ワイルドピース
何時でも飛び出せるように足腰のバネを溜めて身を屈めていたのに、百飛木は急に脱力して棒立ちになる。
「……」
何も感じていない、という表情ではなく、何も考えていないという表情だった。
それを行った愚かな行動すらどこがどのようにどれだけ愚かであるかも考えていない顔だった。
一歩。
一歩踏み出した。
二歩踏み出したところで遮蔽物から全身が現れた。
三歩目で、殺気に押し潰される恐怖を全身で感じた。
眼球を大きく見開く。
フォスベリー・オートマチック・リボルバーを右手一杯に右側面に向ける!
狙った姿勢ではない。殺気の方向に銃口を向けて咄嗟に体が抵抗を試みただけだ。
ダブルタップ。
百飛木の銃口からは硝煙が昇っていない。
空薬莢の涼しげな金属音が銃声で圧倒された空間にアクセントのように心地よく響き渡る。
「がっ!」
右肩と右脇腹の辺りから鮮血が溢れ出る。まるで、お前の愚行の代償だと言わんばかりに。
ノリンコの男は足に根が生えたように、初めからそこで立っていた。 ウイーバースタンスでノリンコT-NCT90を構えて存在していた。
通路の真ん中で。路地の見晴らしの良い真ん中で。百飛木の遮蔽物から7mほどしか離れていない、薄暗い空間で。
……銃口から薄っすらと硝煙が昇るノリンコT-NCT90を右手で構えて立っていた。
次第に下がる百飛木の右腕。
相棒のフォスベリー・オートマチック・リボルバーが重力に完敗して地面に引き寄せられるように垂れ下がる。
スローモーション映像のように地面に倒れ臥す百飛木。
痛みを通り越して寒気がする。下唇を噛み、撒き散らしたい感情の咆哮を飲み込む。
一矢報いる。
38口径が当らずとも一矢報いた事実を作りたい。
ここまで頑張ったんだ、少なくとも光江だけは巧く逃げ仰せているはずだ。そうあってくれ。頼む。
地面に伏せた顔をゆっくり上げて自由の利かない右肩を酷使してフォスベリー・オートマチック・リボルバーを右手一本で構える。
実に無様。
銃口の先は男の膝下も捉えられない。
銃声。
キャラメルのオマケのように付いてくる絶望。
ノリンコT-NCT90が放った9mmパラベラムはコンクリートの地面で跳弾し、フォスベリー・オートマチック・リボルバーの左フレームを強かに叩く。
その衝撃で左フレームが大きく凹み、右手から弾き飛ばされる。元から不自然な構えだったために手首を挫いた。
地面に転がる傷ついたフォスベリー・オートマチック・リボルバーを無傷の左手で拾う。姿勢はそのままで手を伸ばして拾う。射線は相変わらずノリンコの男の膝下位にしか合わせられない。
「よく頑張った……ここまで反撃していなければ、恋人と一緒に葬ってやるところだった」
「!」
――――光江!
「光江に……何を!」
男の足元を睨みつけながら、白く変色した唇からその言葉を冷静を装って搾り出す。
「何も。身柄は確保。その後は……どうだろね。俺たちはお前1人の確保しか注文されていない。だが、雇い主はお前が死のうが生きようがどうでもいいらしい。『首根っこ押さえて黙らせれば』それでいいらしい」
「……随分、喋るな」
「落とし前をつけてもらいたい……死ね」
極限状態で聞く、聞き飽きた陳腐な台詞。だが、その言葉の重みは計り知れない。
死ねというその言葉に対してできる抵抗はフォスベリー・オートマチック・リボルバーのハンマーを起こして引き金を引くだけ。
カチン……。
不確実な作動音。撃発はしない。
ハンマーは確かに雷管を叩いた。軽い音だった。
打撃不良だ。原因は瞬間で理解した。先ほどの9mmパラベラムの跳弾が左フレームを叩いた時にハンマーに伝達するスプリングに異常を来たしたのだろう。
悔し涙が溢れる。
男を睨みつけて最期に罵詈雑言をぶつけてやりたいが、首の角度も満足に向かない。
キャラメルのオマケのような絶望。
その昔、フォスベリー・オートマチック・リボルバーが米軍のトライアルでコルト45オートに負けた理由。……それは不発時の撃鉄操作の手順が多く、多少の力作業であること。
かつてのフォスベリーを改良したとはいえ、基本構造は変わっていない。
つまり、百飛木の『世界の中』で全てが終わった。
「じゃあ、な」
ノリンコT-NCT90の銃口が百飛木の頭蓋に移動するのが気配で解る。
走馬灯とかいうものが目蓋を走るよりも早くそれは起きた。
バランッ!
