ワイルドピース
グリップを切り詰めた3インチモデルとはいえ、全長230mm、1kg強も有るフォスベリー・オートマチック・リボルバーはそんなに簡単に持ち歩けない。
バッジを持っているだけで、どんなに拳銃が見え隠れしても不審に思われないハリウッドのポリスアクションとその土壌が羨ましい。
「……あーあ。今年も暑くなるのかなぁ」
窓際に移りながらコイーバ・コロナエスペシャルを横咥えにして猥雑で雑多な眼下の街並みを望む。紫煙が窓から風に乗り、空へと吸い上げられる。百飛木の溜息に着色すればこんな風に大気に混ざるのだろうか?
これでも、百飛木にとっては大きな幸せの空間で寛いでいる風景の一コマだった。
※ ※ ※
久し振りの急転直下。
もっと大袈裟に言えば、破滅への足掛かり。
百飛木たちに居宅を提供している組織が度重なる襲撃で、前線基地に当たる『地域の事務所』が各個撃破されている。
組織内部に内通者や密告者が居るらしい。
組織同士の潰し合いなら問題は無いが、組織が懇意にしている、または組織が庇護している即戦力のリストまで、外部のどこかに漏れているらしい。
ここ数日で、聞き覚えのある同業者が襲撃されて痛手を受けている。既に壊滅した同業者もいる。
「下手に動けない」
「動かないままで良いの?」
マンションの自宅内を右往左往しながら2人は会話していた。
すぐに引き払えるように、身の回りの物をまとめているのだ。
組織に力と甲斐性があれば、2人が逃げた後は書面上で片付けてくれる。
2人が警戒しているのは、姿の見えない敵の襲撃にどのように備えるかだ。いつもは、重い物といえば、携帯電話と財布位しか持ち歩かない光江も可愛らしいショルダーホルスターにブローニング・ベビーを差し込んで薄い生地のベストに袖を通している。
午後10時を少しばかり経過した。
出来るだけ静かに、身支度を整える。
完全な逃亡行為にしても、仮初の移動にしても、彼女たちが自身で考えうる手段は全て行うつもりだ。
逃げるという敗北主義的思考は捨てていないので選択できる余地である。
今は早急な逃避か、あくまでの静観かを決めなければならない。次に淘汰されるのは自分たちかも知れないのだ。
荒事がビジネスなら、生活も荒事で成り立っているのが浮き彫りになる。
根無し草の生活は百飛木には慣れたものだが、お嬢様な生活に親しんでいる光江にそんな無理はさせられない。
ましてや鉄火場に晒すのは何としても避けたい事態だ。
久し振りの急転直下。
もっと大袈裟に言えば、破滅への足掛かり。
彼女たちの尻を叩いて催促するように、固定電話が嫌に耳障りに着信を報せる。
「……はい」
百飛木はわざとおずおずとした口調で応対に出た。
「!」
電話の向こうから聞かされた早馬な情報に耳を疑った。
「……」
相手の一方的な報告を聞き終えると静かに受話器を置く。
「……どうしたの?」
「やられた……」
「え?」
光江の顔が曇る。百飛木の顔は蒼白なまま、しかめ気味に変化している。
「……先回りした誰かが、俺達のセーフハウスを先に襲撃した」
百飛木は自分が言い出したことに疑問を持つような口調で喋る。
「そんな! だって誰もセーフハウスは知らないはずよ!」
光江は喚くのに近い声で反論するが、百飛木に百万遍問うても答えは返ってこないのは解っている。
「考えてもみろ。『誰も知らないはずのセーフハウスが襲撃されたと、組織から連絡が有った』。つまり、組織の上から端まで、敵味方が混在しているということだ」
「……」
「ソースの漏れ所を掴むより、今は身の安全だ。この電話が『炙り出し』の可能性もある」
「じ、じっとしていれば……」
「……いや、こちらから出てやろう。討って出るには情報が少な過ぎるから、その筋はなしだ。逃げる出方でいこう」
最大限に知恵を絞り、光江をエスコートするルートを検索する。知恵熱でブッ倒れそうだ。
「逃げるって……宛ては? セーフハウスの事もバレているのよ?」
「……」
暫し、黙る百飛木。
「……」
「……」
――――待てよ……。
――――漏れているはずの情報の流れが不自然だ……。
なぜ、襲撃者は誰も居ないはずのセーフハウスを襲撃したのか。
すでに自分たちが情報を掴んでセーフハウスに逃げ込んだと判断したのか?
