ワイルドキャットカートリッジ
「死んだと思ったか? 死体のポケットにあった免許証が『全て』か?」
見透かされている。何もかも見透かされている。欺瞞と偽装では笹屋翔一の方が一枚上手だった。
プレハブ小屋で待機させていたのは集団の幹部では無く、雑魚。
「『情報屋の情報が全てか?』」
笹屋翔一の唇が敗者を見下す表情を作る。
――――『売られた!』
懇意にしているはずの情報屋はこの男に……否、この男に敵対する全ての情報を掻き集めるために以前からあらゆる情報屋を飼い慣らしていたのだろう。
そこまで考えが及ぶのに指弾の時間も掛からない。
刀奈は笹屋翔一から銃口がそれたまま、引き金を引く。
「ぐあっ!」
笹屋翔一はS&W M28のシリンダーギャップから噴出する高熱ガスをマカロフを握る右手にまともに浴びてマカロフを手放してしまう。
空かさず足払いで、怯んだ笹屋翔一の足元を蹴り飛ばす。
「この!」
「舌なめずりなんて! 素人?」
辛うじて刀奈は皮肉を搾り出す。
続けて、笹屋翔一の左足の甲を踵で踏みつけて固定した後、右膝裏を爪先で絡めて引き寄せる。足払いを掛けられたかのように、笹屋翔一はうつ伏せに倒れる。
彼は刀奈の腹に跨った状態で2人は接近する。
火傷した右手でマカロフを拾い、銃口を刀奈の顔に向けようとするが、S&W M28のグリップエンドで叩き飛ばされてすっぽ抜け、暗い狭間へと紛失してしまう。
「!」
笹屋翔一の腹に凶悪な銃口が覘く。
「さっさと死んで!」
全力を込めてS&W M28の引き金を引く。
カチン。
――――不発!?
――――弾切れ!?
青褪める顔に追い討ちを掛けるべく笹屋翔一が両手を伸ばして刀奈の首を捉える。
直径の太いザイルで締め上げられるとこのような痛みと苦しみが襲うのか? 刀奈の唇から禁煙パイポが落ちた。
呼吸ができない。頚骨が悲鳴を挙げる。視界が白く濁る。頚部から上の温度が下がるのを実感する。
思考がまとまらず、体の末端から冷たい痙攣と共に脱力していく。
股間だけが熱湯を零したように熱い。それは刀奈自身の失禁だ。
舌が迫り上がり、唇の両端から涎が溢れる。
最後の意地であるはずのS&W M28の引き金から人差し指が離れる。
両手で握るグリップから左掌がゆっくりと覆いを外す様に剥がれる。
オーバーサイズグリップを握る右手が意識の境で抵抗を続ける。その手が小刻みに痙攣を始める。
意識が、遠退く。
頚骨が軋む音もやがて聞こえなくなる。
霞が掛ってきた視界では笹屋翔一が何事か叫んでいるが言葉は耳に届かない。
笹屋翔一の表情は勝者の高笑いを造っていた。
S&W M28を放棄して、右手だけで保持している凶器を放り出して、早く楽になりたい。
今まで、散々人の命を弄んできた報いだろうが、釈然としない最期を迎えるのは少しばかり、心残りだった。
――――バイバイ。
誰にその心の呟きを漏らしたのか。
その心の声に、呼応する者はただ、一人。
長い沈黙の末に叫んだのはただ、一人。
「!」
笹屋翔一の勝利の笑顔が固まったまま、遠ざかる。
意識が途絶えて視界が途切れたのではない。
刀奈の頚部からスルリと笹屋翔一の手が外れ、彼は強烈なボディブローを腹部に受けたがごとく、後方へ吹き飛んだ。『腹部に穿いた孔』から腸がはみ出る。
――――なに? なんなの?