フォスベリー・オートマチック・リボルバーが見えないワイヤーで吊り上げられたように銃口が『走り出した!』
反動の激しさに左肩を脱臼する。
「がっ!」
何事か、全く理解できない間に男が仰向けに大の字で倒れる。
フォスベリー・オートマチック・リボルバーの銃身には濃厚な硝煙が絡み付いている。
地面に落ちたフォスベリー・オートマチック・リボルバーの引き金と撃鉄の隙間から合計3個程の、欠けた小さな金属片が転がり出た。
こんな時はどんな顔をしたらいいのだろう。
打撃不良ではなく、雷管不良による遅延発射。
加え、フレーム強打に端を発するセミオート機構の破損。引いては単射でストップせず、全弾を撃ち尽くすまでのフルオート。引き金を引いていようが否かは関係ない。
吐き出された38口径は1発毎に上方へ跳ね上がり、内4発が男の腹部と胸部に被弾した。
「……」
愛銃に起きた奇跡を理解するほど思考は鋭くない。のろのろと立ち上がると、顎を引き締め、しっかりと一歩を踏み出した。
愛銃が手から滑り落ちる。
退路へ進む前に無造作に転がっているノリンコT-NCT90を拾う。
上がらない右肩。挫いた左手首。呼吸の度に生きている事を痛みで教えてくれるアバラ。
……そして、『血液という名の、生命のインジケーターを砂時計宜しく垂れ流す右腹被弾箇所』。
男のノリンコが、彼女の愛銃と同時に放った。
そのたった1発が腹部に命中した。
百飛木の蒼い顔に死神に捕らわれた翳りは見えない。
退路を歩く。
ひたすら歩く。
彼女はただの一片たりとも、この裏路地が死に場所だと考えていない。
百飛木には目標がある。
正確に言えば、目標ができた。
愛する半身を救出するためにどこのどのような、人智を超えた存在も殴り飛ばしてでも生き延びねばならない。
歩く。
歩く。
もう直ぐ裏路地の出口が見える。
百飛木にとって退路の出口は光江に会いに行くドアでしかない。
霞む眼も、寒気を感じる背筋も、悲鳴を挙げる負傷箇所も……今は、内ポケットから取り出したハバナ葉巻で大人しくしてもらうことにする。
少し、摺り足気味になったが、その問題は後回しだ。
進め進め。
歩け歩け。
――――外れの葉巻を引いたか……。
濃厚が売りのハバナ葉巻の味が薄い。
「……まあ、良いさ……」
――――光江の紅茶が飲みたい……。
裏路地の向こう。
夜陰の中に、百飛木の毅然とした背中は幽鬼の如く消え入り……摺り気味の足音が暗い路地に溶け込んでいく。
《ワイルドピース・了》
「……」
何も感じていない、という表情ではなく、何も考えていないという表情だった。
それを行った愚かな行動すらどこがどのようにどれだけ愚かであるかも考えていない顔だった。
一歩。
一歩踏み出した。
二歩踏み出したところで遮蔽物から全身が現れた。
三歩目で、殺気に押し潰される恐怖を全身で感じた。
眼球を大きく見開く。
フォスベリー・オートマチック・リボルバーを右手一杯に右側面に向ける!
狙った姿勢ではない。殺気の方向に銃口を向けて咄嗟に体が抵抗を試みただけだ。
ダブルタップ。
百飛木の銃口からは硝煙が昇っていない。
空薬莢の涼しげな金属音が銃声で圧倒された空間にアクセントのように心地よく響き渡る。
「がっ!」
右肩と右脇腹の辺りから鮮血が溢れ出る。まるで、お前の愚行の代償だと言わんばかりに。
ノリンコの男は足に根が生えたように、初めからそこで立っていた。 ウイーバースタンスでノリンコT-NCT90を構えて存在していた。
通路の真ん中で。路地の見晴らしの良い真ん中で。百飛木の遮蔽物から7mほどしか離れていない、薄暗い空間で。
……銃口から薄っすらと硝煙が昇るノリンコT-NCT90を右手で構えて立っていた。
次第に下がる百飛木の右腕。
相棒のフォスベリー・オートマチック・リボルバーが重力に完敗して地面に引き寄せられるように垂れ下がる。
スローモーション映像のように地面に倒れ臥す百飛木。
痛みを通り越して寒気がする。下唇を噛み、撒き散らしたい感情の咆哮を飲み込む。
一矢報いる。
38口径が当らずとも一矢報いた事実を作りたい。
ここまで頑張ったんだ、少なくとも光江だけは巧く逃げ仰せているはずだ。そうあってくれ。頼む。
地面に伏せた顔をゆっくり上げて自由の利かない右肩を酷使してフォスベリー・オートマチック・リボルバーを右手一本で構える。
実に無様。
銃口の先は男の膝下も捉えられない。
銃声。
キャラメルのオマケのように付いてくる絶望。
ノリンコT-NCT90が放った9mmパラベラムはコンクリートの地面で跳弾し、フォスベリー・オートマチック・リボルバーの左フレームを強かに叩く。
その衝撃で左フレームが大きく凹み、右手から弾き飛ばされる。元から不自然な構えだったために手首を挫いた。
地面に転がる傷ついたフォスベリー・オートマチック・リボルバーを無傷の左手で拾う。姿勢はそのままで手を伸ばして拾う。射線は相変わらずノリンコの男の膝下位にしか合わせられない。
「よく頑張った……ここまで反撃していなければ、恋人と一緒に葬ってやるところだった」
「!」
――――光江!