だとしても、誰にもバラしていないセーフハウスの状況をわざわざ、報せてくれた気回しも怪しい。
総合して導かれる考えは『見えない敵勢力』は組織の傘下を各個撃破することを優先事項とし、組織が使える駒を潰すつもりだ。
謂わば、使い勝手の良い、自分たちのような駒をひん剥いて頂上作戦で絶滅させるつもりだろう。
その末に導かれる答えは……。
「!……ブラフ」
「え?」
「セーフハウス襲撃はブラフだ!」
キョトンとする光江。
話を続ける百飛木。
「今の電話は俺たちを揺らすためのブラフだよ。連中はセーフハウスの位置なんか特定していない」
「……じゃあ、さっきの電話は?」
「敵勢力の手先だ。セーフハウスの位置はばれていない。俺たちを炙り出してから仕留めるつもりだ。勿論、ここで引き篭もっていても『爆弾』を送りつけられる可能性が高い」
光江は親指の爪を噛んで考えを巡らせる。
「……どの道、この部屋は投棄ね。どうするの? 一緒にセーフハウスまで逃げましょう!」
百飛木は首を横に振る。
「どうして……」
「……光江」
百飛木は不意に光江を抱き寄せ、光江の体が拉げるほどに抱きしめる。
できるだけ感情を押し殺して光江の耳元で囁く。
「昔の伝をできるだけ集めて『地下に潜れ』。組織の息の掛っていない……『俺達が出会った事務所』に退路を開いてもらえ」
光江は『俺達が出会った事務所』というくだりに小さく身を震わせた。
「……セーフハウスへは俺が行く」
百飛木は自らが囮になって光江が潜伏するまでの時間稼ぎをすると遠回しに言い出したのだ。
「光江……よく聞けよ。この話は永遠の話じゃない。こちらか敵の組織が潰れるまでの『僅かな時間』だ。どちらの勢力の目的も敵の頭を潰すことだ。逃げまどう俺たちには大した追っ手は掛からない……特に、使い捨て程度にしか扱われていない俺たちに、敵が大袈裟な人数を割くとも考えられない」
光江は零れそうな涙を耐えて百飛木のプランに耳を傾ける。
残念ながら、光江には百飛木の展開しようとする防御的攻撃に対して、何も援護してやることができなかった。できることは、おとなしく逃げること。
二人揃っての逃避行は機動力が鈍り、逃げられるチャンスも無駄に終わる可能性が高い。
百飛木の計画通り……百飛木が囮を務めている間に逸早く、安全なスペースを確保して危険に晒されている百飛木を匿うのが正しい……否、合理的な選択だ。
損得勘定や一時の感情論を優先して駄々を捏ねても時間が勿体無い。
「解ったわ……それで行きましょう……」
抱き締められたままの光江は震える声を押し殺して、唇から小さく搾り出す。
「すまん……」
「……ふふっ。私たちの腕の見せ所ね」
光江は冗談っぽく笑ったが、実際のところ、それが肝だ。
追っ手を撒くにしても、安全に逃走するにしても、潜伏ルートを確保するにしても付きまとうリスクは同じ。
ならば、ここは一旦、得意分野を受け持った方が身軽に行動できる。
バッジを持っているだけで、どんなに拳銃が見え隠れしても不審に思われないハリウッドのポリスアクションとその土壌が羨ましい。
「……あーあ。今年も暑くなるのかなぁ」
窓際に移りながらコイーバ・コロナエスペシャルを横咥えにして猥雑で雑多な眼下の街並みを望む。紫煙が窓から風に乗り、空へと吸い上げられる。百飛木の溜息に着色すればこんな風に大気に混ざるのだろうか?
これでも、百飛木にとっては大きな幸せの空間で寛いでいる風景の一コマだった。
※ ※ ※
久し振りの急転直下。
もっと大袈裟に言えば、破滅への足掛かり。
百飛木たちに居宅を提供している組織が度重なる襲撃で、前線基地に当たる『地域の事務所』が各個撃破されている。
組織内部に内通者や密告者が居るらしい。
組織同士の潰し合いなら問題は無いが、組織が懇意にしている、または組織が庇護している即戦力のリストまで、外部のどこかに漏れているらしい。
ここ数日で、聞き覚えのある同業者が襲撃されて痛手を受けている。既に壊滅した同業者もいる。
「下手に動けない」
「動かないままで良いの?」
マンションの自宅内を右往左往しながら2人は会話していた。
すぐに引き払えるように、身の回りの物をまとめているのだ。
組織に力と甲斐性があれば、2人が逃げた後は書面上で片付けてくれる。
2人が警戒しているのは、姿の見えない敵の襲撃にどのように備えるかだ。いつもは、重い物といえば、携帯電話と財布位しか持ち歩かない光江も可愛らしいショルダーホルスターにブローニング・ベビーを差し込んで薄い生地のベストに袖を通している。
午後10時を少しばかり経過した。
出来るだけ静かに、身支度を整える。
完全な逃亡行為にしても、仮初の移動にしても、彼女たちが自身で考えうる手段は全て行うつもりだ。
逃げるという敗北主義的思考は捨てていないので選択できる余地である。
今は早急な逃避か、あくまでの静観かを決めなければならない。次に淘汰されるのは自分たちかも知れないのだ。
