一刃結鎖

 今や、30万人規模の都市以下はこのような有様だ。
 狡猾なのか賢明なのか、今の政府は人間の間にまで壁を築く政策には出ていない。
 貧富の差がはっきりと表面化していても「税金を納める全ての日本国民」には平等に生活が保障されている。
 人間の間に壁はないが、物理的な壁なら戦後直ぐに構築された。
 当初は暴徒を牽制するために有刺鉄線のフェンスが張られた程度だった。
 その領域が年々拡大し、気がつけば貧困層がひしめく地域が緩やかに包囲されていた。刑務所のような高い壁が築かれたのではない。
 だが、ライフラインと毎日の食料、雑貨と人手の不足気味ながらも無償で医療だけを受けることができる巧妙な『飴と鞭』であれほど危惧さていた暴徒化されるデモや反体制なテロは、推算を遥かに下回る数値で抑えることができた。
 稀に発生する何らかの武力衝突が発生しても、僅か数時間で武装警官や治安出動の改案で出動が増えた自衛隊の然るべき部署が、できる限りの非致死兵器で鎮圧した。
 貧困層……しかし、それも名前だけの区別。実際は巧く飼い慣らされた低所得者が爪と牙を抜かれて、雑然とした街に住んでいるだけだ。
 犇めき合っているという表現は正しくない。線引きの対象に成る、30万人規模の都市あるいは政令主要都市が2010年代と比べて3倍以上に制定され、そこに転居するのも出稼ぎに行くのも書面上の手続きだけで簡単に行えるからだ。
 「ちゃんと税金を納めます」……この一つの文言さえ守れば、危険思想の持ち主でなければ、簡単に出入りできる。
 九州と東海に設けられた多数の『出島』は少し話は違う。
 『出島』と呼ばれる、埋め立てただけの海上都市には重犯罪者と思想犯と、国外追放処分なれど、先の大戦で行き場を失った外国籍の人間が押し込められている。
 押し込める一方でトコロテンのように溢れ出ないかと危惧されている問題で度々、国会で議論されている。
 貧困層が住まう地域にも法律はある。
 破れば治安当局に拘束されるが、世界一低い重要境界線と名高い、有刺鉄線のフェンスに警備局の職員の警告を無視して近付かなければ、いきなりズドンと撃たれることはない。
 貧しい人間だけが集う街にも警察署はあるし消防署や病院、役場も有る。……自動小銃と非致死兵器で武装した武装警察が厳重に警備しているが。
 少しばかり、法律以外の場所で新しい掟や規則が新しく生まれたのは事実だ。
 バンガーと呼ばれるストリートファイターが光物を携えて堂々と闊歩していても、警邏中の警官隊に呼び止められることはない。……警官隊の前で白刃を抜いて斬り合いや、反体制的行動に出ない限りの話だ。
 法治的治安より武力弾圧の方が手っ取り早く作用し、想像以上の効果を挙げている。
 捜査レベルでの検挙率が低いのは仕方のないことだ。
 犯罪多発地帯の無法街ゆえに地下組織や暗黒社会が幅を利かせているが、それらの効率良い縄張りの区分のお陰で警察組織の地域の防犯活動より秩序が守られている。
 日本人的曖昧な狎れ合い精神が皮肉な平穏を生んでいるのだ。
 何しろ、各犯罪組織の最大の活動名目は、ライフラインを含む縄張りの『改善、営繕のための運営』なのだ。それは犯罪組織というより『武装した町内会』だ。あるいは『地域密着型自警団』。
 自分勝手に生きる不逞の輩を取り締まるのは、遠くの警察ではなく近くの犯罪組織だ。
 無意味な刑事事件を速やかに解決してくれるので、犯罪とは関わりたくない、ここの住民達も少なからず『犯罪』の恩恵に与っている。
 犯罪の発生を逆手に取った商売の一つとして、バンガーのストリートファイトがある。
