ワイルドキャットカートリッジ
「コイツ……か」
死体から拾った免許証とマカロフは決定的だった。
湧き上がるように無気力に似た脱力感が刀奈を襲う。
様々な思考がグルグルと疲れた頭を駆け巡る。
最初に仕留めていたと解れば、無駄な弾を使わずに撤収していた。
要らぬ危険を冒してまで吶喊していなかった。もっともっと有益に使えるはずの時間があった。
「あーあ……」
――――フザケテんじゃねぇーよ!
疲れと虚無に打ち拉がれる体を引き摺る足取りは歩く死人同然。
当初の予定通りに退路を辿り、自転車を駐輪してある路地に出ると溜息を吐くのも億劫な顔でペダルを漕ぎだした。
背後ではようやくパトカーが到着したらしいが、そのときには刀奈の姿は夕月の向こうに消えていた。
今の刀奈には聞き慣れた喧騒も雑音として認識されなかった。
こんなに虚無感を覚える結末は初めてだ。
――――あ……。
――――依頼人に報告しなきゃ……。
それが『街角の殺し屋』として果たす義務だったと考えるのが精一杯だった。
※ ※ ※
翌日。月曜日。
酷い虚無に叩き伸めされた翌日。
プロ根性だけでアンダーグラウンドを渡り歩いている節がある刀奈は、昨日とはスイッチを切り替えた顔で――つまり、何事もない明るい笑顔で――登校する。
裾の長いダッフルコートを制服の上から羽織り、寒さに悴む手を摩りながら教室に入る。
教室は授業前で、エアコンの暖房は作動していない。授業が始まらなければエアコンの全ての機能を使うことを許されていない。
刀奈より余程恵まれた体躯をした親友の知美が先に教室で級友とたむろしていた。
「……」
寂しい作り笑顔の彼女。
刀奈は知美に毎朝の挨拶――「ハオ!」とおどけて挨拶――をすると、知美の『堪える笑顔』が返ってくるのを真正面から受け止めて、学生鞄を自分の机に放り投げて立ち話に参加する。
いずれも穏やかでない心中を別にすればいうもの朝だった。
「でさー。『繋ぎ』取れたよ。『如何する?』」
昼休み。屋上。
持参したいつもの野球のボールとグラブは出番がなく、刀奈と知美が座るフェンスの際の段に置かれたままだ。
2人してぽかんと冬の空を見上げていたのだが、会話の切り口を破ったのは刀奈からだった。
「『繋ぎ』取れたけど……『知美の名前は伏せた。代金も私が折半する。GOサインを出してくれれば』……」
返事をするのでもなく、知美は首の角度を下げて今度はコンクリの地面を見つめた。
刀奈は他人の所用を好意で代行してあげているという態度を崩さずに話しを続ける。
少しばかり上からの目線で知美に罪悪を感じるが、自分の正体を嗅ぎ分けられる事態を防ぐにはこれが最適だと思った。
「余計なお世話過ぎたんだったら、忘れてよ。『繋ぎは消す』から」
知美は性根が真っ直ぐで腹に一本の芯が入った堅気だ。
キヨとの死別という事実が過去の瑕になるまで、普通に生活していれば幸せな家庭が築けるに違いない。
ここで一言、『繋ぎ』をキャンセルする言葉を呟いてくれれば一生、綺麗な体のままで生きていける。
刀奈は、考え込む素振りも見せず、生気の点らない瞳で地面を見ているだけの――視界に地面が写っているだけの――知美を横目にした。
――――『お願い。取り消して。連中は私が始末してあげる!』
元から、何事も聞き出さず刀奈が自身で情報を掻き集めれば『いつものように感情だけで人殺しが出来た』。
なのに『憤る感情が思考回路をショートさせて殺し屋を雇ってやる』と半ば勢い的に話が展開した。
直情な刀奈の性格が招いた失策。
顔色は通常営業でも心は自己嫌悪の嵐だ。
「うん……」
知美は頷いた。
そのニュアンスを汲み取るのに時間が掛かる。
肯定? 否定? それとも有耶無耶で終わらせたいのか?
