風よりも速く討て

「以前な、俺の人形遊びが好きな犬が一番凄ぇ、と、ほざいていた奴が居た。そいつが自慢している割には、その犬が一枚噛んでいるコロシは大して聞かねぇんだ。組の看板に泥を塗ったって、オヤジ……今の御隠居に直接、破門を言い渡されてな……その時に破門を進言したのが俺ってわけだ。ま、その時のチクリ屋はたまたま俺だったことになるわな」
「初耳です。何時の話ですか?」
「今から5年以上前か。大して時間は経っていないが、奴さん、今でも俺のタマ狙ってるらしい……『人形を遣う犬』と『犬自慢』から思い出した話だ」
 和穂は血相を変えて先桐に向き直る。
「直ぐにでもソイツの首、盗って来ます!」
「落ち着け。『裏の二枚舌』かも知れん」
「裏の……?」
 意味の解らぬ言葉に眉をしかめる和穂。
「犬は3匹ではなく、もっと多いかも知れん。残りの2匹はもっと優秀な犬かも知れん……表で出し惜しみしている素振りをしているのはもっと大きな隠し球を用意しているって事だ。奥の手を見せるときはさらに奥の手を用意しているときだと相場は決まっている。下手に噛み付くと怪我じゃ済まん……下手に手出し出来ないように巧いブラフを掛けてると言う意味だ……嘘か本当か。本当か嘘か。いかにもアイツらしい……」
 懐かしそうに目を細めると、ラーメン鉢に箸を刺して、冷め始めた麺を一気に食べ始める。
「先桐さんが、黙ってろと仰るのなら……」
 和穂も少々の不服顔で、煮卵を口に放り込む。
  ※ ※ ※
 多数の麻薬常習者が『仲間割れ』で銃撃戦を展開した……という記事がささやかに踊る新聞を目に通しながら、ウイスキーのポケット瓶を呷る青年。アウトドアで扱う折り畳み椅子に腰かけている。
 その右横でカジュアルな服装でルアーを用いたバスフィッシングを楽しむ青年。
 何時かの波止場で和穂を監視していた男たちだが、小太りで眼鏡の青年が足りない。
 真冬にしては良い日差しの自然公園――ハイキングコースより難易度が低い平地――で二人は湖畔で居た。
 森林浴には打って付けだが、季節が季節なだけに、それは無理だ。
 他には釣り人やトレッキングスポーツに精を出す人間も居ないのでどれだけ憚られる話をしても盗み聞きされる心配は無かった。
 赤いニット帽を被り、ブラウンのフィールドコートを着た青年は何もヒットしないルアーを摘み上げて口をへの字にした。季節外れの獲物を狙っているのは十分に理解していても、凹む。
 黒いマフラーにボアが入った濃紺のポリスジャンパーを着た青年は新聞を丸めると無造作に脇に放り投げ、手元に置いているポケット瓶に再び手を伸ばす。
「巾木(はばき)の馬鹿が……」
 ウイスキーを呷りながら、年上と思われる青年は『心当たりの有る真犯人』の名前を口にした。
「抜け駆けして、彼女とお近付きになろうとしたからだ。罰だよ罰」
 赤いニット帽の青年は興味無さそうにルアーを交換する。
「どうせ、止めは自分で刺そうとしてヘマをしたんだろ? そんなところじゃないか?」
 ルアーボックスを覗き込みながら赤いニット帽の青年は『何時もの悪い癖が原因』だ、と遠まわしに巾木という名前らしい『人形遣い』を批判した。
 黒いマフラーの青年は空になったウイスキーのポケット瓶を無造作に湖面に放り投げる。その行為を著しく不快に感じたニット帽の青年は顔を露骨にしかめてマフラーの青年を睨み付ける。
「次、俺が行く」
 黒いマフラーの青年はニット帽の青年の無言の非難を無視して喋りだした。
「巾木はあれでも同じ飯を食い続けた仲だ。弔いの一つくらい、供えてやらんと化けて出てくるかもな」
 マフラーの青年は内ポケットから8オンスのフラスコを取り出して、中身を呷る。
