風よりも速く討て

 少しの間を置いて、先桐は静かに呟く。果たして、先ほどの激昂していた日下でもこの言葉を聞いて引き金を引いていただろうか?
「……」
 日下の前述通りなら既に引き金を引いている。彼は拳銃のグリップに手を伸ばす真似はしなかった。
 背中越しに先桐の台詞を聞いた日下は「馬鹿ばっかな世界だ」と小声で吐き捨てて、この部屋の唯一の出入り口から出て行った。
――――済まない。和穂。
――――俺はどうやら、最強の『隠し弾』を渡したかも知れん……。
 自分が思わず呟いてしまった台詞が日下の心を『糾してしまった』ことを後悔した。


 午前5時40分きっかり。
 『P岸壁』の廃船繋留場迄、H&K HK4を右手に垂らした状態で和穂は歩いていた。
――――『P岸壁』って広いんだよね。
――――本当に『飼い犬』が1匹だけ?
 あらゆる憶測や懸念が脳裏を飛び交う。
「後ろからズドンじゃ、面白く無いだろ?」
 目前40mの位置にある、小さなプレハブ小屋のドアが開くなり、その青年は言う。
 トレーナーにダウンベスト。ジーンズパンツに古風なガンベルトを腰に回して登場だ。
 和穂には問題無い、必殺の距離。
 咄嗟に腰に構えたH&K HK4を発砲しようと手を掛ける。それと同じ速さで青年の左手が閃いて、携帯電話を彼女に翳した。
「?!」
 コンマ数秒間、思考が掻き乱される。携帯電話を翳す意味が不明だ。
 携帯電話が青年の手から滑り落ちるや否や、青年の右手は長大な古式銃を抜き放ち、覆うように左掌を撃鉄を起こす。
 轟音一発。
 44口径のボール弾を秒速245mで撃発する轟音は和穂の9mmショートの軽い発砲音を完全に掻き消した。
 銃声勝負の瞬間に和穂の18m先で一等、明るい火花が散る。
「……」
「……」
 交(む)かい弾。
 双方の銃弾と銃弾が彼我の真ん中で衝突し、弾け飛ぶ現象だ。ラウンドノーズやロードボールが多用された18世紀後半の戦場では稀に起きる現象だ。
 お互い、それぞれ、この一発で勝負は決まると思っていた渾身のクイックシュートだっただけに、利き手の上腕筋が緊張して二射目が出来ない。二人供、豊富な遮蔽物に転がり込んだ。
 和穂の意識を削ぐ役割を果たした携帯電話がその場にポツンと残される。
 和穂はリフトで使うパレットの山に、青年は身の丈ほどもある、棄てられた資材の陰に潜む。
――――パーカッション!
 パレットの陰で、目視した現実を分析する。
 今となっては時代遅れもはなはだしい撃発方式だ。
 どんなに急いでリロードしてもシリンダー1個分の弾薬を装填するのに5分は掛かる。
 それにシリンダー3個分も連続して撃とうものなら、シリンダー後部に有る火門が火薬の煤で塞がってしまい、確実に雷管の火花を伝導しなくなる。そうなれば雷管を被せて黒色火薬を詰めずに空撃ちして火門内部の煤を吹き飛ばさなければならない。
――――馬鹿かあいつは?
 和穂は呆れるやら驚くやらで、頭を抱えた。
――――辺里の『飼い犬』に碌な奴は居ないな……。
 たった6発やそこらに命を賭ける神経が理解できなかった。
 もっと理解できないのが、今しがた容赦無く、残弾5発をこちらに撃ち込んでくることだった。
 威勢良く弾き出された44口径は木製のパレットを拳骨で殴るかのように砕いていく。
 牽制の意味が有るのか、もう1挺あるいは複数の武器を携行しているのか? どの道、パーカッションリボルバーの出番はここまでだ。
 和穂はH&K HK4の予備弾倉を左手の指に挟んで遮蔽物のパレットから飛び出た。
 散発的な銃撃を青年が潜んでいる資材の山に叩き込んで、足止めさせつつ、距離を縮める。
 乱雑に並べられたドラム缶の陰に飛び込んで、弾倉を交換する。
 10mほど、戦闘区域を狭めることに成功した。
 青年から反撃の様子はない。
 リップミラーを突き出して青年が潜んでいる遮蔽物を映すが……。
「!」
 轟音と共に、リップミラーが粉々に粉砕された!