頭に急速に血が巡り始める。
視界が回復し、耳が外部の音を拾う。
この左右を倉庫の壁に挟まれた狭い空間に硝煙が充満し、轟音の尾が長く引く。
遅れて右手首に痛み。
手首が挫いたらしいと、蘇った感覚が訴える。
刀奈の末期に応えたのは……。『叫んだ者』は、一人。
刀奈の腹の上で銃口とシリンダーギャップから硝煙を立てるS&W M28のみ。
遅延発火。
雷管に打撃を与えても雷管が不良品で数秒から数十秒後に発火する現象。
笹屋翔一は起きた撃鉄を見落としていた。
彼は廃ビルでの一件のように刀奈がダブルアクションで引き金を引くと思い込んでいた。
だから撃発されるべき実包がシリンダーの前面から弾頭が覗えずにS&W M28は弾切れだと思い込んでいた。
実際は違う。刀奈は既に撃鉄を起こしたまま、最後の実包が撃発位置に収まっているS&W M28を意識せずに振り回していた。
その乱雑な扱いで、不発紛いの遅延発火を起してしまう。
嘔吐を繰り返しながら刀奈は起き上がる。
横隔膜を破るほどのエネルギーが腹部で炸裂した笹屋翔一は残った力で首をもたげる。
ドス黒い血液の塊を吐き出すと、コトリと首を落とし、脱力して絶命した。
食み出した腸からは先ほどまで生命活動を続けていた証拠である鉄錆臭い血液が止めどなく溢れ、湯気を立てている。
鯒浦喜代という少女の殺害を端に発する一連の暴力沙汰は刀奈の勝利となった。
刀奈はS&W M28を拾うと、血飛沫が派手に付着したランチコートを気にせず、幽鬼の顔で夜陰に消えていく。
この夜の出来事は、現在の日本ではごく普通に見受けられる闇社会の一コマだった。
※ ※ ※
「初めて神様の罰を信じたよ。初めて神様が見ているって信じたよ」
知美は昼休みの屋上で刀奈とキャッチボールができない状況を不満そうにしていたが、突然、呟いた。
刀奈の右手首には包帯が巻かれている。『刀奈は家の階段で転んで手首に酷い捻挫を負ったのだ』。
「そうだってば。殺し屋なんかに頼まなくとも連中は勝手に『殺し合い』をするんだから。私らが踏み込む世界じゃないわよ」
刀奈はあっけらかんとした顔で他人事のように放言する。
「どこかの誰かが何とかしてくれるって。『正義は勝つんだから』!」
《ワイルドキャットカートリッジ・了》
見透かされている。何もかも見透かされている。欺瞞と偽装では笹屋翔一の方が一枚上手だった。
プレハブ小屋で待機させていたのは集団の幹部では無く、雑魚。
「『情報屋の情報が全てか?』」
笹屋翔一の唇が敗者を見下す表情を作る。
――――『売られた!』
懇意にしているはずの情報屋はこの男に……否、この男に敵対する全ての情報を掻き集めるために以前からあらゆる情報屋を飼い慣らしていたのだろう。
そこまで考えが及ぶのに指弾の時間も掛からない。
刀奈は笹屋翔一から銃口がそれたまま、引き金を引く。
「ぐあっ!」
笹屋翔一はS&W M28のシリンダーギャップから噴出する高熱ガスをマカロフを握る右手にまともに浴びてマカロフを手放してしまう。
空かさず足払いで、怯んだ笹屋翔一の足元を蹴り飛ばす。
「この!」
「舌なめずりなんて! 素人?」
辛うじて刀奈は皮肉を搾り出す。
続けて、笹屋翔一の左足の甲を踵で踏みつけて固定した後、右膝裏を爪先で絡めて引き寄せる。足払いを掛けられたかのように、笹屋翔一はうつ伏せに倒れる。
彼は刀奈の腹に跨った状態で2人は接近する。
火傷した右手でマカロフを拾い、銃口を刀奈の顔に向けようとするが、S&W M28のグリップエンドで叩き飛ばされてすっぽ抜け、暗い狭間へと紛失してしまう。
「!」
笹屋翔一の腹に凶悪な銃口が覘く。
「さっさと死んで!」
全力を込めてS&W M28の引き金を引く。
カチン。
――――不発!?
――――弾切れ!?
