ワイルドピース

 残念ながらその有象無象はことごとく、フォスベリー・オートマチック・リボルバーの的になる。
 丁寧な屠殺とまではいかなくとも、小男が逃げるだけの時間は稼いだ。
 ようやく、興奮状態が落ち着いてきた百飛木はフォスベリー・オートマチック・リボルバーを握ったまま、上着の左脇に忍ばせてその場から立ち去る。
 太陽が傾いてかなりの時間が経過した。
 ここが廃棄された工場地帯の一角でなければ要らぬ注目を浴びるところだ。

 ……百飛木が携帯電話で小男が依頼主の元へ無事帰還した連絡を受けて、セーフハウスで足を伸ばしたときに何気なく手を伸ばしたフォスベリー・オートマチック・リボルバーの薬室は『空』で、予備のスピードローダーを1つも所持していないことに滝のような冷や汗を掻いた。
   ※ ※ ※
「カチコミかぁ……」
 ある日の午後。
 ホットパンツにタンクトップ姿の百飛木はリビングで胡坐をかいてフォスベリー・オートマチック・リボルバーをクリーニングしていた。
 まだ少し肌寒い季節だったが、窓は全開だ。
 揮発性の薬品を扱って火薬滓を落とすために換気には充分に気を付けなければならない。
 勿論、好きなコイーバも咥えたまま……ということは間違ってもしない。
 フォスベリー・オートマチック・リボルバーは構成部品が多く、クリーニング箇所が多いのでメンテナンスは時間と心に余裕のあるときに集中して行う。
 いくら、後世のアマチュアガンスミスが叡智を搾って『リコイルアクションの度にスライドレールの異物を掻き出す』アイデアを実現したとしても、それで100%作動が保証されるのではない。
 銃身内部と同じくらいにスライドレールとシリンダーの回転ノッチは慎重に念入りにクリーニングする。
 リボルバーの分際で反動を用いたアクションをおこなうことから、リコイルショックレバーとリコイルショックレバースプリングの消耗具合を確認することも大切だ。また、撃鉄にはトリガーレバーと連動する特殊なコックパーツが付属しているために軽く弾いてスプリングやストッパーの磨耗も調べる。
 兎角、フォスベリー・オートマチック・リボルバーは点検箇所が多い。否、多過ぎる。
 フィールドストリッピングにしても細かなパーツが多い。
 この煩わしさに深層心理的な魅力を感じることができなければフォスベリー・オートマチック・リボルバーと付き合うのは難しいだろう。
「で、聞いてるの?」
「ああ。聞いてるよ」
 光江がいつものように可愛らしく頬を膨らませる。
 百飛木の心の中では、どこかで光江の困り顔を常に見ていたいという願望が根付いているのかも知れない。
「今度の依頼はカチコミだろ?」
「そうなんだけど……」
「何か問題でも?」
「危な過ぎるの! カチコミってヤクザの使い捨てじゃない!」
 百飛木は機関部をスライドに滑らせると、一旦手を止めて光江の顔を見た。
「お前が俺を案じてくれるのは嬉しい。でもな、仕事は仕事だ。この稼業は一遍でもヒトをハジいたら戻れねぇ。足は洗えてもムカシは付き纏う」
 百飛木は自分の顔が光江を怖がらせるほどに皺を寄せているのではないかと、言っている最中に感付き、再び手元に視線を向ける。
 フォスベリー・オートマチック・リボルバーのグリップパネルのネジを締め、各稼動部分にグリススプレーを軽く吹き付ける。鼻を突く異臭に口をへの字に曲げる。
――――解っている……。
 とっくの昔にカタがついた話題に逆戻りするのが怖かった。
 どこかへ逃げよう。
 逃げられるわけがない。
 昔を捨てよう。
 捨てられない物の方が多い。
 無為にも思える押し問答が再び展開されるのかと思うと、怖気ずく。
 最大の譲歩として、百飛木は光江に仕事を選択する権利を与えた。
 それでも、大元の問題は……自分たちを庇護してくれている組織からのたっての願いだった。
 この話ばかりは蹴るにはいかない。光江も充分理解している。自分が言っていることは無い物ねだりをする子供と同じだと。
 組織の庇護無しでこの世界を生きることは、嵐の海に葉っぱ一枚の小船で蟻が渡航しようとするのと同じくらいに無謀だ。
 光江も充分に……理解している。……はずだ。
 充分に、だ。
 絶対に死なないと約束してこの暗い世界で生きていく決心をしたのだ。
 そもそも、『二人供、闇社会の人間でなければ』出会うことはなかった。
 それもどっぷりと肩まで、ドブネズミと蛆虫が徘徊する、ヒエラルキーの最下層の住人同士だから出会えた。
 故に『理解しているはずだ』。
 明るい世界を歩くことができないのなら、いっそのこと、二人で仲良く堕ちようと。
 今更、現場が危ないから足を洗おうなどとは虫の好過ぎる話だ。
 それに、百飛木も理解している。自分には光江が必要だと。光江のパスファインダー的なサポートが無ければ何度命を落としていたのか解らない。
 光江の笑顔と可愛らしい怒り顔に会いたくて、どんな窮地も脱することができた。酷い仕事でも無茶な圧力でも……力も何もなくとも……二人だから乗り越えられた。
 今更、『仕事上のコンビ』を解消して滞りなく生存できるとはさらさら考えていない。
 単線のレールが交わらないように、この問答も終わりがない。
 否、一つ、名案があるとすれば……それは、自分たちで額に向け合った銃の引き金を引くことだけだろう。これは極論ではない。『至極、真っ当な、話の終わらせ方』だ。
 この話は……依頼の件は引き受けるこで落ちる。
 自分たちの塒を提供してくれている『恩人』からの依頼である。
 私情を挟む余地は無い。言い方を変えればこのときのために飼われている節もある。
 闇社会を構築する歯車の一個として機能しているのを痛感する。
 裾に縋る女がカタギの人間なら話はシンプルに片付くが、生憎、百飛木のオンナは闇社会でも『事務兼情報処理職』で潜り抜けてきたデスクワーク型の万ず屋だ。
 百飛木よりもこの社会の構造と力関係を知り尽くしていなければ仕事は勤まらない。
 光江が決まって駄々を捏ねるのは無言の圧力が働いているときだと相場は決まっている。
 光江自身も結局は、アウトローな性分であるという顕れだ。
 誰にも操られたくなくて飛び込んだ世界なのに気が付けばどこかの誰かの使いっ走りに収まっていた。
 自分だけは違う。自分だけは巧くやれる……この界隈で誰も彼もが抱く幻想に喰われた『可哀想な被害者』でしかない。勿論、おとなしく長い物に巻かれて三遍回ってワンと吼える百飛木も『可哀想な被害者』の仲間だ。
「グダグダ、文句垂れても何も始まらないよ。『俺達は型に填まらない連中という型に填まったんだ』、それなりの生き方を弁えていれば他の誰よりも3分くらいは長生きできる……それが最高の報酬だ」
「……う」
 小さく呻く光江。毎度毎度、百飛木のこの台詞に押し戻されて黙り込んでしまう。
 従って「百飛木の分らず屋!」という台詞も嚥下するのもいつものことだ。
 もしかすると、10秒後にはこの部屋に警官が雪崩れ込んできて拘束されるかも知れない。夜食の買出しに出た途端、頭部を狙撃されるかも知れない……そんな儚い平穏の上に成り立っているのが今の生活だ。
 守りたい物、守らなければならない物ができた途端、人間の攻守は逆転する。
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