風よりも速く討て
和穂は普段は潜入でしか着ることがない淡いピンクのワンピース――実は和穂にとって最高の一張羅――姿で、自分の親同然の男……先桐豪(せんどう つよし)の前に居る。
この男は、生まれた瞬間に両親に捨てられ、保護施設で保護されていた和穂の里親になった人物だ。御鹿園和穂という名前を与えたのもこの先桐豪だ。
憐れんで和穂を引き取ったのではない。
自分の手足の如く使い勝手がいい人間が欲しかっただけだ。
そのためには長い時間を掛けて経験を積ませる必要がある。出来れば長く自分の道具として使いたい。
そこで、幼い子供に着目し、自分の仕事道具で足り得る技術を叩き込んだ。和穂が愛用するH&K HK4を最初に与えたのも先桐だ。当時は22口径のバレルキットで習熟させていた。
銃という道具は才能や素質だけでは扱えない。
具体的な膂力が必要だ。
フルロードされた銃を長時間振り回す力。反動を抑え込む力。引き金を引き続ける力。予備の弾薬を保持する体力……。
リボルバーならある程度無視出来る項目は有るが、実際はこれだけに留まらない。
感覚で銃の汚れ具合を知ることや弾倉の重心を計ることも重要だ。
銃火器程、デリケートな殺傷兵器はない。護身用だろうと軍用だろうとそれは変わらない。最新の軍用火器は粗雑に扱っても壊れにくい設計に腐心している。あるいは、損傷箇所だけを簡単に交換できる設計を日夜、研究している。
銃を扱う上で経験と体格は絶対に必要なのだ。
早い内から和穂に手取り足取り『必要な技術』を教え込んでいた。
先桐が未だ駆け出しから成り上がったばかりの若い時分の話だ。
先桐が組織の創設者の血筋で無ければこのような大きな権力――法的に和穂を養子として引き取る――は扱えなかっただろう。
その育ての親と和穂は向かい合って神妙な顔付きで話をしている。
「身内同士で大きなドンパチが始まるとか、被り物のカチコミが有るとかいう話じゃない。単純な無い物ねだりなんだよ」
「?」
話の内容が見えてこないので、和穂は小首を傾げる。
「俺にはお前が居る。それと同じで身内にも色んな犬を飼っている連中がワンサカと居る……いつの間にか……その犬の数が権力の数になっているんだ」
「私、お偉いさんの品評会に出品させられた……のですか?」
和穂は飼い犬に喩えられても嫌な顔はしなかった。寧ろ、先桐一人だけの飼い犬であることに自分勝手なステータスさえ感じていた。
「俺の知らないところでお前が巻き込まれたとあっては、いくらなんでも不憫過ぎる。敵の姿形や数も見えない。何も手助けしてやれない状況が多々あるだろう」
和穂も先桐が助けを遣してくれない理由を知っている。和穂は組織の共有財産として『登録』されているからだ。
そして、このくだらない話のカラクリも悟った。
組織は常に一枚岩ではない。何かしらの理由をつけて他者を蹴落とす非情な世界だ。飼い犬同士をけしかけて徐々に戦力を割き、本丸である飼い主を丸裸にする……。
稚拙だが、これほど簡単に自身の力の強さを誇示できるレースも無い。
直接の打撃を受けるのは飼い犬であって飼い主ではない。
お偉いさん連中の目的は相手の揚げ足や振り上げた拳の下ろしどころをいかに自分のカードとして利用するかだ。
和穂はその緒戦に巻き込まれたのだと悟る。
このレースから降りることは即ち、先桐の破滅を意味する。先桐が派閥争いから降りて惨めな隠居でもしようものなら、途端に組織の共有財産である和穂は他の派閥の戦力として組み込まれることになる。それだけは御免蒙る。……恐らく最初の仕事は先桐の暗殺だろう。
先桐のために機械になり切ることでしか恩の返し方を知らない和穂にとっては、他人の命令を遂行するのは死に到る拷問より辛い。
「……先桐さん」
「何だ?」
「命令を下さい。先桐さんの敵を全て片付ける命令を下さい……そうすれば……」
「はあ……」
先桐は一息、重い溜息を吐いた。思い出したようにロックのタンブラーを呷る。
「情けない話だが、この期に及んで人間様の心が喚き垂れるんだよ」
「……」
「功を焦ったりなんかしなければ、お前はもっと明るい世界を堂々と歩けたのに……いつか来ると思っていたしっぺ返しがこんな……」
先桐の視線が空になったタンブラーに落ちる。角の無くなった大粒のアイスキューブが涼しい音を立てて崩れる。
一気に老けた。
和穂は先桐の白髪や顔の皺を改めて観察する。
父親代わりの男は彼女には理解出来ない壮絶な日々を過ごしているのだろう。
いつものように、ただ、淡々と「殺せ」と命令してくれれば全てが丸く収まる……和穂の理解の度合いはそれ以上に深い世界を探ることは難しかった。
たった一言。
それだけを呟いてくれれば……。
※ ※ ※
「!」
――――『パペット』!
