ワイルドピース

 つい20年前まで、イギリスの老舗ライフルメーカー『ホーランド&ホーランド』でお抱えのガンスミスとして在籍していた、とあるガンスミスは今日もハリー・バックデーンのブリティッシュ・ブレンディット・ウイスキーのポケット瓶を呷りながら鉄臭い仕事場に踏み込んだ。
 いつもの風景に彼の酒臭い息が混じる。ここには彼以外には誰も居ない。
 フライス盤、NC旋盤、今では使われていない合金加工機器。壁に整然と吊り下げられたレンチにドライバー。手術前の医療器具を連想させるスティックタイプのヤスリが整然と棚に並ぶ。
 エングレーブ加工とシルディング(※ライフリング加工全般)以外なら全ての銃火器を修理、改造できるだけの設備が15平方メートルほどの空間に並んでいる。
 彼の言葉を借りるのなら、「樹脂でできた、鉄砲だけは勘弁してくれ」だ。
 その言葉通りにここにはコンピュータ制御の加工器具は一切並んでいない。
 ビッグベンが遥か西に拝めるロンドンの外れで彼はひっそりと生きていた。
 酒代を稼ぐのが目的なのか、好きで鉄と語らいたいのかは不明だが、ホーランド&ホーランドを退職した後も鏨を捨てることなく、薄暗い部屋に閉じ篭って、『ガンスミスの真似事』を続ける。「死んだら棺にヤスリとレンチを放り込んでやるから安心しろ」と笑顔で語った唯一の息子は10年以上前に家族諸共、交通事故で天に召された。
 残された、年老いた彼は加速が付いた様に熟練の技を奮い続けた。
 この狭く、薄暗く、鉄臭く……オイルとグリスの匂いが沁み込んだ鉄の部屋で。
 孤独で、孤高に、そして目的と手段の区別が付かない毎日を、彼は、今日も生きる。
 彼の職業はアンダースミス。
 あらゆる地下組織や組織者の非合法火器製造を生業とする、闇社会を構成する部品の一つだ。
 最近はめっきりとオーダーが少なくなった。
 一昔前は矢鱈とフルオートを組み込んでくれ、撃鉄と引き金を羽のように軽くしてくれ、という依頼が多かったが、樹脂を多用した銃火器の製造や改造が増えると、彼の『旧い技術』では追い付かずに依頼を断ることが多くなった。
 それ以前に、最近の銃火器は使用者のフィーリングに迎合すべく、使用者が一人で簡単に微調整できる火器が増えた。
 インターネットとかいう鼻持ちならない新しいメディアの浸透がそれに拍車を掛ける。
「……」
 彼は苦難の数だけ刻んで来た皺が目立つ頬をグローブのような掌で軽く撫でた。
 いつものチェスト付きテーブルに座った時、とうとう、両目が耄碌したのかと、久方振りに自身の健康を疑った。
 助手とまではいかないが、依頼品や郵便物をいつも届けてくれる孫ほど歳の離れた青年が何かとサポートしてくれるのだが……。
「……」
 その青年はいつも通りに彼への配達物を指定の場所に置いただけだ。
 そもそも彼自身、酒を呑んでいたが、これしきで酔いが回るとは思えない。
 何度も眼を擦るが、埃が入っている訳ではない。
「……」
 単純に信じられなかった。
 それは……包みの一つを破ると、そこには修正液の後が目立つメモ書きが輪ゴムで巻き付けられて、古式ゆかしいリボルバー拳銃が1挺、静かに座っていた。
 彼の知識では、確か、この拳銃にこのような長さの銃身をしたモデルは存在しないはずだが……米国が中距離ミサイルをレーザー光線で迎撃する技術を確立した現在で『また、コイツと出会える』のが信じられなかった。
 彼は震える手で――決してアルコール依存の症例ではない――手紙を毟り取る。
 差出人は何と発音して良いのか解らないが、アドレスの末にJAPANと書かれていた。本文には「確実に作動するように調整して欲しい」とだけ、ミミズがのたうつような汚い字で書かれていた。
「……」
 それからだろうか。
 彼がアンダースミスに堕ちて以来、初めて、アルコールを摂取することを忘れて、『新しい金属で作られた旧い拳銃』のオーバーホールに全身全霊を注いだのは。
   ※ ※ ※
 一般的にフェザータッチと呼ばれている。
 引き金に羽が触れただけで簡単に撃鉄が雷管を叩く様を揶揄した呼び方だ。
 大多数のトリガーハッピーの指先はこれで構成されていると言っても過言では無い。
 異論は認める。
 何故なら、全自動火器やダブルアクションオートが跋扈する時代だからだ。
 その中に有ってリボルバーのトリガーハッピーというのは実は絶対数的に少ない。
 僅か5、6発しか装填できず、速射が利かず、ダブルアクション時の引き金が異常に重い。錯乱した中で悠長に撃鉄を起こして1発ずつ発砲するのはトリガーハッピーとは言わない。ただの一過性恐慌状態だ。
 定義としては、トリガーハッピーとは発砲している間だけは自身の生命が保障されると思い込んで弾幕を張る人間を指す。
 故に神経の箍が脆い人間は指先がフェザータッチで作動すると喩えられても文句は言えまい。
 ここで今、体をジャックナイフのように折って地面に崩れ伏せた3人は目前の標的が前述のトリガーハッピーにでも見えただろうか? 自分たちが抱えたミニウージーの方がトリガーハッピーのレッテルを貼られた人間が持つに相応しい銃火器であったのに、だ。
 現在でも、多数の小国でコピー生産されているイスラエルの名火器はセフティを切ってあったのに、ボルトを引いていたのに、銃口の先が標的を捉えていたのに、引き金に撃発命令が下るより早く、使用者が被弾して脱落という結果に終わり、1発も発砲することなく幕切れとなる。
「流石、ジェームス・パリス・リーの血族が調整したハジキだ。スライドアクションが0.5秒近く早くなっている」
 そう呟く男……と、見間違える女――ボサボサのボーイッシュショートが印象的で遠目にシルエットだけなら女とは思えない。170cmの身長に凹凸の乏しいボディライン。それで服装がファッション性に欠けるブルゾンにジーンズパンツ。――は言う。
 握手でも終えたように下げ気味な右手には古風な中折れリボルバー。

中折れリボルバー全盛の時代には無かった金属の鈍い艶は、嘗てはコルト社の専売のごとく多用されてきたロイヤルブルーフィニッシュ。
 その凶暴な肌理を誇る拳銃は、珍品ゆえの絶滅危惧種と評価の高いフォスベリー・オートマチック・リボルバーだ。
 リボルバーの分際でオートマチックという、話だけ聞いていれば実にふざけたアクションを取り入れた拳銃だが、その昔――1907年当時――は米国での正式拳銃トライアルにウェブリー社と提携して参戦した経歴も有る。

 機能的には問題なかったが、『弾倉を用いたセルフローディングでは無い』、『不発時の排莢に時間が掛かる』、『砂、泥、埃がスライドレールと回転ノッチに付着すると作動しない』と云う『軍用としての欠点』が目立ち、脱落する。
 それらの時代背景に見る技術面での遅れは以降のアマチュアガンスミスたちの知的好奇心を煽り、統計で計れないくらい『改良されて製造』されてきた。
 殆ど全てのパーツを合金の削り出しから始められ、異物による作動不良に関しても、スターリングやステンに見られる「ボルトの作動の度にスライドレールの異物を掻き出す」工夫を踏襲した。
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