風よりも速く討て
自分が信じる飼い主以外に主従を感じる人間を心に持つ……それは『和穂が最も恐れている事』だった。
自分には先桐さんしか居ない。それ以外に、それ以上によりどころを増やすことが怖い『飼い犬』の和穂は……銃撃の最中にこれを口走られると必ず『激しく否定する』。『頭に血が上って正確な判断が出来ないだろう』。
自分には先桐さんしか居ない、と。
だから、同じ『飼い犬』に反対の言葉を投げ掛ければどのような反応を起こすのかと、思い付きの浅い博打を打った。最強であり最弱でもあるカードを切った。
口が利ける先桐と短い時間とは言え一緒に居たのだ。『あの先桐さんが飼い犬に何も言わないわけがない』。
「……もう、良いよ」
和穂は呟くと、H&K HK4を下ろして寝転がったまま、脱力する。
青年の銃口も段々と下がる。
「……」
「……」
この季節では珍しく朝焼けが美しい……が、寒風が身に沁みる。
そろそろ、寝ぼけ頭の街が活動する時間だ。
H&K HK4を地面に置き、無造作に内ポケットを探って煙草を取り出す。
「……」
この男はもう、『誰も撃てない』。
……『誰も撃てない』ようになってしまった。
誰も、だ。
和穂は俯き、掌で使い捨てライターを覆うと煙草の先を火で炙る。
いつもより苦い紫煙。
細く長い煙を吐き出している最中に、腹にくぐもる銃声がする。
目前50cmの位置で突っ立っているはずの青年の体が仰向けに、コマ送りに倒れる。
――――そう。誰も……『他人』は撃てない。
和穂が俯いている間に銃口を咥えた青年は自らの側頭部を相棒のレミントン・アーミーで吹き飛ばした。
破砕された射入孔から砕けた脳漿が混じった血が広がり、原色の醜い花をゆっくりと描く。
「……『犬』、か」
半分ほどしか灰にしていない煙草を地面に押し付けると、H&K HK4に安全装置を掛けて懐に仕舞いこむ。疲れが襲いかかる。緩慢な動作で立ち上がる。
「……!」
背後に気配。だが、和穂は何もアクションを起こさない。
「俺が口出ししていたら……どうなっていたろうなぁ」
砂埃で台無しなスリーピースを着た先桐が歩いてやってくる。
額を擦り剥いている以外に目立った外傷は無く、疲労も窺えない。
後ろ手に手錠を架せられていたが、和穂は青年の死体の衣服から手錠の鍵を取り出して外す。
「詰まらん『隠し玉』を与えた気がしたが……」
「……『助かりました』……有難う御座います」
先桐に煙草を差し出して1本勧める。遠慮無く、先桐はその1本を抜き取り、和穂に火を点けて貰う。
「……帰るぞ」
後頭部が砕かれた日木の死体を一瞥すると先桐は爪先を返す。
「……はい……」
和穂も踵を返す。
「『死に方に魅せられるな』。ツキが落ちるぞ」
「解りました」
和穂と先桐は背中に朝焼けを浴びながら『P岸壁』を後にした。
涙が落ちる。
和穂の双眸から滂沱の如く涙が落ちる。
何かの緊張が切れたのか、琴線に酷く触れる事柄があったのか、それは解らない。
先桐は背中で聞こえる嗚咽に顔色を変えずに高級ヤクザとしての威厳を保った口調で和穂に言う。
「先ずは左目の負傷を癒せ。医者を紹介する。しばらく入院しろ……俺は、警察に突つかれるだろうから、身の回りの世話は貴澄に任せる……好きなだけ貴澄を扱き使ってやれ」
和穂は泣き声を堪えるために、か細い声で「はい」と短く応える。
ある寒い季節の、寒い場所でのことだった。
これは犬の話。
犬たちが、心に頼る形だけで生き抜く話。
この犬たちを駄犬と見るか、忠犬と見るかは誰にも判らない話。
ただ、悲運に忠じるおとなしい犬たちであることは疑いようのない事実。
《風よりも速く討て・了》