――――『人形遣い』はどこだ!
内通者の処刑のために郊外の開発区域に出向いた和穂。思わぬ反撃に苦戦していた。
日が落ちて2時間。
開発区域の住宅街建設予定地を和穂は地面をけって必死で走っていた。
建築途中の家屋が林立する中、孤独に走る。
……否、孤独とは少し状況が違う。
木材を積み上げた陰に飛び込んで息を整えようとするが、『またしても』、待ち伏せされている。
「!」
H&K HK4を咄嗟に構えて引き金を引く。狙うポイントは5m先の人間の頭部。
軽い発砲音と共に、耳にヘッドホンをガムテープで固定された男の口に9mmショートが飛び込み、延髄を後部へ派手に撒き散らす。勿論、即死だ。
これと同じ状況が先ほどから延々と続いている。
進んでも退いても心を読まれているように、和穂の行く先々でDOX中毒患者が待ち伏せしている。
丁寧にも両手にはサタデーナイトスペシャルの代名詞なロームG11が握らされている。殆どのパーツが亜鉛ダイキャストとブリキで造られる22口径6連発の2.5インチリボルバーだ。30発も撃たないうちにガタが来る粗悪品だ。
DOXを服用させられて意識が朦朧とする短期間のうちに、ある種の揮発性薬品の匂いを嗅がされると自我の意思が非常に揺らぐ。
自白剤や睡眠誘導剤に似た成分が脳内麻薬として生成される。
この間に簡単な催眠術や暗示言語を施されれば、即席の『死を恐れない兵士』のでき上がりだ。これを人形……『パペット』と呼ぶ。
その『パペット』を同士討ちさせずに特定の目標を攻撃する命令を下す手段を『紐』と言う。
そしてそれらを何らかの手段で操作する人間を『人形遣い』と言う。ハッシーシで陶酔的暗示に掛かったアサッシンと同じだ。
『紐』があるからにはどこかで命令を逐一下している『人形遣い』が居る。『人形遣い』の命令を受信する為の『紐』……ヘッドホン――正確には受信専用スピーカー――が『パペット』の耳にガムテープで固定されている。
この現場で射殺した内通者は本物だった。本物の内通者だった。『先桐が言うのだから120%正しい情報だ』。
だが、飼い犬同士のデスマッチが既に開始されているのなら、この機を利用する輩が居てもおかしくはない。
内通を内通する人間は必ずしも先桐の味方とは限らない。組織内での二重スパイも考えられる。
この男は、生まれた瞬間に両親に捨てられ、保護施設で保護されていた和穂の里親になった人物だ。御鹿園和穂という名前を与えたのもこの先桐豪だ。
憐れんで和穂を引き取ったのではない。
自分の手足の如く使い勝手がいい人間が欲しかっただけだ。
そのためには長い時間を掛けて経験を積ませる必要がある。出来れば長く自分の道具として使いたい。
そこで、幼い子供に着目し、自分の仕事道具で足り得る技術を叩き込んだ。和穂が愛用するH&K HK4を最初に与えたのも先桐だ。当時は22口径のバレルキットで習熟させていた。
銃という道具は才能や素質だけでは扱えない。
具体的な膂力が必要だ。
フルロードされた銃を長時間振り回す力。反動を抑え込む力。引き金を引き続ける力。予備の弾薬を保持する体力……。
リボルバーならある程度無視出来る項目は有るが、実際はこれだけに留まらない。
感覚で銃の汚れ具合を知ることや弾倉の重心を計ることも重要だ。
銃火器程、デリケートな殺傷兵器はない。護身用だろうと軍用だろうとそれは変わらない。最新の軍用火器は粗雑に扱っても壊れにくい設計に腐心している。あるいは、損傷箇所だけを簡単に交換できる設計を日夜、研究している。
銃を扱う上で経験と体格は絶対に必要なのだ。
早い内から和穂に手取り足取り『必要な技術』を教え込んでいた。
先桐が未だ駆け出しから成り上がったばかりの若い時分の話だ。
先桐が組織の創設者の血筋で無ければこのような大きな権力――法的に和穂を養子として引き取る――は扱えなかっただろう。
その育ての親と和穂は向かい合って神妙な顔付きで話をしている。
「身内同士で大きなドンパチが始まるとか、被り物のカチコミが有るとかいう話じゃない。単純な無い物ねだりなんだよ」
「?」
話の内容が見えてこないので、和穂は小首を傾げる。
「俺にはお前が居る。それと同じで身内にも色んな犬を飼っている連中がワンサカと居る……いつの間にか……その犬の数が権力の数になっているんだ」
「私、お偉いさんの品評会に出品させられた……のですか?」
和穂は飼い犬に喩えられても嫌な顔はしなかった。寧ろ、先桐一人だけの飼い犬であることに自分勝手なステータスさえ感じていた。