青褪める顔に追い討ちを掛けるべく笹屋翔一が両手を伸ばして刀奈の首を捉える。
直径の太いザイルで締め上げられるとこのような痛みと苦しみが襲うのか? 刀奈の唇から禁煙パイポが落ちた。
呼吸ができない。頚骨が悲鳴を挙げる。視界が白く濁る。頚部から上の温度が下がるのを実感する。
思考がまとまらず、体の末端から冷たい痙攣と共に脱力していく。
股間だけが熱湯を零したように熱い。それは刀奈自身の失禁だ。
舌が迫り上がり、唇の両端から涎が溢れる。
最後の意地であるはずのS&W M28の引き金から人差し指が離れる。
両手で握るグリップから左掌がゆっくりと覆いを外す様に剥がれる。
オーバーサイズグリップを握る右手が意識の境で抵抗を続ける。その手が小刻みに痙攣を始める。
意識が、遠退く。
頚骨が軋む音もやがて聞こえなくなる。
霞が掛ってきた視界では笹屋翔一が何事か叫んでいるが言葉は耳に届かない。
笹屋翔一の表情は勝者の高笑いを造っていた。
S&W M28を放棄して、右手だけで保持している凶器を放り出して、早く楽になりたい。
今まで、散々人の命を弄んできた報いだろうが、釈然としない最期を迎えるのは少しばかり、心残りだった。
――――バイバイ。
誰にその心の呟きを漏らしたのか。
その心の声に、呼応する者はただ、一人。
長い沈黙の末に叫んだのはただ、一人。
「!」
笹屋翔一の勝利の笑顔が固まったまま、遠ざかる。
意識が途絶えて視界が途切れたのではない。
刀奈の頚部からスルリと笹屋翔一の手が外れ、彼は強烈なボディブローを腹部に受けたがごとく、後方へ吹き飛んだ。『腹部に穿いた孔』から腸がはみ出る。
――――なに? なんなの?
頭に急速に血が巡り始める。
視界が回復し、耳が外部の音を拾う。
この左右を倉庫の壁に挟まれた狭い空間に硝煙が充満し、轟音の尾が長く引く。
遅れて右手首に痛み。
手首が挫いたらしいと、蘇った感覚が訴える。
刀奈の末期に応えたのは……。『叫んだ者』は、一人。
刀奈の腹の上で銃口とシリンダーギャップから硝煙を立てるS&W M28のみ。
遅延発火。
雷管に打撃を与えても雷管が不良品で数秒から数十秒後に発火する現象。
笹屋翔一は起きた撃鉄を見落としていた。
彼は廃ビルでの一件のように刀奈がダブルアクションで引き金を引くと思い込んでいた。
だから撃発されるべき実包がシリンダーの前面から弾頭が覗えずにS&W M28は弾切れだと思い込んでいた。
実際は違う。刀奈は既に撃鉄を起こしたまま、最後の実包が撃発位置に収まっているS&W M28を意識せずに振り回していた。
その乱雑な扱いで、不発紛いの遅延発火を起してしまう。
嘔吐を繰り返しながら刀奈は起き上がる。
横隔膜を破るほどのエネルギーが腹部で炸裂した笹屋翔一は残った力で首をもたげる。
ドス黒い血液の塊を吐き出すと、コトリと首を落とし、脱力して絶命した。
食み出した腸からは先ほどまで生命活動を続けていた証拠である鉄錆臭い血液が止めどなく溢れ、湯気を立てている。
鯒浦喜代という少女の殺害を端に発する一連の暴力沙汰は刀奈の勝利となった。
刀奈はS&W M28を拾うと、血飛沫が派手に付着したランチコートを気にせず、幽鬼の顔で夜陰に消えていく。
この夜の出来事は、現在の日本ではごく普通に見受けられる闇社会の一コマだった。
※ ※ ※
「初めて神様の罰を信じたよ。初めて神様が見ているって信じたよ」
知美は昼休みの屋上で刀奈とキャッチボールができない状況を不満そうにしていたが、突然、呟いた。
刀奈の右手首には包帯が巻かれている。『刀奈は家の階段で転んで手首に酷い捻挫を負ったのだ』。
「そうだってば。殺し屋なんかに頼まなくとも連中は勝手に『殺し合い』をするんだから。私らが踏み込む世界じゃないわよ」
刀奈はあっけらかんとした顔で他人事のように放言する。
「どこかの誰かが何とかしてくれるって。『正義は勝つんだから』!」
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