「勝手にしろよ。巾木は……ハジキはまともに使えなくとも『俺達の中で一等、頭が回る馬鹿だったんだ』ぜ。俺とお前みたいな、『殴り合いの喧嘩』しか知らんノータリンが勝てるか?」
「巾木は……『頭の回る馬鹿』だったが、俺は『馬鹿に腕が立つ馬鹿』だ。馬鹿なりにも勝負の仕方は考えるさ」
 フラスコを懐に仕舞い、マフラーの青年はすっくと立ち上がり、足元の新聞紙を踏みしめて、きびすを返す。
「……それに俺は……縁起でも無い台詞を吐き続けて今まで生き抜いてきたんだぜ。『それはこれからも同じだ』」
 マフラーの青年が湖畔を離れ、歩いて1分ほどの位置にある林道に出た。
 赤いニット帽の青年は、ヒットして左右に振られるロッドから伸びるラインを沈んだ目で追い駆けていた。
「……バカヤロー……何が『それはこれからも同じ』だ。『俺達は3人居たから生きてこれたんだろ……』」
  ※ ※ ※
 和穂が『人形遣い』と壮絶な銃撃戦を展開してから2週間後のことだった。先桐は子飼いの情報屋から買ったネタを元に一人で探索の最中だった。
 ベージュのマフラー。本革のコート。いつものスリーピース。白髪が混じり始めた頭髪はポマードでオールバックで整え、咥え煙草で先桐は一枚のメモ用紙に何度も目を這わせて、この雑居住宅街を歩いていた。擦れ違う町人は誰しもが、自分たちと違う空気を孕んだ先桐を遠巻きにしていた。
 一人にしてくれ、と、護衛や取り巻きも連れずに……防弾チョッキと拳銃も自宅に置いたまま、自分でハンドルを握りこの近辺まで来た。
 メモに書かれた住所は組織の縄張りから少し離れている。何処の勢力下にも入っていない地区。
 初めてくる。この辺りの土地鑑は一切無いので同じ場所を往復する。
「……」
 短くなった煙草をポケット灰皿に押し込むと、左腕のロンジンを確認する。トリプルカレンダーとクロノグラフを搭載したプラチナ造りの自動巻きは午後3時半を指していた。
「……難儀だな」
 建築法を無視した住居が何の法則性も無く雑然と並んでいるこの一角は、行き止まりの無い迷路のように思えた。
 電信柱の所在地を参考にしているつもりだが、メモに記された所在地と僅かに噛み合わない。仕舞いにはこのメモを書いた自分自身に文句を垂れる。
――――矢張り……若い衆にやらせりゃ良かったか?
 あまり、こらえ性の無い先桐は爪先を反転させて、煙草を取り出した。
 心は既に帰宅する気だった。
 この時、愛用のデュポンがガス不足で火が点いていたら大人しくそうしていただろう。
 だが、愛用のライターを憎らしげに見るよりも、目前に今にも崩落しそうな小さな佇まいの煙草屋が目に飛び込んできたのは運が良かった。
 直ぐに使い捨てライターを買い求める。50年前から同じ姿でそこに座っているような、店主であろう、即身仏のような老婆に駄目で元々な気分で探索中の所在地を尋ねてみる。
「ああ、そこでしたら……」
 耳に補聴器を填めた枯れ木の老婆は所在地をことも無げに指差して教えてくれた。お礼に、自分が愛飲しているのと同じ煙草を3個買う。
 煙草に使い捨てライターで、愛用のライター以外で着火するという、敗北感を覚えながら火を点ける。
 煙草屋が教えてくれた場所へ向かう。煙草屋から歩いて3分もしない場所に有る安普請のアパートだった。
 外見から推定するに、4畳半一間、トイレ共同、風呂無し、築45年……と言ったところか。
 どの部屋も窓ガラスに罅が見られ、ガムテープで補強してある。年月を感じさせる拭き付け塗装が所々、剥がれ落ちている。
「なんでぇ、こりゃ」
 踏み入る前から肩と眉を落として口を歪める。
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