ワイルドピース
「ああ。助かったよ。光江様々だ」
深煎りコーヒーの香りに似たコイーバがほんのりとリビングを漂う。空気清浄機が紫煙を感知して静かに作動する。
ささやかな、幸せの空間。毎度のこととはいえ、オフの一時にハバナを燻らせていると、自分が泥濘の底にいる人間であることを忘れる。
光江は依頼の有無をノートパソコンで調べ終えると電源を落とし、キッチンへ向かう。
急な用件や、難度の高い仕事は送信されていなかったらしい。光江自身が現場に出向くことは皆無だが、護身用にブローニング・ベビーを携帯している。射撃の腕前はからっきしで、ブローニング・ベビーもプリンキング程度の感覚でしか扱ったことはない。
5m先の空き缶に命中させるだけの腕前は有るが、弾頭重量3.3g、初速230m、初活力93J程度のウインチェスター社製25ACPの対人停止力など、この世界では全く脅威ではない。
それに撃つべき標的は空き缶では無い。強力な火器で反撃する動体目標だ。
闇社会の嗜み程度に持たせているだけの代物でしかない。人に向けて撃つときは、祈りながら頭部を狙って引き金を引けと普段から教えている。祈るのは勿論、良心の呵責を曖昧にするための、神様への祈りではなく、この一発で活路が見出せますようにとの祈りだ。
しばらくしてキッチンから光江が戻ってくる。
手にしたトレイにはマグカップが2つ。マグカップでは芳しいダージリンが湯気を立てていた。一層強い香りがするのは百飛木のマグカップに、僅かにブランデーが垂らしてあるからだ。
――――今日も好い日でありますように。
1cmほど、灰が伸びたコイーバ・コロナスエスペシャルを咥えながら、手元にコトンと置かれたマグカップに視線を落とした。
※ ※ ※
どんなに光江が情報を引き出して現場を多角的に調査しても予期せぬ事態というのは訪れる。
概ねしてそのような場合は予想した最悪の条件の右斜め上を行く場合が殆どだ。
アドレナリンが沸騰していても脳内麻薬が分泌されていても、活路に繋がる全てのルートを辿る本能だけは麻痺させてはいけない。
万ず荒事引き受けます。
この看板に泥を塗る真似だけはしたくない。
救出。暗殺。拷問。奪回。諜報。潜入。誘拐。
これ、全てビジネス。
自分自身の命のキャラクターシートをベットして……手元のカードが役でもブタでもデッドマンズハンドでも賭けねばならない時がある。
口の端に咥えたコイーバの長さが4cmほどになった。
葉巻のニュアンスの終演を飾るのに最も美しい香りを提供してくれるのに、堪らずに吐き捨てた。
――――囲まれた!
廃工場に拉致された人物を救出するだけの『何の変哲も無い』仕事だったが、直前で敵戦力の応援が間に合い、手詰まりに陥っている。
サムピースを押してシリンダーを開放する。手荒く逆さに振り、全ての空薬莢を乱暴に捨てる。
鉄錆の世界に硝煙が渦巻く。
スピードローダーの実包を薬室に落とし込み、スピードローダー後部のクリップを捻る。これで8発の38splが薬室に填まる。
主観で見て30平方メートルの空間で9人の敵戦力。
俯瞰で見ると伏兵が存在してる可能性も有る。
一望して短機関銃が複数確認出できのが、よくない情報だ。悪くない情報と言えば、敵戦力の練度の低さだ。
可能ならば短機関銃を奪いたい。漫画や小説ならばどのような状況もたった1種類の銃火器で窮地を切り抜けるシーンが度々登場するが、実際のプロの銃火器使いは、状況に応じて必要な火器を選択する。
スナブノーズで400m級の狙撃は不可能だからそれなりの狙撃銃を持ち出すのと同じだ。かと言って、1人の人間を仕留めるのに50口径の連装重機関銃を銃身が焼き切れるまで撃ち続けるのも意味が無い。
この状況が予想されるのにも関わらずに、「その状況で必要な口径の火器を必要なだけ」用意していない百飛木は、拳銃を使う考え方に甘さが有る。
勿論、そんな百飛木にも言い分はあって、どんな現場でも使い慣れた拳銃を携えていたいのだ。暴論を展開すれば、アフガニスタンでAKとM16が撃ち合う状況でもフォスベリー・オートマチック・リボルバーで切り抜けたい。
それらに対する答えはごく、簡単な信条だ。
百飛木に拳銃の使い方を教えた人物はこのフォスベリー・オートマチック・リボルバーを愛用していたが、銃撃戦の最中に命を落とす。……百飛木の思うところは人間の心情的に悲しみや怒りというものではない。
『師匠が弱いから弟子も弱いと思われたくない』
という、頑なとは正反対の実にネジの緩んだ理由だ。
師匠が遺したフォスベリー・オートマチック・リボルバーをわざわざ、イギリスのガンスミスにオーバーホールをオーダーした。
弾薬の供給ルートは師匠が生きていた頃の伝で贔屓にして貰っているが、不具合品かも知れない銃を使うわけにはいかない。
現在の状況は非常に不利。
廃工場の屋内。