「……『解った、繋ぎ、取ってあげる』」
刀奈は平静な口調で彼女の顔を見ずに呟く。
「ううん。要らない。『殺し屋なんて要らない』。それでキヨが生き返るわけないし……きっとその殺し屋に『弱み』を作っちゃうよ」
知美は儚い微笑で『街角の殺し屋』への接触を断った。
聡い。
賢い。
刀奈は自分に無い冷静な頭脳を具えた知美を直視できなかった。
「んー。解ったー。この話はなかったことということで連絡しとくよ」
「ねぇ、刀奈」
「ん?」
「今度はあんたが危ないことになるんじゃ……」
「大丈夫だよぅ。今は匿名のネット社会だよ? 顔を相手に見せたわけじゃないんだし大丈夫だってば」
知美の顔は晴れない。
まるで、刀奈の正体を知ったうえで危ない行為は止めてくれと大きな瞳が真っ直ぐとこちらを見ている。刀奈は心臓と喉元を締め付けられる思いだ。
「そうか……そうよね。そうだよね」
『作らない笑顔』で返す刀奈。
刀奈はすっくと立ち上がると安堵の溜息と正体不明の息苦しさが混ざった大きな呼吸をした。
冷たい外気が肺一杯に吸い込まれて少し気分が入れ替わった。
ほどなくして予鈴が鳴る。大した会話もなく2人は教室に戻る。
帰宅後、自室に戻るなり鞄をベッドに放り投げて、無造作に制服からラフな部屋着に着替える。
知美からの『正式な殺人依頼』はキャンセルされた。ここから先は刀奈個人の仇討ちでしかない。
別段、lこれがクライマックスで殺し屋稼業最大最後の大一番だとは全く考えていない。
腸の奥底から込み上げる熱湯のような怒りの矛先を発散するだけの『行為』だ。
「……」
本棚の参考書や学術書籍がギッシリと詰まった本棚からそれらの本を抜き取る。その背後にはS&W M28と弾薬、ポーチ等のアクセサリー、クリーニングキットが収まった油紙が僅かなスペースに壁のように立て掛けられている。
どうせ今晩も両親は帰らない。
窓を開ける。冷たい風が吹き込む。
構わずに胡坐を書いて床に座り、油紙の一つを捲る。
見慣れた相棒のS&W M28。もう一つの油紙を捲るとクリーニングキット一式が現れる。
専用のクリーニングキットの存在を知っていても流通経路の問題で入手できなかった頃は、あろうことかモデルガン用のクリーニングキットを用いていた。
勿論、表面の金属加工が青錆に似た化学変化を起こして涙目になったものだ。
そのときはフレーム、バレル、シリンダー、ヨークをミシンオイルで浸した歯ブラシで万遍無く塗り付けた。
外気に触れにくくするためにコーティングして化学変化を応急的に抑えた。密売屋に足元を見られながら直ぐ様、大枚を払ってクリーニングキットを購入した。
今時、クリーニングキットを購入してまで、拳銃を大事に使いこなそうという殺し屋は居ないらしい。
拳銃を購入する人間は恐喝や強盗の手段として手っ取り早く恫喝の効果が高い拳銃を買う。
と、なれば、1万円奪うのに5万円の拳銃を購入していたのでは採算が合わない。
そのような理由から巷では冷戦時代に製造されて行き場を失った東側の製品が1万円以下で購入出来る。
伊達や酔狂を気取る人間でも二昔前の型落ちした西側製品を購入する。
路上の強盗がベレッタ90-Twoを携えることは珍妙な絵面だ。寧ろ、ノリンコ製1911の方が遭遇率が高い。
死体から拾った免許証とマカロフは決定的だった。
湧き上がるように無気力に似た脱力感が刀奈を襲う。
様々な思考がグルグルと疲れた頭を駆け巡る。
最初に仕留めていたと解れば、無駄な弾を使わずに撤収していた。
要らぬ危険を冒してまで吶喊していなかった。もっともっと有益に使えるはずの時間があった。
「あーあ……」
――――フザケテんじゃねぇーよ!
疲れと虚無に打ち拉がれる体を引き摺る足取りは歩く死人同然。
当初の予定通りに退路を辿り、自転車を駐輪してある路地に出ると溜息を吐くのも億劫な顔でペダルを漕ぎだした。
背後ではようやくパトカーが到着したらしいが、そのときには刀奈の姿は夕月の向こうに消えていた。
今の刀奈には聞き慣れた喧騒も雑音として認識されなかった。
こんなに虚無感を覚える結末は初めてだ。
――――あ……。
――――依頼人に報告しなきゃ……。
それが『街角の殺し屋』として果たす義務だったと考えるのが精一杯だった。
※ ※ ※
翌日。月曜日。
酷い虚無に叩き伸めされた翌日。
プロ根性だけでアンダーグラウンドを渡り歩いている節がある刀奈は、昨日とはスイッチを切り替えた顔で――つまり、何事もない明るい笑顔で――登校する。
裾の長いダッフルコートを制服の上から羽織り、寒さに悴む手を摩りながら教室に入る。
教室は授業前で、エアコンの暖房は作動していない。授業が始まらなければエアコンの全ての機能を使うことを許されていない。
刀奈より余程恵まれた体躯をした親友の知美が先に教室で級友とたむろしていた。
「……」
寂しい作り笑顔の彼女。
刀奈は知美に毎朝の挨拶――「ハオ!」とおどけて挨拶――をすると、知美の『堪える笑顔』が返ってくるのを真正面から受け止めて、学生鞄を自分の机に放り投げて立ち話に参加する。
いずれも穏やかでない心中を別にすればいうもの朝だった。
「でさー。『繋ぎ』取れたよ。『如何する?』」
昼休み。屋上。
持参したいつもの野球のボールとグラブは出番がなく、刀奈と知美が座るフェンスの際の段に置かれたままだ。
2人してぽかんと冬の空を見上げていたのだが、会話の切り口を破ったのは刀奈からだった。
「『繋ぎ』取れたけど……『知美の名前は伏せた。代金も私が折半する。GOサインを出してくれれば』……」
返事をするのでもなく、知美は首の角度を下げて今度はコンクリの地面を見つめた。
刀奈は他人の所用を好意で代行してあげているという態度を崩さずに話しを続ける。
少しばかり上からの目線で知美に罪悪を感じるが、自分の正体を嗅ぎ分けられる事態を防ぐにはこれが最適だと思った。
「余計なお世話過ぎたんだったら、忘れてよ。『繋ぎは消す』から」
知美は性根が真っ直ぐで腹に一本の芯が入った堅気だ。
キヨとの死別という事実が過去の瑕になるまで、普通に生活していれば幸せな家庭が築けるに違いない。
ここで一言、『繋ぎ』をキャンセルする言葉を呟いてくれれば一生、綺麗な体のままで生きていける。
刀奈は、考え込む素振りも見せず、生気の点らない瞳で地面を見ているだけの――視界に地面が写っているだけの――知美を横目にした。
――――『お願い。取り消して。連中は私が始末してあげる!』
元から、何事も聞き出さず刀奈が自身で情報を掻き集めれば『いつものように感情だけで人殺しが出来た』。
なのに『憤る感情が思考回路をショートさせて殺し屋を雇ってやる』と半ば勢い的に話が展開した。
直情な刀奈の性格が招いた失策。
顔色は通常営業でも心は自己嫌悪の嵐だ。
「うん……」
知美は頷いた。
そのニュアンスを汲み取るのに時間が掛かる。
肯定? 否定? それとも有耶無耶で終わらせたいのか?
