風よりも速く討て

 日がどっぷりと沈んでから軽自動車を降りる。
 右脇や後腰の予備マグポーチも確認済みだ。
 無性に煙草が吸いたくなったが、この仕事が済んでからの楽しみに残しておく。煙草の匂いで居場所が判明されても困る。
――――疋田か……。
 標的の名前を心で呟く。
 和穂が所属する組織のヒエラルキーでも中層にいる小頭だ。何度か面識があるので顔を間違えることはない。
 代わりは掃いて捨てるほどいる地位に居るが、裏切り者の末路を見せつけるためにも始末人の和穂が指名された。
 仕事の難易度としては今までどおり『特に変わり無く』。
 どんなに簡単な仕事でも、どんなに難易度が高い仕事でも和穂にとっては十把一絡げに『普通の仕事』だった。
 人の命を掻き消すのに御託は要らない。
 最終的には引き金を引いてドタマに風穴を開ければ全てが終わる。やんごとなき人物でも「ゾンビ製造機」に脳髄をやられた蛆虫でも血は赤い。
 仮に引き金を引かなかったとしても、相手の呼吸を止めることが出来ればこちらの勝ちだ。
 過去には鉛筆で延髄を突き刺したこともあるし、針金ハンガーで絞殺したこともある。年端も行かぬクソガキを演じていれば意外と簡単にことは運ぶ……だが、18歳を越えた辺りから、暗殺者としては目立つ顔と体のお陰で男の目を惹く機会が増えてしまい、仕事に入るまでが難しい場面が多い。
 そのせいか雑踏に紛れて標的を背後からスティリットで突き刺す仕事がめっきりと少なくなった。
 歩く。普通に歩く。辺りにはまともな人間の姿はない。近隣の暴走族がたむろしている場所や薬物の密売現場はできるだけ避ける。少々時間が掛かっても、足場は悪くとも和穂は誰にも見られたくなかった。誰の興味も惹きたくなかった。
 目標の倉庫の裏手に着くとガラスが割れた窓からリップミラーを使って中を窺う。
 光源は乏しいが、倉庫の中は広いだけの空間ではなかった。
 投棄されたのか廃棄待ちなのか、資材ともゴミとも思えぬ合成建材やそれの梱包材が堆く積まれている。それがあちらこちらに。
 合わせて5個の山が確認出来る。いずも高さが4mは有る。
 これらを積み上げるのに使ったと思われるリフトも倉庫の片隅で何台か放置されているのが見える。
 自分の背後に街灯などの光源がないことを確認してから窓枠に足を掛けて倉庫内に潜入する。
「……?」
 話し声がする。独りごちているのではなく、携帯電話で話をしているようだ。
「拙い! 拙い! 早く迎えに来てくれ! 仲間から連絡が有ったんだ! 殺し屋……始末人を遣しやがったらしい!」
 携帯電話の通話中を報せるイルミネーションが苛立ちを表現するように暗がりの中を忙しなく左右に踊る。
 通話しながら辺りを警戒しているらしい。話の素振りからすると未だ組織の中に伝を繋ぐ内通者が潜んでいるようだ。
 人気の無い倉庫街を待ち合わせ場所に指定した神経が理解できない……それ以前に、ここにきてようやく、内通者の疋田が敵対組織の庇護を受けるために待ち合わせをしている事実を知る。過分な情報が与えられないのもいつものことだ。組織に飼われている殺し屋は派閥や党派性とは無縁の位置にいる方が扱いやすいからだ。
「……」
 資材の陰から40代前半くらいの男の顔を見る。確かに疋田だ。右手は携帯電話を保持し、左手にはマカロフと思しきシルエットの中型拳銃を握っている。撃鉄は起こしていない様だが、引き金に人差し指を掛けたままで、今にも緊張と恐怖で暴発させそうだ。
――――早く終わらせるか。
 ブルゾンのハンドウォームからH&K HK4を抜くと安全装置を解除し、撃鉄を起こした。引き金が後退する。
 彼我の距離15m。
 ほぼ無風。
 必ず命中させて然りの距離だ。