中央に目標である、拉致された人物が簀巻き状態で転がっている。
それを取り巻くように敵戦力が展開している。
視線上の平面にも、キャットウォークの三次元的な位置にも疎らに配置。
先程から膠着に近い状態が続いている。
これまでに4人を仕留めたが、寄せ集めの3等兵程度のハジキ捌きで百飛木に有効打は無い。各個撃破なら大した脅威では無いが完全に相手にイニシアチヴを握られていると、腕前の差は同程度に調整されると学習した。
9mmパラベラムのフルメタルジャケットがミシンのように着弾痕を穿つ。357マグナムが胎に響く咆哮で遮蔽物である詰まれた一斗缶の山を砕く。頓珍漢な方向に跳弾するのは弱装な9mmショートだ。
こんな狭い空間で好き勝手に発砲する連中なので銃声で耳が聾される。
鼓膜を透過した轟音が三半規管にまで異常をきたす錯覚。牽制のつもりで発砲するフォスベリー・オートマチック・リボルバーの散発的な38spl+がキャラメルのオマケ程度の反撃に思える。
連中の射線がいつ、救出対象を撃ち抜くのかと冷や冷やしっ放しだ。
キャットウォークに陣取る、目障りな短機関銃を黙らせるべく狙って撃つ。勿論、狙うといっても牽制よりコンマ数秒ほど、長く銃口を保持しているだけだ。それ以上のラグタイムは自身の生命が危うい。折角の遮蔽物から身を晒すのだから、連中の死角も有効に利用したい。
――――チッ
キャットウォークから短機関銃を抱えたヤクザ者が体を折って転落する。
たった1人を黙らせるのに3発も発砲したのが惜しい。
駄賃のつもりで、体勢を大きく崩して床に伏せ、平面上の遮蔽物から大きく体を晒している2人を仕留める。小計5発を発砲。先程の3発と合計して8発の発砲。
フォスベリー・オートマチック・リボルバーの薬室には空薬莢しか無い。
地面を転がりながら遮蔽物に戻ると、シリンダーを開放して空薬莢を捨てる。
スピードローダーで再装填を済ませ、チェッカリングが彫られた大きな撃鉄の両サイドを掴んで思いっ切り引く。
フォスベリー・オートマチック・リボルバーの構造物の上部がスライドする。あたかも自動拳銃のスライド後端を掴んで引くのに似た動作。この動作に依り、撃鉄は起きて引き金は一段下がって軽いトリガープルで発砲できる。
連中がいつ、救出対象の人質を盾として利用するのかが気になる。
深煎りコーヒーの香りに似たコイーバがほんのりとリビングを漂う。空気清浄機が紫煙を感知して静かに作動する。
ささやかな、幸せの空間。毎度のこととはいえ、オフの一時にハバナを燻らせていると、自分が泥濘の底にいる人間であることを忘れる。
光江は依頼の有無をノートパソコンで調べ終えると電源を落とし、キッチンへ向かう。
急な用件や、難度の高い仕事は送信されていなかったらしい。光江自身が現場に出向くことは皆無だが、護身用にブローニング・ベビーを携帯している。射撃の腕前はからっきしで、ブローニング・ベビーもプリンキング程度の感覚でしか扱ったことはない。
5m先の空き缶に命中させるだけの腕前は有るが、弾頭重量3.3g、初速230m、初活力93J程度のウインチェスター社製25ACPの対人停止力など、この世界では全く脅威ではない。
それに撃つべき標的は空き缶では無い。強力な火器で反撃する動体目標だ。
闇社会の嗜み程度に持たせているだけの代物でしかない。人に向けて撃つときは、祈りながら頭部を狙って引き金を引けと普段から教えている。祈るのは勿論、良心の呵責を曖昧にするための、神様への祈りではなく、この一発で活路が見出せますようにとの祈りだ。
しばらくしてキッチンから光江が戻ってくる。
手にしたトレイにはマグカップが2つ。マグカップでは芳しいダージリンが湯気を立てていた。一層強い香りがするのは百飛木のマグカップに、僅かにブランデーが垂らしてあるからだ。
――――今日も好い日でありますように。
1cmほど、灰が伸びたコイーバ・コロナスエスペシャルを咥えながら、手元にコトンと置かれたマグカップに視線を落とした。
※ ※ ※
どんなに光江が情報を引き出して現場を多角的に調査しても予期せぬ事態というのは訪れる。
概ねしてそのような場合は予想した最悪の条件の右斜め上を行く場合が殆どだ。
アドレナリンが沸騰していても脳内麻薬が分泌されていても、活路に繋がる全てのルートを辿る本能だけは麻痺させてはいけない。
万ず荒事引き受けます。
この看板に泥を塗る真似だけはしたくない。
救出。暗殺。拷問。奪回。諜報。潜入。誘拐。
これ、全てビジネス。
自分自身の命のキャラクターシートをベットして……手元のカードが役でもブタでもデッドマンズハンドでも賭けねばならない時がある。
口の端に咥えたコイーバの長さが4cmほどになった。
葉巻のニュアンスの終演を飾るのに最も美しい香りを提供してくれるのに、堪らずに吐き捨てた。
――――囲まれた!