荒事がビジネスなら、生活も荒事で成り立っているのが浮き彫りになる。
根無し草の生活は百飛木には慣れたものだが、お嬢様な生活に親しんでいる光江にそんな無理はさせられない。
ましてや鉄火場に晒すのは何としても避けたい事態だ。
久し振りの急転直下。
もっと大袈裟に言えば、破滅への足掛かり。
彼女たちの尻を叩いて催促するように、固定電話が嫌に耳障りに着信を報せる。
「……はい」
百飛木はわざとおずおずとした口調で応対に出た。
「!」
電話の向こうから聞かされた早馬な情報に耳を疑った。
「……」
相手の一方的な報告を聞き終えると静かに受話器を置く。
「……どうしたの?」
「やられた……」
「え?」
光江の顔が曇る。百飛木の顔は蒼白なまま、しかめ気味に変化している。
「……先回りした誰かが、俺達のセーフハウスを先に襲撃した」
百飛木は自分が言い出したことに疑問を持つような口調で喋る。
「そんな! だって誰もセーフハウスは知らないはずよ!」
光江は喚くのに近い声で反論するが、百飛木に百万遍問うても答えは返ってこないのは解っている。
「考えてもみろ。『誰も知らないはずのセーフハウスが襲撃されたと、組織から連絡が有った』。つまり、組織の上から端まで、敵味方が混在しているということだ」
「……」
「ソースの漏れ所を掴むより、今は身の安全だ。この電話が『炙り出し』の可能性もある」
「じ、じっとしていれば……」
「……いや、こちらから出てやろう。討って出るには情報が少な過ぎるから、その筋はなしだ。逃げる出方でいこう」
最大限に知恵を絞り、光江をエスコートするルートを検索する。知恵熱でブッ倒れそうだ。
「逃げるって……宛ては? セーフハウスの事もバレているのよ?」
「……」
暫し、黙る百飛木。
「……」
「……」
――――待てよ……。
――――漏れているはずの情報の流れが不自然だ……。
なぜ、襲撃者は誰も居ないはずのセーフハウスを襲撃したのか。
すでに自分たちが情報を掴んでセーフハウスに逃げ込んだと判断したのか?
だとしても、誰にもバラしていないセーフハウスの状況をわざわざ、報せてくれた気回しも怪しい。
総合して導かれる考えは『見えない敵勢力』は組織の傘下を各個撃破することを優先事項とし、組織が使える駒を潰すつもりだ。
謂わば、使い勝手の良い、自分たちのような駒をひん剥いて頂上作戦で絶滅させるつもりだろう。
その末に導かれる答えは……。
「!……ブラフ」
「え?」
「セーフハウス襲撃はブラフだ!」
キョトンとする光江。
話を続ける百飛木。
「今の電話は俺たちを揺らすためのブラフだよ。連中はセーフハウスの位置なんか特定していない」
「……じゃあ、さっきの電話は?」
「敵勢力の手先だ。セーフハウスの位置はばれていない。俺たちを炙り出してから仕留めるつもりだ。勿論、ここで引き篭もっていても『爆弾』を送りつけられる可能性が高い」
光江は親指の爪を噛んで考えを巡らせる。
「……どの道、この部屋は投棄ね。どうするの? 一緒にセーフハウスまで逃げましょう!」
百飛木は首を横に振る。
「どうして……」
「……光江」
百飛木は不意に光江を抱き寄せ、光江の体が拉げるほどに抱きしめる。
できるだけ感情を押し殺して光江の耳元で囁く。
「昔の伝をできるだけ集めて『地下に潜れ』。組織の息の掛っていない……『俺達が出会った事務所』に退路を開いてもらえ」
光江は『俺達が出会った事務所』というくだりに小さく身を震わせた。
「……セーフハウスへは俺が行く」
百飛木は自らが囮になって光江が潜伏するまでの時間稼ぎをすると遠回しに言い出したのだ。
「光江……よく聞けよ。この話は永遠の話じゃない。こちらか敵の組織が潰れるまでの『僅かな時間』だ。どちらの勢力の目的も敵の頭を潰すことだ。逃げまどう俺たちには大した追っ手は掛からない……特に、使い捨て程度にしか扱われていない俺たちに、敵が大袈裟な人数を割くとも考えられない」
光江は零れそうな涙を耐えて百飛木のプランに耳を傾ける。
残念ながら、光江には百飛木の展開しようとする防御的攻撃に対して、何も援護してやることができなかった。できることは、おとなしく逃げること。
二人揃っての逃避行は機動力が鈍り、逃げられるチャンスも無駄に終わる可能性が高い。
百飛木の計画通り……百飛木が囮を務めている間に逸早く、安全なスペースを確保して危険に晒されている百飛木を匿うのが正しい……否、合理的な選択だ。
損得勘定や一時の感情論を優先して駄々を捏ねても時間が勿体無い。
「解ったわ……それで行きましょう……」
抱き締められたままの光江は震える声を押し殺して、唇から小さく搾り出す。
「すまん……」
「……ふふっ。私たちの腕の見せ所ね」
光江は冗談っぽく笑ったが、実際のところ、それが肝だ。
追っ手を撒くにしても、安全に逃走するにしても、潜伏ルートを確保するにしても付きまとうリスクは同じ。
ならば、ここは一旦、得意分野を受け持った方が身軽に行動できる。