 人を傷つけたいだけの通り魔的暴力魔を特定の場所に集めて、暴力魔より格段に膂力が落ちる暴力魔に殺し合いをさせて賭博に発展させたのが始まりだ。
 最初は素人の殴り合いだった。
 そのうち、何かしらの徒手格闘術を修得した人間が腕試しに何人もエントリーしてきた。
 そして、もっと凄惨に流血を望む客のために『個人が持ち込める範囲内での、銃火器以外の武器』専門の賭博仕合場が設けられるようになった。
 最近では素手と武器のぶつかり合いや複数のバンガーがバトルロイヤルを展開する賭博も流行っている。
  ※ ※ ※
「……三角縛架(みすみばっか)」
 位取は宵の口頃に場末のバーで呟いた。
 ストゥールに腰掛けて安物のタンブラーで国産の安いウイスキーをロックで呷っている最中の発言だ。
 隣に座っていた30代前半と思われる、のっぺりとした顔つきの男は口にチーズ鱈を運ぼうとしていた手を止めた。
「この間ノした……久礼派一刀流の遣い手を仕留めた業だ」
 位取は誰ともなしに呟き続けた。
「『脳味噌、ブチ撒けやがれ』って叫んだら簡単に乗ってきたんだ……先入観って怖いな。全部の鎖鎌の武器は分銅と鎌しかないと思っている……」
「それで?」
「そこで三角縛架の炸裂だ。二剣術は鎖鎌の天敵だとでも思っていたのか、呆気なく決まったよ」
「古今の宮本武蔵に感謝だな」
「……ああ」
 位取は再びタンブラーを呷る。男の方もようやく口にチーズ鱈を放り込む。
 鎖鎌の遣い手は割と高い確率で二本差しに破れている。
 だが、鎖鎌という武器が歴史上に登場して1000年が経過している。
 その間に術技の弱点を放置している武術など皆無だ。それらを克服したからこそ現存していると言っても過言ではない。
 歴史上で有名な鎖鎌の遣い手と言えば、伊賀上野の宍戸某という人物が有名だ。宮本武蔵と戦って呆気なく敗れた記述に数え切れない脚色を加えられて武蔵の強さと非凡さを象徴する引き立て役に落着いているが、実際は違う。
 そもそも名前からして宍戸『梅軒』と語り継がれているが、宮本武蔵直筆の述懐録には「伊賀上野で出会った、鎖鎌という武器を使う宍戸某」という紹介しかされていない。宍戸某の弟子が残したと言われる記録では、宮本武蔵は宍戸某の鎖分銅の射程の長さと鎌の隙のなさに手出しもできず距離を置くしかできなかった。
 そこで宮本武蔵は咄嗟に短刀を投げつけて宍戸某が怯んだ隙に介錯刀――仕合の決まり手となる最後の斬撃――を振るった。
 一説によると宮本武蔵は半日近くも宍戸某と睨み合っていながら手出しできなかったという。
 結果、宍戸某は宮本武蔵の一太刀で屠られたことになる。
 当時、武芸者が自身の命である武器を投げつけるという発想は斬新且つ常識外れな戦法だった。この結末と「宮本武蔵は大小二刀で戦う剣士」という後世の演劇や小説で一緒くたにされ、「鎖鎌は二剣術に弱い」と解釈された。
 尚、宮本武蔵は宍戸某と戦った時期には未だ二剣術で有名な二天一流には開眼しておらず、修得していた円明流で廻国修行をしていた。
「それでも……いきなり、『奥義』を披露しなきゃ勝てなかったんだろ?」
 男はサマージャンパーの内ポケットからソフトパックの煙草を取り出して一本咥える。
「『奥義』っていっても23本ある型の一つでしかない。使わずに負けたら、それこそ成仏できない。漫画じゃないんだ。仕合はあらゆる型を変化応用させて将棋のように詰めていくモンだ」
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