「俺の知らないところでお前が巻き込まれたとあっては、いくらなんでも不憫過ぎる。敵の姿形や数も見えない。何も手助けしてやれない状況が多々あるだろう」
和穂も先桐が助けを遣してくれない理由を知っている。和穂は組織の共有財産として『登録』されているからだ。
そして、このくだらない話のカラクリも悟った。
組織は常に一枚岩ではない。何かしらの理由をつけて他者を蹴落とす非情な世界だ。飼い犬同士をけしかけて徐々に戦力を割き、本丸である飼い主を丸裸にする……。
稚拙だが、これほど簡単に自身の力の強さを誇示できるレースも無い。
直接の打撃を受けるのは飼い犬であって飼い主ではない。
お偉いさん連中の目的は相手の揚げ足や振り上げた拳の下ろしどころをいかに自分のカードとして利用するかだ。
和穂はその緒戦に巻き込まれたのだと悟る。
このレースから降りることは即ち、先桐の破滅を意味する。先桐が派閥争いから降りて惨めな隠居でもしようものなら、途端に組織の共有財産である和穂は他の派閥の戦力として組み込まれることになる。それだけは御免蒙る。……恐らく最初の仕事は先桐の暗殺だろう。
先桐のために機械になり切ることでしか恩の返し方を知らない和穂にとっては、他人の命令を遂行するのは死に到る拷問より辛い。
「……先桐さん」
「何だ?」
「命令を下さい。先桐さんの敵を全て片付ける命令を下さい……そうすれば……」
「はあ……」
先桐は一息、重い溜息を吐いた。思い出したようにロックのタンブラーを呷る。
「情けない話だが、この期に及んで人間様の心が喚き垂れるんだよ」
「……」
「功を焦ったりなんかしなければ、お前はもっと明るい世界を堂々と歩けたのに……いつか来ると思っていたしっぺ返しがこんな……」
先桐の視線が空になったタンブラーに落ちる。角の無くなった大粒のアイスキューブが涼しい音を立てて崩れる。
一気に老けた。
和穂は先桐の白髪や顔の皺を改めて観察する。
父親代わりの男は彼女には理解出来ない壮絶な日々を過ごしているのだろう。
いつものように、ただ、淡々と「殺せ」と命令してくれれば全てが丸く収まる……和穂の理解の度合いはそれ以上に深い世界を探ることは難しかった。
たった一言。
それだけを呟いてくれれば……。
※ ※ ※
「!」
――――『パペット』!
――――『人形遣い』はどこだ!
内通者の処刑のために郊外の開発区域に出向いた和穂。思わぬ反撃に苦戦していた。
日が落ちて2時間。
開発区域の住宅街建設予定地を和穂は地面をけって必死で走っていた。
建築途中の家屋が林立する中、孤独に走る。
……否、孤独とは少し状況が違う。
木材を積み上げた陰に飛び込んで息を整えようとするが、『またしても』、待ち伏せされている。
「!」
H&K HK4を咄嗟に構えて引き金を引く。狙うポイントは5m先の人間の頭部。
軽い発砲音と共に、耳にヘッドホンをガムテープで固定された男の口に9mmショートが飛び込み、延髄を後部へ派手に撒き散らす。勿論、即死だ。
これと同じ状況が先ほどから延々と続いている。
進んでも退いても心を読まれているように、和穂の行く先々でDOX中毒患者が待ち伏せしている。
丁寧にも両手にはサタデーナイトスペシャルの代名詞なロームG11が握らされている。殆どのパーツが亜鉛ダイキャストとブリキで造られる22口径6連発の2.5インチリボルバーだ。30発も撃たないうちにガタが来る粗悪品だ。
DOXを服用させられて意識が朦朧とする短期間のうちに、ある種の揮発性薬品の匂いを嗅がされると自我の意思が非常に揺らぐ。
自白剤や睡眠誘導剤に似た成分が脳内麻薬として生成される。
この間に簡単な催眠術や暗示言語を施されれば、即席の『死を恐れない兵士』のでき上がりだ。これを人形……『パペット』と呼ぶ。
その『パペット』を同士討ちさせずに特定の目標を攻撃する命令を下す手段を『紐』と言う。
そしてそれらを何らかの手段で操作する人間を『人形遣い』と言う。ハッシーシで陶酔的暗示に掛かったアサッシンと同じだ。
『紐』があるからにはどこかで命令を逐一下している『人形遣い』が居る。『人形遣い』の命令を受信する為の『紐』……ヘッドホン――正確には受信専用スピーカー――が『パペット』の耳にガムテープで固定されている。
この現場で射殺した内通者は本物だった。本物の内通者だった。『先桐が言うのだから120%正しい情報だ』。
だが、飼い犬同士のデスマッチが既に開始されているのなら、この機を利用する輩が居てもおかしくはない。
内通を内通する人間は必ずしも先桐の味方とは限らない。組織内での二重スパイも考えられる。