 照門と照星の白色の蛍光ドットが横一列に重なる。その向こうに疋田の頭部を捉える。
 引き金がホンの小さな力で作動する。
 撃鉄が撃針を叩く。
 フィヨッキのフルメタルジャケットが初速310mで撃ち出され、呆気なく初活力288Jの破壊力は疋田の左側頭部に炸裂し、存分に頭蓋の中で暴れまわって脳漿を破壊する。
 射入孔は有っても射出孔は無い。
 着弾の衝撃で眼窩から眼球がドロリと食み出す。首を直角に右側に折り、鼻腔と耳孔から血液を流して、コマ送りのようにその場に崩れ落ちる。
 何時ものこと。
 ―――何時ものこと。
 「……何時ものこと」
 ウイーバースタンスで固まったまま、和穂は安全装置を掛けて静かに引き金を引く。完全にデコックされたH&K HK4の任務は終了。
 銃声が野次馬を呼び寄せない内に撤収すれば和穂の任務は完了。

 和穂の一連の動作を見守る3人の影。
 いずれも男。
 波止場の向かいの突堤から暗視スコープで件の倉庫を窺っていたのだが、どいつもこいつも緊張感が無い。
 ウイスキーをラッパ呑みする奴。
 ハンバーガーを食べながら見物する奴。
 釣竿を伸ばし、サビキ釣りの合間に視線を向ける奴。
 若者の風体をした不審な3人。
「良い、腕だ……」
 ウイスキー瓶を口から放すなり、ヘッドマウント式の暗視スコープを取り外し、男は言う。20代後半の端正な顔付きの男で、両方の掌に拳銃胼胝を作っていた。
「……可愛い」
 ハンバーガーを咀嚼しながら小太りな男は暗視スコープを外して眼鏡を掛ける。この男も20代後半くらいだが、『眼光以外には鋭い部分は見られない』ような温厚な顔付きだった。
 横に寝そべって釣り糸を垂らしていた男は一番若いらしいが、暗視スコープを外す事も無く、大きな欠伸をして面倒臭そうに「早く帰ろうぜ」と呟いた。
 三人供、衣服は現代の若者の代表的な出で立ちで、普通に人込みに紛れていても誰も不審に思わないだろう……不審なのは、今、この場所でその風体で暗視スコープを装備していることだ。
「誰からあの娘に『告白』してみる?」
「ああ? 誰でも良いんじゃね?」
「先ず、趣味は何ですか? とか、良いお天気ですねとかどうよ?」
 3人供、微妙に話が噛み合っていない。言いたい放題、あるいは彼女と自分たちは接触を図る気があるのか否かも不明な発言が続く。会話と言動に統一性が無い。
「クライアントは早目にあの娘を始末して欲しいと願っているが……しばらく様子を見ていても良いかな? 情報収集という名目でさ」
 ウイスキー瓶を放そうとしない男はそう言うと二人に向き直って軽い口調で聞いてみた。
「可愛い子の視姦は好きだよ」
「面倒なことにならなけりゃ何でも良い」
 ウイスキー瓶の青年が一応のリーダーらしく、「それじゃ、解散」と言うと残りの二人は暗視スコープを保護ケースに収納し出した。
  ※ ※ ※
「不穏な空気……ですか?」
 和穂は駅前都市開発区の中でも最も高級なホテルのラウンジバーでドライマティーニのグラスを撫でていた。
 ボックス席で向かい合う和穂とグレイのスリーピースが似合う五十絡みの男。
 今し方、剣呑な空気を纏う精悍な男は口に運ぼうとしたタンブラーをテーブルに戻した。
「そう。不穏な空気だ。敵対組織云々なら話は簡単だが、身内の中での派閥闘争が激しくなりそうだ……」
 男の顔色が少し曇る。タンブラーのロックの味が不味く変わったかのように。
「先桐(せんどう)さん……私は難しいことは解りません。それどころか、先桐さんの指す道以外に私は歩けません。知りません」
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