風よりも速く討て

 眼鏡の奥で残忍な輝きが絶頂に達した時……引き金を引いた。
 彼ではなく。
 彼女が。
 盲撃ちに似た、取り乱した速射……否、速射という高尚な発砲では無い。
 無闇矢鱈に恐怖して撃ち尽くしたらしい。
 恐慌のまま、弾倉を交換してまで、錯乱した連射。獰猛な顔付きの犬に吼えられて咄嗟に飛び退く様にそっくりな脊髄反射でしかない。
「……がっ」
 喉仏と鳩尾に被弾した彼は仰向けに倒れる。


 撃つ。撃つ。撃つ。
 弾倉を交換して、更に撃つ。
 銃口の先は目前50cmのガラスウールの壁材。22口径の2.6gの弾頭はことごとく、一点に叩き込まれていく。
 この間、和穂は無意識だ。
 血の気が引いた顔。死ぬほどに嫌悪する物体と出くわしたように、反応した。
 殆どの弾丸はガラスウールを砕くだけだったが、後続の銃弾の何発かは『何か』に命中した。
 呻き声が聞こえた気がしたが、幻聴か耳鳴りか区別が付かない。
「……」
 銃声に置き去りにされたように、重い質量が崩れる音が聞こえた。
 H&K HK4はスライドストップが掛かって、銃身と排莢口からうっすらと硝煙が立ち昇る。
 残弾0発。
 そこで、惚けた頭に思い出した事が一つ。
 「匂い……お腹、空いた」
――――そう。この匂いが強くなったんだ……。
 和穂の脳裏に何故かファストフードショップのメニューが連想された。匂いから連想された事柄は空腹に堪える『良い匂い』だった。
「この匂いだよ……さっきの……気になった匂いは……」
 H&K HK4を右手にだらしなく提げて、無防備に壁材の反対側に歩き出す。
「……や、やあ。初めまして」
「……どうも」
 食欲がそそられる匂いの根源が、喉仏と鳩尾を押さえて仰向けで転がっている。
 小太りで眼鏡の20代半ばを過ぎたくらいの、アニメオタクのレッテルを張り付けたような顔をした男だ。
 周囲には『紐』と断定して間違い無い通信機器や機材が放り出されている。足元には38口径のスナブノーズが落ちている。
 この区域を仕切っていた『人形遣い』との対面だ。
「多くは……言わないよ……楽にしてくれ……」
 男の言葉を一切無視して和穂は質問する。
「残りの内通者は? 主犯は誰だ? クライアントは?」
「多くは話さない……この業界……の鉄則だろ?」
「言わないと殺す……と言っても、今のお前には何の脅しにもならないようね」
「……そうだ」
 男の首が僅かに動いて視線がチャーターアームスのリボルバーを指す。
「フン。早く楽にして欲しいって言うの? 虫のいい話ね」
「じ……じゃあ、仕方無いね」
「?」
 男は歯を剥き出しにして奥歯を噛み締めた。
「!」
「自決用の……青酸カプセル……だ。さよなら……『できるだけ早くこっちへおいでよ』……」
「勝手に死ぬな!」
 和穂は急いで男の頬を張り飛ばそうとするが、既に男の顎先は痙攣を始めて口の端から泡を吹き始める。
 全身に小さな痙攣が伝達し、男は絶命する。目蓋を見開き、精の無い双眸が虚空を掴んでいる。
 名前も知らぬ、和穂をここまで苦しめたファストフードの匂いがする男は何も手掛りを残さず娑婆と別れる。
「馬鹿……」
 虚無な風が和穂の心に吹き込んでくる。
 何も得る物が無く、意味が無いとしか思えない殺し合いは和穂が一番嫌うことだ。
 自分のためにも先桐のためにも、何もならない。
「……」
 和穂は梁に壁材を貼っただけの家屋からゆっくりと歩み出た。
 煙草を咥えて火を点けるまでに、受信すべき命令を待ち続けて棒立ちになっている1体の『パペット』と擦れ違った。
 『紐』が切られた『パペット』は事前に入力した信号以外は受け付けない。このまま放置しておいても、DOXの常習性が再び現れるまでは人畜無害な存在だ。
 弾の切れた短機関銃を両手に構えた『パペット』を背後に残したまま、暗い洞を覗き込む瞳の和穂は立ち去る。
 煙草の煙が寒風に吸い上げられて夜空に消える。