「光江に……何を!」
男の足元を睨みつけながら、白く変色した唇からその言葉を冷静を装って搾り出す。
「何も。身柄は確保。その後は……どうだろね。俺たちはお前1人の確保しか注文されていない。だが、雇い主はお前が死のうが生きようがどうでもいいらしい。『首根っこ押さえて黙らせれば』それでいいらしい」
「……随分、喋るな」
「落とし前をつけてもらいたい……死ね」
極限状態で聞く、聞き飽きた陳腐な台詞。だが、その言葉の重みは計り知れない。
死ねというその言葉に対してできる抵抗はフォスベリー・オートマチック・リボルバーのハンマーを起こして引き金を引くだけ。
カチン……。
不確実な作動音。撃発はしない。
ハンマーは確かに雷管を叩いた。軽い音だった。
打撃不良だ。原因は瞬間で理解した。先ほどの9mmパラベラムの跳弾が左フレームを叩いた時にハンマーに伝達するスプリングに異常を来たしたのだろう。
悔し涙が溢れる。
男を睨みつけて最期に罵詈雑言をぶつけてやりたいが、首の角度も満足に向かない。
キャラメルのオマケのような絶望。
その昔、フォスベリー・オートマチック・リボルバーが米軍のトライアルでコルト45オートに負けた理由。……それは不発時の撃鉄操作の手順が多く、多少の力作業であること。
かつてのフォスベリーを改良したとはいえ、基本構造は変わっていない。
つまり、百飛木の『世界の中』で全てが終わった。
「じゃあ、な」
ノリンコT-NCT90の銃口が百飛木の頭蓋に移動するのが気配で解る。
走馬灯とかいうものが目蓋を走るよりも早くそれは起きた。
バランッ!
フォスベリー・オートマチック・リボルバーが見えないワイヤーで吊り上げられたように銃口が『走り出した!』
反動の激しさに左肩を脱臼する。
「がっ!」
何事か、全く理解できない間に男が仰向けに大の字で倒れる。
フォスベリー・オートマチック・リボルバーの銃身には濃厚な硝煙が絡み付いている。
地面に落ちたフォスベリー・オートマチック・リボルバーの引き金と撃鉄の隙間から合計3個程の、欠けた小さな金属片が転がり出た。
こんな時はどんな顔をしたらいいのだろう。
打撃不良ではなく、雷管不良による遅延発射。
加え、フレーム強打に端を発するセミオート機構の破損。引いては単射でストップせず、全弾を撃ち尽くすまでのフルオート。引き金を引いていようが否かは関係ない。
吐き出された38口径は1発毎に上方へ跳ね上がり、内4発が男の腹部と胸部に被弾した。
「……」
愛銃に起きた奇跡を理解するほど思考は鋭くない。のろのろと立ち上がると、顎を引き締め、しっかりと一歩を踏み出した。
愛銃が手から滑り落ちる。
退路へ進む前に無造作に転がっているノリンコT-NCT90を拾う。
上がらない右肩。挫いた左手首。呼吸の度に生きている事を痛みで教えてくれるアバラ。
……そして、『血液という名の、生命のインジケーターを砂時計宜しく垂れ流す右腹被弾箇所』。
男のノリンコが、彼女の愛銃と同時に放った。
そのたった1発が腹部に命中した。
百飛木の蒼い顔に死神に捕らわれた翳りは見えない。
退路を歩く。
ひたすら歩く。
彼女はただの一片たりとも、この裏路地が死に場所だと考えていない。
百飛木には目標がある。
正確に言えば、目標ができた。
愛する半身を救出するためにどこのどのような、人智を超えた存在も殴り飛ばしてでも生き延びねばならない。
歩く。
歩く。
もう直ぐ裏路地の出口が見える。
百飛木にとって退路の出口は光江に会いに行くドアでしかない。
霞む眼も、寒気を感じる背筋も、悲鳴を挙げる負傷箇所も……今は、内ポケットから取り出したハバナ葉巻で大人しくしてもらうことにする。
少し、摺り足気味になったが、その問題は後回しだ。
進め進め。
歩け歩け。
――――外れの葉巻を引いたか……。
濃厚が売りのハバナ葉巻の味が薄い。
「……まあ、良いさ……」
――――光江の紅茶が飲みたい……。
裏路地の向こう。
夜陰の中に、百飛木の毅然とした背中は幽鬼の如く消え入り……摺り気味の足音が暗い路地に溶け込んでいく。
《ワイルドピース・了》
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