廃工場に拉致された人物を救出するだけの『何の変哲も無い』仕事だったが、直前で敵戦力の応援が間に合い、手詰まりに陥っている。
サムピースを押してシリンダーを開放する。手荒く逆さに振り、全ての空薬莢を乱暴に捨てる。
鉄錆の世界に硝煙が渦巻く。
スピードローダーの実包を薬室に落とし込み、スピードローダー後部のクリップを捻る。これで8発の38splが薬室に填まる。
主観で見て30平方メートルの空間で9人の敵戦力。
俯瞰で見ると伏兵が存在してる可能性も有る。
一望して短機関銃が複数確認出できのが、よくない情報だ。悪くない情報と言えば、敵戦力の練度の低さだ。
可能ならば短機関銃を奪いたい。漫画や小説ならばどのような状況もたった1種類の銃火器で窮地を切り抜けるシーンが度々登場するが、実際のプロの銃火器使いは、状況に応じて必要な火器を選択する。
スナブノーズで400m級の狙撃は不可能だからそれなりの狙撃銃を持ち出すのと同じだ。かと言って、1人の人間を仕留めるのに50口径の連装重機関銃を銃身が焼き切れるまで撃ち続けるのも意味が無い。
この状況が予想されるのにも関わらずに、「その状況で必要な口径の火器を必要なだけ」用意していない百飛木は、拳銃を使う考え方に甘さが有る。
勿論、そんな百飛木にも言い分はあって、どんな現場でも使い慣れた拳銃を携えていたいのだ。暴論を展開すれば、アフガニスタンでAKとM16が撃ち合う状況でもフォスベリー・オートマチック・リボルバーで切り抜けたい。
それらに対する答えはごく、簡単な信条だ。
百飛木に拳銃の使い方を教えた人物はこのフォスベリー・オートマチック・リボルバーを愛用していたが、銃撃戦の最中に命を落とす。……百飛木の思うところは人間の心情的に悲しみや怒りというものではない。
『師匠が弱いから弟子も弱いと思われたくない』
という、頑なとは正反対の実にネジの緩んだ理由だ。
師匠が遺したフォスベリー・オートマチック・リボルバーをわざわざ、イギリスのガンスミスにオーバーホールをオーダーした。
弾薬の供給ルートは師匠が生きていた頃の伝で贔屓にして貰っているが、不具合品かも知れない銃を使うわけにはいかない。
現在の状況は非常に不利。
廃工場の屋内。
中央に目標である、拉致された人物が簀巻き状態で転がっている。
それを取り巻くように敵戦力が展開している。
視線上の平面にも、キャットウォークの三次元的な位置にも疎らに配置。
先程から膠着に近い状態が続いている。
これまでに4人を仕留めたが、寄せ集めの3等兵程度のハジキ捌きで百飛木に有効打は無い。各個撃破なら大した脅威では無いが完全に相手にイニシアチヴを握られていると、腕前の差は同程度に調整されると学習した。
9mmパラベラムのフルメタルジャケットがミシンのように着弾痕を穿つ。357マグナムが胎に響く咆哮で遮蔽物である詰まれた一斗缶の山を砕く。頓珍漢な方向に跳弾するのは弱装な9mmショートだ。
こんな狭い空間で好き勝手に発砲する連中なので銃声で耳が聾される。
鼓膜を透過した轟音が三半規管にまで異常をきたす錯覚。牽制のつもりで発砲するフォスベリー・オートマチック・リボルバーの散発的な38spl+がキャラメルのオマケ程度の反撃に思える。
連中の射線がいつ、救出対象を撃ち抜くのかと冷や冷やしっ放しだ。
キャットウォークに陣取る、目障りな短機関銃を黙らせるべく狙って撃つ。勿論、狙うといっても牽制よりコンマ数秒ほど、長く銃口を保持しているだけだ。それ以上のラグタイムは自身の生命が危うい。折角の遮蔽物から身を晒すのだから、連中の死角も有効に利用したい。
――――チッ
キャットウォークから短機関銃を抱えたヤクザ者が体を折って転落する。
たった1人を黙らせるのに3発も発砲したのが惜しい。
駄賃のつもりで、体勢を大きく崩して床に伏せ、平面上の遮蔽物から大きく体を晒している2人を仕留める。小計5発を発砲。先程の3発と合計して8発の発砲。
フォスベリー・オートマチック・リボルバーの薬室には空薬莢しか無い。
地面を転がりながら遮蔽物に戻ると、シリンダーを開放して空薬莢を捨てる。
スピードローダーで再装填を済ませ、チェッカリングが彫られた大きな撃鉄の両サイドを掴んで思いっ切り引く。
フォスベリー・オートマチック・リボルバーの構造物の上部がスライドする。あたかも自動拳銃のスライド後端を掴んで引くのに似た動作。この動作に依り、撃鉄は起きて引き金は一段下がって軽いトリガープルで発砲できる。
連中がいつ、救出対象の人質を盾として利用するのかが気になる。