――――この音!
――――パーカッション……やっぱり、もう1挺持っていたか!
 和穂が移動しリップミラーを突き出した時間は、30秒も経過していない。
――――あの風体にインチ違いのパーカッションを持っていたか……。
――――この場のあちらこちらに同じ得物を隠しているか……。
 同じパーカッションでもレマット・リボルバーのような多弾数リボルバーは厄介だ。
 9発の42口径に62口径の単発散弾銃を具えた難物はそれなりに弱点は有るが、パーカッション・リボルバーとしての制圧力では他の追随を許さない。兎も角、『44口径で、有り得ない7発目が飛び出たのは事実だ』。敵が複数の銃火器を使うことを持ち技にしているのを頭に叩き込んだ。
――――ブラフ?
 先桐が以前口にした『裏の二枚舌』という言葉がふと、浮かぶ。
 相手を思考と困惑のループに押し込んで、自爆を誘う手段を用いているとすれば……。
――――その技は辺里譲り……か。
 鎌掛けを心理戦の主力として用いた場合……それを実際に鉄火場でドンパチの最中に持ち込めば、まとまらない考えと暗い悩みを抱えたままの和穂は、防弾チョッキを着て、軽機関銃で武装していても不利だ。
 考えあぐねたままの引き金は異常に『重い』。
 殊に、引き金を1度引く時は一人の人間が死ぬときだと、始末人の信条を叩き込まれた和穂にとって、逡巡する側に立っているだけで心理的に不利なのだ。
 またも、腹にくぐもる轟音が連なる。
 今度も5発。
 12発もの44口径を吐き出したわけだが、そろそろ『本物の武器』が出ても良い頃ではないかと、牽制的な速射で青年を釘付けにしたまま、移動する。
 12発といえば2挺の6連発リボルバーと同じ装弾数だ。
 細かに移動する和穂の体を掠る44口径は紛れも無くパーカッション。いつまでも馬鹿の一つ覚えのように古式銃で戦う青年に尊敬の念さえ覚えた。
 装弾数だけの勝負で言えば和穂が2発分有利だ。
 再装填の面で言えば和穂の方が圧倒的に有利だ。
 停止力を比較すれば青年の44口径に分が有る。
 腕前を検討すれば……同格以上だと認識するしかない。
 勝った負けただけの世界に、銃弾でなければ人を殺せない理由は無い。
 口先三寸で、法螺吹きで、鎌掛けで、欺瞞工作で、ハッタリで、目眩ましで……何を使って勝とうが、勝った者勝ちだ。
 タマの切れた銃を鈍器にして殴り殺しても勝利だ。
 頭の上からコンクリブロックを落として殺害しても勝利だ。
 ナイフで大動脈だけを切り付けて大量出血させて死に到らせても勝利だ。
 相手のロジックにこちらが合わせてやる必要などない。
 考えるべきことは、こちらのロジックに相手を引き摺り込むことだ。
――――私なりに戦えば……私の目標を優先すれば……それで良い。
 和穂は遮蔽物から再び飛び出す。今度は大きくジグザグを描いて、わざと長い距離を移動する。敵が本当にパーカッション・リボルバーだけをメインにしているのか確かめるためだ。
 和穂を追う銃弾。
 和穂の肩を、重量を感じる衝撃が掠る。服の繊維を飛ばしただけでダメージにはならない。
――――矢張り……6発。
 遮蔽物に転がり込んで、弾数を数えるが、和穂を襲撃した数は6発だった。
 移動した遮蔽物からここまでの距離を目算で測る。
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