風よりも速く討て

 手元のPDAコンソールから発信電波が消えるとそれは脳髄が破壊されて活動不能に陥ったことを意味する。和穂に頭部を破壊されても同じことだ。
「さて……仕上げるか」
 若者は邪悪な笑みを浮かべて、ポテトフライを手に取った。


「……結局、ここか」
 壁材を貼ったばかりの建築途中の家屋に入ると、座り込んで煙草に手を伸ばした。掌で覆い、風を遮ってから使い捨てライターで火を点ける。
 腹の底からの渾身の喫煙が全身にニコチンを送り込み、コンマ数秒間だけの快楽を提供した。
 ……そして……。
「あーあ……」
 紫煙に目を細めながらスライドストップが掛かったH&K HK4を見た。
「……」
 しみじみと煙草を吸い込みながら、大きな溜息を心中で吐く。
――――『使いたくない』なぁ……。
 ジャンパーのハンドウォームに突っ込んでいた大量の22口径ロングライフル弾を玩ぶ。
「はい、休憩お終い」
 そう呟いて、フィルターを焼くほどに短くなった煙草を吐き捨てる。
 H&K HK4の空弾倉を抜き、スライドをリリースさせると、撃鉄を起こしてから安全装置を掛けた。
 トリガーガード内前部に有る小さなラッチボタンを押してスライドを前方に引くとスライドが外れて銃身とスライドレール付近が剥き出しになる。
 無造作にズボンの右裾を引き上げた。そこにはアンクルホルスターを真似た、ポーチが付いていた。
 ポーチの中から22口径のバレルキットを取り出す。
 左足首にも同型のポーチが付いていたが中身は4本の22ロングライフル用の空弾倉だった。
「さて、第2ラウンドだ」
 テキパキと銃身を交換し、空弾倉にロームG11から抜いた22ロングライフル弾を詰め込む。
「サイティングが面倒なんだよねぇ」
 物臭な口振りでも作業は3分で終わる。
 スライドを引き、初弾を薬室に送り込む。


「何をしている……」
 『パペット』を操りながら、サーモグラフ内蔵の双眼鏡で家屋の中の和穂を窺っていた若者は、和穂の不審な動きの意図が読み取れずに難儀していた。
 特に煙草と思われる熱源が消えた辺りからの動作が不明瞭で困惑の連続だった。
 12体の……残り全ての『パペット』を全周から攻めさせる手筈は整った。
 ロームG11を拾っただと? 素手で銃身を曲げることができる安物拳銃で何ができる。まともに命中させることなど、神頼みだ。……そんな嘲笑が小太りの青年の顔からうかがえる。
「でも、仕上げる所はスペシャルリングサイドに限るね」
 小太りな若者は眼鏡を掛けると立ち上がり、ハーフコートを翻して『パペット』を操る通信機とジョイスティックと連動する10インチ液晶のPDAを脇に抱えた。


――――弾は30発。
――――何とか弾倉4本分。
 バレルの交換で22ロングライフルが撃てるようになった。H&K HK4とはいえ、炸薬が増量されたハイベロシティでなければ排莢不良を起こす確率が大きい。
 薬莢底部の刻印を見る限りはフェデラルのエクスプレスボールらしいのでギリギリ、ハイベロシティに分類される弾種だ。
 人間相手なら2発程度、腹に叩き込めば無力化出来るが、DOX中毒患者……ましてや『パペット』として操られている標的を黙らせるのには、矢張り、頭部を損傷させるしかない。
 頭部に2発のダブルタップが理想だ。
 推定で所活力が190Jしかない22口径を有効に叩き込むにはどうしても15m以下での射撃が望ましい。
 そうなれば、弾数30発でも半分の15発分しか屠ることができないと留意する。
 停止力の単純な計算では、入手した22口径2発で平均的な9mmショート0.75発分の初活力となる……頭部にダブルタップを確実に決めることが大前提の計算だが。
「……」
 周囲に気配。包囲するつもりだろう。薬物患者の包囲戦を破る方法は、理屈は簡単だ。
 脅威の順に確固撃破すれば良いだけだが、それに加えて飽和攻撃や波状攻撃が用意されていたり、足止めをされているうちに狙撃されるのが恐ろしい。
 包囲戦が恐ろしいのは『訓練された集団』が行うことにある。連中は訓練されていない。
 近付く気配を耳を澄ませて数えてみると10体前後が確認できた。
 直接、リップミラー越しに窺うが、全員が強力な火器で武装している。
 和穂が潜む建築中の家屋まで30mくらいの距離だ。
「発砲?」
 咄嗟に頭を抱えて地面にうつ伏せになる。
 家屋に集中砲火が始まる。銃弾はいずれも『和穂が立っていれば射線が集中する点』を狙っていた。
――――『パペット』がおかしい……。
 違和感。
 この期に及んで急に、平面な攻撃に変わったことが気になった。
 解りやすい表現は思い付かなかったが、チェスを見下ろして駒を動かしていたかのような動きから、首魁が『パペット』と同じ目線に立って銃火を放つ感覚だ。
――――『人形遣い』……『紐』が見えるか?
 銃撃は続く。5秒も経たぬうちに沈黙する。
 銃を撃つという簡単な動作はできても弾倉を交換する動作は少し手間が掛かる。
 反撃。
 家屋の中から視界に入る3体を片付ける。6個の空薬莢が壁材や柔らかい地面に当たって転がる。発砲した際のクラッカーを思わせる心許ない銃声は音量を裏切らず、心細い。
 次の予備弾倉を口に咥えて家屋の中で居座ったまま、攻撃を繰り返す。
 ふざけたように軽い反動が掌を刺激する。
 家屋の中から飛び出さない作戦に切り替えた理由は、狙撃手対策と、『パペット』が足場の悪い家屋周辺を踏破するのに時間が掛かることを発見したからだ。弾の切れた銃をぶら下げ、もたもたと歩いているところを銃撃する。
「この匂い……火薬じゃないな……」
 弾倉を2本、空にして3本目を叩き込む。22ロングライフルの弾倉は9mmショート使用時より1発多く装填できるので感覚が狂う。
 先程からの食欲をそそるいい匂いが気になる。
 硝煙やブチ撒けた脳漿の臭いに混じって『パペットとは違う、もっと人間らしい匂い』が僅かに漂っている。気配や殺気という抽象的な匂いではなく、具体的に鼻を擽る匂いだ。
 ようやくして3方向から家屋に侵入してきた『パペット』の頭を丁寧に仕留める。
 狭い空間に鉄錆を連想させる濃厚な臭いが充満して先程の『何かの匂い』は掻き消える。
「……!」
――――しまった!
 しくじった、という直感が和穂の背中を冷たく撫でる。
 全く、前触れの無い動作を何故、この時とったのか分からない。
 結果的にそれが勝利する最高の条件をクリアしたとしても、プロの始末人……拳銃使いとしては失態に等しい無様な行動だった。


 チャーターアームスの38口径を握った眼鏡の若者は家屋の壁材に銃口を押し付けた。
 銃口に密着しているそれは、ガラスウールを圧縮させた材質だが、38スペシャル+Pの前では襖同然に脆い物だ。
 この脆い壁一枚向こうで標的の彼女は背中を預けて3方向からの同時襲撃に気を奪われているはずだ。
 思わぬ方向からの思わぬ一撃……それが彼の持ち技だった。
 拳銃でなくても良い。ナイフでも毒物でも。兎に角、標的が怯んだ隙に止めを刺すのが『趣味』だ。
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