 何もなかったことにしたいできごとだ。
  ※ ※ ※
「『街外れ』でのドンパチ、ご苦労」
 先桐はいつものスリーピース姿にレザーコートを羽織ってカウンターに座っていた。
 和穂にとって今夜の先桐との会話は気分的に楽だった。
 いつも出入りする敷居の高いラウンジバーではなく、ドレスコードが無い。どんなカジュアルでも許される。先桐の方が場違いに恰好好いファッションだと言う事だ。
 『赤提灯のラーメンの屋台で、スリーピースに革のコートは目立ち過ぎる』。
 左手の小指が足りない店主が経営するラーメン屋台で、冷える体に活を入れるために熱いウーロン茶で割った焼酎を一杯、呷ってから卵を追加した豚骨ベースのチャーシュー麺を啜る。
 他に客は居ない。波止場にある夜釣りの名所だったが、辺りに同業者や人の気配も無い。
「DOX絡みでコロシもできる『人形遣い』……それでいて内通者と繋ぎが取れる……心当たりは有るが、該当者が多過ぎて絞り込めない。最近のコロシ稼業ってなぁ、ピンキリだな……俺が若い頃に、右のドスと左のハジキでカチ込んでいた頃とは世界が違うな」
 寂しそうな先桐の横顔。この時ばかりは和穂も釣られて気分が下がる。
 まだ50代だというのに早くもリタイアしたがっている雰囲気が心に突き刺さる。
 いつまでも血気盛んで頂点を駆け上ることだけを考えている、抜き身の刀でいて欲しい……自分がもし、普通に二親が居て堅気で暮らしていたら父親に対してこんな気分になるのかも知れない。
 寂しさに感応する寂しさを誤魔化すためにチャーシューを口に放り込む。
「不穏な空気……の始まりでしょうか?」
 話題を無理矢理変えようと、沈黙が訪れる前に和穂が喋り出す。
「その線は濃厚だ。ただ、自分の飼い犬が死んだことを簡単に喋りたがる奴はいない。新しい犬を飼い出したことを自慢したがる奴は多いがな……それでも……ん? ……そう言えば……あいつ……最近は手前ぇの飼い犬の話で盛り上がることが少なくなったな……」
「……」
 先桐は何事か考え込んで黙る。結局、沈黙が訪れた。
 和穂は気にしない振りをして麺を啜り、出汁に口を付ける。
「……3人……じゃないか?」
「え?」
「3人だ」
「?」
 先桐の脈絡のない発言に、一瞬、付いていけなくなった。可愛らしい仕草で首を捻る。この辺りの初々しさはまだ二十歳の女性だ。あどけなさが抜け切っていない。
「最近な、他所から『3匹の新種』を買ったって自慢していた奴が居る。その3匹の内、確か……電子技術を齧ったインテリ崩れが混じっていた……と、聞いたことがある」
「インテリかどうかは解りませんが、多数の『パペット』を一度に纏めて操るだけの頭の回転は持っていました。プロのハジキ遣いじゃ無さそうでした……けど……」
 できる限り当時の状況や自決した男の風体を思い出そうと記憶を手繰る。
「? ……何か有るのか?」
「『3匹での襲撃では有りませんでした』」
「うむ……だろうな。トリオ漫才とは限らん。ピンで芸を披露するタイプなのだろう」
「で、それが何か?」
「それ……なんだがな……ちょいとな」
 先桐は焼酎のウーロン茶割りを一口啜ると話の続きを始めた。
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