自分には先桐さんしか居ない。それ以外に、それ以上によりどころを増やすことが怖い『飼い犬』の和穂は……銃撃の最中にこれを口走られると必ず『激しく否定する』。『頭に血が上って正確な判断が出来ないだろう』。
自分には先桐さんしか居ない、と。
だから、同じ『飼い犬』に反対の言葉を投げ掛ければどのような反応を起こすのかと、思い付きの浅い博打を打った。最強であり最弱でもあるカードを切った。
口が利ける先桐と短い時間とは言え一緒に居たのだ。『あの先桐さんが飼い犬に何も言わないわけがない』。
「……もう、良いよ」
和穂は呟くと、H&K HK4を下ろして寝転がったまま、脱力する。
青年の銃口も段々と下がる。
「……」
「……」
この季節では珍しく朝焼けが美しい……が、寒風が身に沁みる。
そろそろ、寝ぼけ頭の街が活動する時間だ。
H&K HK4を地面に置き、無造作に内ポケットを探って煙草を取り出す。
「……」
この男はもう、『誰も撃てない』。
……『誰も撃てない』ようになってしまった。
誰も、だ。
和穂は俯き、掌で使い捨てライターを覆うと煙草の先を火で炙る。
いつもより苦い紫煙。
細く長い煙を吐き出している最中に、腹にくぐもる銃声がする。
目前50cmの位置で突っ立っているはずの青年の体が仰向けに、コマ送りに倒れる。
――――そう。誰も……『他人』は撃てない。
和穂が俯いている間に銃口を咥えた青年は自らの側頭部を相棒のレミントン・アーミーで吹き飛ばした。
破砕された射入孔から砕けた脳漿が混じった血が広がり、原色の醜い花をゆっくりと描く。
「……『犬』、か」
半分ほどしか灰にしていない煙草を地面に押し付けると、H&K HK4に安全装置を掛けて懐に仕舞いこむ。疲れが襲いかかる。緩慢な動作で立ち上がる。
「……!」
背後に気配。だが、和穂は何もアクションを起こさない。
「俺が口出ししていたら……どうなっていたろうなぁ」
砂埃で台無しなスリーピースを着た先桐が歩いてやってくる。
額を擦り剥いている以外に目立った外傷は無く、疲労も窺えない。
後ろ手に手錠を架せられていたが、和穂は青年の死体の衣服から手錠の鍵を取り出して外す。
「詰まらん『隠し玉』を与えた気がしたが……」
「……『助かりました』……有難う御座います」
先桐に煙草を差し出して1本勧める。遠慮無く、先桐はその1本を抜き取り、和穂に火を点けて貰う。
「……帰るぞ」
後頭部が砕かれた日木の死体を一瞥すると先桐は爪先を返す。
「……はい……」
和穂も踵を返す。
「『死に方に魅せられるな』。ツキが落ちるぞ」
「解りました」
和穂と先桐は背中に朝焼けを浴びながら『P岸壁』を後にした。
涙が落ちる。
和穂の双眸から滂沱の如く涙が落ちる。
何かの緊張が切れたのか、琴線に酷く触れる事柄があったのか、それは解らない。
先桐は背中で聞こえる嗚咽に顔色を変えずに高級ヤクザとしての威厳を保った口調で和穂に言う。
「先ずは左目の負傷を癒せ。医者を紹介する。しばらく入院しろ……俺は、警察に突つかれるだろうから、身の回りの世話は貴澄に任せる……好きなだけ貴澄を扱き使ってやれ」
和穂は泣き声を堪えるために、か細い声で「はい」と短く応える。
ある寒い季節の、寒い場所でのことだった。
これは犬の話。
犬たちが、心に頼る形だけで生き抜く話。
この犬たちを駄犬と見るか、忠犬と見るかは誰にも判らない話。
ただ、悲運に忠じるおとなしい犬たちであることは疑いようのない事実。
《風よりも速く討て・了》
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