「……『解った、繋ぎ、取ってあげる』」
刀奈は平静な口調で彼女の顔を見ずに呟く。
「ううん。要らない。『殺し屋なんて要らない』。それでキヨが生き返るわけないし……きっとその殺し屋に『弱み』を作っちゃうよ」
知美は儚い微笑で『街角の殺し屋』への接触を断った。
聡い。
賢い。
刀奈は自分に無い冷静な頭脳を具えた知美を直視できなかった。
「んー。解ったー。この話はなかったことということで連絡しとくよ」
「ねぇ、刀奈」
「ん?」
「今度はあんたが危ないことになるんじゃ……」
「大丈夫だよぅ。今は匿名のネット社会だよ? 顔を相手に見せたわけじゃないんだし大丈夫だってば」
知美の顔は晴れない。
まるで、刀奈の正体を知ったうえで危ない行為は止めてくれと大きな瞳が真っ直ぐとこちらを見ている。刀奈は心臓と喉元を締め付けられる思いだ。
「そうか……そうよね。そうだよね」
『作らない笑顔』で返す刀奈。
刀奈はすっくと立ち上がると安堵の溜息と正体不明の息苦しさが混ざった大きな呼吸をした。
冷たい外気が肺一杯に吸い込まれて少し気分が入れ替わった。
ほどなくして予鈴が鳴る。大した会話もなく2人は教室に戻る。
帰宅後、自室に戻るなり鞄をベッドに放り投げて、無造作に制服からラフな部屋着に着替える。
知美からの『正式な殺人依頼』はキャンセルされた。ここから先は刀奈個人の仇討ちでしかない。
別段、lこれがクライマックスで殺し屋稼業最大最後の大一番だとは全く考えていない。
腸の奥底から込み上げる熱湯のような怒りの矛先を発散するだけの『行為』だ。
「……」
本棚の参考書や学術書籍がギッシリと詰まった本棚からそれらの本を抜き取る。その背後にはS&W M28と弾薬、ポーチ等のアクセサリー、クリーニングキットが収まった油紙が僅かなスペースに壁のように立て掛けられている。
どうせ今晩も両親は帰らない。
窓を開ける。冷たい風が吹き込む。
構わずに胡坐を書いて床に座り、油紙の一つを捲る。
見慣れた相棒のS&W M28。もう一つの油紙を捲るとクリーニングキット一式が現れる。
専用のクリーニングキットの存在を知っていても流通経路の問題で入手できなかった頃は、あろうことかモデルガン用のクリーニングキットを用いていた。
勿論、表面の金属加工が青錆に似た化学変化を起こして涙目になったものだ。
そのときはフレーム、バレル、シリンダー、ヨークをミシンオイルで浸した歯ブラシで万遍無く塗り付けた。
外気に触れにくくするためにコーティングして化学変化を応急的に抑えた。密売屋に足元を見られながら直ぐ様、大枚を払ってクリーニングキットを購入した。
今時、クリーニングキットを購入してまで、拳銃を大事に使いこなそうという殺し屋は居ないらしい。
拳銃を購入する人間は恐喝や強盗の手段として手っ取り早く恫喝の効果が高い拳銃を買う。
と、なれば、1万円奪うのに5万円の拳銃を購入していたのでは採算が合わない。
そのような理由から巷では冷戦時代に製造されて行き場を失った東側の製品が1万円以下で購入出来る。
伊達や酔狂を気取る人間でも二昔前の型落ちした西側製品を購入する。
路上の強盗がベレッタ90-Twoを携えることは珍妙な絵面だ。寧ろ、ノリンコ製1911の方が遭遇率が高い。