤い蛍光スプレーで四角く線が引かれているだけで、この線からはみ出しても何のペナルティも無い。組織側の人間が待機する場所を確保しているだけだ。
 気の利いたアナウンスも何もない。
 審判が空砲を装填した38口径のリボルバーを1発、発砲したときが開始の合図で、勝敗が決まると3発、発砲する。何らかの事情で『タイム』が入る場合は2発、発砲する。
 AコーナーとBコーナーにはそれぞれ、バンガーが待機。予めバンガーには「何仕合目に出場」と知らされているだけなので対戦コーナーに並ぶ誰が自分の対戦相手なのかも判らない。
 相手は一人か複数か、バトルロイヤル形式なのかも不明だ。
 仕合が盛り上がりに欠ける、消化不良気味ならしばしば、バトルロイヤルが開かれる。
 第一仕合のカードに組み込まれた位取は幸いにも前座やテコ入れに使われる『その他大勢』ではなかったらしい。
 そうした経過から位取はリングに立っているが……尋常ならざる熱気に中てられて眩暈がしそうだ。
 客はどいつもこいつも言語をなさない熱で応援を叫び、熱狂に浸りきっている。
――――リングに上がるってこういうことか。
――――悪くないファイトマネーだと良いね……はて、良いのか?
 目前の対戦相手に勝たなければ換金レート不明のファイトマネーは支払われない。
 客の音声に比例して色が付けられるらしい……ともっぱらの噂だ。
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